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「戦後の日本を作った男」「半導体文明の父」西澤潤一博士ご逝去:俺「ノーベル賞委員会の愚挙ですナ!」   

みなさん、こんにちは。

悲しいニュースが2日前に飛び込んだ!

「闘う独創研究者」西澤潤一博士が逃した大魚
「ミスター半導体」の功績を振り返る

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西澤潤一博士が10月21日に92歳で逝去された。最近の若い方にはなじみが薄いかもしれないが、西澤博士は、「ミスター半導体」と呼ばれたように、まさに日本を代表する半導体業界の孤高の巨星。その研究分野は多岐に渡るが、数多い著書や講演の表題に頻出する「独創」「独自」「闘う」というキーワードが西澤博士の研究哲学の根本にあった。

パソコン、スマートフォンなどあらゆるところに使われる半導体は、いうまでもなく現代社会を支える超重要電子部品だ。そのような半導体の黎明期に輝かしい研究実績をあげた西沢博士の偉業を振り返ってみよう。


元東北大学の総長だった西澤潤一博士がご逝去された。享年92歳。

長寿を全うされたがついにノーベル賞を受けることなくご逝去されたのである。

言ってみれば、いわば科学のアマチュアレベルのノーベル賞委員会の「お遊び」に振り回された感がある。


まあ、非常に単純に一言でまとめれば、

戦後の世界の半導体文明を作り上げた男

ということになる。

トランジスター
光ファイバー
発光ダイオード(まで。だけが中村修二博士の発明だ)
半導体レーザー

西澤潤一
PINダイオードの開発
静電誘導型トランジスタの開発[4]
静電誘導サイリスタの開発
イオン注入法の開発
半導体材料の完全結晶育成法の開発
アバランシェフォトダイオードの開発
半導体レーザーの発明(1957年 日本国特許出願)・開発
高輝度発光ダイオード(赤、緑)の開発
GI型光ファイバーの開発
通信用光ファイバーの提案
分子振動、格子振動(フォノン)を利用したテラヘルツ波発生の提案(1963年)
テラヘルツ波による癌診断、がん治療の提案(2000年)


ところで、この高度成長期の時代、この時代は、戦勝国アメリカの一国支配の時代、すなわち、パックス・アメリカーナの時代である。

アメリカは戦争に参加はしたが、本土空襲は受けていない。韓国朝鮮半島も受けていない。

本土空襲を受けた、英国、ドイツ、フランス、ロシア、日本、チャイナ、などの主要国はみな戦後の復興に最初に取り組まねばならなかった。そういう時代である。

だから、無傷で残ったアメリカが戦後の科学シーンを席巻できたのである。むろん、いまは日英仏独露中も十二分に復活し、いまや米一国の支配構造は消えたのである。

そんなアメリカ一国支配の時代、敗戦国の日本の復興のために、アメリカが「手助けした」なんていうことはまったくない。まったくなかったのである。あくまで米製品を売りさばいて日本支配したいというだけのことにすぎなかった。

ましてや当時の最先端分野である半導体文明の科学技術を、アメリカ人が日本にやってきて日本人に手ほどきして教えるなんていう、ご親切はまったくなかったのである。

だから、戦後の日本人は、

(あ)自らアメリカに出向いて自己研鑽を行って、その経験を基に日本で開発する

あるいは、

(い)日本国内で自力で考えて発明する

かしなければならなかった。

多くの日本人がアメリカのIBMワトソン研究所やATTのベル研究所に留学した。一番有名な例が、IBMワトソン研究所の職員になった江崎玲於奈博士である。後にノーベル物理学賞を受賞した。

が、西澤潤一博士は東北大で唯一人頑張った。

当時は今のように(1995年以降)、大学が独立行政法人化しておらず、まだ文部省の傘下にあった。

だから、自分の発明品を大学内で製造したり、外部企業と結託して新製品を生み出し、大きな収益を上げるというビジネスモデルは違法行為、ご法度だという時代だった。

だから、西澤潤一博士がどんどん新しい発明を行っても、中村修二博士が行ったようにはできなかったのである。

にもかかわらず、西沢博士は、それならとばかりに、東北大学の外にちょっとした私設の半導体研究所を作り、大学勤務以外の時間を使って徹夜で研究に頑張り、そこから民間同士という立場で企業とタイアップして新製品を開発するということをおやりになられた。

たしか私の記憶ではそういう事情だったと思う。

また、その時の企業はスタンレー電子というベンチャー企業だったと思う。

その当時、世界で最初に新幹線の電光掲示板が、になった。いまはもあるが、当時そのハイテクぶりに世界が驚かされたのである。

まあ、中村修二博士は、西澤潤一博士がガリウム砒素(GaAs)やったことを窒化ガリウム(GaN)でやり直したにすぎなかったのである。



私が大阪大学の大学院を出て最初に就職した企業で、一番最初にやった仕事というか、研修旅行は、この東北大学で開催された宝石学会というものに参加することで、その合間のエクスカージョンとして、西澤潤一博士の研究所を見学することだった。西沢先生は留守だったが、そこの職員の人が、我々にいろいろ説明してくれたことを思い出す。

昨今では、スピリチュアル系の人たちから「テラヘルツ波」が大事だなんていい出しているが、そういうテラヘルツの素子を最初に発明したのもまた西澤潤一博士だった。

おそらくノーベル賞に値する発明が多すぎて、ノーベル賞財団も一つに与えれば、他にもどんどん20個くらいノーベル賞を与えなければいけなくなるから、相当に難儀したのではなかろうか?

ちなみに、光ファイバーは二番煎じだった人が、ノーベル賞をもらっている。


もし我が国の半導体研究者たちが独自の特許を取っていなかったら、日本のすべての産業においてアメリカにロイヤリティーを支払い続ければならず、戦後の我が国の高度成長やバブルはあり得なかったのである。

この意味では、西澤潤一博士に感謝の言葉しかない。


私が大学院生の時代から、だから、いまから30年以上前の80年代にはすでに西沢先生はノーベル賞の呼び声が高かった。その当時は、中村修二という人は存在していなかった。

むしろ、中村修二博士のロールモデルになったその人こそ西澤潤一博士の方だったのである。目標にされたわけだ。いわば、半導体研究者のアイドルであった。


光ファイバーの発明と特許問題


著書は非常に多数。

独創は戦いにあり
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赤の発見、青の発見
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背筋を伸ばせ日本人―「信念」と「創造力」の復活
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西澤潤一の独創開発論
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ご冥福をお祈りいたします。合掌。

こんな真の物理学者にノーベル賞が来ないとか、ありえね〜〜ナ。


いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2018-10-28 11:54 | 普通のサイエンス

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