「講演会の顛末記」:講演会お疲れ様でした!ありがとうございました!サムハラ神社のご利益か!?
2018年 08月 06日
昨日無事にここ阿南に7時半に帰宅できました。
講演会の皆様に心からの感謝の言葉を妻ともどもお送りしたいと思います。
どうもありがとうございました。
ちょうど20年ほど前の1998年。私はフリーの理論物理学者としては史上初。
三菱財団の研究助成をうけることができたのだが、その時、
分数排他統計を持つ準粒子の研究
でもらったのだった。
それで、当時私が閃いたアイデアが厳密数学的に正しいかどうかを聞くために、名古屋大学の多元数理の青本和彦教授のところへしばしば出かけたのである。
その頃、徳島空港から名古屋小牧空港直通の中日本エアラインというのがあり、小型の双発旅客機で約1時間で徳島から名古屋に行けたのだった。
そして、近鉄の東山線に乗って、すぐに名古屋大学に行けた。と思う。そういう記憶がある。
この中日本エアラインは低気圧が近かったり、雨が降ったりすると、まさに富士急ハイランドの富士山のように、垂直落下や急上昇を繰り返し、数百メートルのヒヤリハット体験しながら、本当に歯を食いしばって耐える時間があった。
名古屋に着陸したときには、いや〜〜、これぞ本当の飛行機だといつも思ったものである。特に帰りがひどかった。
美人スチュワーデスさんといっしょに墜落してミンチになるなら良いかとも思ったが、あまり美人ではなかった。というより、昔は美人だったかもなという中年のスチュワーデスが乗っていたものである。
ところが、その後何年して、あえなく経営難で閉鎖。
それから、名古屋へ行くには、神戸、大阪経由のなんば行きの高速バスしかなくなったのである。
これがまた難儀するもので、運転手によっては、なんば到着後に乗り換えるはずの予約した近鉄の出発時間のたった5分前になんば到着。
だから、運転手に文句言う時間もなく、即ダッシュで近鉄特急に飛び乗る。
何度かこういう経験を積んだものである。
また徳島の高速バスの運転手の中に「安全運転」第一厳守の人物がいて高速でも時速60kmの法定速度を守るやつがいた。
「あの〜〜、運転手さん、このままだと俺の近鉄の出発時間すぎるんだけど」
「もうちょっとスピードなんとかならん?」
「きみ〜〜、もう一時間たったけどまだ徳島にもついていないぞ。遅れるぞ!」
「きみ〜〜、まだ神戸だぞ。もう出発まで1時間半しかないぞ!」
とまあ、こんな案配で、運転手の横に張り付いて催促して、近鉄出立前5分に到着。猛然とダッシュ。
汗びっしょりで近鉄特急の中に入れた。間一髪セーフ。
いや〜〜、スリル満載。
だから、高木先生の講演会が、名古屋の先の豊田市にあると聞いて、真っ先にこの悲惨な経験が甦ったというわけですナ。
しかし、今回は奥さんといっしょに前日の我々の結婚記念日を兼ねて前日に豊田市に入る予定にした。
奥さんは夜勤明けで午前中に帰宅。そして、いっしょに阿南11時50分発の高速バスでなんばへ出発した。
今回はかなり余裕を持って、近鉄の予約はせず、適時乗るスタイル。
そこで、なんばにつくと、まずはサムハラ神社で色あせてしまった私の指輪を買い換えようと思ったわけだ。
まずはサムハラ神社で参拝。
そして社務所で指輪を買おうとするが、宮司さんが
「もうありません。来られるのが遅かった。それにもう来週まで指輪は入りません」
ということで、なくなく絵馬だけ1個買って、記念撮影のみ。
サムハラ神社の石碑前

ところで、帰り際に俺は気づいた。
何やら巨大な足跡が一つだけ残されていることに。これである。


私の靴が27cmだから、ゆうに30cmは超える足跡。
はたしてだれがこんな巨大な足跡を残していったのだろうか?
謎である。
この頃、私は
「どうもサムハラ神社にはもうご利益はないな」
と感じ始めていたので、奥さんに
「もうサムハラ神社の宮司があんな調子では商業化しすぎてもうナマグサ宮司だ。これじゃあ〜、サムハラのご利益はないと思うよ」
と言ったのである。
そうして近鉄に無事に乗り、今度はなんばから名古屋に到着。
そこで、奥さんは名鉄と近鉄を勘違いして、というより、いっしょくたにしていたので、もうホテルが有ると思っていたら、豊田市はもっと先だったことを知る。
今度は名鉄で名古屋から豊田へ行かなければならない。
だから、当初の予定より1時間も遅れて、夜9時過ぎに会場となる名鉄豊田ホテルに到着。
奥さんは朝から何も食べていなかったからとにかく早くチェックインして何か食べに出よう。特に、「味噌煮込みうどん」とかいうやつが食べたいというので、私は何事もブラジルW杯の経験上、先にできることは先に済ませたほうが良いよということで、私は名古屋で目的のものを食ってからホテルへ行こうと言っていただのだが、名鉄と近鉄をごちゃ混ぜにしていたので、豊田駅で食べることにしたのだった。
そしてチェックインに行くと、なんと部屋がない。
予約した部屋がない!
なんといま高校総体が名古屋で開かれていて、名古屋から近郊の全ホテルが満杯。しかも前日に岡崎の大花火大会もあったという。
申し訳なさそうに、ホテルのフロントの係員の人が、一応部屋はとってあるのですが、ちょっと変わった部屋ですがよろしいですか?
と聞く。こっちは何でも良いから早く部屋に荷物をおいて食事に行きたかった。
それで「もちろん」問題ないです。どこでも良いですとOKというと、キーナンバー801をくれたのだった。
そして荷物を滑らせながら801に行くと、そのフロアは結婚式場だった。
そして結婚式場の一番となりの部屋だった。
部屋の中に、大きな色直し用の鏡台があり、バスルーム前には男女別々に同時に化粧できるように左右対称に2つずつ鏡と洗面台がある洗面台。
さらには、ダブルベッドが2つ。
さらには、応接室と寝室に分かれているような感じのスウィートルームだったのである。
なんと、その部屋は昨日帰宅後に調べたら「ブライドルーム」というやつだった。
これから翌日に結婚式を控えた新郎新婦が神妙な面持ちで前日を過ごすという特殊な部屋だった。
いや〜〜、破産!
これが最初に我々によぎった言葉だった。
こんなスウィートルームに2日も泊まったら我が家は破産である。
どうしようか?
と思ったのだが、ともかく夕飯を食いに行った。
ところが、豊田の夜は早い。どんどん9時以降は飯屋が店じまい。飲み屋もみな帰り支度を始める。
味噌カツや味噌煮込みうどんどころではない。
もう食い物にありつけるかどうかのせとぎわになった。
いろいろ探し回っていると、松坂屋の近くに手羽先専門の看板をみつけ、そこの近くに、串カツの文字を発見。というわけで、この居酒屋に入ることにした。
すると大正解。
焼き鳥も1本140円でそれほど高くはなく、普通に生ビール中を一杯ずつで、結婚27年目をお祝いして、土手煮とかいう一物やいくつか食して、最後に焼きそばとお茶漬けを食べてなんとか無事夕飯を取ることが出来た。
そして、その晩は、27年ぶりの結婚式のマネごとができた。
実は我が家は結婚式をしないままいままできたので、結婚式がどういうものかまったく知らなかったのである。結婚式の前日にこんなスウィートルームに泊まるということも知らなかった。
というわけで、とにかく、熟睡して当日になった。
翌日の当日。
朝食が出たので、ホテルの朝食を取り、そしてゆっくりして、まずは会場をチェックに行こうと、フロントにいくと、そこで一人の青年に出会った。どうやらファンの一人で、講演会を聞きに来て、一応早めに場所をチェックに来たら、
私がいたので勇気を出して話しかけたという青年だった。
とにかく今いる部屋が広い。そこで部屋で話そうと誘って我々の801にいって、12時前までいろいろ話す。
そして、実は地元の名古屋近郊の大学にいる同業者の友だちがいるので、その彼と講演会で会ってその前にいっしょに食事でもしながら久しぶりに話しましょうということで、待ち合わせをしていたのである。
それで12時ジャストにまたフロントに行くと、2分遅れでその友人がやってきた。
実はその前に一応会場を見に行くとすでに保江博士が歓談中で、これからみんなで昼食会をするというので、私はその友人もいっしょにどうということで迎えに行ったのだ。
というようなわけで、まずは講演会の主催者の高木先生とその関係者といっしょに保江先生と私と奥さんと友人とで昼食会ができたのである。
その時、私が保江先生にいつ来られたのか聞くと、昨日の夜8時だという。本当は今日来るはずだったが、やはり当日は時間的にも厳しそうだとわかって、前日に来ることにしたら、無事一部屋空いているということで、そこでここに宿泊することになったというのである。
いや〜〜、これで理由がわかった。
我々は当初8時にホテルに到着するはずだったが、サムハラ神社によったために、1時間遅くなってしまった。
そしたら、普通のツウィンではなくて、スウィートルームしかないということになったんですよ。
だから、きっと後から来るといい出した出版社のだれかか、あるいは、保江先生が急遽お泊りになったんじゃないかと想像してたんですよ。
やっぱりそうだったんですね。
というような会話になった。
そして実は俺はサムハラ神社は効用が切れたと言っていたんだ。
そう保江先生に言ったら、「これだ。これがサムハラのお導きだよ」って。
もし我々が先に着いたら、きっと保江先生がお一人でスウィートルームになったはず。
いや〜〜、サムハラ神社恐るべし!
おみそれいたしました。礼。
後はすべてうまく行き、例年は50人参加のところが、今回は会場溢れんばかりの大賑わい。140人超えとなってしまったという。主催者の皆様には想像以上のご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした。
この度はどうもいろいろお世話になりありがとうございました。
では、みなさんお元気で、またいつかお会いしましょう。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2018-08-06 11:49 | 個人メモ