学問に王道はないが、サッカーに王道はある!?:トルシエ路線が正解だ!
2018年 03月 28日
合宿こそスポーツの命
炎のランナー テーマ曲 (ヴァンゲリス) Chariots of Fire - Vangelis
Mr. ビーンのロンドン五輪版
みなさん、こんにちは。
いやはや、昨夜の日本代表55位vsウクライナ35位の試合。
これまたひどかった。
日本対ウクライナ1-2 - すべての目標とハイライト HD - 親善試合 japan vs ukraine 27/03/2018
まあ、この試合の最大の成果といえば、
選手全員が君が代を歌うようになったこと
これですナ。
これ以外にはない。
しかしながら、もう4年も経ったのに、いまだにハリルホジッチは君が代も覚えていなかった!
うつろな目が死んだ監督→老後は万全、遺産保全を考えている???
さて、試合のサッカーに関するツッコミどころは満載で、どこからメモしたら良いか分からないほどである。
しかし、一番分からないのは、
いまやこのメンバーの大半はかつてのロンドン五輪U23日本代表が
いま結局U27になり、返り咲いてきたということで、
どうしてロンドンで世界4位だったチームが、いま世界55位になったのか?
これですナ。これが分からない。
普通、世界ランクはそんなに変動するものではない。
大半が世界4位経験者になったのだから、つまり、
山口蛍、酒井高徳、大迫勇也、原口元気、。。。
こういう連中は普通にそのときのようにやれば、世界4位。
悪くても世界16位までのサッカーができるはずなのである。
それが、谷間の世代、まったくユース時代に世界に出られなかった世代の
ぼくたちのサッカー世代=ザックジャパン世代の
長友、本田、長谷部、川島の世代とミックスしてしまった。
その結果が、ザッケローニの残党の45位から、
その世代の老齢化と相まって、動きが落ち、
同時にランクが落ちていった。
要するにサッカー質の云々の段階ではない。
もう世代交代の失敗。
これに尽きる。
あのとき、私は旧ブログ1にさんざん、こうメモしてきた。
W杯代表というものは、特別な選手以外は、
どんなにうまかろうが、基本的には即時引退し
新世代と交代すべきである。
この場合の特別な選手とは、
メッシとか、ロナウドとか、マラドーナとか、ペレとか
世界的レジェンド
となるような選手の意味である。
我が国では、中田英寿だけがこの粋に行っていた。
もし怪我しなければ、小野伸二がそうである。
あとは普通の選手である。
長友、本田、川島、長谷部、吉田麻也、。。。
谷間の世代にはレジェンドはいない。
ゆえに、ザッケローニ敗退。
つまり、南ア大会でロンドン世代とバトンタッチすべきだったのである。
遅くとも、ブラジル大会でロンドン世代に完全にバトンタッチすべきだった。
我が国は、あまりに電通CM+キリン+アディダスの悪影響が強すぎ、
CMに載せるために、わざわざ「海外組」という
箔をつけさせようとする。
その理由に、
海外経験や海外の選手のタッチになれる、
というような美辞名文がつけられてきた。
しかし外人選手ならすでにJリーグにもたくさんいて、
こういう経験は十分にできているし、
いまではACLで中国や韓国のチームと戦って、
そこに巨額のマネーできているブラジル人やヨーロッパ人選手たちと対戦して、
よくわかっているのである。
だから、わざわざ海外の欧州チームに所属するばかりが能である
という時代はとっくに過ぎ去った。
だから、なぜ行くか?
というと、箔をつけるためである。
その昔、我が国の理論物理学者もこぞって国費留学でアメリカ合衆国に渡った。
医者もそうだった。
アメリカに行けばわかるが、
いくら日本の有名国立大学で大学教授の肩書があろうと、
アメリカのPhDを持っていない人は、
アメリカの法律上大学教授には簡単になれないのである。
だから、日本の大学教授がアメリカに渡ったとしても、
実際の肩書は、いまでいう、ポスドクか、
せいぜい客員研究員程度のものにすぎなかった。
ところが、昔は日本人はまったくアメリカのことをしらなかったから、
「へ〜〜、アメリカ留学組ですか〜〜?すごいですね〜〜!」
と国内ではいわれたわけである。
そして、渡米から帰国すれば、1ランク昇給した。
助手で渡米して1年ポスドクすると、帰国してすぐに助教授に昇格。
これを「箔をつけて帰った」と言った。
しかし、ポスドクはポスドク。責任はポスドク。
アメリカの大学院生やポスドクといっしょに仕事しただけにすぎないのである。
医者の場合は、もっと致命的で、
アメリカで医療行為をする場合は、アメリカの医師資格が必要である。
だから、日本の医師がアメリカに留学しても、実質上の医療行為が法律上できない。
だから、1,2年留学しているうちに、手術の技量が落ちてしまうのである。
アメリカでできることは、
せいぜいアメリカの大学院生と実験動物相手に実験することだけ。
まあ、それでも最先端の科学技術や医療技術を垣間見ることができたから、
渡米留学する意味があった。
しかし国内へ帰国すれば、海外組=渡米組という箔が付いて、
白い巨塔の財前教授のように一気に昇格できた。
まあ、こんな1年以上もメスを握ったことのない外科医の手術を受ける
日本人の身になってみろというわけだ。
俺はユタで1986年〜1990年まで当時
そういう形で留学してくる日本の大学教授や医師や国家公務員を
つぶさに観察してきたから、実によく分かるんですナ。
まあ、日本は非常に牧歌的、世界知らずだったわけだ。
俺はこういう内情も論文として学会に送ったり、
本に出したりしたから、非常に嫌われたがナ。
いまでいう暴露である。
その当時はそういうことをする人はだれもいなかったヨ。
ちょうど今のサッカー界がこの時代の科学の世界に対応する。
俺にはそう見えるわけですナ。
もし釜本がメキシコ五輪直後に肝いりでセリエAに行っていたら
我が国のサッカーの歴史は大きく変わっただろう。
どういうわけか、釜本は急性肝炎にかかり、セリエA入りを見送った。
メキシコ五輪のときの最優秀FWは釜本とイタリアのマッツォーラだった。
マッツォーラはセリアAの最優秀選手に育ち、後にイタリア代表監督にまでなった。
俺の印象では、まあ当時は韓国人の悪さは知られていなかった時代だから、
日本人がアジア最初に欧州のチームのレギュラーになられてはまずいと思った
在日韓国系からねたまれ、たぶん、釜本は韓国系に毒盛られた可能性が高い。
とにかく突然の謎の不調になったわけだ。
要するに、もう「箔をつける」という時代は終わったのである。
なぜなら、個々人がいくら箔をつけ、CM料が跳ね上がろうが、
サッカーはチームスポーツである。
スピードスケート女子のパーシュートのように、1年360日合宿というように、
一心同体で合宿につぐ合宿をして、
目を閉じても味方にパスだせるくらいにチームワークをあげていかないと
W杯本戦では勝てないからである。
いまのように、欧州の各チームに三々五々入団し、
試合のたびに、三々五々帰国集合し、
そして、せいぜい試合前の3日4日いっしょになって、
ダマスゴミ相手の子供だましのリフティングやパス回しパフォーマンスして、
後の残りの時間は各人がそれぞれ三々五々CM撮影や番組で稼いで、
適当に試合してまた欧州に返る。
おい、日本サッカー協会よ!
これでW杯で勝てると思ってんのか?
ふざけるのもいい加減にしろや!
おっと失敬。つい本音が出てしまったヨ。
とまあ、そういうわけで、
U20の頃からずっと寝食ともにし、ワールドユースで世界二位になり、
その後もU23五輪代表となり、
そしてU27のW杯という育成スタイルで成功した、
あのトルシエジャパンのやり方

が実は一番正しいやり方だったのである。
指導者としてのトルシエは、単にフラット3というスリーバックシステムを
我が国に持ち込んだだけだったが、フラットスリーにだまされ、
トルシエの行った最大のメリット、これがないがしろにされた。
つまり、W杯は本大会の2大会前のU20世代から育成するという方法である。
実は、今のコロンビアも、ウクライナもどこの国も
これをやって強くなっているのである。
そもそもそれはあのジダンのフランスがルーツといっても良い。
もっと前はドゥンガのブラジルである。
アンリとジダンこそ、ジャケ監督時代に
ユース世代から肝いりで将来優勝のために戦略的に育成された
秘密兵器だったのである。
そこで、今我が国ではどうすべきかというと、
我が国には2人天才が現れた。
FW久保健英U16とMF中井卓大U14である。
将棋で言えば、藤井翔太である。
そこで、とにかくこの二人の選手が
2大会後から3大会後にトップチームの主役を務められるように、
国内からその手足になれる選手を選び、チーム編成しておく。
そして、このユース世代の最初の目標を
U20W杯優勝
にとる。とにかく、4年後のU20世界大会で優勝する。
それができれば、次はU23五輪優勝。
そして、それができたら、その4年後W優勝を狙う。
つまり、かつてトルシエ監督がめざしたのは、
U20W杯優勝→U23五輪優勝→W優勝(U27)
だった。
このタイムラインが育成の王道である。
とにかく、このスケジュール、タイムラインに早く乗せなければいけない。
すべてはここからはじまる。
今ブラジルは世界最強レベルを誇るが、1994年アメリカ大会が分水嶺だった。
それまであの王様ペレの1970年代前半までの3度の優勝で死に絶えていた。
そして、あの有名なイタリアとの決勝。PK戦になり、
闘将ドゥンガが決め、バッジオが外して
ブラジルの20年ぶりのW杯優勝となった。
これ以後、ブラジルは強豪国に大復活したのである。
ドゥンガの前には神様ジーコ、天才カルテットの中盤でも優勝はなかったのである。
このドゥンガ、ユース世代からすべてのカテゴリーで世界優勝を遂げてきた。
そしてその最後がアメリカW杯優勝で飾った。
つまり、サッカーの王道を突き進んだのである。
そして、その次のフランスW杯では、
フランスでサッカーの王道をやってきたジュネディーヌ・ジダンと決勝で戦い、
2度ドゥンガはジダンにゴール前でふっとばされて失点して負けた。
これがサッカーである。
我が国は、久保健英、中井卓大世代にかけるべきだ。
いつまでも日替わり、年代わりの日本代表にこだわっていては未来は来ない。
俺はそう思う。
まあ、日本サッカー協会には届かないと思うがナ。
樋渡群さん、頼むよ〜〜〜!
田嶋と西野に言っといてネ。
夕飯我が家で食った仲でしょ。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2018-03-28 09:57 | サッカー日本代表