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ジョーク一発:「この世は認知的不協和の戦法だらけ!?」→俺「けっこう子供じみた遊び!」   

神スイング 稲村亜美 街が野球場になっちゃうトヨタのCM→認知的不協和
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みなさん、こんにちは。

笑いは百薬の長。
笑う門には福来る。
あまりの恐怖で笑う他はない。
笑いは本物に限る。
偽笑いは吉本におまかせ。

以下は大人の辛ジョークである。決して信じないでくださいヨ。
本気にしないことが肝心。

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認知的不協和

という言葉と概念がある。

私はあまりその意味が理解出来ないが、ちょっと昔に陰謀論者のデービッド・アイクが日本に持ち込んだものである。

これは昔からよく知られているが、そういう言葉はなかっただけだろう。

たとえば、有名な「王子と乞食」の話。これは王子様が自分に双子のようにそっくりの乞食を見つけて、その乞食と服を変えて、王子様が乞食に、乞食が王子様の成果を体験するという話である。

日本では、馬子にも衣装。

あるいは、昭和では、黒澤明の「影武者」。武田信玄の「影武者」となった農夫が一度信玄になると、だれもがそれを信じて疑わない。そういう話である。

いまの北朝鮮の金正恩。本物はもう死んでいる。黒幕は金与正の方だ。

ようするに、普通の人や凡人や一般人の「通念」「常識」「思い込み」にある「予想通り」の形式、「固定観念」、こういうものを無理やり打ち破ると、逆に相手に対して、別の感情が湧き上がる。

これが「認知的不協和」というものだと考えられる。

これはある意味、馬子にも衣装のように、武将の馬を引いているだけの男が、その馬の上に乗る武将のような衣装を着て、馬に乗るだけで、その本来の武将の姿より、周りの庶民に驚きを与える。

つまり、我々物理学者の言葉で言えば、印象の

増幅作用

である。

わざと認知的不協和を起こすことにより、本来の印象よりずっとその効果を増幅させる。そういう心理学的な手法である。


例えば、

本来は秀才で3K4Kの京都大学の学生さんが、わざとTシャツにジーンズにロン毛で、いきなり学生さんたちの前に出てきて、黒板に向かって、「ヒルベルト空間は〜〜」とか言い出す。この衝撃は計り知れない絶対的効果を持つ。

あるいは、いつもは「お笑い芸人」として派手な格好や派手な色のスーツ姿しかみせないものが、トーク番組やバラエティー番組にいきなり

アルマーニのスーツとか、ピエール・カルダンのスーツとかを立派に着こなして登場する。

まるで、サッカー日本代表のような姿で登場する。

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これもまた認知的不協和を刺激し、ひょっとしてこの芸人は、「お笑い芸人は一時の仮の姿であり、本当はすごいひとなんじゃない?」っていうような認知的不協和を呼び起こす。

本当は、どんなバカでも金さえあればだれでもアルマーニなんて着れるのだが、そういうふうに見なくなるということなのだ。

逆に、東大の法学部での理論物理学者の茂木健一郎博士が、いきなりその辺のオヤジ風あるいはビートたけし風の出で立ちでテレビに出る。

すると、まわりの芸人やタレントや見ている一般人は、「この人はとてつもない人なんじゃないか?」と認知的不協和を増幅させることができるというわけだ。

東大教授が高級スーツを着て出てくるだけなら、だれもが想像したとおり「想定内」のことに過ぎないが、その教授がノーベル賞の山中伸弥博士のようにジョギング姿で現れたら、それは「想定外」の驚きを引き出す。

認知的不協和。予想外の刺激。

商売人はそういうことまで利用するわけですナ。

とまあ、ちょっと前置きが長くなってしまったが、ちょうどそんなことを見事に示すYouTube番組を見つけたので、一応ここにもメモしておこう。以下のものである。


(あ)
音楽家ムック】街中で突然、米津玄師のLemon弾いてみた!!【ピアノ】【ドッキリ】street piano performance by Japanese character MUKKU !!!!!
(このムックの中の人って、↓の人なんじゃないの?)


(い)
【ピアノドッキリ】もしもオタクがプロのピアニストだったら。。(千本桜・Street Piano)


(う)
【バイオリンドッキリ】もしもオタクがプロのバイオリニストだったら。。(米津玄師 /Lemon・violin)



まあ、大分前に、テレビのCMでスーツ姿のおじさんが出てきて、いきなりクリスチャンロナウドばりのテクニックでボールを扱うとか。こういうのもこれに入る。

あるいは、中卒でブラジルに渡った三浦カズが、平常時からいつも完全スーツ姿で現れる。三食すべてスーツで食べるとか、こういうのもある意味では、認知的不協和を引き起こすだろう。

ユニフォーム着た選手がクリロナのマネをしてもだれも驚かないだろうが、サラリーマンの姿の人が革靴でそれをできたらかなり驚く。技が大したことがなくてもその印象は増幅される。

スーツ姿のワンレンボディコンのナイスバディーの女の子が、いきなり「神スウィング」してホームラン打てば、それはだれもが「おお〜〜」となる。


まあ、俺にはどんな格好しようが構わないが、やっている内容がすべて。それがとてつもないことでなければならない。


ところで、この認知的不協和を利用するというのは、ユダヤ人の十八番でもある。

かつてノーバート・ウィーナーは海水浴に行って湖に浮かぶときも、葉巻を口に加えたままだったとか。それをみてびっくりする周りを見て喜んでいたとか。


こういうことから判断すれば、日本の「びっくり」とか「どっきり」の番組とか、こういうものもその認知的不協和で驚く周りを見て驚くわけだから、同じ感性と言えるだろう。

そういう意味では「子供じみている」ところが似ているわけだ。

まあ、話がくどく、大分長くなってしまったが、要するに、

認知的不協和を刺激して周りをびっくりさせてそのびっくり姿を見て喜ぶ

というのは、子供じみている、子供のお遊びなんですヨ。

とまあ、そういうことをメモしておきたかったんですナ。



まあ、ジョークのたぐいですから、
信じる信じないはあなたのおむつ次第、じゃなかった、おつむ次第というやつですナ。



いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2019-02-23 10:58 | ジョーク一発

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