「縄文」の呼び名は語弊を呼ぶ!?:広く言えば、インディアンもアマゾン人も縄文系だ!
2018年 10月 16日
今夜は日本代表とウルグアイ代表との国際A親善マッチがある。
その南米ウルグアイといえば、かのマヤ文明やアステカ文明やインカ文明の流れにある場所である。
なぜか?
マヤは摩耶に似ているし、アステカはアスカ=飛鳥に似ているし、インカは殷夏に似ている。
やはり最近つくづく思うのは、
縄文文明
という名前は非常に不都合であるということである。
ところで、この名付け親は日本人じゃね〜〜!
元祖日本に勝手に住み着いた害人さんじゃなかった、外人のエドワード・シルヴェスター・モースだった。
縄文時代についてわかりやすく~貝塚見つけた外国人~
縄文土器
縄文土器の特徴といえば、縄を転がしてつけた「縄文」と呼ばれる模様。
(写真は縄文土器 – Wikipediaより)
土器は食物の煮炊きや、貯蔵用として使われたようです。
土器の出現で、人々の食生活は大幅に変化しました。まず、ドングリなどの木の実の「アク抜き」ができる用になりました。更に、直火以外の加熱ができるようになったので、調理のバリエーションも増えました。
大森貝塚と三内丸山遺跡
「縄文」の名付け親はアメリカの「エドワード・シルヴェスター・モース」という動物学者です。
(写真はエドワード・S・モース – Wikipediaより)
明治時代、助っ人外国人として東京大学の教授を務めていたときに、「大森貝塚(おおもりかいづか)」を発見しました。
(写真は大森貝塚 – Wikipedia / 品川経済新聞より)
日本の考古学、人類学の基礎を作り、進化論を体系的に伝えたのも彼です。
モースが貝塚を発見したのは、なんと「汽車の車窓」から。横浜駅-新橋駅間を走っている途中、「ん?あそこ、貝塚っぽくね?」と言ったかどうかはわかりませんが、まさに「東京の車窓から」。
ところで「貝塚」って不思議だと思いませんか。先生からは「貝塚はゴミ捨て場だったんだよ」と教えられました。でも、「いやいや、だからなんで貝やねん!」と、心の中でツッコんだ人もいるはず(・・私だけ?)。
実は、貝のおかげで貴重な過去の遺物が、消えずに残っているらしいのです。日本の土は基本的に酸性で、土に埋まってしばらく経つと、たいていのものは溶けて無くなってしまいます。
。。。
たまたま自分が見つけた土器の模様が縄模様だっただけで、それに「縄文土器」と名をつけた馬鹿者。その後の土器にはまったく縄の痕もなく、火焔土器のような際立った物がたくさん見つかったのである。
そして、その住居跡がいわゆる「竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)」であった。
これまた実にお馬鹿な命名だったと俺は思う。だれがどうみても「縦の穴」ではなく、立派な伏方の入り口である。
こういうのは我が国では非常に馴染み深く、外敵が入りにくいようにわざと入り口を低くするスタイルであり、侍の家がたいへいこういうゲートである。
一方、中が意外に広く、モンゴル放牧民のテントの家「ゲル」
さらには、我が国の神道のルーツである「神仏崇拝」を「アニミズム」と考えてしまったことである。
アニミズムとは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。
いまでは、霊性とか、スピリチャリズムとかさまざまの呼び名があり、アニミズムとは言わなくなった。つまり、古代において非常に人間的な霊性の高い考え方を行っていた宗教的アイデアに対して、暗にユダヤキリスト教的なものが「現代的」という意味合いからアニミズムを「原始的」という意味合いで語ってしまったことである。
ここにもモースの無知蒙昧さのおバカさ加減が見て取れる。
さて、問題はどこにあるか?どこにあったかというと、いま我々が「縄文」というときの、その時代、おそらく数千年前から数万年から10万年前の人々のことを、我が国だけに存在した人種または民族と考えたことにある。
その後の高橋良典の研究により、この時代の人たちはこの世界中に広がっており、「kl」「kr」「cl」「cr」で始まる子音の呼び名を持っていたらしいということである。これに母音を入れて、「ケル」「クル」「カル」「カラ」「クロ」。。。のような音で始まる名前を持っていたというのである。
そして、この民族が住んだ場所の地名に、カナン、ケルト、カルナック、クロアチア、キルギス、カザフ、サンスクリットのクリット、クレ(呉)、コクリョ(高句麗)、カラ(加羅)、。。。などがあるのである。
超古代エジプト文明のツタンカーメンまでの王族は、カルナック神殿にある通り、実に日本人的顔と体型をしている。まったく白人や黒人ではないのである。むろん、現エジプト人とも異なる。一番似ているのは、日本人である。
超古代エジプトのカルナック神殿の人たちと、マヤ、インカの人たちはともに表意文字のヒエログリフの文字を持っていた。
我が国の縄文人ももちろんヒエログリフ、岩窟文字を持っていた。いわゆる神代文字である。
この流れで言えば、クリ族=カラ族もまた何かの文字を持っていただろう。マヤの数字のような縄文字の数字かもしれないし、縄で描いた絵文字かもしれない。つまり、「縄文式」と同じ類のアイデアのものである。
さて、大分前置きが長くなってしまったが、たまたま最近YouTubeでたまに「Live 放映中」というものが現れる。そんな中に、アマゾンの未開の裸の部族の生活をライブ中継しているものがあったんだが、それを見て俺は
ハッとしてgoodとなってしまった。
それがこれである。
LIVE 24/7 Tears of the Amazon | Documetary 아마존의 눈물 #2
縄文を知っている日本人の我々から見れば、彼らはまさに
「いまに生きる縄文人」
である。
彼らの家は、無知でおバカなモースが見れば「竪穴式住居」のカテゴリーに入るだろう。
新潟の古民家に非常に似ているし、新潟には「竪穴式住居」跡が無数にあるというのである。
また、アマゾンのその部族の顔や肌の色や体型が日本人そっくりである。日本人はアジア極東のなかでは、ちょっと褐色がかっていることで有名である。
何よりも興味深いのは、たしかに裸に近い、陰部を隠さない、一見非文明的な出で立ちをしているから、未開に見えるだけで、彼らの行っていることややっていることをみれば、新潟のお百姓さんがこれまでずっとやってきたことと非常に似ているし、共通点があるのである。
まず何より、家内工業で分業制であり、娘たちのだれもが非常に手先が器用である。
みなそれぞれに仕事を受け持つ→怠け者がいない。働き者である。
この手先が器用というのが、白人と決定的に異なるのである。白人の皮膚と手では家内工業的な微妙な繊細な小道具は作れないのである。
この点でも実に我々日本人と似ているのである。
女性はその辺の日本人とそっくり。
毒矢作りのおじさんも手先が器用だ。手作業で鼻歌交じりもそっくり。
驚いたのは、この部族にしっかりこうやって張り付いてライブ放映して金儲けしているスペイン系かポルトガル系の白人種の混血がいることである。そして、部族の若者に文明化させるための策を弄していることである。
すでに若者がライフルを手にしている。
こうやって、武器弾薬をこの部族に売りつけて、部族に借金させる方法で、文明化し、彼らが悪戯な連中の手に落ちる可能性が高い。
顔や体に「色を塗る」あるいは、「入れ墨」はかつて縄文人がやっていたものである。
この若い女の子
とそっくりの顔のバレーボールの選手を俺は日本代表で見つけたよ。(この子が服着て日本にいれば、だれも外人には思わないに違いない)
島村春世選手である。
とまあ、そんなわけで、「縄文」という命名は非常にまずい。語弊を生む。
むしろ、もっとユニバーサルな良い命名法が必要である。
そして、ナバホインディアンンは、縄穂(なわほ)であろうし、ここにも縄文の縄がある。
マヤにも縄があるし、アステカ、インカにも似たようなものがある。
さらには、アマゾンの原住民は、日本の縄文人が火を起こしたであろうような道具で、首飾りを作っているのである。
だから、おそらく昔の姿をもっとも色濃く残している可能性が高い。
この民族は、アジア人とも違うし、日本人のルーツに非常に近い。
一つの言い方は、小名木善行さんが言うような、ジャポノイドJaponoidと呼ぶやり方がある。あるいは、ニッポノイドNipponoidでもいいし、ジャパニカ米のジャパニカJaponicaでも良い。ジャポネスクでも良い。
縄だけに限定するのではなく、工芸技術や住居、歌や踊りの形式に類似点から見ても、やはりかつては世界にこの種族が広く生活していたことはたしかだろう。
この元祖地球人類に良い名前が付き、縄文人だけじゃね〜〜ぞという時代が来ることを心から期待したい。
このアマゾンの民族は誰一人痩せっぽちがいない。みんなで分業し、協力して一生懸命働いている。だから、皆ふくよかで豊かである。
昔の古き良き日本を感じさせてくれるアマゾンの民族である。
そこに西洋人が入り込み、文明化すると、アメリカインディアンのようになることは必須である。何をするにも金が必要になり、貧乏になる。そうなれば、作物を自分で育てることもできなくなる。白人からかわされることになり、食物が手に入らなければ、痩せて餓死する。
それにしても、こういった残虐で悪辣非道の西洋人の元祖アーリア人はどこから来たのだろうナア。
いやはや、世も末ですナ。
by kikidoblog2 | 2018-10-16 17:42 | ミステリー