青春の蹉跌2「司令官」と「特攻隊」:内田監督「宮川、大和魂みせて特攻に行け」ってか!?   

不良公家を糾弾する武家


みなさん、こんにちは。

昨日は久しぶりに昼間にテレビをつけてみたらちょうど日大の反則タックルの選手の謝罪会見が行われていた。これである。
日大アメフトアメフト部員会見  監督の指示を明言


ちなみに、NHKは相撲が始まっていたからやっていなかった。

民放独占になったが、終盤になると、一番肝心な話の場面でCMCMCMCMCM... でまったく見れなくなったゾ!

ほんと民放は人の謝罪会見すら自社の儲けの道具にするのかヨ!

という感じでしたナ。


さて、見た印象では、結果的に「本人の顔出し謝罪会見」は成功したのではないだろうか?

犯人とされた選手の顔が見え、

この選手が本来どういう選手だったのか?

が明確に分かり、

事件に意図されたものが何だったか?

が明白になった。

同時に、現在の日大アメフト部がどういう感じの組織かも如実にわかった。

私の個人的印象としては、かつての神風特攻隊に散った若き日本の兵士のような印象受けた。

上官の命令には絶対服従。すでに特攻しか残された道がない。

そういう場面での特攻突撃。


自分の一生を潔く棒に振るわけだ。

特攻する前に、すでにその後の人生が失われることは100も承知。

もう二度とアメフトの地に戻る保証もないし、戻る気もない。


翻って、この宮川選手のこれまでを見れば、U19日本代表。昨年の日大全国優勝の立役者の一人だった。

そして日本代表候補。

本来ならアメフト界の大谷翔平になるべき逸材だった!


どうしてこんな選手を特攻に命じたのだろうか?

他にも特攻隊に命じられる選手はたくさんいたはずである。


日本代表候補の宮川選手に日本代表を降りろと言った。

ちょっとありえないナア。


普通は金出してでも我がチームから日本代表を出したい。

サッカーの本田、香川、長友。。。など、こうした連中は裏で西野監督に金払って代表に呼んでもらったとしか思えないようなのが普通である。つまり、日本代表を金で買う。あるいは、自分の後ろ盾のスポンサーに圧力を掛けさせる。

サッカー日本代表で言えば、西野がメンバー27人を公表し、その中に本田、香川、長友、吉田、岡崎、浅野が復活したとたん、みずほ銀行のCMにこいつらのCGが登場した。

CGで出てくるということは、だいぶ前から準備していたということである。

つまり、みずほ銀行は西野がこの6人を選ぶことを事前に知っていたわけですナ。

とまあ、こんなことが普通である。


それが日大の内田正人監督は真逆のことをして、U19日本代表、そして日本代表候補の宮川選手に代表辞退を命じた。

井上コーチは練習すら禁止し、試合には出れない。


そういうふうにチームの崖っぷちに追いやっておいて、

関学のQBを潰すなら使ってやってもいいぞ。


とまあ、どこぞのヤクザ映画の鉄砲(=ヒットマン)に敵組長の殺人を命ずるシーンのような会話が行われたわけだ。

日本の戦後のヤクザの90%〜99%はすでに朝鮮系だといわれるように、いわゆるヤクザのしきたりはすべて朝鮮半島人の感覚と伝統に従っている。

主従関係、絶対服従、問答無用の不条理

この虚無感が朝鮮人のものである。

かつて百済から天皇の親戚が日本に渡って帰化したばかりで、それが後の公家になっていく頃、公家の特質がこの朝鮮半島特有のものだった。

「卑怯、狡猾、虚弱、虚栄」、
「無責任、無感動、無表情」、
「嫉妬、残忍、贅沢」

衝撃の朗報発見!「朝鮮人はヒト科ではなかった!」:ヒトモドキ科に属した!?より


日本代表に選ばれるような選手ですら、監督と面と向かって話したことがない。

監督と話すには仲介者がいて、それがコーチ。

選手→コーチ→監督→コーチ→選手

これを繰り返す。

しかも、選手ごとに監督に通じるコーチが異なる。そんな雰囲気すらあった。


これって、あのエリア51のコンパートメンタリゼーションCompartmentalization(区画化)あるいはセグメンテーションsegmentation(区分化)というやつと同じだよナ。

バッジの色でクリアランスレベルが決まる。

選手同士が仲間を作れないように、個別化しておく。だから、どいつが何をしようとしているか他のやつには分からないように命令する。実に朝鮮人的なやり方だ。


まあ、日本風に言えば、監督は自分が「天皇」だと思っている。

朝鮮人なら、自分を「国王」だと思っている。

頭が高い!目を見て話すな!話があれば、下々に言え。直接話すな!

こんな感じだったようだ。


いったい何世紀を生きているのだろうか?この監督やコーチは?

いまは21世紀、日本や朝鮮の平安時代ではない!


まあ、民主主義の国、自由の国アメリカの伝統的スポーツであるアメリカンフットボールで、独裁者がいるとは、実に皮肉。


ところで、アメリカンフットボールがいつできたか知っているだろうか?

拙ブログのこの記事にあった。

池原止戈夫の「アメリカ学生生活」:ウィナーの弟子池原止戈夫はブッシュの弟子でもあった!

中でも、いまやアメリカのスポーツの定番というと、アメリカンフットボールだが、まだ池原先生が留学した時代のアメリカではアイビーリーグの大学のほんのわずかの場所しかなかった。

アメリカで最初のアメリカンフットボールの試合は、明治2年1868年、ラトガース大の広場で、ラトガース対プリンストン大の試合だったという。相手を殺す以外のことは何でもやったという恐怖のスポーツだったらしい。

1877年にルールが改正されて、ラトガースはニューヨークシティーカレッジ(今のCUNY)と対戦、120−0の大敗を喫したという。

当時スタンフォード大にはアメリカンフットボールのチームがなく、アメリカンフットボールをしたくて入った若者が隣のカリフォルニア大のフットボール選手からバカにされた。畜生とばかり、この若者は自分でチームを作り、練習を始め、自分がマネージャー兼コーチになり、ついにそのバカにしたカリフォルニア大のチームと対戦するところまで行った。そしてなんとスタンフォード大のはじめての試合で、勝利したのだとか。その若者が、後の第31代アメリカ大統領のハーバート・フーヴァーだったというのである。

第31代アメリカ大統領
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こういう感じで、高校生活、大学生生活、大学院生活などが記録やカリキュラムなどを合わせて良く調べて書かれているのである。

いずれにせよ、当時のアメリカ人が理想に燃え、実にすばらしい若人の国家だったことはまずまちがいない。


つまり、明治2年の1868年、ちょうどいまから150年前にラトガース大の広場で、ラトガース対プリンストン大の試合が一番最初のアメフトの試合だったのである。


ちなみに、この今から150年前の日本はこんな感じだった。

アイラブジャパン:「日本とドイツのこの100年」100年前のドイツがすごかった!?

外国人少年写真家が撮影…甦った「150年前の日本」

 150年前の幕末・維新期に来日し、「激動の時代の目撃者」となった外国人少年写真家がいた。東京大学史料編纂所の古写真研究プロジェクトチームが少年の祖国・オーストリアで、少年が撮影・収集した多数のガラス原板を確認。8000万画素のデジタルカメラで原板を撮影し、拡大したところ、驚くほど鮮明な当時の日本が写り込んでいた。少年の足跡をたどるとともに、成果を写真史料集『高精細画像で 甦 よみがえ る 150年前の幕末・明治初期日本』(洋泉社)にまとめたプロジェクトチーム代表の保谷徹所長(幕末維新史)に現地調査の経緯などについて聞いた。
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さて、日大の監督コーチはたぶん刑事訴追されるだろうから、永久追放しかない。

いったん日大アメフト部は解散

これも一種の「韓の法則発動」だよナ。

韓国人がトップについた組織は必ず崩壊するっていう法則だヨ。


宮川選手は、すべてが片付いた後、関学のアメフト部に転入したら良いのではないだろうか?

もし本人がプレーをしたいと希望すればの話だが。

関学の監督は宮川選手の潔い正々堂々とした男気を気にいったようだ。


雨降って地固まる。


まあ、そういうこともあればヨ。という話なのだがナ。


それにしてもいまどきこんな話があるとは?

ここ徳島の田舎の中学校サッカー部の監督のような話でしたヨ。



いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2018-05-23 12:09 | サッカー&スポーツ

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