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いよいよ岡潔の再臨間近か!?:「岡潔が日本中で再評価されてきた!?」   

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何か数学上の発見というふうなことを言うためには、一度行き詰まらなくてはなりません。どれくらい行き詰まってるかといったら、たいてい6、7年は行き詰まる。それは自由な精神が勝手に行き詰まってるんであって、そこに行き詰まってるべく強いられてるんじゃありません。だからこそ6、7年行き詰まってられる。
 その時は行き詰まりを感じるも何もない。全然やることがない。やりたいことは決まってるんだけど、そっち向きには何もやることがない。だからやるのは情意がやってるんであって、知は働き用がない。
––– 岡潔

父の言葉(My father's words)

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日本人が櫻が好きなのは其の散り際が潔いからである。
(The reason why the Japanese people love Sakura is the way of the great grace moment when Sakura's flowers are scatteredly falling by the wind.)
−− 数学者 岡潔(Dr. Kiyoshi Oka, a Great Japanese mathematician)

数学者 岡潔思想研究会岡潔「創造の視座」:「西洋人は第二のこころがあるのを知らない」


みなさん、こんにちは。

あまりにいろいろのことが起こりすぎてETの手も借りたいほどである。なかなか落ち着いた地球にはいつになってもなりそうもない感じですナ。

さて拙ブログでは、ブログ1の時代から岡潔博士のことはずっとメモしてきた。

岡潔・数学・情緒( 5 )
岡潔・数学・情緒( 13 )

一番最初の記事がこれだった。

2013-07-08 11:50
岡潔博士の「自然科学観」、「自然科学は間違っている」:いや〜〜、実に鋭い!


そこでは、高知市にある岡潔研究会の横山さんのサイトを引用した。

数学者 岡潔思想研究会 横山賢二

横山さんは、岡潔博士の全文献を遺族から許可を得て全資料をコピーし保管されている。私も妻と一緒に見に行ったことがある。

そして、そういう資料から、多くは京都産業大学や地方の市民文化センターなどの講演の録音テープとして残されているから、そういうものを徐々に文字起こしして出しているのが、横山さんのサイトの文章である。

そして、徐々にその内容を独自の観点で分析している。

むろん、横山さんはビジネスマンだから、岡の数学に関する部分は理解できないために限界はある。が、それは我々物理学者にも同じく限界があるわけだから、しょうがないことである。我々も岡潔の数学を理解できるものはそうはいないし、私自身理解できない。数学者でもいまだ本当に理解できている人がどれほどいるかはわからないのである。

岡は十分そういうことは承知の上で、一般人に分かるレベルに落としてさまざまの講演をした。講義も行った。ちゃんと聞いていない学生にはチョークが飛んだ。あるいは、怒鳴って怒ったりしたらしい。

かつてそんな岡の評判を聞きつけた、故藤本義一は岡の自宅へ行くと、いまはマイナスの日だからお前とは会わんといって会ってくれなかったという話がある。例えば、これだ。

日本風狂人列伝(33) 世界的数学者・岡潔は『数学は情緒なり』の奇行の人なり

そんな岡潔博士、この6年ほどでどんどんファンが広がり、確か去年だったが、横山さんも東京で「岡潔を語りあう会」が発足したようだった。

というわけで、この数年間で徐々に和歌山の橋本市でも岡潔の再評価が高まり、いまでは、町おこしの一貫にまでなったというらしい。一応ここにもメモさせてもらおう。これである。

世界を驚かせた天才数学者・岡潔 死後40年の再評価

 和歌山県橋本市ゆかりの世界的数学者で、奈良女子大学名誉教授だった岡潔(おか・きよし、1901~78年)が再評価されている。2月には東京で偉業をたたえるシンポジウムが開かれたほか、橋本市では記念館開設を目指す動きも。思想家でもある岡のさまざまな箴言(しんげん)が現代で共感を得ているという。死後40年以上が経過した今も人々を引き付ける岡の魅力とは-。(山田淳史)

著名人も注目

 明治大(東京都千代田区)で2月、岡を顕彰するシンポジウム「紀の国の偉人-世界が認めた孤高の天才数学者-」が開かれ、多方面で活躍する識者らが次々と岡の偉業をたたえた。

 『国家の品格』などの著書で知られる数学者、藤原正彦氏は「岡潔先生の今日的意味」をテーマに基調講演。「岡先生は『論理の危うさ』を指摘し、『情緒』を大切にした。グローバリズムが弱者を追い込んでいる中、日本人の自然や弱者への共感、もののあわれが世界を救う-といった岡先生の予言、祈りが夢物語ではなく、現実味を帯びている」と語った。

 パネルディスカッションでは、岡の著書『春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)』(角川ソフィア文庫)に解説を寄せた思想家で明治大「野生の科学研究所」所長の中沢新一氏が、松尾芭蕉の名句「秋深き隣は何をする人ぞ」を引用し、「それが岡先生の言う『情緒』だ」と指摘。「隣も私もカサコソという音に耳を傾ける。常に隣に耳を澄ませながら縁起の無限連鎖の中でつながっている。そういうつながりの中で宇宙ができていると考えている人だ」と述べた。

シンポジウムは、和歌山県がこれまで明治大と開催してきた、県ゆかりの偉人をテーマにしたシンポジウムの一つ。今回、岡を取り上げた理由について、県の文化学術課の担当者は「著書が次々に復刊し、研究者の本も相次いで出版されているなど、複合的な要素が重なった」と近年の再評価の動きを指摘する。

 昨年2月には、岡の波乱に富んだ人生を妻・みちの目線から描いたドラマも読売テレビ系列で放送された。

 また県の担当者は、岡が単なる数学者ではなく、随筆も多数執筆し、日本の将来を案じた思想家としての側面もあるとし、「混迷した時代に岡先生のさまざまな箴言が共感を得ているのでは」と再評価の背景を推測する。

幼少期過ごした和歌山

 岡は明治34年、大阪市に生まれたが、父の実家の和歌山県伊都郡紀見村(現橋本市)で幼少期を過ごした。

 京都帝国大(現京都大)を卒業後、同帝国大の講師となり、3年間のフランス留学で出会った「多変数函数(かんすう)論」を生涯の研究テーマとした。留学後に赴任した広島文理科大を辞職後、橋本市に戻り、孤高の研究生活を始めた。北海道大に一時期赴任したが、再び橋本市に戻り、終戦を迎えた。戦後まもない昭和24年、奈良女子大教授に就任し、晩年は奈良市で過ごした。
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 岡は生涯、多変数函数論で3つの中心的な問題を解決したが、うち2問は橋本市で暮らしていた際に解決法を発見したとされる。

あまりの優れた業績に、先進地・ヨーロッパの数学界では当初、一人の数学者によるものとは信じられず、「岡潔」は数学者集団のペンネームと思われたというエピソードも伝わっている。

 「まさに『雲の上』の数学。難しすぎて、とても生徒には教えられない」

 こう笑顔で話すのは、高野山高校(和歌山県高野町)などで教鞭(きょうべん)をとる数学教師で、岡の偉業を伝える活動を行う市民グループ「橋本市岡潔数学WAVE」会長の木地茂典さん(64)だ。

 確かに岡の数学の業績を理解するのは難しいが、一方で、岡の随筆は日本の行く末を案じた身近な内容で分かりやすく、一般には、こちらの面に魅力を感じるファンも多い。

 「数学のことは分からない」とする副会長の奥村浩章さん(74)も「私の場合は何といっても『春宵十話』。どれだけ先生が日本の将来を心配していたかが伝わってくる」と語る。

 例えば、文庫に収められている随筆「日本的情緒」で、岡は独自の日本人論をつづっている。

 《このくにで善行といえば少しも打算を伴わない行為のことである

 日本人論は教育論にもおよび、子供たちの将来を深く案じている。
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 《新学制の下に義務教育の卒業生を出したが、これは明らかに大変な失敗である。顔つきまで変わってしまうほどに動物性がはいってしまい、大自然から人の真情に射す純粋直観の日光は深海の底のようにうすくされているからである

市民講座も

 故郷の橋本市でも、市民を中心に岡を再評価する動きが顕著になっている。中心的な役割を果たしている岡潔数学WAVEはこれまでも毎年、さまざまな関連イベントを企画。岡の日本人論などに詳しい研究者や数学者を招いた講演会のほか、「おもしろ算数教室」や「囲碁・将棋大会」も開催してきた。

 今年1月には新たに市図書館と連携。岡が愛飲したというコーヒーを飲みながら岡について語り合う市民講座も開いた。参加者からは、岡が池に向けて石を投げ続けていたとか、荒廃した学校の校長に「花を植えなさい」とアドバイスしたといったエピソードが披露された。

 こうした再評価の機運が高まる中、WAVEが今後目指すのは、岡顕彰の中核施設として算数教室なども開ける記念館の開設だ。

 記念館をめぐっては、かつて市が市内の公園にある地元事業家の家屋を改修する案を検討したが、耐震面の問題が判明し断念した経緯がある。財政難に悩む市が新たな施設建設に着手するのは難しいとされる。

 それでも木地会長は近年の再評価の動きも踏まえ、「既存の施設を活用する方法もある。なんとか橋本を『数学のまち』としてPRしたい」と意欲をみせる。


そこで、その橋本市の岡潔による町おこし事業を見てみると、こんな感じであった。
橋本市岡潔数学WAVE
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はたしてこの中から、将棋の天才藤井翔太棋士のような天才数学者が生まれてくるだろうか?

今後が楽しみである。

ちなみに、明治大学での「岡潔を顕彰するシンポジウム」はこんな感じのようだ。
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いやはや、大盛況。

数年前ではほとんど岡潔は我々数物界隈の好き者の間だけのやり取りだったことを思い返すと、なんか隔世の感ありですナ。

あの保江先生と私とヒカルランドで対談して私が岡潔の話を出したのが、まだ2013年ごろだから、それから先生のご著書も岡潔と湯川秀樹の素領域理論で大復活遂げた。

だから、いまや岡潔と湯川秀樹の再評価の時代になったともいえる。

ニコラ・テスラはすでに再評価されて、いまでは誰もテスラをマッドサイエンティストなどと侮蔑することはなくなった。

あとは、この2,3年私がやっている杉田元宜博士の再評価が出てくれば、俺としてはもうお役御免でも良いかも知れない。

まあ、それまでは、がんばりますヨ。


それにしても、我が国には結構良い学者さんたちが育ってきていたんですナ。


ところで、ここ何日か読んでいる南部陽一郎博士の「素粒子論の発展」。その内容は大方1990年ごろまでの話だった。

つまり、バブル全盛期の話だった。

だから、南部先生が、しばしば、企業は大発展して進歩しているのに、大学が老朽化して大変でみすぼらしいということをおっしゃっていたんですナ。

ちょうどこの1990年10月頃に私はユタから帰国し、すぐにユタで書いていた論文を物理学会に送った。それがこれだった。これは翌年に物理学会のサークル誌に公表された。

「日本社会の構造的問題とその解決の方向:3セクター分立の概念」、 「物理学者の社会的責任」サーキュラー、科学.社会.人間、第37号、10(1991)

その後理研にいた頃そっくりそのままを自費出版として本にしたものがこれで、さらには自費出版としてまだ日本でできたばかりのオンライン出版の太陽書房を救援すべく出したのだった。これが拙ブログの横にある「三セクター分立の概念」という本である。

そして、これをこれから文部省と科学技術庁とが合併するという前にその合併後の文科省大臣になる有馬−イアチェロモデルで有名になった有馬朗人理事長にこの本を手渡したのだった。1995年のことだ。

それから、1996年には科学技術基本法が通り、文字通り、我が国の科学分野に年5兆円の投資が行われるようになり、大学の再編、大学の法人化、ポスドク1万人計画、大学院拡充、。。。こういったことが生まれた。

同じ頃、工業技術院の電総研も産業技術総合研究所に再編されたのである。この再編前の企画会議には私もフリーランス物理学者として参加したのである。

そうして、いまや大学は街の最高級ホテルよりもキレイな作りに変わったのだ。

しかし、逆に田中角栄時代以来地方交付税として各市町村の公共事業に注ぎ込まれていた年5兆円が大学のある首都圏や都市部を中心に投資された結果、各市町村が老朽化して、いわゆる地域格差が生まれたのだった。

まあ、我が国は米国ほど金が無いから、あっちを立てればこっちが立たず、こっちを立てればあっちが立たずの様相を呈したわけだ。

まあ、それもいわゆる「特殊会計」と「一般会計」の二枚建ての会計のうち、「特殊会計」の中身を国民に公開しないことから、結局国会議員が使えるのが「一般会計」だけで、その金を工面するためには、もう使いみちは固定されているから、自由に首相が使えるのは、あらたに消費税を上げる分しかないということになるわけだ。

特殊会計の使いみちを精査すれば、相当に大きな事ができるはずなのである。

いずれにせよ、バブル崩壊前の1990年ごろ南部先生が危惧したことは、その後の空白の20年で逆に大学の方は建築バブルに浮かれ、法人化されて、大学人自らが自分の給料や人件費を工面できる時代になった。

そのせいか、1990年以前には大学の教授や職員の大半が徒歩通いだったのが、いまや大学教授や職員のほぼ100%が、ベンツやBMWやシボレーなど外車に乗って勤務できるようになったわけだ。

これまた隔世の感ありである。


言うまでもなく、その間フリーランスでいた俺はまったく恩恵をうけることはなかった。割に合わんことやっているよナ。


まあ、これが岡潔のいう、

このくにで善行といえば少しも打算を伴わない行為のことである

という意味の「善行」だと思って、諦めるほかはない。


いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2019-03-17 13:38 | 岡潔・数学・情緒

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