スポーツよもやま話:持ってる錦織、みっともない白鵬、日本代表の高校サッカーvsJユースの違い!?
2019年 01月 18日
いやはや、あまりにいろいろのことが起こりすぎてETの手も借りたいほどである。スポーツでもそうだ。
(あ)錦織選手は「持っている」!?
昨日の錦織選手は頑張った。
初戦は2セット簡単に取られたから、もうこれは3−0で負けたなと思っていたら、なんと錦織選手が勝っていた。次の第3セットで相手の選手に異変が起き、最終セットまでいって相手が試合放棄して勝利。太陽が味方した。
昨日は一進一退で最終戦まで行き、ほとんどがタイブレークの勝負。そして最後の最後の何ポイントかだけ錦織選手がゲット。試合に勝利した。卓球のような試合だった。
今回は錦織選手は「持っている」という感じですナ。
(い)白鵬は「みっともない横綱」→引退あるのみ!
その一方の大相撲。白鵬は実にみっともない取り組みの連日だった。
往生際の悪さを露呈した。
土俵際の悪さ、往生際の悪さ、潔さの悪さ、。。。
要するに、
白鵬は世界最貧国モンゴルのカネ目当ての横綱だ
ということですナ。
どんだけ相撲の横綱の品格を下げれば気が済むのか?もはや横綱相撲ではない。せいぜい十両の相撲である。
ふつうこんな情けない相撲しかできなくなれば、即引退でしょう。
鶴竜も白鵬も稀勢の里のように潔く引退すべき
である。
どっちみち千秋楽まで持つのかどうか?
それにしても白鵬は、横綱初対戦の錦木相手に「フェイント」を何度もいれて相手の立会の変化を気にするとか、本当に小心者である。
こんなモンゴル相撲より、いまでは、アメリカのメジャー相撲の方が面白い。
【USA】アメリカの相撲がすげええええ!!!
立会は、日本のアマチュア相撲のように、両手をついた状態で待ち、片手やフェイントは反則負けという単純なルールにしたほうがいい。片手をさきについて、もう一方で相手との間合いをあわせるというのは卑怯である。
白鵬は実質両手をまったくついていないフェイントにすぎないが、行事がぜんぜんそれを咎めない。
勝負は行事のさじ加減。
これでは、高校サッカー選手権決勝と同じで、勝負はレフェリーのさじ加減ということになる。こうなれば、裏でレフェリーにお礼参りしなければ勝てないという裏取引の八百長スポーツになってしまう。
(う)稀勢の里は「運が悪かった」!?→モンゴル力士連合vs稀勢の里だった!
ところで、稀勢の里が横綱でいた期間が非常に短いのは、モンゴル力士組合のせいである。日本出身力士として大関まではいけるが、横綱になるには2場所連続で優勝しなければならないから、そういう時に、モンゴル力士連合が全員でつぶしに来るわけだ。
そこにまた稀勢の里の気の弱さが出て、何度かの優勝のチャンスを逃した。援護射撃も高安だけ。だから、横綱昇進が大幅に遅れたわけだ。本来なら、白鵬の勝利数の1/3、白鵬の優勝回数の1/3は稀勢の里のものであろう。
この意味では、モンゴル力士組合のある時期に重なった日本力士としては不運だっただろう。
実際、逸ノ城は白鵬や鶴竜には全力ではぶつからないのである。怪我させたらまずいからだ。ちゃんとモンゴル力士組合でコンセンサスができているのである。
(え)日本代表ーウズベキスタン戦→塩谷のスーパーゴール炸裂!
さて、昨夜のサッカー日本代表のウズベキスタン戦。塩谷司選手のスーパーゴールで勝利した。
3連勝で首位突破!日本がウズベキスタンに逆転勝利 Japan Uzbekistan 17/01/2019
この試合もそうだが、最近は私は日本代表の試合を見るときは、どの選手がJリーグクラブのユース出身でどの選手が高校サッカー出身かで見るようにしている。
まだセルジオ越後はこの事に気づかない。というのもブラジルにはプロサッカーしかないからだ。
我が国だけが、プロができるはるか昔から文部省の体育サッカーとしてアマチュアサッカーが教育されてきたために、アマチュアサッカーとプロサッカーの平行した形で存在するのである。
そしていまではそのアマチュアサッカーの方が選手のマインド、精神性を鍛え、プロサッカーの方が技術的なことを鍛えるという二極化した傾向に分かれたのである。
その成果を分析しているわけだ。
結果は、
将来大物に育つのは高校サッカーあがりの選手であって、けっしてJユースあがりの天才ではなかった!
ということである。
今現在の有名選手を例に取ると、今回のアジア杯をメインとしてこんな感じである。
本田圭佑→石川星稜
長友佑都→東福岡
柴崎岳→青森山田
室屋成→青森山田
塩谷司→徳島商業
東口順昭→洛南
シュミット・ダニエル→東北学院
三浦弦太→大阪桐蔭
青山敏弘→作陽
伊東純也→逗葉
乾貴士→野洲高
大迫勇也→鹿児島城西
長谷部誠→藤枝東
岡崎慎司→滝川第二
槙野智章→サンフレッチェ広島ジュニアユース
宇佐美貴史→ガンバ大阪ジュニアユース
堂安律→ガンバ大阪ジュニアユース
北川航也→清水エスパルスユース
権田修一→FC東京ユース
武藤嘉紀→FC東京ジュニアユース
吉田麻也→名古屋グランパスユース
佐々木翔→横浜FMジュニアユース
酒井宏樹→柏レイソルユース
冨安健洋→アビスパ福岡ジュニアユース
原口元気→浦和レッズジュニアユース
遠藤航→湘南ユース
中島翔哉→東京ヴェルディユース
南野拓実→セレッソ大阪ユース
上の高校出身の選手は大半が選手権の全国大会を経験している。出場している選手としていない選手の違いも明らかで、この選手権で優勝準優勝の経験は非常にその後のマインドの成長に影響を与える。
非常に漫画化して単純に言えば、選手権出身者には、熱き心がある。ユース出身者はどこかクールで冷めた感じがある。
シュートを外してもユース出身の北川選手はなんの反応もない。しかし、選手権決勝で負けた経験のある大迫選手ははずせば非常に悔しがる。
選手権出身のDFの長友選手は、涙流してもみんなにまとまるようにチーム全体に訴えるが、ユース出身の吉田麻也選手は、あいつにはあいつの考えもあるやろという感じである。
やはり一緒の寮生活をしたり、いつもいっしょに練習したり、みんなでグランド整備し、練習器具を運搬したりという下働きもする高校サッカー部出身の選手たちと、片付けスタッフのいるプロユースでサッカー以外何もすることなく特別扱いで成長した選手たちとでは、人間としての出来がそうとう違ってくるのである。
奇しくもこれと同じ問題が、NHKのいだてん東京五輪話にも出てくる。嘉納治五郎の唱えた「スポーツ」と文部省の唱えた「心身鍛錬」との差が、いまでは、プロスポーツとアマチュアスポーツとの差、あるいは、Jユースサッカーと高校サッカーとの差となって残るのである。
結果的には、嘉納治五郎の柔道は武道ではなく単なるとっ組み合いダンスの「Judo」と変わり、逆に剣道の方は、いまでも精神修養の武道としての位置にある。
昨夜のウズベキスタン戦もこれが出ていた。
ユース出身のエース、武藤嘉紀はシュートが外れ、こんな感じ。


Jユースの選手は試合数が多いから、試合中に何本外してもそれが欠点にならない。だから、シュート時に足首が跳ねる癖を持って成人してもだれも問題視しない。
一方、選手権経験のある塩谷司選手はこんな感じ。


選手権で1勝し、勝ち残るには、シュートを確実に決めなければならない。だから、自分のところに転がってきたボールはきちっと足首を伸ばし、上に上がらない低い弾道のシュートになるように、叩きつけるように蹴るのである。
サッカーでは、FWに1試合にせいぜい3回のチャンスしか訪れない。だから、3回のチャンスに3本決めれば確実に勝利。2本ならおそらく勝利。1本なら辛勝。大迫選手は9本に1本しか決まらないから、非常に厳しい。クリスチャン・ロナウドは3本に1本である。
はたして北川選手や武藤選手はそういう事情を理解してシュートしているのだろうか?
もし結局W杯出場レベルの日本代表で生き残るのが高校サッカー部出身者だとすれば、はたしてJユースの存在意義はあるのだろうか?
時間と金の無駄?
むしろ高校サッカー部に行った方が良いということになるわけだ。
FC東京に戻った天才久保健英選手は、いまだに日本代表に出てこない。成長していないのだ!
青森山田のバスケスはたぶんチリ代表になるだろう。帰化すれば、日本代表になるかもしれない。
とまあ、スポーツでもいろんな問題が目白押し。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2019-01-18 17:30 | サッカー&スポーツ