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A Happy New Analog Tech!:「アナログのCDラジカセ」から「究極の3Dオンデマンド生産」まで!?   

みなさん、こんにちは。

そういえば、今春年始の大安売り出しで、前からいつか買おうかと思っていたアナログ仕様のCDラジカセを買ったのだった。

30年以上前のカセットテープを廃棄してしまうのはもったいないので、まだ聞けているうちはそれを聞くことにしよう。

また、昔の青春時代の研究テーマで論文や本を執筆するには、そういう研究を行っていた、あの青春時代、ユタソルトレーク時代を思い起こし、タイムスリップするのが一番脳をリセットできるのではないかと考えたからである。

それで、大分前からもし3000円くらいでCDラジカセが買えるなら買おうと思ったわけだ。

すると、年始早々、地元阿南のスーパーの大安売りで4000円台のものが3000円こっきりに値引きされた。それがこれだった。

そう、オーム電気のCDラジカセ。

CDラジカセ シルバー (RCD550ZS)
オーム電機 CDラジカセ シルバー RCD-550Z-S

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こういうアナログ機器を自作できるプラ模型があったら売れるのでは?


買って箱から出すと、なんと横幅20cm程度の実にミニCDラジカセだった。

このオーム電機というのは、オウム電気のように聞こえるから、かのオウム真理教時代にオウム組織と間違われて大変痛い思いをしてあやうく倒産の危機に陥ったようだ。

しかし、電気関連の周辺機器を地道に作成し残すという日本人的なやり方をやっている。

つまり、ローテクやオールドテクやアナログテクを大事に残そうとしているのである。


調べてみると、我が国でカセットやCDというアナログの記録媒体を聞けるように、再生できるようにしているメーカーは我が国のTEACとかSANSUIとかオーム電機くらいしかない。


遠い昔を思い出せば、私が米ユタ大に留学した時、私もずっとソニーのウォークマンを一つアメリカに持っていき、それを聞いていた。電卓はカシオのハンディーコンピュータ・プログラム式のものだった。

ずばり、カシオの関数電卓 CASIO FX-795Pだった。
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俺がほしいのはスマホではなく、スマート計算機である。つまり、スマコン。

当時ユタ大学でこれを持っていたのは俺ぐらいのもので、これを見たユタ大の学生たちは衝撃を受けていたものである。

しかし、当時すでにユタ大にはジョブズのマッキントッシュのパソコンが図書館のPCコーナーや研究室やいたるところに設置され始めていた。そこで米人学生たちが猛烈な勢いで文書を打ち込んでいた。

まだこの時代だった。
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私もこれを使わせてもらった。
しかし2,3年のうちにアップルIIの時代へと変わっていった。
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今年のハイネマン賞を受賞したビル・サザーランド博士もこのアップルIIを使って論文を書いていたのだった。確か甲元眞人先生が獲得した研究費で買ったものを2人で共用していたのだったと思う。

私がPh D Thesisを書いたときは、近所の生物学部のアップルIIがだれも使っていないことに目をつけ、一人独占して書かせてもらっていた。そこに非常に良い生物学教授がいて、私の論文内容に目を通したところ面白いと思ってくれたようで、自由に使っていいよと親切に許可してくれたのだった。本来なら他学部の院生は自分の学部のパソコンや図書館のパソコンを使うべきだったのだ。

なかなか我が国の教授や図書館の司書でこういう感じの人は少ない。たいていは体よくお断りされるのが常である。

一方、当時の我が国内では論文はIBMの電動タイプライターで作っていた。PCはあくまで大型計算機のための「端末」の扱いだった。たしか当時一番すぐれたPCを作っていたのは、シャープだったのではないか?

NECや富士通はいわゆるIBMのユニックス対応の「端末」を作っていただけで、ひどく使いにくいPCだった。私は一気にそれが嫌で苦痛になりPCからは疎遠になった、つまり、物理理論の電子計算が面倒になったのだが、アメリカに行ってマックと出会ってBASICを使って数値計算できたから、非常にありがたかったのである。

ちなみに、上のカシオの関数電卓はBASIC計算できるすぐれものだった。

この時代は我が国の半導体メーカーが世界を席巻していたのである。

あれから40年。

いまや我が国は、台湾、韓国、支那中国に大逆転されてしまったわけである。

が、当時私の入った寮の同室者は台湾人の工学部生だった。彼は私の持っていたカシオを見て非常にインパクトを受けたどころか、カバンの中から、まったく同じものを取り出してきて、僕も持っているよと言ってきたのだった。

この時すでに台湾人は追いつけ追い越せ日本でやっていたのかもしれないですナ。

そして、ついにシャープが台湾企業になってしまった。


ところで、いまのチャイナのハイテク産業の指南役は実は台湾である。

台湾で始まり、それをメインランドチャイナの工場で大量生産する。それを全世界に配り、世界支配する。

要するに、台湾に渡ったチャイナ人華僑が本国の発展、工業化、企業化を手助けしたのである。


かつて私が新型の折り畳み傘の特許を申請した頃、もはや我が国でその特許通りに作成できる企業は衰退してなくなっていた。すべての傘は台湾製である。たしかフータイとかいう会社だったと思う。

そこの社長に直談判したが、彼は俺にこういった。

「日本の傘メーカーを全部潰したのはこの俺だ。いま俺の会社は中国に工場を持っている。1日1人1本の傘を作ったとしても、1万人働ける。だから、日本は勝てないよ。」

我が国では、傘の布地の張替えしかできず、本体であるフレームはすべて台湾製である。

私は、かつての貧乏サムライが和傘を作ってしのぎを得たように、新型の傘フレームを発明し、しのごうとしたわけだが、かつての大阪東岸和田の傘フレームメーカーもすべて潰れたのであった。

もっともいまでは3Dプリンターが出てきたから、これからはオンデマンドで作って売ることもできるわけだ。

オリジナルのデザインさえできれば、それを3Dプリンターでフレーム製作する。

オンデマンド生産である。


我が国が生き延びる方向はこれしかないだろう。

オンデマンドでCDラジカセであろうが、PCであろうが、自動車であろうが、UFOであろうが、何でも作り出すのだ。


歩留まり勝負の大量生産大量消費の時代は古い。


インテルインサイドのCPUであろうが、オンデマンドで3Dプリンターで作り出す。ミクロのPCであろうがオンデマンドで作り出す。

きっといつかそういう時代が来るだろう。


考えてみれば、我々人間が一番オンデマンド生産物なのである。

愛する女と結婚し合体さえすれば、自然に子ができる。

まさにオンデマンドである。


だから、究極のオンデマンドとは、この自然界を真似ることなのである。自然そのものになることなのかもしれない。


かのユリ・ゲラ―は、オンデマンド生産どころか、オンデマンドで物体を取り出せるという。

金がほしいと思えば、ポンとお金が必要な分だけ、空中から飛び出すんだとか。

この意味では、オンデマンドと馬鹿にできない。


一心岩をも通す!

一念奮起してオンデマンドを念じれば、それがオンデマンドで現れ出る(かもしれない)というわけですナ。


俺なんぞ、チャイナとコリアはオンデマンドで消し去りたいがナ。



いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2019-01-11 08:48 | 個人メモ

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