グロタンディークやダイソンが言いたかったこと!?:俺「自己創造する代数多様体の研究」だろうナア!?
2018年 11月 28日
自己創造する代数多様体の例
Kazumoto Iguchi, "Exact Wave Functions of an Electron on a Quasiperiodic Lattice: Definition of an Infinite-Dimensional Riemann Theta Function", J. Math. Phys. 33, 3938-3947 (1992)より。
みなさん、こんにちは。
最近はいったん思いついたことでもメモしておかないとつぎの瞬間他のことを考えるとすぐに忘れてしまい、はて?あれはなんだったか?ということが多くなった感があるナ。アルツハイマー予備軍か?
湯川秀樹博士も、福井謙一博士もいつもノートを頭の横において寝て、夢見に出たアイデアをすかさずメモしておく習慣だったとか。さもなくば、一旦現れた良いアイデアもまさに霧散してしまうからである。
思考のゆらぎとでもいうのか、あるいは、思考の自己創造とでもいうのか、いつしかある考えが頭に現れては消えるという現象があるわけだ。
というわけで、今回もまたなぜ生物理論をやっている俺に純数学、それも現代の解析幾何学や数論幾何学のような知識が必須なのかということをメモしておこう。
普通の人はスルーを。多分興味ないはずだし、まったく金にならないからサ。
(あ)生物や生命体の理論は、非常に複雑な微分方程式の連立方程式になる!
まあいちいち式を書いて説明したら何冊もの専門書になるからそういう説明はしないが、要するに生命には無数のタンパク質や原子分子団があり、それぞれの濃度はお互いに相互作用や化学反応で変化しているのである。
これを数学的モデルとして近似すると、どうしても多変数非線形微分方程式の連立方程式になってしまう、ということである。
その時、最低でも、定常状態の情報を得たい。そうすると、時間変化=0とおくと、右辺にあるはずの非線形多変数関数(これが化学反応を記述している)=0となり、こういう方程式の山になる。
この定常状態の解を見つける作業だけでも大変なことで、1個のマイコプラズマの細胞内でも数千個の物質分子があるから、数千の変数の数千個の連立微分方程式を解かなければならないことになる。
これが複雑系と呼ばれる理由である。
しかし、この無数の代数方程式の共通解を見つけなければ、生命の定常状態すらわからないことになるわけだ。
この時の、「連立代数方程式の共通解を見つる」という作業は、まさに代数幾何そのものなのである。
ここに、数論幾何や代数幾何のイデアル論とかスキーム論が必要になるはずなのであるが、何分それが数学の様式で書かれているために、ちっとも腑に落ちないわけである。
(い)数学者には特有の癖がある
我々科学者から見ると、数学者には特有の癖がある。これが時に数学者が本当にその問題を理解してやっているのかと数学者に対して我々に疑念をもたせる原因の一つでもある。
政治の、「総論賛成、各論反対」って騒ぐミンス党と似ているといえば似ている。
要するに、数学者は道具立てを完璧にして、一つの道具を使用するにはもっと別の道具立てを必要とするというような、循環論法に似た雰囲気で道具立てをして、道具のお城を建てるような感じで理論構成するが、実際にその道具を実施するという場合には、一本の板を切るとかあまりに自明の問題に使うのである。
DIYの量販店のように定義や新語の山を作っておきながら、やることは、棒を切るだけかいな?
まさに、豆腐を牛刀で切る、というような例題が出されるのである。
あまりに自明では?
これが数学者の説明が我々には腑に落ちない一番の難所なんですナ。
いつも数学者のだす例題を見ると、そんな自明な問題ならどんな定義(=道具)だって同じでしょ?という印象を受けるのである。
だから、ABC予想にしても、リーマン予想にしても、フェルマー予想にしても、それぞれの問題のそこに記述されている情報からすれば、あまりに道具立てが多すぎないか?という印象を感じ取るわけだ。
数論のリーマン予想に数論以上の道具が必要なのか?
もし数論に代数幾何が必要だというのであれば、それは代数幾何学者の自分の仕事の領域を温存したいからそうしているにすぎないんじゃないか?
要するに、仕事のための仕事、研究のための研究としてそういっているんじゃないの?というような感じを受けるわけだ。
(う)数学者のパーキンソンの法則?
公務員が自分の職を失いたくないから、わざと面倒な仕事を作る。いわゆる社会学におけるパーキンソンの法則というやつですナ。
フラーが言っていたような、プロジェクトで仕事を行うと、そのプロジェクトが終了しそうになると、作業員はわざと仕事を遅らせる。なぜならプロジェクトが終われば、仕事がなくなるから、それを恐れるのだと。
いまオリンピックやW杯や万博のようなプロジェクトが目白押しだが、そういうプロジェクトを請け負った会社は早く建築物を終わらせたくなくなるわけだ。早く終わればそれだけ早く仕事がなくなるからだ。だから、プロジェクトの予算はいくらでも増えていくわけだ。作業を遅らせ、間延びさせればさせるほど、自分の仕事が生きながらえる。
数学者にもこれと似たような傾向があるんじゃないか?と俺は想像するわけだ。
問題が解けないから自分の職がある。
素粒子論でもそうで、もう実験もできなければ、やることがなくなっても、いまだに素粒子論で飯食うには、何でもかんでも素粒子と結びつけることさえできればよろしいからである。素粒子論と脳、素粒子論と魂、素粒子論とモナド論、、、、。
問題というものは解かれたら最後、その瞬間からもうそれを飯のタネにはできない。その分野から引退しなければならない。しかしそうなれば、自分の職がなくなる。
解決したい→だからそのために自分の職ができる
しかし、解決されたら→自分の職はなくなる(かもしれない)
だったら、永遠に研究した方が得→ゆえに問題を解決しない→永遠に考える
どうも数学者にもこういう雰囲気が見え隠れする時があるんですナ。素粒子論者同様に。
だから、どんどん牛刀を大きくする。
(え)物性論者はちょっと異質では?
しかし、我々物性論者はちょっと違う。我々は極大ではなく、極小を考える。マキシマムではなく、ミニマムを考える。つまり、必要最小限のオプティマル(最適)の状況や理論で結構だと考える。
難しい問題には、それ相応に難しい定義や基礎づけや理論化が必要だろうと考えれるが、簡単な問題には簡単な説明でOKだろっていうようなやり方や考え方である。
魂を信じる人には適当に魂論で定式化し、素粒子を信じる人には適当に相対論からはじめ、霊魂を信じる人には霊世界の定義から始め、。。。とまあ、いい加減と言えばいい加減、つねに必要最小限で良いだろうというやり方である。
アバウトな人にはアバウトな説明、細かい人には細かい説明、厳密な人には厳密に説明、そんな感じでよしとみるわけですナ。
こういういまのアバウトな段階でみるなら、ABC予想も関数で解けているから、もうそれで良いんじゃね?リーマン予想も大筋リーマンの証明で説明できているから、それで良いんじゃね?それ以上やる意味あるの?と思うわけだ。
世の中にはもっと大事な問題五万とあるとよ(武田鉄矢風)ってサ。
まったくわかっていない問題は山ほどある。0近似でもいいからそれを知りたい。
たとえば、生命の原理。なぜ物質が生命圏を作るのか?
これについては、またいつかメモすることにするつもりだが、こういう問題は山ほどある。
大事な問題が山ほどあるのに、それを無視して、できそうな、あるいは自分の仕事の網に掛かりそうなものだけを取り上げるというのは、やはり自己防衛本能の発露でしょ?
まあ、偽ユダヤ人的とでもいおうか、ゴーン社長のようなものですナ。
い〜〜いんです、人様のことはどうでも。自分さえ知的で豊かで優雅に生活できれば。
というやつですナ。
(お)グロタンディークの宇宙観は魅力的だ!
そんな代数学者でありながら、アレクサンドル・グロタンディークの反アインシュタイン論は実に魅力的である。
グロタンディークと望月新一の接点?:数論幾何学はアインシュタイン理論を超えるかどうかにある!?
たぶん純粋数学者にはまだあまりこういう考え方は普及していないのかも知れないが、応用数学者まではかなり馴染みつつあるのではないかと思う。
最近のネット検索のように、ネットワークの複雑ネットワークが数学的対象になると、こういうネットワークがどのようにして生まれたか?どのように成長したか?するか?そういう数学ができてきた。
それが複雑ネットワーク理論というものである。
この分野では、たった1個のノード(・やサイト)から何兆ものノードが連結した複雑なネットワークを形成する。
この意味で、今ある世界は一つ昔にはないより成長した世界なのである。時々刻々世界はより複雑なネットワーク世界に成長している。
これに対して、昔のランダム理論や格子理論は、最初にこのシステムにはノードがN個あると固定して出発した。
だから、系はN変数のN連立方程式で記述される。だから、N個の代数方程式の共通解の研究というような言い方になる。
これから派生して、N変数の代数方程式は、N−1個のジーナス(穴)をもつリーマン面上の関数で記述できる、というような代数幾何の話と結びつく。この代数多様体はアインシュタイン計量をもつとかいって、リーマン幾何学を用いる。
しかしながら、この思想圏では、代数多様体の構造は「はじめに」決まっているわけだ。N個の変数、N次元とか、ジーナスがg個とか。
つまり、熱力学で言えば、ある種の孤立系の平衡状態だけを論じることに対応する。
しかし、ネットワークの宇宙観でみれば、宇宙は時々刻々と複雑化し、変数を増やし、空間の次元を上げている。
こういう成長する代数多様体とはなにか?
自己複製し、自己創造するような代数多様体やその上の関数とは何か?
そういう自己創造する多様体の計量とはどんなものか?
こういうことをグロタンディークを言っていたものと考えられるのである。
実はリーマン予想の問題の中に、大きな素数のその先にさらに大きな素数を見つけるというようなことは、まさに数の自己創造のような再帰的なものではないか?
もしそうだとすれば、成長する代数、成長する代数多様体、成長する幾何学、辺や頂点や面の数を固定して考えないで、常に自己創造し、成長する数学を見つけ、それを研究していかないとまずい。
そのためには、すでにそういう特徴を持つ数学があるなら、それをみつけてちゃんと研究すべきだろう。こういうことになる。
これが自由人ダイソンが言いたいこと、1次元の準周期系を研究しろといったことの意味ではなかろうか?
実際、1次元の準周期系には、成長する数学の一番簡単な発露があるのである。
その一つが甲元真人先生が開発したフィボナッチ格子である。
系を記述する黄金率の精度を上げれば上げるほど、系は無限に大きく成長し、それに伴って系のエネルギースペクトルはさらに複雑になり、最終的にはカントール集合になる。(甲元先生の発見)
このカントール集合は、波動関数が無限次元の無限個のジーナスを持つテータ関数として解析関数として記述されるのである。(これが私の発見)。
Kazumoto Iguchi, "Exact Wave Functions of an Electron on a Quasiperiodic Lattice: Definition of an Infinite-Dimensional Riemann Theta Function", J. Math. Phys. 33, 3938-3947 (1992)
ちなみに、初貝の留学前に彼に渡した別刷りとはこの論文の別刷りのことだヨ。帰国後職探し中にPRBに投稿したが数学すぎるといちゃもんつけられて散々遅れさられて、最終的にJMPに出たといういわくつきの論文。まだ甲元先生の師匠の米物理学会のドン、カダノフ健在の時代のこと。
おそらくグロタンディークが最初にシーフ論とかスキーム論とかモチーフ論とかトポスとか、そういうものを考え出した時、その念頭にあったものは、こういう成長する代数多様体だったと俺は想像しているわけである。
要するに、幾何学的要素、つまり、点、辺、面、体積、。。。とか、こういうもの自体が変化し、自己想像するような幾何学的オブジェクトは確実に存在する。最初に点の数や面の数を決めないシステムである。こういうものが自己創造しながら成長する系である。
これはまさに点を細胞とみれば、生命体そのものである。
生命は点の数を増やし、その点は性質を変え、自己集合し臓器を作る。お互いに複雑なネットワークを形成している。
おそらく生命を考えるので一番楽な方法は、生命体を単なる幾何学的対象として考えることである。
しかしながら、これでも非常に複雑であり成長するオートマトンである。
すでにリンデンマイヤーシステムというようなものはあるが、これは再帰的なフラクタル構造だけを容認する系にすぎない。
むしろネットワーク幾何と見たほうが面白いだろう。
ところで、昔、およそ70年前我が国の生物物理学会の創始者だった杉田元宜博士は、すでにこういう複雑ネットワーク理論として生命の熱力学を考え、それを作ろうとしていた。おそらくこの筋の今の専門家のだれも知らないはずである。
この時、杉田博士が用いた言葉、それが「歯車」であった。今で言えば、歯車とは、ネットワークの中の重要なサブネットワークやサブモデュールのことである。
生体は時計じかけのオレンジ、時計じかけの歯車のようにお互いに密接に絡み合ってコントロールしているということを論じたのだが、それは今では、複雑ネットワークのリミットサイクルどうしの相互作用ということになる。
この観点で杉田先生の仕事を顧みると、現代の生化学の教科書がいかに退化してしまったか?70年前の生化学者の思想圏からすればいかに博覧会になってしまったか?こういうことが実によく分かるのである。これについてはまたいつかメモすることもあるだろう。
というようなわけで、グロタンディークやダイソン先生が言いたかったことは、
成長する代数多様体の研究
ということであろう。あるいは、
自己創造する代数多様体の研究。
すなわち、生命体のような幾何学を持つ数学の研究と言っても良い。
こういう観点で京大あたりの超一流の数学者の仕事を眺めても、まだまだでんな〜〜という印象を受けるんですナ、俺はサ。
いやはや、世も末ですナ。
by kikidoblog2 | 2018-11-28 10:21 | 望月新一・心の「一票」





































