病院はチームプレー。入試にクレームする人がチームプレーできるのかいな?   

みなさん、こんにちは。

さて今回は、かなり普通の人やいわゆるデレビメディアなどのダマスゴミ発信の論評や意見からすれば、論外にみえるだろう私見をメモしておこう。忘れないうちにそうしておこう。

だから、

嫌なら読むな!

である。


たまに「井口先生のご高説を〜〜」なんて言う人もいるようだが、ここはあくまで自分の個人メモであって、一応公開して「読みたければ読んでも結構。嫌なら見るな」というスタンスでメモしているだけである。一応、私自身が忘れっぽいから、二度めに読む時に他人の立場で読めるように、そういう時に形としては読みやすい形に、わざと不特定の他人に発しているように書いている。このあたりを誤解なきように。


さて、今回は、日本医科大学などの入試において、反日韓流ダマスゴミから「不正入試」の汚名を着せられた格好になった、大学入試のことをメモしておこう。

これまた忘れないうちに結論から言うと、

大学側はどんな基準を採用しようが構わない。OK

ということである。

だから、女性を割り引くために、女性の点を下げる。それもありである。

さもなくば、血を見たら倒れる傾向のある女性医師では外科医や脳外科医が成り立たなくなってしまう。

こういうのは、あくまでそれまでの経験から判断しての結果にすぎない。


ところで、これに関して、第二次世界大戦中のソ連では、若い男性が戦争に駆り出されたために、残る女性で医者を賄うしかなかったというが、その結果、医者というと女性内科医ばかりになって、医者のレベルが急激に悪化してしまったという事実の歴史が残ったという。

医者はそういうことを知っているんだナ。

医学界の女性を増やすと、相対的なレベルが低下する。だから、女性は医者より看護婦だとなったわけだ。


この逆が、介護や看護に男性を増やすと、結果的にかならず患者や寝たきりの人が暴力を受ける結果になる傾向が高いのである。

要するに、その男が健全な男性であればあるほど、暴力的になるわけだ。男性は女性ほど優しくはないのである。

生物学的に人間にも性別の特徴がある。だから、こういう遺伝的なものを考慮しないと、システムが上手くいかなくなるということもあり得るのである。

口先で理想論をいっても単なる机上空論のパヨク思想、朝鮮脳、放射脳のたわごとで終わるのである。


こういう場合は、大事なことは、

経験的にみる

という考え方である。

つまり、それまでの過去の事例でどうだったかという経験的、体験的な状況から判断する他ないのである。統計学者がそういうミクロな事例を集めて統計をとる暇もないわけだから、その現場で働く人達が自己責任で判断すべきなのである。

やはり、当事者が一番知っているわけだ。仮に現場の医師や看護師がそういう余計なことをやっていたら、そうでなくても忙しい業務がさらに忙しくなるだけだろう。

現場に任せるべきだ。


ところで、我が国の武芸に「入門」というものがある。たとえば、保江邦夫師範の愛魂道の冠光寺流合気術に入門するというようなことがある。青木師範でもいい。

こういう場合、「入門」から始まって「門下生」「門中生」「門人」というような言い方があるらしいですナ。

要するに、武術の道場に入門というのは、まるで神社の前にある鳥居をくぐり抜けるようなものに例えるらしい。

入門とは、その鳥居の前でお辞儀することに対応する。

門下生とは、その鳥居のあたりで「待っておれ」といわれて待っている。まだ、参拝できるレベルにない人のことである。

門中とは、その鳥居の中に入って、これから本殿で参拝するというようなものである。

門人とは、本殿にあがって、神社の宮司の後ろで祝詞を神妙な顔で聞いている立場のような人のことである。

つまり、門人とは神道を信じその宮司さんの言葉を理解できるレベルの人のことである。


翻って、大学入試とは、その大学を神社と考えるなら、その鳥居の前で歩いてきた人、これから参拝して教えを請おうとする人に、それにふさわしいかを神社の宮司さんがチェックすることに対応するだろう。

鳥居のど真ん中を歩いてくるとか、お辞儀をもせずに無断で入ってくるような人は排除すべきものだろう。

ましてや今日の事件のように、神社内の建物に火をつけるとか、宮司にナイフで斬りつけるとか、論外であろう。

神社側から見れば、あきらかに不適切な人、たとえば、女人禁制の伝統行事を行っているとき、あるいは、相撲の土俵の上とか、そういう時に、「女人禁制と知っていて勝手に来ておいて女性だから差別するな」というような女性は論外であろう。

いまある大学入試の不正という言い方は、こういうふうに、運営する側のしきたりに対するモンスタークレーマーにすぎない。無視無視。

謝るな!

クレーマーに謝罪するなどもってのほかである。

大学が謝る理由はない。0。
a0348309_12143957.jpg




さて、翻って、アメリカの大学の入試はどうか?

これについては、すでにだいぶ昔に拙著で論じたことである。

日本社会の構造的問題とその解決の方向―三セクター分立の概念 単行本 – 1995/2/10
a0348309_11104377.jpg


三セクター分立の概念 単行本 – 2001/12/1
a0348309_11101399.jpg


何が科学をつぶすのか? 単行本(ソフトカバー) – 2002/8/1
a0348309_11114322.jpg


最初の三セクター分立の話は、まだ立命館がいまのようになるずっと前で、大学改革が叫ばれる頃、その立命館の大学改革に関連して、中村龍平氏の本で取り上げられたのであった。

挑戦する立命館―大学改革とは何か 単行本 – 1997/2
a0348309_1114158.jpg


こうした当事の大学改革の話題や論争やブームがあった結果、大学が国立大学から独立行政法人化したのである。だから、いまの「ある程度の自由」がある。特に、「給料を決めることのできる自由」が得られたはずである。

それまでは、公務員制度で、何級何号とか、縦横の等級で自動的に給料が決まる軍隊システムだったはずである。ちなみに、米軍はいまでもこれである。要するに日本の公務員制度とは軍隊の制度だったんですナ。

いまなら外部研究費も自由にもらえるし、寄付も自由にもらえるし、職員も予算で自由に集められるし、特許申請もほとんどただでできるし、昔よりは大分ましになったはずである。もっとも言い出しっぺの俺なんてまったく良い思いなし。


さて、こういった本で論じたように、アメリカの大学、たとえば、ハーバード大学の入学試験。こういうものを考えてみたら、日本の左翼韓流の反日のダマスゴミがいかに騙しているかが明白になる。

結論から言えば、ハーバード大学の入学試験は試験官の裁量次第である。なんでもあり。

日本で言えば、「情実入試」そのものである。

金持ちの息子や娘?→たくさん寄付金すればオッケー。でも、卒業は難しいヨ〜〜!

政治家の息子や娘?→たくさん寄付金すればオッケー。でも、卒業は難しいヨ〜〜!出来が悪い子でもOKヨ。ただし大学に寄付してね〜〜!そしたら、個人的に家庭教師して卒業助けてやるヨ〜〜!ビジネスビジネス。

天才君?→ウェルカムツーハーバード!君こそハーバードの未来だ〜〜!

スポーツマンや音楽家や芸術家?→奨学金あげるヨ〜〜。頑張ってトライアウトにきてチョ!

凡人たちや町人の子?→最低でもSATで800点とってチョ。そしたら、面接してやるヨ〜〜!


こんなもんだよ。これが米有名大学の大学入試システムなんですナ。

我が国の私立大学はこれを真似しただけ。

どこが悪いの?

大学の問題は結果でしょ!

いくら入試で良くてもその後卒業できないなら意味なし。途中でバイト漬けになって、バイトが本業になってAVに出るような女医さんでは意味ないでしょ。

大学に入れてやったら、その大学名を元でに売名行為して、芸能界にスカウトされたいとか、パヨクの街宣のスター気取りするとか、韓エッチKの手先になるとか、こういうのは犯罪でしょ。裏切り行為でしょ。


要するに、破門!


だいたい、自分が入りたい大学に対して、不正入試だと訴えたりしてそこに入ったとして、こういう人たちは、その大学で真面目に勉強できると思うのだろうか?狂っていますナ。

門前で自分を破門した道場に「破門は不正だ」といって頭下げさせた師範から「合気道」を学べると思うのか?

ぜったいに不可能だ。

愛魂がなくなる。


仮にそんな道場に入門したところで、腫れ物に触るように毛嫌いされるだけで、弟子にお前が教えろっていわれるだけのことだろうヨ。

大学でも同じだ。俺を嫌った生徒だからお前がやれって、まだ免許皆伝していない下っ端から手ほどき受けるだけのことだろう。


やはり、大学に入門する以上、その大学のすべてを信じなければいけない。これ、世界の常識だよ。

朝鮮人の常識は世界の非常識。

いっとき、日本で、「日本の常識は世界の非常識」という言葉が流行ったが、これとはまた意味が180度違う。似て非なるものである。


欧米の大学や大学院では、自分を知る人の推薦書が最低3通必要である。この3人の推薦書の中で、「この人はいつも入試にクレームをつけるクレーマーだ」と書かれたらどうするのかいな?

俺なんか、昔のO大の指導教官と反目したばかりに、本当にそう書かれたからネ。あるいは、その親友から公募するたびにクレームされたからネ。

日本の大学のセンセイは陰湿だよ〜〜。

だから、表向きだけでも、仲良くしておいたほうが良いと思うゾ。


この陰湿さは予備校の先生や高校の先生はまったくご存知ないんですわ。


むしろ、
「女性でも医大に入れてくれてありがとうございま〜〜す!多少下駄を低くしてもらっても良いんです、私は女ですから」
というような謙虚な態度が大事ですゾ!

ゴリ押しして入学して良いことあると思うのは相当におめでたいか、知能が低い。

現実はそんなに甘くはないですよ。

特に、病院はチームプレーだから。サッカー日本代表と同じだ。


そうだ、書き忘れたことがある。

戦前の大学では、大学教授の息子はその教授の大学に無試験で入学できる資格があった。医者は医者の大学に無試験で入れたし、東大教授の息子は帝国大学に無試験で入れたのである。

実際、一般人と大学教授や医者のレベルはそれほど違ったのである。

我々一般人が興味本位で個人の夢実現として、歌舞伎役者になったところで、歌舞伎座を運営できるはずがない。何の経験もないわけだ。

我が国の大学入試の伝統にはこういう事情が加味されているわけだ。これを忘れてはいけない。

やはり医者の世界を知らないと、医者になっても大変だということがあるのである。

今の制度になっても、結局大学教授の子は大学に残る事が非常に多い。親の背中を見て育つということは事実である。これは単に入試で優遇されているというようなものではない。家庭環境の問題や遺伝的なものもある。蛙の子は蛙なのである。

実際、私のように商人や職人の子が学者になっても家系のだれとも話が合わないできないというふうになるのも不憫である。それよりは、学者の子は学者になったほうが幸せだろう。同じく、医者の子は医者になったほうが身のためである。サラリーマンの子はサラリーマン。サッカー選手の子はサッカー選手。

教員の子は教員になろうとするが、もし教員の子が医者になればそれなりの苦労や悲哀を味合うだろう。

男ばっかりの医者の世界でたった一人の女性医師として活躍するのもよろしいが、家庭が医者でなければ、理解者も配偶者も得られず、ずっと孤独と戦いながら勤務するということにもなりかねない。

もともと病院に女性が少ないところなら、女性を割り引くというのは、ある意味で「親心」だろう。親切なのである。

こういうことがわかない人がいい医者になれるとは思えない。




いやはや、世も末ですナ。







e0171614_11282166.gif

[PR]

by kikidoblog2 | 2018-11-18 11:47 | マスゴミ・ダマスゴミ

<< 明治神宮が火災!:BTSファン... エクスカリバー:カリフォルニア... >>