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ミステリー「チャイナ人のルーツは秦氏=アーリア人だった!?」:やっぱりそうだったのか!?   

200年前のロシア人
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みなさん、こんにちは。

さて、今回はちょっとあまり馴染みのない話だけメモしておこう。

というのも、だいぶ前から私が拙ブログにメモしてきたことだが、支那人というのは「漢人」と書いて「かんじん」と読むが、これは本来は「あやひと」と読まれ、アーリア人の意味であるというという話がある。

もともとこの話は古代史研究家の高橋良典さんの本に書かれていたことである。

がしかし、あまりこの事の真偽は取り沙汰されては来なかった。

特アこと、支那と韓国は1000年経っても変わらず!:歴史を知らずして何をか言わんや!
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要するに、いま朝鮮半島に住むのは、古代中国発の漢人(あやひと)なのであって、カラ族やクル族ではないのである。超古代のカラ族こそ日本人と同祖のものだったが、とうの昔に日本に定住した。

どうやらそういった日本人のかつての出自が記載されたものが、

「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」

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超古代ミステリー3:スサダミコの長い旅路とティルムン=東日本国は関東日本王国か?

高橋良典氏の超古代の神代文字による契丹古伝の解読研究では、その当時アフリカ、それもエジプトを含む北アフリカをスメラミコト(=天皇)として統治(ウシハク)していたのは、アフリカのクル族スダース王こと、スサダミコであった。日本の古事記にある、スサノウのミコトのことである。

高橋氏によれば、超古代の最終期のクル族の王、スサダミコの時代においては、いわゆる金髪碧眼の欧州人の先祖になっていくアッシリア人の住む西洋人の存在した世界は非常に狭かった。

その一方で、我々非西洋人の世界(=金髪碧眼ではない黒髪の人種、今で言うセムの世界)は全世界に広がっていた。そして、赤、黒、青、白、黄の五色人が平和的にスメラミコトの統治下にあった。この時代には人種差別もなかった。彼らの髪の毛は黒かった。(クル族のクルは黒髪(くろかみ=krokami)の黒髪族というところから来たという可能性もある。)

そこで、西洋人型のルーツの古代アッシリア系の民族が始めて自世界の外へ挑戦し始めた。それが3000年前であるという。ヨーロッパ・ユーラシア大陸を「ヨモツクニ」と呼んでいた。

その結果、スサダミコとアッシリア人は当時のほぼ全世界で戦争を起こしたという。アフリカ、地中海、メソポタミア、インダス、西アジア、東アジア。

そして、アフリカで苦戦を強いられ敗戦した。その時代の最後の王がツタンカーメンである。エジプト捕囚である。

その次は、メソポタミアのカナンに住んだが、そこでも厳しい戦いの末敗戦した。その名残が、アッシリア捕囚とバビロン捕囚である。

スサダミコの1団は、ヒマラヤを挟んで海ルートとヒマラヤ山脈の北の山ルート(=シルクロード)とずっと北方の北ルート(=契丹ルート)の三方向に別れた。

インダスの地に住み着いたクル族はインダス文明をペシャワールで築き始めた。しかし、そこにもアーリア人の名乗るアッシリア系の西洋人の一群が入って厳しい戦いを起こした。それがインドの聖典マハーバーラタに残る戦いであるという。そこには、金髪碧眼白人の胸厚族と黒髪族の戦いとして描かれているという。黒髪族には皮膚の青いものもいた。

クル族は西アジアから中央アジアそしてチベットへと進み、チベット仏教の祖先を生んだ。ここがラマ教のルーツである。ブータンやチベット人が日本人と遺伝的に似ている理由である。

クル族は、色の白い、西洋人に似た人種も含まれていた。その一団は海を越えて北米大陸や南米にも進んでいった。マヤのケツァルコアトルや南米のビラコチャ伝説を生んだ。

クル族は中央アジアに進出し、古代中国の夏王国を築いた。そこへも東欧から金髪碧眼の古代トルコ系の人種が入ってきた。そして、夏王国はどんどん東へ押されていった。

そして最後に朝鮮半島の北端に高麗国(クル族の国)を築いた。

しかし、そこへもトルコ人とアジア人の混血した漢族あるいは漢人(あやひと)なる民族が戦争をしかけてきた。そして、古代高句麗は激戦したが、最後の最後に日本列島の九州に来たのである。

それが倭国。邪馬台国だという。

というわけで、古代高句麗と古代邪馬台国はほぼ同じクル族ルーツだったのである。

しかし、古代高句麗のクル族=日本人の先祖の一部が朝鮮半島を去った後、そこに住み着いたものは古代中国由来の漢人やその周辺の民族なのである。

その時代、金、朴という2つの種族がいたらしいが、この2種族は非常にたちが悪く、超古代においてもスサダミコの言いつけを守らなかったという。

どうやら、今の支那人と韓国人朝鮮人はこの古代の金族と朴族の子孫のようである。まったく今も変わっていないのである。事実、支那人は漢人(あやひと)、北朝鮮は金族、韓国が朴族とみれば、まったく古代といっしょだから面白い。超古代からこの3民族は日本人と対立していたのである。


要するに、簡単に言えば、高橋良典さんの調べた「クル族」ないし「クレ族」、あるいは「カル族」ないし「カラ族」と呼ばれた人種が日本人、つまり、倭族の祖の一派にあたるが、それはいわゆる「縄文人」のことなのである。

そして、このクル、クレ、カル、カラ族と呼ばれた縄文人は、遠く西アフリカから北中南米まで住んでいた。

そこへ、約3000年ほど前のいわゆる「アーリア人の侵入」という歴史的大イベントが起きた時代、西はトルコ経由でメソポタミヤやエジプト、そして東欧経由で欧州まで、南はインド、東は西アジア経由で支那朝鮮まで侵入した。

インドでは「アーリア人の侵入」でバラモン(ブラフマン)=金髪碧眼種がカーストを生んだ。

エジプトでは超古代エジプト文明は日本人顔のカル族王朝であったが、だから、「カルナック神殿」という名に「カル」の音が残るのだが、それが3000年前のアーリア人の侵入により、クレオパトラ的西洋白人種王朝に取って代わられたのである。

この時代を境に、エジプト文字のヒエログリフは表意文字から表音文字に変わり、ロゼッタ・ストーンで読める時代に変わったのである。だから、超古代エジプト文字はいまだ解読されていないが、驚くべきことにそれが日本語の神代文字「豊国文字」で読めたのである。これが高橋良典さんの大発見であった。

アーリア人の侵入はインドは言うに及ばず、アジアにも侵入した。それが、秦氏である。秦(はた)氏と漢字では書くが、音の響きが大事で「hata」という音は、ヒッタイトがハッタイトと訛り、それがハッタないしはハタと代わり、最終的に秦と表記されたのである。

だから、最初の秦氏ことヒッタイトは、その当時の最初の王朝である「殷」=「商」王朝や「夏」王朝を滅ぼし、「秦」王朝と変わったのである。したがって、秦の始皇帝の目が青かったのである。

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殷(Yin=イン)
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人面
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同様に、モンゴル人の伝説にあるとおり、青い目を持った人種が西アジアから侵入したのである。

そのアーリア人が商の国のクル族(=縄文系海洋農業民族)を滅ぼし、殷を作った。だから、最初は平たい顔族だった商のカル族の顔が、鼻の高い目鼻立ちの西洋人種的な人種の殷王朝に変わったのである。

これが内紛や内乱を経て、秦王朝に変わっていく。そして、このアーリア人国家こと秦王朝の時代から春秋戦国時代が始まり、そして、唐に変わり、3000年の間に最終的には清王朝まで変わっていく。

だから、春秋戦国時代の孔子は2m近い巨人だったし、今現在も支那人は非常に手足が長く、すっとした足を持ち、言語は欧米語、つまり、白人種語的なSVOの文型を持つというわけである。

これに対して、カル族、クル族の言語は、SOVの膠着言語と呼ばれるもので、要するに日本語なのである。


とまあ、高橋良典さんの長年の世界遺跡発掘による考古学的研究からそういうふうにわかっていたのだが、これが実に神代文字の武内宿禰の竹内文書の話とうまく一致するわけである。


そしてさらにというか、ついにというか、最近の遺伝子研究、ハプロタイプの研究成果がこれを証明する格好になったようだ。

とまあ、大分前置きが長くなってしまったが、これまで私が高橋良典さんの本を読んで学び、それからいろいろ調べたり研究して描いたアーリア人侵入の歴史を最新遺伝子研究がついに一致したわけである。

それがたまたま小名木善行さんのお話に出ていたわけですナ。これである。

国境のなかった時代

国号として日本という名前が公式に表示されたのは、比較的新しい出来事で持統天皇が689年に発せられた飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)です。
それより以前は、外国では倭国、我が国では葦原中国(あしはらのなかつくに)、または大倭(おほやまと)です。

もともと大昔には、世界に国境などありません。
従って、倭人たちが入植しているところが倭国で、魏志倭人伝、梁書などによると、倭種が住む国は、日本から遠く海を1年渡った先まで、倭種の国であったと書かれています。
それがどこの国を指すのか、明確な答えはありません。
しかし複数の証拠が、その地を南米のエクアドルかペルーあたりであったことを示しています。

これが何を意味しているかと言うと、今のような国境など存在しなかった時代、海洋国家日本にとっての葦原中国は、いまでいう世界を意味していたということです。
だからオノゴロ島は地球を意味するし、大倭は巨大な地球に対して小さな人々という意味の言葉になるわけです。

天皇という呼称は608年の隋への国書には「東天皇敬白西皇帝」という記述があり、仮にその記述が720年に成立した日本書紀にしかないとしても、607年の「法隆寺金堂薬師如来像光背銘」には既に「池辺大宮治天下天皇」の記述があり「天皇」の用語が用いられているわけです。

さらに「野中寺彌勒思惟像台座銘」に用いられています。
文面は以下のとおりです。
「丙寅年四月大旧八日癸卯
 開記橘寺智識之等詣
 中宮天皇大御身労坐之時
 誓願之奉彌勒御像也友等
 人数一百十八
 是依六道四生人等
 此教可相之也」
意味は、666年4月に、斉明天皇のご健康のために118名で開眼供養した、というもので、ここに「中宮天皇」という記述が見て取れます。

つまり天皇という呼称は、607年〜666年の間には既に用いられていたわけで、日本という国号が用いられたのが冒頭に記しましたように689年ですから、天皇は、実は日本よりも古いご存在だということになります。
要するに日本は、天皇あっての日本なのです。

後略


カンブリア紀と環境適合性

古代のChineseと、現代のChineseが人種が違うという、おもしろい話があります。
黄河文明の遺跡から出土する人骨のDNAを調べてみると、それらは黄色種ではなく、コーカソイド、つまり白人種だったというのです。
これは東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らによる古代Chinaの人骨のDNA分析研究の成果です。

研究の対象となったのはChinaの、
1 約2500年前の春秋時代の人骨
2 約2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨
3 現代の臨シ住民、
です。
これらの人骨から得たミトコンドリアDNAを比較研究してみると、三つの時代の臨シ人類集団は、まったく異なる遺伝的構成を持っていることがわかりました。

どういうことかというと、Chinaにはもともと揚子江のほとりに、稲作を行う黄色種が住んでいたのです。
そこにある日、黄河の流域に大型の動物を追ってコーカソイド(白人種)がやってきて住み着きます。
白人種たちは大型動物を捕って食べる種ですから、大型の武器を持っています。
住まいも移動生活に便利な竪穴式です。
黄色種たちは農耕文化です。武器は持たず、代わりにクワやスキを手にしています。
住まいは、食料保管の都合から高床式です。

要するに武器を持たない黄色種のところに、ある日突然、武器を持った白人たちが現れたわけです。
腹を減らした武器を持った白人種と、豊富な食べ物を持っていて、かつ、武器を持たない黄色種が出会ったわけです。
法のない時代です。武器を持つ者にとっては、武器を持たないものは、蹂躙の対象です。
黄色種は襲われ、食べ物を奪われ、女性たちは強姦されます。

しかしそのようなことが繰り返されれば、黄色種だって黙っていません。
復讐のために武器を手にして白人種に戦いを挑みます。
お互いの殺し合いや強姦は、互いの恨みを助長します。
戦いは凄惨をきわめていきます。

こうしてChinaでは、春秋戦国時代が始まります。
双方の種は、次第に互いが大軍を率いるようになり、殺し合いも大型化していきます。
そして勝者は敗者の女性を犯します。
すると白人種と黄色種の血が混じるのですが、数の上では、黄色種が圧倒的多数いる。
するとどうなるかというと、長い歳月の間に、外見は次第に黄色種が強くなるのです。

そして結局の所、その好戦的なDNAを持った男たちは全部滅んでしまいました。
だから現代ChineseのDNAの中に、白人種のDNAが失われています。
つまり好戦的で、そのための強靭な体力を持った男性は、すべて、互いに殺し合って、種として滅んでしまったのです。
進化の末路です。

このことは、南米の歴史によく似ています。
アルゼンチンやウルグアイは、白人種によって先住民族のモンゴロイドがほぼ完ぺきに抹殺されたため、いまでは外見は完全に白人種の国家となっていますが、エクアドルやペルー、ボリビアなどは外見は黄色種に近くなっています。それでも彼らは100%白人種との混血です。
両者の違いは、要するに先住民族の女たちが手当たりしだい強姦されたあげく子を産む前に全部殺された国と、手当たり次第強姦されたけれど、それが全部殺されるには至らなかったという違いです。

南米が白人種によって征服された時代は、銃の時代です。
けれど、China大陸で白人種とモンゴロイドが争った時代は、いまから4000年ほど昔で、まだ弓槍の時代です。カタチとしては、エクアドルやペルー、ボリビアなどと同じく、外見はモンゴロイドになったわけです。

面白いのは、現代の臨シ住民のDNAです。
彼らの中には、ミトコンドリアの中にだけにしか白人種のDNAがありません。
ミトコンドリアのDNAは、母親から娘にしか遺伝しないのですが、これが何を意味するかというと、要するに血の気の多い白人系の人を殺すことを何とも思わない男たちのDNAは、殺し合いの結果、自滅してしまったということなのです。
結果として女性から女性に遺伝するミトコンドリアDNAの中にだけしか、大昔の征服者である白人種のDNAが残っていないのです。

いまでもChineseは、先天的に殺し合いが好きな民族ですが、これは彼らがまさに白人種と黄色種の種の殺し合いの中で、つまり戦いの中で生き残ってきたDNAを持つ民族だから、ということができます。

Chinaにおけるこうした流れは、カンブリア紀のような1億年という途方もない長い時代の流れではなく、約4000年という短期間に起きた現象ですが、この流れを俯瞰してみると、もしこれを対立と闘争という淘汰論(進化論)で語るとするならば、勝ち残るのは強いコーカソイドでなければならず、現代Chineseの外見も白人種にならなければならないことになります。

ところが実際に生き残ったのは、黄色種系の外観です。
つまり、弱い方が生き残ったわけです。
これは実に興味深い変化といえます。
なぜなら、対立と闘争という淘汰論で説明のつかないことが、共生論なら、簡単に説明がついてしまうからです。


つまり、

(あ)高橋良典さんの古代史研究、
(い)73代目の武内宿禰の竹内文書と神代文字、
(う)最先端性染色体遺伝子のハプロタイプの研究


などがすべて一致した/一致している、のである。

つまり、(5000年前〜)3000年ほど前まで、全世界は日本で言えば縄文系、高橋良典流には「カル」「クル」「クレ」「ケル」「カラ」「カナ」などの音の響きを持つ名前の民族が住んでいた。かれらはアジア系だが、小柄で農耕民族であり、海洋民族であった。言語は膠着言語で日本語に近かった。ほぼ日本語である。文字はさまざまのヒエログリフであり、表意文字であった。

そこへ山岳民族で牧畜民のアーリア人系の金髪碧眼種で凶暴な人種が侵入した。体が大きく、目鼻立ちがはっきりした色白の人種であった。言語はアーリア人系の言語であった。つまり、現在のインド・ヨーロッパ語族の祖であった。文字は最初は持たなかったが、侵入支配地の言語を表音文字に変えて使った。

アーリア人支配の原型は、現地民族を対立させて紛争を起こさせ、分裂支配する。そうして皆が弱体化したところで乗っ取るというスタイルである。だから、アーリア人侵入時はすべてその地が戦国時代に変わる。

古代エジプト、古代メソポタミアがそうであり、古代中国がそうであり、日本の戦国時代がそうであり、ヨーロッパ人の北米大陸進出時がそうであり、今の中東アラブがそうである。そしてまたいま現在の日本が再びそうなりつつあるというわけだ。

というわけで、中国5千年の歴史というのは真っ赤なウソで、中国にはせいぜい3千年の歴史しかないのである。

こうして教科書に書かれた歴史をみれば、真実から程遠いということ、あるいは、時代遅れ、あるいは、あまりに一方的な史観で編纂されてきたことがわかるだろう。

いずれにせよ、さまざまの最新データに基づいて書き直すべきでしょうナア。

それにしても私が薄々そうではないかとメモしてきたことがチャイナ人の遺伝子にちゃっかり埋め込まれていたとは。。。


ところで、ねずさんこと小名木善行さんは、性染色体以外の核染色体のことはあまりご存知なかったようだが、別に男性の遺伝子に男系遺伝のY染色体が白人Yでなかったとしても、最初に組み込まれたはずの白人の核遺伝子、つまり、22対の染色体もそれぞれに遺伝しているのである。

女性はミトコンドリア遺伝子に入っているからミトコンドリアを調べれば当然最初の侵入者である白人遺伝子が見つかるはずであるが、Y染色体がそうではないからといって、Y染色体が入ったと同時に入った他の染色体はちゃんと見つかるはずなのである。

だから、顔形が一見アジア的に変わっていたとしても、色白で体がでかいとか、力が強いとかのハード面の遺伝子ばかりでなく、即物的だとか、拝金主義だとか、スーパードライだとか、喧嘩早く凶暴だとか、ソフトの面の行動遺伝子や、乳製品が好きだとかの体質も受け継いでいるはずなのである。


だから、モンゴル人は羊の乳を飲み、羊の肉を食う。遠い昔に西からやってきた青い目の遊牧民=騎馬民族がルーツだというのはあながち間違っていないのである。おそらく、そのとおりだったのだろう。


残るアジアの民族の問題は、かつてのキュンヌ、あるいは、ヒュンヌと呼ばれた、匈奴という人種はいったいだれなのか?ということである。アーリア系の白人種だった説もあれば、アジア人説もある。

オレ個人は、最近は白人説、すなわちロシア人説を取りたい。ロシア人の祖=アーリア人は、北方へも侵入したのだ。だから、ロシア語の語源にどうやらアーリア人ルーツのものが多いといわれているのである。

普通はモンゴル系の言語からロシア語に移行したと考えられているが、どうもそうではなく、逆なのではないかというふしがある。これについてはまたいつかなにかわかればメモしたい。

残虐な白人=アーリア人と言えば、その原型を一番残している白人はだれがみてもロシア人でしょ。
プーチンはだれがみても匈奴だろってヨ。

プーチン大統領
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いやはや、世も末ですナ。







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by kikidoblog2 | 2018-10-11 12:12 | ミステリー

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