伊藤清の数学と佐藤幹夫の数学:俺「いでよ、天才君!確率D加群を構築せよ!?」
2019年 05月 31日
さて今回はまた数学と理論物理の話。
普通人にはちんぷんかんぷんのはずだから、スルーでよろしく。もっともそういう俺にも細かいところはちんぷんかんぷんだから、恥じることはないのサ。
最近たまたま行った県立図書館で見つけた、伊藤清博士の
と木村達雄博士の
「確率論と私」
を近くの本屋に注文して(最近はいくらアマゾンで安い本があっても絶版でなければ書店を通して買うようにしているため)おいた本が到着したから、早速それらを買って少しずつ読み始めているわけである。
佐藤幹夫の数学 増補版 単行本 – 2014/9/17
伊藤先生の本はだいたい全部読んだが、やはり創始者のものは面白い。
創始者というものは、その人と同じレベルの別の国々の創始者と関わりがあるから、そういう裏情報がとれ、そういうものの中に極めて将来性のあるテーマが潜んでいたりするわけである。
こういう意味でもやはり、オリジナルの人の著作=原典を読まねばならないという鉄則を思い出す。つまり、原典主義である。
今回そんなものをいくつかだけメモしておこう。
(あ)伊藤清の場合
まあ、俺にもよくわからないが、伊藤清先生の前には、ロシアのコルモゴロフというハンサムな超人的数学者がおりました。それより先か、ほぼ同じ頃、アメリカには、フェラーという大確率論の大家がおりましたとサ。
ロシアのコルモゴロフとアメリカのフェラーを知らない確率論の大家がいたとすれば、もぐり、となる。
同様に、日本では伊藤清先生の前に、伏見康治博士という理論物理学者、というよりはかなり応用数学者に近い先生がおりました。この伏見康治博士を知らない人がいるとすれば、もぐり、である。
ところで、この先生は後に大学を定年退官後の非常に高齢になってから、共産党から国会議員になったのである。
さて、そのフェラー先生のプリンストン大へ伊藤清博士が留学に行ったという。その時、フェラー先生が考えていたというのが、局所時間と局所地図の数学。
まあ、数学の話だから非常にわかりにくいから、俺個人の想像の域をでないが、一応まとめるとこんな問題と想像している。
まあ、例えば、仮に人それぞれが、自分の時計(たぶん腹時計)といい加減な自作の地図をもって、野山を出発点からゴール地点までワンダリングしたとする。たしかこういう競技があったような。たぶん、オリエンテーリングというやつか、ロゲイリングという競技(ゲーム)かもしれない。
そんなオリエンテーリングに沢山の人々が(N人が)参加している様を想像してほしい。
自分の腹時計と自作の地図を頼りに動き回るから、どんどん人々が三々五々外れていく。
どうやらこの現象を記述する微分方程式をフェラーが見つけていた。
そこでフェラーが伊藤先生に問うたという。
「この方程式は君の拡散方程式と一致するかい?」
数年後に伊藤先生の門下生の福島、武田、大島の3人によって1965年に解かれたんだとか。
拡散方程式とは、コップの水の中にインクを一滴落としたときに、インクが広がっていくような現象を表す方程式である。
一方、フェラーの局所時計と地図の方程式は、どちらかというと、マラソンのランナーたちが、最初集団で走り出して次第に集団がバラけていくような現象を記述する方程式である。
大分前から、このマラソンランナーのバラける様をうまく記述する方程式がないかと俺は探していたわけだ。
そこで、私はマラソンの何キロおきかの通過地点に来るときの選手の時間の分布をみると、確実にばらつきがある。だから、そのばらつきの方程式が見つかれば、それは一種の拡散現象をとらえているはずだから、それは全体的には拡散しているわけだから、きっと拡散現象と関係があるのではないか?と睨んでいたわけですナ。
しかしながら、時は流れ、俺にはその方程式も解も見つけられないでいた。
ところが、なんと伊藤先生の上の本に、それがフェラーの問題として出ていたわけだ。しかも日本人が1965年に解いていた。
何たる無知?無知は犯罪である。が、俺の鉄則だ。
いやはや、伊藤清先生恐るべし。
(い)佐藤幹夫の場合
さて、もう一方の佐藤幹夫博士の本は伊藤清先生の本よりかなり毛色が違うから、理解するのがもっと難しい。いまふうにいえば、「むずい」というやつだ。
毛色の違いとは、伊藤清先生のはかなり物理学者でも近寄りやすい。しかし、佐藤幹夫先生のは物理学者には近寄りがたい、ということである。古典数学的と現代数学的と言っても良い。
だから、保江邦夫先生が伊藤清先生の確率理論を物理に応用したくなったというのは非常によく分かる。
しかし、俺のユタ大時代の先生のビル・サザーランド博士は、まさにもう一方の佐藤幹夫先生の数学の系統の理論である量子可積分系が専門だった。今年、それで数理物理のノーベル賞といわれる「ハイネマン賞」を受賞した。「カロゲロ=モーザー=サザーランド系の発見」である。
つまり、こういう個人的交友関係、あるいは、個人的研究の履歴からして、俺は伊藤と佐藤の両方を理解しなければならないと常々思っているわけですナ。しかしながら、俺の頭脳ではいつも途中で頓挫する。
というわけで、明確に理解できないまま、この数十年過ごしてきたわけだ。
とてもではないが、佐藤スクールの理論などフリーの理論物理学者がたった一人で習得しエキスパートになんかなれるものではない。ましてや理解不可能だと思っていたわけだ。だから、くわばら、くわばら。そんなものスルー、スルー、スルー。時間の無駄だと。
ところが、今日やっと「D加群と非線形可積分系」という節までなんとか読み進んで読んだところ。
非常によく分かるではないか?
驚き、桃の木、山椒の木。
この俺にも言わんとすることが手に取るようにわかってしまったのだった。
むろん、こまかい記号の定義なんてわからない。さっぱりだ。
しかしながら、佐藤幹夫先生の言わんとしている構想や理想やイメージ、こういったものが非常によくわかったのである。
特に気に入ったのが、佐藤幹夫先生が「一般システムとはなにか?」と書いた部分だった。
exact sequence:D^n →D^m→M→0 (6)という部分である。
(中略)
(6)のexact sequenceというものが線形偏微分方程式の一般のシステムというものを代数的に解釈したものです。
かつて1940年代、欧州に偉大な理論生物学者のベルタランフィー

「一般システム理論」というものをぶち上げていた。
つまり、一つの生物システムはそれを記述できる微分方程式に直されるという思想であった。
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我が国で杉田博士が終戦後に「生物物理学学会」を発足させ、その中に「生物理論」、すなわち「数理生物学」というものを生み出したのだが、いまや誰もそんなことは知らないというように、当時ヨーロッパから欧州の最新のアイデアを米国に持ち込み、欧州のベルタランフィ博士の「一般システム論」の創始に刺激され、それを生物理論というかたちで、数理生物学という分野があるはずだと一生懸命研究室を立ち上げたばかりの頃だった。
まさに飛ぶ鳥をも撃ち落とさんばかりの勢力の時だった。
もちろん、私はその本はすでに大分前に勉強した。
そこで問題になっているのが、
連立の微分方程式をいかにして作るか?
そしてもしできたらそれをいかにして解くか?
であった。
ところが、佐藤幹夫先生、曰く、細かいことは抜きにして、微分方程式を解くというのは、こういうことだよとおっしゃった。それが、上の部分だった。
俺流に解釈すると、代数方程式を解くということが、ある空間の中にある曲線や曲面などの図形どうしの交点を見つけることに対応するように、微分方程式を解くということは、ある微分演算子が作る空間の中でそれらが作り出す曲線や図形同士の交点を求めるようなもんだよ、ということなのである。
つまり、これこそ、あのヘヴィサイドが直感的にみつけたヘヴィサイドの演算子法の根底にある思想であった。
方程式の解(交点)というものがあれば、それがどんな数字かはあまり関係ないように、だから、解があるとして、xでもyでも良いように、微分方程式の解があるとすれば、それがどんな関数であろうと関係ない。そういうものをuとか、vとかすればよろしいと。
そして、代数方程式の連立方程式が、ユークリッドの互除法で最終的に解けるように、微分方程式の連立微分方程式も演算子のユークリッドの互除法で最終的に解ける。
この言葉でそれにあるすべてが理解できたんですナ。
ネットワーク理論で単純に言えば、トポロジーのグラフだから、微分方程式系とは、そのグラフ状の電気回路の上を流れる電流と電圧と電荷のようなものだ。
だから、キルヒホッフの第一法則(電流則)と第二法則(電圧則)で回路網を記述すると、その回路に流れる電流と電圧が即座に解ける。
この時、その方程式系はちょうど微分幾何のホモロジー代数と同じ構造を得る。これが、電気回路のテレゲンの定理というものだ。
系を電流の方程式だけで表してもいいし、系を電圧だけの方程式で表しても良い。なぜならその間にはオームの法則がああり、電流と電圧は必ず関係があるからである。言い換えれば、双対性がある。
佐藤先生のいう微分方程式のチルンハウス変換がこのオームの法則に対応しているわけだ。
古典物理では、変位と力の関係であるフックの法則である。
変位の微分方程式で考えてもよいし、力の微分方程式と考えても良い。変位と力には双対性がある。
そして極めつけが、その論説の最後の部分。「3.soliton解が線形微分方程式の無限小変形として捉えられること」であった。
どうせ細かい数学の定義はわからないからないほうが良い。佐藤幹夫先生は細かい定義をしないから非常に骨格だけ理解できるから非常にわかりやすい。数学的定義を理解することで嫌になってしまうというリスクがない。細かいことは後で論文を作る時にやれば良いという感じですナ。良いね!
結局、非線形微分方程式が解けるということはどういうことか?を最後で説明していたわけだ。
これもまた一言にまとめているから面白い。
Grassmann多様体上の、あるlinearなsectionを時間発展とcompatibleであるように取ってやると、いろんな方程式が出てくる。そのsection上を動くことによって、あのKdV方程式であるとかいろいろ。
まあ、要するに、無限次元のグラスマン多様体なる空間にある「ある種の流れ(たぶんハミルトン・フロー)」があって、これをある時間発展だけを取り出してみると、ある種の非線形微分方程式のソリトン解になっている。
実は、俺の師匠のビル・サザーランド博士は、この無限次元グラスマン多様体上の量子力学を構築したのだった。
これが、彼の言うところの、support scatteringという概念である。
つまり、相互作用する量子力学系が解ける場合は、粒子同士がお互いに相互作用をしていないかのように透過しあうだけになるような相互作用をする場合に独立粒子のように解ける。
ここで量子ラックスペアが出るのだが、そのラックスペアの一つと同じものが、佐藤幹夫博士の(12)式なんですナ。
ところで、伊藤清先生と交流があった保江邦夫先生の教科書シリーズの特別巻の第9巻
「ヒカルランド講演」無事終了2:皆さん、triportさん、竹之内さん、どうもありがとうございました!の第7章「連続群論・流れを定める微分方程式」にこのピーター・ラックスの話がある。
2015年、きっと来る、保江博士のお弟子さん!?:悪魔の「数理物理学方法序説」
さすがに確率論の大家の伊藤清先生の、ある意味でお弟子さんの一人である、保江師範、やはり確率論的な見方でラックスの話を見ているから興味深い。
(う)伊藤清の確率微分と佐藤幹夫のD加群を合体させる猛者はいないのか?
というわけで、20世紀の我が国の二大巨匠の伊藤清先生と佐藤幹夫先生の2つの流れを見たわけだが、これをある意味で保江邦夫先生のような感じで合流あるいは合体させることができると面白そうだ。
だれか若い数学者でそういうことをするものはいないのか?
俺の理解するところでは、佐藤幹夫先生の「D加群」というものは「普通の微分」を使っている。つまり、
df(x)=[∂f(x)/∂x]dx。
それに対して、伊藤清先生は「確率微分」を使っておられる。つまり、
df(x)=[∂f(x)/∂x]dx+(1/2)[∂^2f(x)/∂x∂x]dxdx。
つまり、「確率D加群」というものもあり得るだろうということである。stochastic D-moduleの理論である。
言い換えれば、普通の微分方程式をウィーナーがランダム変数を含む場合に拡張したように、ヘヴィサイドの演算子法の現代バージョンである「D加群」の理論をランダム変数を含む場合にまで拡張するのである。
いでよ、天才君。
若者よ、いでよ!
まあ、残念ながら俺にはそれをする時間がない。
いやはや、世の始まりですナ。

by kikidoblog2 | 2019-05-31 19:47 | 普通のサイエンス