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A Happy New Down Three Pieces:武田鉄矢の今朝の三枚おろし「まだ地上波を信じますか?」「韓中衰栄」   

みなさん、こんにちは。

さて、新年度もまた武田鉄矢さんの今朝の三枚おろしをメモしておこう。まだ新しいものはないから、去年のもので始めよう。


(あ)【武田鉄矢】これを知ってもまだ地上波を信じますか?※人類滅亡への潤滑油※
【武田鉄矢】これを知ってもまだ地上波を信じますか?※人類滅亡への潤滑油※



(い)武田鉄矢 今朝の三枚おろし『韓中衰栄』2週間まとめ
武田鉄矢 今朝の三枚おろし『韓中衰栄』2週間まとめ


これを再掲するのは、この内容がいまの我が国の問題を考える上で非常に役立つからである。

特に、明治の我が国の偉人たちがいかに無知だったか?

当時は歴史的発見もなく、遺伝子研究もなく、単なるそれまでの古代の通史しか知らなかった。「韓の法則発動」も知らなければ、支那朝鮮人が日本人とはまったく異なる人種だということもわからなかったのである。

その結果、大きな歴史的悲劇に我が国が関わる結果に陥った。

こういうことがよく分かるわけだ。

特に、この伊藤博文の暗殺の話は歴史的検証が必要で、我が国のJFK暗殺に匹敵するものとみるという視点はまったく正しいのである。

これについて、面白いサイトを見つけたので、それもメモしておこう。以下のものである。長いので自分でチェックしてほしい。

2017年05月16日
【真相を明かす】日本の一部で唱えられている「伊藤博文第三者狙撃説」
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週刊新潮 2013/12/5
日本では「テロリスト」、韓国では「独立運動家」とされる安重根(あんじゅうこん)。彼は”親韓家”伊藤博文を暗殺したとされているが実際に彼は暗殺できたのか?捨て駒として犬死した可能性が出てきた。

1909年10月26日、伊藤博文暗殺当日、伊藤博文(暗殺された当時枢密院議長)は満州と朝鮮の問題についてロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと会談するためにハルビン(哈爾浜)に赴いた。午前9時、車内でココツェフの挨拶を受けた後、駅ホームでロシア兵の閲兵を受けていた伊藤に、群衆を装って近づいた安重根の放った銃弾3発が命中、約30分後に死亡した。

この時、安重根は「コレヤ ウラー!(Корея! Ура!)」とロシア語で大きく叫んだ!!ところが、伊藤の遺体から発見された弾と銃創が違う!伊藤を絶命に追いやった銃弾はJFKを暗殺した際の「魔法の銃弾」と同じで説明がつかない。犯行の際に所持していた安重根の銃は7連式のブローニング拳銃だった。
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安重根が使ったブローニング拳銃は、ベルギーのFN社製のもので、拳銃の製造番号(262336)から、1906年9月8日に「クンフト社」に販売されたものであることが解っている。クンフト社ならば販売先はロシア陸軍である。安重根は伊藤の真の暗殺者を隠すための存在にすぎず、真犯人はロシア側にいる。

伊藤に命中した弾は、フランス騎馬隊のカービン銃の弾だった。
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ブローニング拳銃でカービン銃の弾を撃つことは出来ない。伊藤の随行員だった室田義文は『室田義文翁譚』に伊藤の体内から取出された銃弾は安重根が使用したブローニングの七連発拳銃のものではなく、フランス騎馬銃のものだったと記している。

また、検死の結果、伊藤を死に至らしめた銃の弾道が上から下に向かっている。つまり、暗殺者は伊藤よりも上方から射撃している。安重根は伊藤博文と同程度の身長であり、先述の室田義文の証言によれば、安重根は少ししゃがんで撃った。つまり、下方から上方に向けて撃っている。

伊藤と同行した室田義文貴族院議員は、「駅の二階の食堂からフランス騎兵銃で撃った者がある。・・・右肩から斜め下に撃つにはいかなる方法によるも二階を除いて不可能である。そこは格子になっていて斜め下に狙うには絶好であった」と証言した。
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伊藤をプラットフォームに連れ出したのはロシア蔵相ココーフツォフで、銃撃の時に伊藤のすぐそばにいながら、かすり傷ひとつ負っていない。外務省外交資料館の「伊藤公爵満州視察一件」にはこう書いてある。

「真の凶行担当者は、安重根の成功とともに逃亡したるものならんか。今、ウラジオ方面の消息に通じたる者の言うところに照らし凶行首謀者および凶行の任に当たりたる疑いあるものを挙げれば左の数人なるべきか?」安重根の名前もこの中にあったが、この25人は「韓民会」というロシア特務機関の影響下にある組織だった。

日露戦争前に伊藤はロシアと協商を結ぼうとしていたものの、その後、日英同盟が結ばれ、日露開戦が予想より早くなり、そのためロシアは敗北した。対ロシア謀略の中心人物が伊藤であると判断したため、裏切り者として復讐した訳だ。安重根は伊藤の顔を知らず、証言では伊藤のことを背が高いと言っていたことから、室田義文を伊藤だと思った形跡がある。

伊藤は大日本帝国が韓国を保護するのは「富強が実るまで」であって韓国併合に反対する初期興亜論の支持者で安重根と同じ考えだった。韓国を訪れた新渡戸稲造が、韓国統監だった伊藤に面会した際、伊藤はこう語ったそうだ。

「朝鮮に内地人(=日本人)を移すという議論が大分あるようだが、我輩はこれに反対しておるのじゃ。君、朝鮮人はえらいよ。この国の歴史を見ても、その進歩したことは、日本よりはるか以上であった時代もある。この民族にしてこれしきの国をみずから経営できない理由はない。才能においては決してお互いに劣ることはないのだ。しかるに今日の有様になったのは、人民が悪いのじゃなくて、政治が悪かったのだ。国さえ治まれば、人民は量においても質においても不足はない。」
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韓服を着ている伊藤博文(真ん中)

伊藤が暗殺された翌日(10/27)に、韓国皇帝(高宗)は伊藤のことを「韓国の慈父」だと述べた。

「伊藤を失った事で、東洋の偉人がいなくなった。伊藤は我が国に忠実と正義の精神で尽くしてくれた。自分の骨を長白山に埋める覚悟で、韓国の文明発達に尽くすと言っていた。日本に政治家はたくさんいるだろう。しかし伊藤のように国際政治を理解し、東洋の平和を祈った者はいない。本当に伊藤は韓国の慈父だった。その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事を理解できない流浪人だろう。伊藤を失った事は、我が国だけの不幸ではない。日本だけの不幸ではない。東洋の不幸である。その暴徒が韓国人である事は、『恥ずかしさの極限』である。」

(参考資料)
1. リー・ハーヴェイ・オズワルドと安重根と「魔法の銃弾」 : 在日朝鮮人の戯言
2. 大摩邇(おおまに) : なぜわが国は安重根を犯人とすることで幕引きをはかったのか~伊藤博文暗殺3
3. www.shinchosha.co.jp
4. Yahoo!ブログ「伊藤博文暗殺の真相は? - かつて日本は美しかった」


結局、真実とはこうだった。

伊藤博文は朝鮮人が古代に日本以上に発達した偉大な民族だから、自主独立できると想定し、韓国独立を擁立した結果、「韓の法則発動」により、自分がなにものかにより暗殺された。

これが一番簡単な説明だろう。

真実、すなわち歴史的事実とはこうだ。

古代の朝鮮が発達したのは、縄文時代の前期1万年以上前の日本が陸続きの時代には縄文人が住んでいたが、5000年前ごろ白頭山の大噴火で朝鮮半島に人が住めなくなり、その後半島と列島は海で別れた。

縄文時代末期の4500年前、朝鮮半島にまだ人が住んでいなかった頃、九州北部の倭人(熊襲)が、半島に渡り、南部から徐々に北上し、そこに日本文化が花開いた。この頃は、日本人の天皇家が王として出向いた。新羅、百済の王族は倭人であった。だから、日本製の翡翠の勾玉の飾りをもつ。

そこへ同じ頃、アジアに侵入し始めたアーリア人が縄文系の西アジアに夏(か)帝国を作り東征しはじめた。最初に縄文系の民族を支配し、商を滅ぼし、殷帝国とした。そこから徐々に東征し、最終的に周の末期に朝鮮半島に東征し、朝鮮半島の倭人を駆逐し、倭人の女性を拉致レイプし子を生み、その子孫が現在の朝鮮人の祖先となった。

周の父、倭人の母により産み落とされた人種が朝鮮族である。これが後に「檀君神話」の原型になった。

ましてや大陸に陸続きの半島にはさまざまの原住民もいたことを知らなかった。少なくとも4種類の原住民がいた。それが半島にはいつも4分裂する原因になった。

要するに東南アジアのチャイナ的な人種、日本人に似たタイプの人種、北方アジア人エベンキ族に似たタイプ、そして、周と倭人(九州熊襲や博多人)の混血の人種、この4種類がいるのである。

ところが、遺伝子研究のなかった明治時代には、単なる歴史ファンタジーを真実の歴史と思って勘違いしていたわけだ。

特に、明治の人たちが勘違いしたのは、いわゆる万葉時代を日韓の融合だと思ったことだろう。

新羅や百済はかつての日本人が作った国であって、朝鮮人の国家ではない。高句麗はさらに昔の縄文系の日本と似た民族のルーツの国である。チェジュ島のいわゆるエラ張り、吊目の人種はロシアの「悪魔の門の洞窟」由来の原住民である。遺伝子的にもこれが現代の韓国人に一番近い。

まあ、そんな按配で、半島や支那の人間を顔貌が似ているからという理由だけで、同じアジア人だからというアジア人的好みで八紘一宇とか、大アジアとか、そういう妄想を描く結果になったわけだ。

そこを西洋人やロシア人からうまく付け入られる結果とあいなった。


今現在は、これまた偽ユダヤ人のかなでるグローバリゼーションに乗せられた、マッキンゼーの大前研一のせいで、我が国は悲惨なバブル崩壊後の時代を突き進む結果となったわけだナ。


まあ、信じる信じないはあなたのおむつ次第、じゃなかった、おつむ次第というわけですナ。

まあ、俺にはどうでもいいがヨ。



いやはや、世も末ですナ。







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by kikidoblog2 | 2019-01-10 10:17 | 武田鉄矢・三枚おろし

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