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夏になれば思い出すあの夏の日とワンボイスキッズの歌声   

夏の思い出【合唱】




みなさん、こんにちは。

今年は2018年。

夏になると私は必ず思い出す。

それは、1988年の夏、いまからちょうど30年前の留学中のソルトレークの真夏の日々、夏学期のことである。

アメリカの大学は、夏休みには給料が出ない。いわゆるアカデミックイヤーこと、学期は前期中期後期の3学期、つまり、秋学期で始まり、冬学期、そして春学期で終わる。6月〜9月の3ヶ月が夏学期となり、普通の生徒や教職員には夏休みになる。だから、この3ヶ月は無休になる。

大学の先生たちは他国に留学してアルバイト。あるいは、普段できない自分の研究や執筆活動に勤しむ。

別にのんびり本を読んだり、遊び回ろうがそれは各人の自由。それがアメリカ式である。

欧州も同じだが、欧州では夏はバカンス、恋愛ロマンスの夏休みになるんだとか。だから、この夏休みに我が国日本へ訪れる客も多くなる。

しかし、大学そのものは夏休みこそが稼ぎ時。だれもいなくなったドーミトリーを一般開放し、そこに一般客を有料で寝泊まりさせ、日本人の語学研修やスポーツ合宿や国際学会などで貸出し、大学の運営資金を貯め込む。

一方、医学生にとっては夏もない。検定試験に受かるための受験用の必須科目の必修の場となり、物理は苦手の医学生も必修科目をクリア出来なければ医者になれないから、ユタ大学の物理学部のサマーコースにやってきて、必死こいて単位取得を目指す。

そんな夏学期、1988年の夏学期に、留学生組の中でも多少英語力や会話力のついてきた大学院生にユタのエリートを目指す生意気な白人モルモンの医学部生たちを教える場面がやってきた。

TA=ティーチング・アシスタント

というのは、我々留学生組の生命線、いわゆる軍資金。奨学金である。2週に一回のペースで週給の2週分がチェックで渡される。

一年分は9ヶ月分。それを一応12ヶ月分に分配して渡してくれるのだが、結構少ない。4週で我々留学生は数百ドルしかない。

そんなわけで、夏休みのアルバイトは必須なのだが、日本人留学生は正規(法律上)は学外で日本レストランなどで働くことは違法行為、みつかれば即座に強制送還である。これは別にトランプ政権だからどうこうというものではない。もともと最初から日米の法律で決まったことなのである。

だから、キャンパス内のチューター(=家庭教師)とか、大学生協の売店員とか、夏学期の講師とかそういうものでしかアルバイトすることができないのである。

そんなとき、降って湧いたように俺に医学部生の物理のTA業がもたらされた。

ディスカッション(講義演習)を一つ。

ディスカッションというのは、教授が大講義室で数百人対象に一気に教科書を講義し、その後別々のクラスに分かれてその教科書の問題を解く。この問題を解くコース。これがディスカッションというものである。

ちょうど日本では代々木ゼミとか浜学園とか、いわゆる予備校や塾がいち早く採用したスタイルのことである。

1時間講義をうけたら演習を一時間。計二時間で1単位。これを週3回やって計6時間が3単位。これが必須単位である。たしかそうだった。

しかし夏学期は集中講義だ。これを普通の半分の時間でやり遂げる。だから、毎日講義とディスカッションがある。

私はそのディスカッションの一つを担当したわけだ。

毎回講義で教授が宿題をアサインする。その宿題をレポート用紙に解いて次の講義のときに提出する。ディスカッションではそのレポートの問題の解き方を講義するわけだ。

これをひと夏繰り返す。

その合間に中間試験と期末試験があり、宿題30%、中間30%、期末40%の比率で最終的な評価=グレードにつながる。だいたいどれか一つがだめなら、C=可になるが、それ以上は、B=良、A=優、A+=超優秀となり、なかなか不可=Fがつかないようなシステムになっている。不可=F=failはよほどのことがないかぎりならない。

しかしそこは競争社会。

ユタの場合、医学部進学はその年度で200人だったか、人数制限がある。だから、日本の大学の足切りのようなものがあるから、その真剣度や競争は日本人の比ではない。

自分の採点結果は誰にも見せない。誰かが覗き込もうものなら、みられた白人女生徒は

キャ〜〜〜

とヒステリックに悲鳴絶叫をあげてカンカンに怒り出す。

それが白人社会である。子供でもそうだ。

なんと俺はそんな連中を教える羽目になったわけだった。

白人の彼らが、メガネをかけた細目で胴長短足の東洋人にしかみえない日本人の俺に教えられる。

最初はいぶかしがる。大事な必須科目をこんなやつに教えられて大丈夫のかって思うわけだ。

さもありなん。

逆の立場だったら、俺もそう思うだろう。

こいつほんとに英語喋れるのか?ちょっとからかってやれ。

とてつもない素早い巻き舌のユタ訛りの米語で質問する。

当然、早口で聞き取れない。

しかし相手の意図は分かっている。

さてどうするか?

聞き直すのはせいぜい1回。もし2回以上聞き返したらもう相手の思う壺である。馬鹿にしきってもう二度と口をきかないだろう。

たしか、俺の記憶では、最初では「アイベックユアパードン」とか「パードンミー」とか聞きなおすことができる。

しかし、これではだめだ。

そこでそれまでの年月で得た経験が生きる。というより、生きた。

こういう場合は、相手は「あんたのいっているのは〜〜か?」というような聞き方をする。

だから、「セイアゲイン」とか、「君が言っているのは〜〜ということか?」というように逆に質問で返すわけだ。

要するに、相手の英語を反芻し咀嚼できるまでの時間稼ぎをするわけだ。それも最初から意味を理解したような顔をして。堂々と。

すると、今度は相手は「ちがうんだよ、アイミーン、、、、」とミーン、ミーン、ミーンとミンミンゼミみたいな話し方をしてくる。そのうち、本当に相手の真意がわかり、それに返答する。

とまあ、こんな案配だった。

そしてオフィスアワー。

オフィスアワーとは、毎日一定時間自分のオフィスを生徒に開放する質問タイムである。生徒は次回までに宿題を解かなければならない宿題をもって教えてもらいにやってくる。

授業をうけたほぼすべての生徒がやってくる。

それも個人できたり、友達と連れ立ってやってきたりする。

ところが中には日本で言う悪童みたいなやつもいて、仲間数人でつれだって、お前はこれを俺はこれを解くみたいな戦略的に宿題をやる連中もいた。

そんな中に毎日オフィスアワーではなく、授業の始まる直前にやってきて、機関銃のように俺に解き方を教えろという白人青年のグループがいた。

たとえば、アブラハム、ボブ、カール、デービッド、ロジャーとでも呼んでおこうか。

この連中が曲者だった。アブラハムが一番できるやつで賢いとしよう。ロジャーはちょっとぼうっとしたやつだが良いやつだ。カールは指導者的なやつでみんなを統率し作戦参謀である。ボブとデービッドはそれにくっついていくやつ。

難しい問題はアブラハムがやり、ロジャーはみんなの一番置いてけぼりである。

毎朝毎朝俺のオフィスにこの5人がやってくるのだった。

最初は連中の機関銃のような早口のユタ米語になれていなかったから難儀したが、問題をみればこっちの方が専門家である。すぐに立場が逆転する。連中がこっちのゆっくりジャパニーズブロークン英語を聞き取らなければならなくなる。

そして、問題の解き方を会得すると、「アイ・ガッチュー」といって必死こいて計算する。

全部時終わると、「サンキュウ、サー」といって授業に出向く。一番最後にのろまのロジャーもそうやってウィンクして出ていく。みんな金髪碧眼だ。

そして夏学期もそろそろ終わりに近づく頃、最初はいぶかしがった若者たちもだんだん気心がしれて、俺も含めてチームの一体感が生まれてくるわけだ。

軍曹様と海軍士官学校の士官候補生。

あの「愛と青春の旅だち」のリチャード・ギアと黒人の鬼軍曹との関係のような感じになっていった。

ある朝、俺がいつものように自分のオフィスのあるビルの入り口に行こうとすると、5人が横一線に並んで立っていた。

「グッモーニング」

といつものように挨拶すると、なんと彼らが

「グッモーニング、サー。お待ちしておりました」

と5人が一斉に右手を顔の横において足をビシって合わせて直立不動で最敬礼したのである。

俺は何かのジョークかと苦笑いしたが、そういう関係になっていった。

そして、最後の期末試験。

俺は一番前で試験の監督の一人になった。

目を光らせてカンニングを阻止する係である。当然、質問も受ける。

一番前の学生が、レストランでウェイターを呼ぶように、指をパチンと鳴らして、人差し指をちょいちょいとして俺に向ける。

こいつ態度でかいヤツだな〜〜

と思いながらもそっちにいって質問を受ける。

すると、これまた試験中だからとてつもない速さでしかも小声で聞いてくる。

まったく英語が聞き取れない。しまった。はて?

と思うわけだが、そこは例の手法を使う。

「君の聞きたいのはこういうことか?」と聞き返す。すると、相手は「アイガッチュー」と納得するわけだ。

いつも俺には「アイガッチュー」が「ありがっとう」に聞こえたんだナ。

こんなことをしているうちにどんどん時間がたち、試験も終盤に近づく。かなりの生徒はもうだめだと諦めて試験用紙を一番前の机に置いて退出し始める。


俺が時計を見る。

「You have 5 minutes left!」

残り時間あと5分

ということだが、低いしびれるようなこれで叫ぶ。閻魔大王の雄叫びである。

震え上がる白人生徒たち。ざわめく。

ふと前をみると、例の5人組のカールが指を指す。

指した方向をみると、ある学生が一番前のテスト提出する机の上で教科書を開き、それを見てからなにかを自分のテスト用紙に書き込んだ。

カールが目配せして「今の見た」っていう。俺も「おお、見たぞ」とあたまで頷く。

いわゆる「アイコンタクト」である。

こうして無事すべてが終了し、教授様の指示通りに採点し、教官とTAとみんなで集まって採点し、グレードを決め、成績を公表した。

そして、良いアルバイトが出来たと俺は喜び、例の5人組にも他の生徒たちにも感謝されてこのひと夏を終えた。

とそうおもっていると、なんと大学裁判所から俺に出頭命令がやってきた。

その講義の教官はたしかリチャードさんだったが、そのひとのところにたくさんの生徒から、だれそれが試験中にカンニングしたのを目撃したという申告があったというのだ。そして、俺がそれを見ていたはずだと。

というわけで、俺は大学の裁判所の各学部の代表の教授たちから尋問をうけた。

「君はみたのかね?その生徒のカンニングを」

俺「確かにカンニングらしき行為はみましたが、何を書き込んだかまでは見ませんでしたよ」

「でも、多くの生徒がその生徒がカンニングしたっていっているよ」

「カンニングじゃなかったのかい?」

俺「確かに不正行為に相当する行為は見ました。そして何かを書き込んだのもみました。でも、何をどう書き込んだかはチェックしませんでした」

とまあ、こんな案配で、一件落着し、俺は無事全部終了。

後で聞いた話では、その生徒はカンニングの常習犯で他の科目でもやっていたらしく、両親が呼ばれて、執行猶予付きの有罪となった。ユタ大ではもう一度そういうことをすれば即退学。しかしその学生は居づらくなって別の大学に行ったというような話を聞いたのである。

夏になれば思い出す。

あの夏の日、1988年の夏のソルトレーク。

そしてこの後に俺は今の嫁さんと出会ったのだ。


大分前置きが長くなってしまったが、最近YouTubeでこんなものを見た。

米国少女「日本はあまりに素敵だった!」日本で感じた異文化ショックと一体感!海外の反応


これの主が、米ユタのソルトレークにある、One Voice Children's Choirという少年少女合唱団。

そこでこれを調べたところ、こんなものがあった。
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Diamonds" by Rihanna (written by Sia) | Cover by One Voice Children's Choir


心震わす 奇跡の少年少女合唱団
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この合唱団のリーダーが日本人の福田真史さん

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福田真史(ふくだ・まさふみ)|Masa Fukuda

音楽プロデューサー、ディレクター。1976年大阪府生まれ。ブリガムヤング大学音楽学科最優秀学長賞を受け卒業。2002年ソルトレイクシティオリンピック公式CD『LIGHT UP THE LAND』に収録された子どもたちの合唱曲『IT JUST TAKES LOVE』を作曲。その後、One Voice Children’s Choirを創設し、ディレクターとして指導する他、音楽家としても活躍。2003年ジョン・レノン音楽祭 Dream Powerミュージック・アワード オリジナル曲部門で『The Innocence of Youth』がグランプリを獲得。2005年ひろしまフラワーフェスティバルに日米両国の小学生をジョイントし出演。2014年映画『アナと雪の女王』の挿入歌『レット・イット・ゴー』のカバー曲がその年のYouTube最優秀カバー曲賞を受賞。同年、アメリカの人気番組『アメリカズ・ゴット・タレント』出演、世界各国から注目が集まる。2015年ホワイトハウスでのクリスマスコンサートに出演、またオバマ前大統領夫妻の前でも歌を披露。2017年フランス政府の招待でノルマンディーなどで公演。同年4月くまモン音楽祭〜こどもが主役の復興音楽祭〜に出演、『くまモン・ソング』を作曲し熊本県へ寄贈。同年7月NHK BS1スペシャル『MASAと奇跡の合唱団』が放映され多くの反響を得る。同年9月〜10月福岡県朝倉市、直方市、福岡市、大川市でコンサートをするなど今後ますますの活躍が期待される。



ワンボイスキッズの選抜メンバーが歌う「ふるさと」


"When You Believe" cover by One Voice Children's Choir



この子どもたちの才能を見出しチャンスを作り出したのが日本人だとすれば非常にすばらしい。

そして、その子どもたちがその福田さんの母国である我が国を訪れる。

それが「生きがい」になる。

「生きているうちに一回でいいから日本に行ってみたい」


まるで、我が国は金星や火星や月のような存在なのである。


たった150年前には世界一貧しい国の一つだった。しかし、貧困ではなかった。

【衝撃】外国人が見た150年前の日本が凄すぎる…「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」と感動したエピソードとは…?!【すごい日本】海外の反応


そしていまも世界の人達が我が国で「感動」するわけだ。


高潔な民族。清潔な民族。勤勉な民族。

貧しさを貧しさと思わない民族。

自然を自然のまま残そうとする民族。

災害もすべて受け入れて明日を目指そうとする民族。

互いに助け合う民族。


こんな民族この地球上の日本人しかいないって、わざわざ見に来るわけですナ。


凄すぎてロシア人女性が目まい!ここは世界に誇れる唯一の素敵な所!【日本語字幕】の使い方は下の説明欄を参照 世界農業遺産に認定!


中東オマーンの人々は なぜ、祖谷とつるぎ町の滝に感激したの?




いや〜〜、日本人でよかった。日本に生まれてよかった。


最近、名古屋の向こうの豊田市にいった帰りの大阪で、551のお弁当を夕食に買ったのだが、その店の前で日本語ペラペラで日本人の女の子のように振る舞い、恥ずかしそうに健気に振る舞う白人女子を初めて見かけたヨ。

もう日本に住み着いている感じだったナア。

日本人になりた〜〜い!

こういう外人が増えすぎて困るほどだろうナア。


いまや日本で学んで母国に恩返しする時代に入ったのかもしれない。


いずれ世界中の人たちが、日本があってよかったって実感するはずである。

さんざん日本の政治家を甘く見て毒殺してきたニセユダヤ人のジャパンハンドラーズのおっちゃんたちも、母国へ帰れば、即座に暗殺されるわけだから、怖くて帰れないはずだ。

日本にいれば、いびきこいて熟睡できる。

アメリカなら、寝汗かいていつもビクビクしていなければならない。

まさに「神の国」日本である。


いまやどうやればこんな国ができるのか?


そこに外人の焦点が集まる感じですナ。


やはり、日本を国連の常任理事国にし、敗戦や不平等条約や地位協定を破棄し、日本人を国連の事務総長にして、日本を世界のリーダー国に迎え入れるべき時が来たのではないか?

俺はそう思うのである。時間の問題だろう。


和をもって尊しとなす。


ほんと世界がいまの日本をみて、日本があってよかった。日本に行きたい。日本に住みたい。日本人になりたい。

そうすれば、いまの自分がもっといい人になれるのではないか?

とそう思うらしいナア。


もっとも長いこと日本に住んで、日本人になり、日本を享受しているのにまったく進化出来ずにいる人種もいるのだがネ。

こんな時代が来るとは誰が想像できただろうか?

我が家も貧乏でも貧しくはない。不潔でもない。ごく普通である。

普通に生きる。

いまやこれすらできない国々がNWOシオニストのせいで増えすぎた。

偽ユダヤ、偽日本人。


そろそろ改心しろ!

日本人の足にキスすべしときがやってきた。




いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2018-08-09 11:00 | アイラブとてつもない日本

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