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2018年ノーベル生理医学賞番外編:本庶佑先生もまた柴谷篤弘先生の薫陶を得ていたのか!?   

みなさん、こんにちは。

昨夜は本庶佑博士のノーベル生理医学賞受賞で、日本全国が元気付いたのでは?

2018年ノーベル生理医学賞は本庶佑博士とJ・P・アリソン先生へ?:「ヒトの免疫機能の解明に対して」

まあ、本庶先生のご研究に対する普通の表面的な解説は騙すメディアの得意だろうから、ここではそういうのは端折る。

いくつかこの受賞に関する「番外編」で気づいたものをピックアップしてメモしておこう。


(あ)昨夜の授賞式で→日本語が飛び交う

一番面白かったのは、昨夜の授賞式の正式な開演前に、画面が薄い状態のときから声が聞こえて、日本語が飛び交っていたのである。
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「あ、日本語だ」

というのが、私の印象だった。

だから、

「ひょっとしたら日本人が来るな。だれだろう?」

と思って待ち構えていたわけですナ。

そうしたら、我が日本の生理医学賞の大本命の本庶佑先生だったというわけである。


(い)質疑応答時間で→チャイナ人がクレームつける

さて、昨夜の授賞式の受賞者発表の後、質疑応答が行われていた。

我が国のメディアは本庶先生の名前が出た途端に「本庶佑先生が受賞」というニュースだけで大忙しになったから、おそらくこの質疑応答は聞いていなかったのではないか?

私はすでに「日本人かもな受賞」で拙ブログにアップできるように、大方メモして名前の部分だけ空欄にして準備していたから、即座に対応できたわけである。

その問題の質疑応答で、なんとチャイナ人マスコミがクレームをつけたのである!

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この最初のチャイナ人(支那人)男性が、「中国人の〜〜〜の研究は無視かよ。そっちの方が先にあったぞ、なんで受賞しないんだ」みたいなクレームをつけたんですナ。そして、もうひとりのチャイナ人女性も何やら辛辣なご質問で、この受賞者にはご不満だったようだ。

それに対してノーベル賞委員会の応答は結構うまいお答えをしていたようだ。


快く受賞者を讃えない。徹底的に反日。


本当にチャイナ人は日本人と戦争したいみたいですナ。



(う)私の記憶には→昔講演聴いたような

さて、私の遠い記憶では、私が阪大の大学院生だったころ、つまり、1980〜1985のどこかで、いわゆる集中講義というようなやつで、この本庶先生の若かりし日
1979年 - 大阪大学医学部教授
1982年 - 京都大学医学部教授
の講義を聞いたのであった。

確か私もなにか質問した記憶がある。というのも、当時私はだれの講演や講義に対しても必ず最低1つは質問するというふうに自分に課していたからである。

何を聞いたか喉元でひっかかって思い出せない。が、ちょっと変わった質問をしたという記憶がある。


(え)本庶佑先生の「生い立ち」に記された秘密→柴谷篤弘の薫陶を受けた

本庶先生のWIKIの「生い立ち」はこんなものであった。

生い立ち

1942年、京都府京都市にて生まれた[1]。医師である父の仕事の都合により、山口県宇部市にて育った[1]。山口県立宇部高等学校卒業後、1960年、京都大学医学部医学科に入学、1966年には京都大学医学部医学科卒業[2]。

大学生時代は、同期の中西重忠らと知り合う[1]。また、かつて父の同僚であった柴谷篤弘の著書を読んで感銘を受け、柴谷に会いにいったこともあったという[1]。父や柴谷らのアドバイスを受け、早石修の門下となる[1]。1966年、京都大学医学部医学科を卒業し、京都大学医学部附属病院にてインターンに従事する[2]。

1967年、京都大学大学院医学研究科生理系専攻に進学した[2]。博士課程では、早石の下にいた西塚泰美より指導を受けた[1]。また、大学院在籍中に医師国家試験に合格している[2]。1971年、京都大学大学院の医学研究科を修了した[2]。なお、1975年に京都大学より医学博士号を取得している[2]。


この中の柴谷篤弘先生とは、この方。
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私が最も尊敬する生物学者の一人である。

我が国で一番最初に
「理論生物学」「動的平衡」
という言葉を使い、生物学の認識を変えようとした生物学博士である。

「動的平衡」という言葉を最初にいい出した人は、決して福岡伸一博士ではなかった!!!

そして、この柴谷篤弘の「動的平衡」の概念や「理論生物学」の確立に同調して、それを見事にやり遂げた博士が、あの杉田元宜博士
杉田元宜博士
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だったのである。知っている?知らないなら、もぐりですナ。

杉田元宜とカウフマンの関係は!?:俺「大学の先生はもっと現実の科学の歴史を教えろヨ!」
ちなみに「理論生物学」という日本語を作ったのは、戦後左翼の騎手になってしまった、柴谷篤弘である。1946年のことである。

一方、西洋では、ベルタランフィというドイツのユダヤ系の学者が、1930年代にすでに理論生物学を発展させた。もっと前にはイタリアのロトカとボルテラが1920年代にはすでに理論生物学を立ち上げていたのである。

そしてもう一つ「動的平衡」ということばもまたこの柴谷篤弘が命名というか、最初に定義したのである。これはほぼ西洋と同時であるといっても良い。まだ世界的にも動的平衡という概念はまったく馴染みのない時代であった。

だから、これは我が国ではいったん滅んだ。そして、最近になって福岡伸一氏が「動的平衡1,2,3」という本のタイトルとしてかなり歴史的無知を露呈しながら使用して復活を遂げた。この一連の本は、この意味では、あまりよろしくない間違いだらけの本である。

動的平衡も理論生物学も我が国では1940年代の戦前には起こりつつあり、終戦直後に雨後の竹の子のように花開いたのである。

当然、柴谷と盟友であった杉田元宜も知っていた。それともうひとり、水納谷民太郎である。

そして、1940年代後半には杉田元宜は、オンサーガーの不可逆過程の理論を超えていた。そして、それを生命科学の理論に持ち込み、細胞の熱力学を構築したのである。


ウィーナーのマクロ・サイバネティックスと杉田元宜のミクロ・サイバネティックス!



やはり偉大なる研究者の前には偉大なる研究者の薫陶がある。

おそらく、本庶先生は、柴谷がまだ左翼思想で文壇にデビューする前の、純粋に生物学者の時代に書いていた著書:
『理論生物学 動的平衡論』日本科学社、1947年
『生物学の革命』みすず書房、1960年
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『生命の探求 現代生物学入門』中公新書、1966年
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を読んで感銘を受けたのであろう。

ちなみに、私が読んだのは、杉田元宜博士も絶賛した最初の「動的平衡論」の本。ここに我が国の理論生物学の起源が存在するのである。


まあ、今は昔の物語。いまや生物物理学界所属の先生たちもだれがその学会を創始したかも知らないし、だれが理論生物学や動的平衡という言葉を生み出したかもご存じない。

時代が変われば人が変わる。人が変わればおのずと昔を忘れる。
昔を忘れたら本当の歴史が失われる。

これは広島長崎の原爆だけの問題ではないんですヨ!

だから、俺は科学の近現代の日本史を編纂せよって言っているんですナ。





いやはや、世も末ですナ。



おまけ:
本庶佑博士「PD-1」でノーベル賞来るか?:「余命短い小林麻央さんにPD-1を投与したら?」
無知は犯罪である。もしこの子がPD−1を知っていたら?

おまけ2:
ところで、俺は、今宵のノーベル物理学賞受賞は、俺の師匠ビル・サザーランド博士に期待しているんですナ。「量子可積分系の発見」として。ビル!俺にストックホルムの晩餐を味あわせてくれ!秋の夜の夢か幻か?




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by kikidoblog2 | 2018-10-02 09:05 | 普通のサイエンス

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