本当の西郷隆盛の顔はどうだったのか?:NHKの西郷ドンの顔は隆盛が一番嫌っていた朝鮮顔だった!?
2018年 09月 16日
鈴木亮平の西郷ドン
(NHKよ!西郷隆盛はこんな顔じゃね〜〜ゾ!これは西郷が討伐しようとした朝鮮の顔!正反対だよ!たぶんNHKはわざとそうしている!)
みなさん、こんにちは。
今回はコンスピラシーの番外編として、西郷ドンこと、西郷隆盛の顔のことをメモしておこう。
いわゆる
キヨソネの描いた西郷隆盛の顔は本当のものではなかったという都市伝説である。
いつものように、忘れないうちに結論から先にメモしておくと、私の結論は、
西郷隆盛の顔はサッカー日本代表だった前園選手の顔に似ていたのではないか?
というものである。
今回はこの話をメモしておこう。
(あ)武田鉄矢の今朝の三枚おろしの話では?
武田鉄矢「今朝の三枚おろし」:翔ぶが如く→鉄矢「こういう話を読むと涙が止まらない」
【武田鉄矢】 後編 会う人を皆魅了する西郷隆盛の人物像とは? 司馬遼太郎作品を通すと、自分なりの西郷隆盛像が見えてくる!
(い)キヨソネの西郷隆盛

上野にある
西郷隆盛の銅像
は、キヨソネの書いた絵を基にしているといわれている。そしてそれが完成したときに、
西郷の妻が見た時
「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ (うちの主人はこんなお人じゃなかったですよ)」
と腰を抜かした、という意見が出て、以来、西郷隆盛の真の顔探しが始まった。
これが本物!?西郷隆盛の本当の「顔」が発見されていた!
そのキヨソネ作の西郷隆盛は、どうやらいまでいうモンタージュ作品のようなもので、上半分と下半分が別人のものをくっつけて、それを若干修正して描かれたらしい。
上半分は、弟・西郷従道
下半分は、従兄・大山巌
その2つをくっつけるとこんな顔になる。
西郷従道+大山巌
これとキヨソネのものを見比べるとたしかに非常に似ている。
しかし私個人の印象としては、むしろそのままくっつけただけのほうが西郷隆盛ご本人に近かったのではないかという気がするのである。
そこで、いろいろな人がその後西郷隆盛の真の顔を、残された写真や絵、人物画などから推測してきたが、写真もないために、よく分からなかった。
(う)西郷隆盛のもう一つの肖像画
ところが、比較的最近になって大分県から最後隆盛に謁見して書きのこしたという西郷隆盛の肖像画がもう一枚発見されたのである。それがこれだ。
「2003年8月、に見つかった肖像画 平野五岳
西郷に面会を申し込む内容の漢詩も記されている。
書簡の日付は明治9(1876)年10月で、
西南戦争が始まる4か月前。
この月、五岳は、明治政府の大久保利通から西郷の蜂起を思いとどまらせるように依頼を受けて、鹿児島を訪問したといわれるが、西郷には会えなかったとされてきた。
河内昭圓・大谷大学文学部教授が掛け軸を調査し、肖像画に描かれた「丸に十字」の薩摩藩の紋付き羽織(もんつきはおり)が、鹿児島市にある西郷南洲顕彰館で保存されている遺品の紋付き羽織と同じものであると判断した。
そのため、この掛け軸は、五岳が直接西郷に
会って描いたとみられている。」
(え)私の想像モンタージュ
そこで、この印象を基に現実にいま鹿児島県出身で有名な人の目を、キヨソネのモンタージュ作品に重ねてみた。
Jリーガーで生粋の鹿児島出身と言えば、大久保選手

と前園選手

この二人の顔と目、その骨格をみると、なんとなく鹿児島県人の雰囲気が解る。実際、前園の顔と五岳の西郷隆盛の顔は非常に雰囲気が似ているのである。
そこで、最初に、上:西郷従道+目:前園+下:大山巌でモンタージュ作品を作るとこうなった。
上:西郷従道+目:前園+下:大山巌
次に同じようにして、上:西郷従道+目:大久保+下:大山巌でモンタージュ作品を作るとこうなった。
上:西郷従道+目:大久保+下:大山巌
また加山雄三も本は鹿児島の池端家らしいから、若い頃の加山雄三

上:西郷従道+目:加山雄三+下:大山巌
こうしてみれば、おおよその見当がつくのではなかろうか?
眉毛と目の間が狭く、比較的彫りが深く。毛深くひげも濃い。
目は二重で大きなくっきりした目で、耳たぶが大きい。
眉毛は太く、逆ハの字で中央より端の方が上に上がっている。
私の印象としては笑った時の笑顔がかわいいということから、一番似ているのは
前園選手の顔だということになる。
というわけで、オレ個人の想像としては、上野の西郷どんはこんな感じであるべきだったのではないか?

真実はいかに?
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2018-09-16 13:10 | コンスピラシー