保江邦夫「量子の道草」は名著だ!?:俺「保江は道草を食うが、凡人は道草に食われる!?」
2019年 01月 23日
いや〜、あまりにいろいろのことが起こりすぎてETの手も借りたいほどである。新春早々でこれだから大変だ。
まあ、そういうのはその筋の人に任せておいて、このところこの新年早々に注文しておいてついに手に入れることができた我らが世界的理論物理学者の保江邦夫博士の「量子の道草」という書物を読んでいたわけですナ。これである。
保江邦夫著「量子の道草」
量子の道草 増補版→「只今、在庫が不足しており納期が確定できないため、オンラインでの受付ができません。」ってなんなんだよ?これじゃアマゾンには勝てませんナ!
この本は保江先生と対談が決まった時、そのあたりで図書館から取り寄せて一度目を通してはいたんだが、まだその頃にはまったく何を言いたいのかよくわからなかったんですナ。
それで、いろいろ文献を収集して読んでみたり勉強したり計算したり、対談後に保江先生からご著書を頂いたり、論文集を頂いたりして、おおよそ全論文に目を通し、その後、論文で引用された他の人の論文なんかも目を通したりして、やっと少しずつ
「保江の物理観」「Yasue World」
が見えてきたのである。
日本史において、「坂の上の雲」とか、「龍馬伝」とか、司馬遼太郎特有のいわゆる「司馬史観」とか、そんな類の言い方や考え方があるが、それと同じように、物理学にも、その物理学者特有の「物理観」というものがあるわけだ。
なかでも保江邦夫博士は、本人いわく「極めて異端」、しかし俺曰く「極めて保守本流」、の物理観をお持ちであるようにみえるわけですナ。つまり、俺に言わせれば上の「保江の物理観」、言い換えれば、
保江流量子論
まあ、一般には「ネルソンー保江の確率量子化論」とか、「保江の確率変分学」とか呼ばれるものである。
しかしながら、保江邦夫がまだスイスから帰ったばかりのころ(1985年)にお書きになった論文解説「量子論における最小作用の原理I, II, II, IV」物性論研究、も今読んでも名作中の名作であろう。
むろん、私が最初にこれを読んだときも、最初から躓いて理解不能だった。
保江邦夫博士はどうして「保江方程式」を生み出せたのか?:俺の謎がついに解明!?
というのも、保江邦夫流の基調は、ロシアの天才、しかも美男子の数学者コルモゴロフの現代確率論から始まるからである。
ちなみに保江先生のいうように、量子力学の発見1926年という「革命」の前後を「古典的世界」と「現代的世界」とパラダイムシフトで区分するのだが、それと同じように、ある分野の革命によってその年度を境に大きくその世界が変化したという科学分野があるのである。
一つが、確率論であり、コルモゴロフの確率論の革命により、その前後で「古典的確率論」と「現代的確率論」と区分せざるを得ないような理論の登場だったのである。
制御理論では、1958年頃から1960年頃までに行われた「ポントリャーギンの最大原理」と「ベルマンの最適原理」により、最適制御理論というものが生まれた。この年代を境に「古典制御理論」と「現代制御理論」と分かれるのである。
そして、さらにポントリャーギン―ベルマンの最適制御理論の枠組を超えて、フレミングの「確率制御理論」なるものが1975年に登場したわけである。
保江邦夫博士の「確率量子化理論」および「確率変分学」は、こういう現代的なさまざまの「革命」の上にできたものである。
最初に保江邦夫先生の仕事を学ぶ時、どうしてもその方程式の簡潔さから、一見すると「たいしたことない」と思いがちなんだが、俺なんぞまさにそう思ってしまったんだが、徐々に「そうではない」ということが、その理解者の知識の進展あるいは深度に応じて、わかってくるものなのである。
韓国人が見れば
羨ましいニダ
とごねるはずである。
若きコルモゴロフに刺激を与えたのは当時の世界第一人者のノーバート・ウィーナーであった。ウィーナーに啓示や直感を与えたのは、ルベーグとギップス(Gibbs)である。
だから、コルモゴロフがウィーナーの訓示を受けて、それを現代的な確率論の確立に挑戦し、それに成功した。
すると、若き日本人数学者の伊藤清が、大蔵省の内閣統計局の職員として採用してもらい、なかではまったく数学的な確率論を確立することを目指したのである。
もう1人のキヨシ:岡潔博士もすごかったが、伊藤清博士もすごかった!
それを許したのが、当時局長だった、いまの秋篠宮夫人の紀子様(旧姓川嶋紀子)の祖父川嶋孝彦さんだったのである。
(左の人。北原秋一の日記(日々好日)より)
紀子様の方も学者一家なんですナ。だから品が良い。
もしもの話だが、もし紀子様の祖父がいなければ、あるいは、紀子様の祖父が普通の官僚だったとしたら、
伊藤清は存在しなかった!(はずだ)
→確率微分方程式は誕生しなかった
→株価のブッラクショールズ方程式(ノーベル経済学賞受賞済み)も生まれなかった
とまあ、こんなことだったはずである。
それどころか、その伊藤の確率微分方程式を用いたネルソンの確率量子化も生まれず、結果として、
保江方程式も保江の確率変分学も誕生しなかった
はずである。
また、伊藤清がフランスで口説いた結果確率論の大家になったマリアヴァンの「マリアヴァン解析」というものも生まれなかった。
一人の官僚のさじ加減次第で、アカデミズムの枝葉を伸ばすか切り取るかそれが制御されたのである。
この意味では、川嶋紀子様のご祖父のご英断こそ、世界最大の「最適制御」だったのかもしれない。
だから、この現代確率論の洗礼を保江理論の最初で誰もが受けるから、そこで数学的衝撃を受け、一歩も先に進めなくなるのである。
普通の人には、「わからん」→「嫌いだ」となる。自分が簡単に理解できないことは嫌いになってしまうのである。そうやって、自己防衛本能が生まれるのである。
だから、今度は「嫌い」から「否定」へとつなげる。
「保江の理論って俺に簡単にわからない代物だからたいしたことはね〜〜な」
というふうに理解するわけですナ。しかしこれは損だし、間違いだ。
σ代数がわからないにせよ、どんどん先に読み流すべきだ。ルベーグ積分やバナッハ空間、ひいてはヒルベルト空間が何かわからなくてもどんどん読み流して先へ進め、どんどん進めということなのだ。
ところで、この確率論の流れの他に、保江邦夫先生には、京都大の湯川秀樹、東大出身で名古屋大学の高林武彦、豊田利幸の「素領域の理論」の流れがある。
日本の物理の主流派の苦手とした現代確率論でこの分野を補強して完成したのが保江邦夫博士だったという見方もできるかもしれない。
しかし、驚くべきことは、保江先生の修士、博士のたった3年ほどの間に書かれた8通の短い論文たちの中にその後のほとんどの根幹が含まれていた。しかもその後も改良することもなく、ほぼ完成された形で書かれていたということは特筆に値するだろうナア。
修士論文レベルでほぼ完成の域に達していたとは?
逆に言えば、それほどまでにその当時保江先生が入れ込んだネルソンの教科書や論文の質が高かったということだろう。
Ed. Nelsonの「Vector Analysis」「Tensor Analysis]「Dynamical Theories of Brownian Motion」などなどの質が高かったのであろう。ちなみに、俺はこの中の3冊目しかまだ読んでいない。
若者よ、大志を抱け!
ところで、このネルソンの著作には「簡潔性」という気品がある。要するに、本が薄い(文章が短い)のである。必要最低限のことが簡潔に要領よくまとめられているということである。いわゆる東大ノートのような感じなのかな?
その反対がグロタンディークやDoobであるな。本が1000頁もある。これでは若者が近づかない(のでは?)。
おそらく知らず知らずのうちに保江邦夫先生もまた論文を手短に必要最小限にまとめる習性がついたように見える。
それが、この「量子の道草」にも見事に現れている。
というようなわけで、以上のようなことを数年奮闘した後で、この本を眺めてみると、まさに
目からうろこ、一筋の輝くものと一緒になってこの本を読み直すことさえできる。
我が国には、朝永振一郎博士の「スピンはめぐる」という伝説的名著があるが、俺個人の観点からすると、この「量子の道草」という本はそれに匹敵するか、それ以上だとすら感じるわけですナ。
いつになったら俺にそういう本が書けるか?
いやはや、一向にそんなときは訪れそうもない。いまは奥さんの世話で忙しすぎる。
一人になりた〜〜い!→一人になったら、ホームレスだ。
冗談はよしこさん。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2019-01-23 12:05 | 保江邦夫・素領域・愛魂