個人メモ:「論文数の数え方」と「日本の論文数世界ランク』→やはり統計のマジックだった!?
2019年 02月 25日
今回は個人メモである。私自身の備忘録としてメモするため、一般の人には関係ないからスルーを。
(あ)論文ランキング
さて、最近私がちょっと気になったのは、いわゆる「論文ランキング」というものだ。
私が大学院生の頃のバブル全盛期の日本では、我が国の研究論文は米国の次で二位。人口も半分。
それもそのはずで、当時1980年代我が国の人口は米国の半分の1億2000万人だったが、米国の研究者人口は日本のそれのほぼ10倍だった。
なぜなら、日本の大学が総数500程度だとすると、米国は2000ほどあった。その内、日本の旧帝大レベルの国際競争力のある研究者のいる大学が20程度だとすれば、米国のいわゆるリサーチユニバーシティーと呼ばれる研究大学が200ほどあったからである。この辺は昔以下の本で議論した。
何が科学をつぶすのか?
三セクター分立の概念
あれから30年。
今や我が国の研究論文数は、科学技術基本法成立、年5兆円の科学研究補助金、特許法改正、大学法人化、大学院改革、ポスドク精度確立、。。。などのさまざまの諸政策にもかかわらず、減る一方で、いまでは世界ランク6位にまで落ちたというのである。
バブル崩壊しても不動産価値は落ちない。住宅の敷金礼金や賃貸料は落ちない。
これと似て、バブル崩壊しようが日本沈没しようが、研究費だけは増額の一途であった。
それなのに、その結果として現れるはずの論文ランキングが急落した、というのだ。
何か変だ!
と思うのが筋だろう。
我々の学生の時代と違い、今の大学では、大学生から結構良い額の奨学金が手に入る。我々の時代院生のほぼ全員が塾でアルバイトしながら生活費に当てていた。奨学金だけでは足りないからだ。
ましてやポスドクもなく、オーバードクターしかなかった。オーバードクターになると、大半がメインが塾や仕事や親からの仕送りでまかない、奨学金すら特別の奨学金が当たらない限りあり得なかった。
そんな情況で数少ない論文を公表していても、世界2位だったわけだ。
それが、いまのポスドクだらけ、大学や研究所全体に昔の地方公共事業費に相当する年5兆円が科学分野に使われ、それが各大学に分担された。
なのに論文を生まなかった???
はあ〜〜???
となるだろ。だれだって。
とまあ、この辺で実際のデータはこんな感じらしい。
(い)世界ランク6位に後退
論文数世界ランキングで日本は6位に後退
全米科学財団(National Science Foundation, NSF)が、世界の科学技術の動向をまとめた報告書Science and Engineering Indicators 2018を発表しました。2016年の論文数世界ランキングで、日本は6位。論文総数が減少傾向にある国は日本だけで、その凋落ぶりが際立ちます。
論文数ランキング1位は中国 、以下、2.アメリカ、3.インド、4.ドイツ、5.イギリス、6.日本。7.フランス、8.イタリア、9.韓国、10.ロシア、11.カナダ、12.ブラジルの順。
(出典:Science and Engineering Indicators 2018)
中国の台頭は、総論文数だけでなく被引用数ランキングトップ1%論文のランキングで見ても、著しいものがあります。
(出典:Science and Engineering Indicators 2018)
ちなみに前回の報告書Science and Engineering Indicators 2016では、日本は3位でした。Science and Engineering Indicators 2018のレポートでは、ドイツ、イギリス、インドに抜かれて6位に転落したということになります。
10年前の報告書
日本が論文数2位という時代が、かつてありました。
(以下省略)
(う)昔より今の方がネット発達で論文が出しやすい!
このように、データでは我が国の論文数は非常に少ない。
研究費も研究制度も研究第一にシフトしたのに結果が逆に出た!
これは何かがおかしい。
我々の時代では、論文をPRLとか世界最高の研究雑誌に出版するとき、
1ページ=10万円
だった。安く見積もっても、
論文1本=10万円
かかったわけだ。
これはあまり我が国の一般人は知らないが、研究は慈善事業ではない。ましてや営業でもない。だから、論文は研究所や大学や個人ベースで出版費を支払って論文を公表するのである。
論文を売っているのは雑誌社の方で、著作者ではない。
というのも、当時は論文をその雑誌の体裁にあうようにタイピストが必要で、そういった編集人の人件費がかなりかかったからである。外国の著者も米国の著者もみな等しくその経費を論文出版費とその論文の別刷りの購入費を支払ったわけだ。
私がここ阿南に来た当初はまだ別刷りも論文経費も自腹で支払った。
ところが、インターネット配信など論文作製ソフトが発達したら、そういう経費がゼロになった。もうタイピストも必要なければ、論文編集人も必要なくなってしまったのだ。
出来上がった論文はpdf化されて、その雑誌社の帰属の製品になって、ネット上で販売される。著作権も雑誌社に帰属するようにサインする。
だから、いきなり私のようなフリーの科学者もあまり経費がかからなくてすむようになったわけだ。つまり、論文が格段に出しやすくなった。
だから、30年前と比べて今の方が論文数は自然に増えなければならないのである。
なのに世界ランク6位に後退!
やはり何か変だ!
(え)論文数のカウントの仕方
そこで論文数のカウントの仕方を考えてみると、結構興味深いことがある。
それは共同論文の数え方である。
つまり、その研究論文の著者が複数人いて、日本人、米国人、中国人、韓国人とか、たくさんの著者がいる場合、その論文をどう数えるか?
4人いたら、1/4本 になるのか?それぞれ1本になるのか?
このあたりがどうなっているのか非常に気になる。かなりグレーである。
ちまたの統計では、まさに国会の統計不正のようなことがこの辺りで起こりそうだ。実際2つの計算法があった。
まず第一がこれ。
(1)第一著者だけカウントする方法
この場合の例がこれだ。
PubMed論文から見える各国の研究システム(論文紹介) 2014年12月15日| 情報提供・利用,北米・中南米
F1000 Research掲載論文"Countries' Biomedical Publications and Attraction Scores(試訳:国別の生物医学論文とアトラクションスコア)"を紹介する。この論文は、PubMed掲載論文を評価して、各国の研究システムの特徴を分析したもの。
抄録より抜粋:
調査方法:筆頭著者の国籍、年度ごとの論文数を数え、それぞれの論文について臨床試験あるいはレビューといった「研究のタイプ」、公衆衛生と薬理ゲノム学などの「研究領域」、「テーマ」を評価し、得点化(Attraction Scores)するとともに、規制政策との相関分析によって、これらAttraction Scoreの潜在的用途を調査した。スコアは人口、GDPなどの一般的指標で加重した。
2008~2012年の5年間における論文数は米国が最も多く、1人当たりの論文数で換算するとデンマークが最も多かった。GDP上位40か国のうち、GDPに対する論文数が最も多いのはイスラエルであった。人口の多い上位20か国のうち、日本はiPS細胞に対するAttraction Scoreが最も多く、イタリアはレビュー論文の比率が最も高かった。英語論文の50%は英語を母国語としない国の論文であった。
これだと、複数の著者のある場合は、第一著者だけを計算する。
こうなると、お金を出しているプロジェクトリーダーが日本人であって最後の著者になっている場合、論文数から消えるのだ。
科学世界の一般常識として、有名教授やプロジェクトリーダーは一番最後に名がつく。しかし、このカウント法ではそれが全部消えるし、その著者の指導を行った第二著者以降の著者も論文数から消える。
(2)整数カウント、分数カウントの方法
それに対して別の系統のカウントの仕方がある。これに詳しいのがこれだ。
カウント方法による分析
論文数上位国を対象に、論文数を整数カウント、分数カウント、整数カウントと分数カウントの差をデータベース別・分野別に計算したものである。 整数カウントは例えば一つの論文を複数の国で共同執筆した場合、それぞれの国に1本ずつ計上し計算する方法であるのに対し、分数カウントは、一つの論文を国の数で除して計算する方法である。 その差が大きければ、共同執筆が多いことになる。
2011年のESIにおいて、国際共同執筆が多いのはロシアで、論文数は、整数カウントで116本、分数カウントで34.26本、その差は約82本である。 全体の70.5%近くが他国との共同研究である。分野別にみると、物理学の分野が整数カウントで60本、分数カウントで11.68本、その差が約49本となっているので、全体の80.5%が国際共同執筆となっている。 宇宙科学も国際共同執筆の多い分野である。
アメリカ衆国の論文数は、整数カウントで4,367本、分数カウントで3,137.87本、その差が約1,230本で、全体の35.9%が、国際共同執筆となっている。 分野別にみると、宇宙科学の分野で圧倒的に国際共同執筆が多く、2011年には整数カウントで95本、分数カウントで45.82本、その差が約50本で、全体の51.8%が国際共同執筆である。
また、同年の日本の論文数は、整数カウントで536本、分数カウントで341.24本、その差が約195本、全体の36.3%が国際共同執筆で、アメリカ合衆国、中国に続いて、共同執筆の割合が少ない。
次にデータベースWoSでみてみると、2011年のアメリカ合衆国の論文数は、整数カウントで369,690本、分数カウントで305,476.33本、その差は約64,214本、全体の17.1%となっている。 分野別にみると、宇宙科学の分野が最も国際共同執筆が多い。 2011年の論文数整数カウント及び分数カウントにおいて、世界第2位となった中国は、整数カウントで148,657本、分数カウントで129,115.5本、その差が約19,542本、全体の13.1%が国際共同執筆である。 インドよりもその割合が少なくなっている。
WoSの国際共同研究執筆の割合とESIのそれの間で差が少ないのが、アメリカ合衆国で、2011年で11ポイントとなっている。 ロシア、イタリア、インド、スペインは30ポイント以上の差があり、高被引用論文を算出するためには、国際的な共同執筆が必要であることを物語っている。
要するに、整数カウントは著者のそれぞれが自分の国から出版したことにする計算法。分数カウントは自分の貢献度を参加人の数で割ったもの。だから、4人が著者なら自分は1/4になる。それをその国籍のカウントにする。
この整数カウントで国際比較したものがこれだ。
TOP10%論文数の国際シェア推移(分野別, 1996-2015年)
これを見た限りでは、日本が6位になったといってもそんなに差がついているわけではなかった。
アメリカの減り方に比べたら我が国はまだずっとましである。
異常なのは中国の増え方である。
(お)なぜ中国が増え、日本が減ったか?
この問題の研究分析はいまの脚光をあびるテーマらしい。たとえばこれだ。
2F15 日本の論文数はなぜ減少したのか : その前に「なぜ論文を書くのか」(〈ホットイシュー〉第5期科学技術基本計画策定に向けた政策分析(4),一般講演)
2000 年代になって世界では日本だけが論文数を伸ばさなかった。「研究成果を論文発表することは、最も創造的な営みのひとつ」であるから、これは日本の創造性が衰退し始めた兆候と考えてよいだろう。本研究の目的は、論文数の減少がなぜ問題なのかを考えながら、日本の論文数が2000年代に伸びを失った原因を明らかにし、日本の科学研究が創造的な発展を遂げるための方策を探ることである。日本の論文数の推移を研究分野ごとに詳細に分析した結果、物理、物質科学、生化学・分子生物学などサイエンス型産業を支える基幹科学の論文数が2003年前後を境に急減し、一方、サイエンス型産業の一翼を担う化学の論文数が急減しなかったことを見出した。日本全体の論文数の停滞と、物理と化学の論文数の増減パターンの違いの原因を明らかにするために、論文数と博士課程学生数との相関性を比較検討した。日本全体の論文数と博士課程学生数とのあいだには非常に高い相関性がみられたが、物理では、学生数の変動が6年後の論文数と高い相関性があることを見出した。2000年代初頭に物理論文が急減した原因は、1990年代後半のサイエンス型産業(特に半導体)の衰退が引き金となって、物理専攻の博士課程学生数の減少を招き、数年後の若手研究者の減少という事態に至る連鎖的反応であることが分かった。
まあ、米国の衰退と日本の衰退は同じ原因なんですナ。
この著者が言わんとしたことは、半導体産業が飽和して衰退した結果、理系の学生は大学や企業の研究職ではなく、金融関係に就職することになったことが原因ということである。
思いだせば、私がアメリカに留学した30年前。すでにアメリカでは物理の学生は研究者ではなく、金融マンになる道や公認会計士(CPA)になる道を選んだ。証券会社や銀行員や保険や会計士、こういった職業につく方が大学の研究者になるよりお金が得られたのである。職もあった。
その結果が今に出ているわけだ。
アメリカがインフルにかかると10年後20年後に日本がインフルになる。と言われて来たように、李晋三首相が言ったように日米運命共同体である。だから、10年20年後にアメリカと同じ症状が出る。
これが戦後74年間の我が国の歴史である。
常にアメリカを良い方も悪い方でも模して来た。そのこころが今になって出て来ているわけだ。
実際、我が国の最近の理系の卒業生の就職先も研究職ではなく、文系や経済界やビジネス界に就職している。商社や銀行や証券会社やコンサルタント企業。。。である。こうした企業の計算部門やデータ処理部門に配属され、数学者でもAI化などのソフト製作、アプリ作製を任される。
こうなると、論文は書かない。ビジネスだから、すべてが秘密になるわけだ。
ということは、日米で科学技術が論文ではなく、特許とか、企業秘密化されている傾向があるのではないかという疑念が生まれる。
発展途上国は無知だ。論文を出すことが名誉となるが、先進国は論文出してもただでは喜べない事情がある。
論文に書けば、韓国や中国やメキシコやブラジルに真似されるわけだ。
(か)あまり深刻になる必要はないのでは?
というようなわけで、数値データを見た限りでは、我が国の論文数が世界ランク6位に後退したからといって、そう悲観する必要はないのではないかと思う。6位といっても2位3位からダンゴ状態である。
アメリカは大学数が世界一多く、研究大学数も世界一多い。研究者人口も世界一である。
だから、だんとつなのはあたり前。
そのアメリカの人口は日本の3倍に跳ね上がっている。もう3億人を超えている。日本は1億2千万人を下り、いまや1億人程度、噂では実際には日本人は8000万人を切っているとか。在日や外人が2000万人いるわけだ。
だから、研究論文が減るのは当然。大学も少子高齢化で学生数が減っている。
(き)理研が頑張っているはずなんだが?
ところで、理化学研究所(理研)にFranco Noriという理論物理学者がいるのだが、グループリーダーとして私が理研を出た数年後の2002年にアメリカのミシガン大から入所したという。
私はユタ大時代からこの人の名前は知っていた。なぜなら私とまったく同じ1次元準周期系の理論を研究していたからだ。まあ、当時としてはたくさんいる研究者の1人でごく普通の研究者だと思っていた。
その頃はその人が理研に来てから、そこのグループリーダーになり、大丈夫かとOBの私は思っていたんだが、最近まですっかり忘れていた。
ところが、最近その人の論文数が話題になっていたから調べてみると、ミシガン大と理研の2つの職を持っていて、なんと公表論文数が800本を超え、PRLの論文も130をはるかに超えているというのである。
なぜこれを知ったかというと、先日買った外村彰さんの「目で見る美しい量子力学」という本の中にこのNoriさんが紹介されていたからだ。なんと理研にNoriさんを引き抜いたのはこの外村博士だったのだ。
それから、10数年。
Noriさんは破竹の論文数の増加を遂げた。
その間、私はせいぜい数十だから、私の一桁多い数を公表していたわけだ。
日本の理研と米国のミシガン大の両方に職を持つ人の論文は、どうカウントするのか?
整数カウントだと日本と米国の論文が増えるはず。しかし、第一著者カウントだと、その著者の国だけが増える。
理研に一人でこれだけ論文を出す人がいても日本の論文数が増えない???
何か変だ。
要するに、ちまたの統計は第一著者カウントではないのだろうか?
こうなると、科学技術基本法やポスドク制度で国際化したおかげで、外人をたくさん雇用すればするほど、我が国の税金が使われるが論文数がカウントされなくなるわけだ。
研究費の無駄遣い。盗まれ損としてカウントされるのである。
日本人スタッフの手を借りて日本国民の血税で研究しただけの第一著者の中国人が中国の論文数になり、指導した方の日米の指導者の国の論文が減る。
どうも最近のデータはそういうことをいっているだけじゃね〜〜のかいな?
中国の論文が増えたのは、先進国の大学や研究所に留学した中国人が、それぞれの国の素晴らしい研究者の指導者の知恵とその国民の血税をもらって作った論文を自分の国のものだと計算できる、そういう統計のマジックではないか?
たぶん、中国人は第一著者になりたがる傾向があるのでは?
やはりインチキ統計なんでしょうナア。
この意味では、やはり日本国民の税金は日本人研究者だけに使い、財団とかそういう方の慈善事業の研究費で外人を雇うべきだろう。外人を雇えば雇うほど日本の貢献度が下がってしまうわけだヨ。
カラクリが分かってしまうと、もはや悲しさがこみ上げる。当然強い怒りもこみ上げてくる。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2019-02-25 19:34 | 個人メモ