青春の蹉跌:日大の殺人ショットガンフォーメーション。ショーケンの青春の蹉跌を思い出すナア!?
2018年 05月 22日
青春の蹉跌
みなさん、こんにちは。
日大アメフトと言えば、伝統のショットガンフォーメーション。
関学アメフトと言えば、伝統のTフォーメーションだったかな?
いまその日大アメフトと関学アメフトと日本のアメフト界が大揺れ。
それも日大のディフェンス陣が相手の関西学院大のQBに悪質な「後ろから」のチャージであわや下半身不随の大惨事に陥るところだったからである。幸い身体障害者にはならなかったようだ。
私もアメリカのユタ大にいたからアメリカンフットボールはアメリカ留学時代によく見たものである。
ユタ大とモルモン教のBYU(ブリガム・ヤング大)は良く戦った。
いつもユタ大はやられ役で、最初は勝っていても最後には劇的な追い上げで負けるというパターン。
逆に言えば、相手は最初はやられるが、徐々に挽回して、最後の最後は劇的な勝利。
実は、米人に最も受けるのがこの試合形式である。
真珠湾攻撃に始まった太平洋戦争でもそうで、最後の最後に逆転勝ち。
これが受ける。拍手喝采となる。
まあ、単純極まりないメンタルのだが、これ以外に米人、特に米白人を喜ばす方法はない。
さて、そんなアメフト。
かつて横綱若乃花が引退後に米アメフトのプロに挑戦した。
しかし、プロにはなれなかった?
その理由が、攻撃パターンを覚えることができなかったためだった。
私が1980年代当時、アメリカで言われていたことだが、というより、ユタ大学のアメリカンフットボールクラブがいかに強豪であるかを紹介した、アメリカンフットボールの解説記事を読んだことによるのだが、それによると、
大学レベルで攻撃パターンは800〜1000。だいたい700〜800種類。
プロになると、なんとその数10000種類のフォーメーションがあるというのだ。
だから、にわかで入部してもすぐにフォーメーションを覚えられない。
だから、さすがの若乃花もプロを断念せざるを得なかった。
というように、アメリカンフットボールではボールが地面に落ちた瞬間にプレーが止まり、ワンプレー、ワンプレーごとに円陣を組んで作戦のフォーメーションを決定する。
しかもヘルメットを付けているために声が聞こえないから、監督やコーチはヘッドフォンをつけてマイクで選手に支持を出す。そういうシステムである。
このアメリカンフットボールの性格からして、監督やコーチの指示のないプレーなどアメフトには存在し得ないのである。
上の指示には絶対服従のスポーツである。遊びはない。
すべて作戦。ルーチーンがすべての選手に決っているのである。
これが、サッカーや野球とは違う。
これが、アメフトは軍隊要請スポーツといわれる所以である。
各人がそのポジションの仕事を粛々とこなす。さもないと、一瞬のミスが命取り。ボールが地面に落下。たった4回落下すれば、攻撃権が相手に移る。
この繰り返しである。
だ・か・ら
日大の宮川選手は脇目もくれずに敵QBに突進したわけだ。
監督から撃墜命令が出ていたからだよ。
というわけで、監督からの指示(絶対服従命令)に選手がしたがったのは間違いないだろうナア。
しかしながら、選手に良心があれば、監督に歯向かうはずである。
そんなことはできませんと。
あるいは、途中でわざと転ぶとか、別のプレーをするとか、逃げ道はあったはずである。
日大の当該選手にもそういうことを行うことの罪悪感がなかった。
どっちもどっちだろう。
やはり今回の騒動はこの日大の内田という監督の性格に端を発すると思う。
一説では、この人もまた「在日朝鮮人」ですナ。在日韓国人。
顔が中心に寄っている。
正という字も「金正日」のように朝鮮人が好んで使う感じの一つらしいですナ。
もちろん、日本人も使う。
日本人が使う場合は、「正しい」という意味で使う。「正月」の正である。
しかし、朝鮮系が使う場合は、「征」の代用として使うとか。
「正日」=「征日」=「日本を制圧する」
日本人 「正人」=「正しいことを行う人」
朝鮮人「正人」=「日本人を征服する人」
とまあ、ジョークのような真実となる。
したがって、内田正人という名の意味は、「日本人を内から征服する人」という意味になるわけですナ。
通名だろうナア。
こんな人物がポン大こと日本大学の理事になるとか、人事担当とか、伝統のアメフトの最高権威者になるとか、恐ろしすぎますナ。
いずれにせよ、アメリカだったら、この選手と監督は報復で射殺されているんちゃうか?
思えば、私が持病の腰痛を持つ羽目になったのは、中学校のサッカーの大会で、空中戦でヘッドしている時に見えない後ろから膝蹴りを食らったときからだった。
着地した途端立てずにずいぶん寝ていたと思うが、それ以来背骨がずれて、慢性の腰痛になった。
高校大学でもこの腰痛は完治せず、一生の持病になった。
X線で調べても、関節がすり減っているといわれるだけ。
それから、ここ阿南に来てできたばかりのMRIで検査したら、見事に三ヶ所の腰椎、骨盤と背骨の間の関節から3番目までが椎間板ヘルニア

この椎間板が飛び出て神経を圧迫。この神経が切れたら下半身不随。
こうして思えば、それまでの30年間の治療費をその選手に損害賠償請求したいくらいである。
それほど長いダメージが残る。
奥さんや子供からは、「ガラスの腰」とまで揶揄されていたものである。
こうして俺の椎間板ヘルニアは一生モノで、ぜったい治らないものだと思っていた。
ところが、ある時、都内に出張中に腰痛持ちだから腰の疲れをとるために、マッサージを受けていた時、もう20年近く前になるかもしれないが、突然
カキーン
という金属音がして腰の関節が元に戻ったのだった。
前から、ここが詰まった感じがあるから、それがコキンと取れたらなあと思っていたことが現実に起こったのである。
たぶん、物理的に言えば、椎間板ヘルニアで腰椎が準安定状態にずれたまま固定されていたものが、そのマッサージの時のベッドの振動と共鳴して見事により安定な基底状態に戻ったということだろう。腰椎の関節の伸縮運動とベッドの振動が共鳴したのである。
これ以来、大分ましになり、徐々に腰椎が自然に微調整をし続け、いまでは週30km走ってもまったく痛みも出ない腰になった。
しかし、たまに不自然な体位でものを持ち上げたりすると痛む。
一度でもヘルニアになると、これほどまでに人生を棒に振る。
そもそも私は大学入試時に早稲田のサッカー部にレセプションを受けるか、合格した理科大の物理に行くかを決めるときに、この持病の腰痛が関係したことは間違いのない事実である。
俺には腰痛があるから、早稲田はきついなと考えたわけだ。当時早稲田は今の西野や加藤久がいてすでに大学チャンピオンだった。同期に岡田がいたようだ。だから、本格的な体育会的サッカー部では俺の腰が音を上げるだろうと考えたにちがいなかった。
要するに、中学で受けた傷で大学進学、ひいては人生が変わってしまったのであるということもできる。
それほど、腰痛は大事ものなのである。腰痛にならないようにしなければならない。
しかしながら、日大の監督は、相手を負傷させようとした。わざと腰痛になるように、後ろから腰に猛チャージした。足ならまだわかるが、腰だった。
胸なら急性心不全で死にかねない。
というわけで、これは相手QBを意識的に意図的に狙った完全犯罪だったのではないかナ。
やはり刑事事件だろうヨ。
それにしても俺のガラスの腰は奇跡的に復活修復し、アルミの腰程度にまでは回復したが、鉄の腰にまでは行っていない。
日大の内田にはこうした痛みを理解する認知機能がないんだろう。
人間ではないナ。
やはり、ヒトモドキか。
いまや日本の大学にはこんなやつらが五万といるからナア。
日本崩壊。
日本政府や経団連はもうすでにそういうやつらに乗っ取られているから、この期におよんでさらに外人を帰化させようとしている。
皇室まで乗っ取られかけている。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2018-05-22 10:11 | 在日害人犯罪