武田鉄矢の今朝の三枚おろし:「逆立ちで日本を見る話」はいまは笑えない!?
2019年 02月 20日
ここ阿南はもう春日のように温かい。今日は春一番の暖かい強風もやってきた。
さて、久しぶりに武田鉄矢さんの今朝の三枚おろしをみると、結構進んでいたので、いくつかメモしておこう。以下のものである。新しいものも古いものも混在しているがご了承を。
(あ)誰も知らない世界史の話 武田鉄也 今朝の三枚おろし
(い)逆立ちで日本を見る話 武田鉄也 今朝の三枚おろし
(う)意思のサイエンスの話 武田鉄也 今朝の三枚おろし
(え)脳の話 武田鉄也 今朝の三枚おろし
この中で、(い)の「逆立ちで日本を見る話」というのはこれである。
逆立ち日本論 (新潮選書) 単行本 – 2007/5/24
養老孟司
内田樹
古くは芥川龍之介、戦後では小林秀雄。そして平成では養老孟司、内田樹、そして養老孟司の弟子茂木健一郎。
こういうのは、東大の系譜にある。
昔から東大には東大にあって東大にあらず。という感じのインテリが頻繁に出てくるところがおもしろい。
一方、京大には京大の伝統がある。
物理学でいうと、
東大は物性論が得意。京大は素粒子論が得意なんですナ。
素粒子の京大基礎物理学研究所。これは湯川秀樹博士のノーベル賞を讃えてできた。
東大の物性研究所や産業研究所は、すべて物性論や応用物理である。
だから、東大出身者から我が国初の電算機=コンピュータが生まれた。
理研こと理化学研究所も最初の寺田寅彦の時代は東大の理科実験部のような扱いだった。
午前中は文京区の東大で授業をして、午後から豊島区の理研で実験する。そんな感じだったようだ。
物性論は装置づくりなど結構お金がかかる。だから、官僚の友達だった物理学者の多い東大の学者の方が都合が良かった。
一方、京大はそう簡単に政府から金が得られないから、頭脳と紙と鉛筆だけでできる金のかからない素粒子論が花開いたわけだ。
京大が西の東大になってからは、京大生にはちょっと代わった傾向が出てきたように見える。
それは、実質上は京大生も東大生と大差なく良いところのお坊ちゃんたちなのだが、京都という土地柄もあり、末は官僚や大学教授になっていく若者だということを表向きは見られたくないというような習性ができた。
だから、京大の学生は、家が本当はお金持ちなんだが、わざと自分が穴の開いた服を着るとか、ベジタリアンだとか、1枚歯の下駄をはいて授業を受けるとか、ロン毛にするとか、わざと汚い格好するとか、そういう見せかけの変人が多いのである。根は東大生と大差はない。
保江邦夫先生にもその傾向は見て取れ、本当はノーベル賞級なのに、わざわざTシャツとジーンズで過ごす。
こういう興味深い傾向が京大生には見受けられるのである。
一方の東大生は周りの先生たちが現役の官僚と同級だったり先輩後輩だったりするから、中身が変人であったとしても、一応見せかけはきちんとするというような、あえて目をつけられたくないとか、敵になる必要もないだろうというような緻密な計算でそうしているものが多い。
そこへ行くと、我々阪大出身者はおおぴろげである。大声で笑い、大声で話し、大声で議論する。まさに大阪人気質のもうかりまっかの空気が伝染しているのである。
この習性は湯川秀樹先生も南部陽一郎先生も持っていたのだが、それは湯川先生がいっとき大阪大学にいたこと、南部先生が大阪市立大にいたことなどに無関係ではあるまい。
そこへ行くと、名古屋と東北は地味だが、昔のあんこ型力士が花形力士の前で、今に見ておれといって裏で毎日練習を頑張ったというような感じだったのだろう。
だから、東大からスピンアウトして評論家になった人には、お上に対する仲間意識と同時にそういうお上に入った仲間を意識しながらもそれを「あえて」反論してイジメてやろうというような、ちょっと変わった反骨精神がある。
おれも本当はそっち側だったんだけどね、みたいなものである。
しかしながら、何事にも裏表があり、昼と夜、光と影がある。
だから、気取りだけでも視点を変えてみると、大きな発見に行き当たるということはしばしばあるのである。
その意味で、その話は12年ほど前の話だったのだが、それがちょうどいまの日韓北朝中米の5カ国の関係をうまく予見している格好になり、なかなか興味深い。
この意味では、いまこそこの本の内容を分析し直す意味があるかも知れない。
というわけで、一応再掲したというわけですナ。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2019-02-20 13:03 | 武田鉄矢・三枚おろし