伊藤清「確率論と私」の「確率論と歩いた60年」2:おまけ「数学者と金融戦士の話」
2019年 06月 06日
ついでに伊藤清の「確率論と私」の「確率論と歩いた60年」
の最後の方にある金融経済学への確率微分方程式の応用の話をメモしておこう。
「確率論と私」
ここでは、伊藤清の理論が金融界に応用され、その結果、日本の金融界が敗退していくさまに対する、伊藤先生への当てこすり、あるいは、警鐘が語られている。
どうやら空白の10年の時代に入り、アメリカにいる日本人あるいはアメリカ人の金融界の人から伊藤清宛に手紙が来たという。その内容の抜粋である。
「数学科の優秀な学生の進路がすっかり変わってしまいました。我々の時代には数学者のタマゴは、大抵、数学者になりましたが、今では、彼らは、経済戦争の勇敢な戦士になるのです。
アメリカ軍の戦士は「伊藤理論」というレーダーで照準を合わせて砲弾を発射しているのに、日本軍の戦士はブルーベリーを食べて夜間視力を増強し、経験とカンと精神力で応戦しています。
数年前まであれほど優勢を誇った日本軍も、いまや劣勢いかんともし難く、敗走に次ぐ敗走を重ねています。
我々は、貴兄をはじめ多くの日本人数学者を友人とするアメリカ人数学者として、非常に複雑な心境です。
おそらく日本軍は壊滅する前に「伊藤理論というレーダー」の存在に気づき、たちまち有効な反撃を開始するでしょう。そうなると、戦局は拡大する一方です。(さらに、かつてアジアばかりか世界に翼を伸ばして成長著しかった四頭のドラゴンが故郷へ撤退していく様を語ってくれた手紙もありましたが、省略します。彼らの手紙の最後は次のようなものでした。)
幸か不幸か、「伊藤理論」はレーダーであって、原子爆弾ではありませんから、一発で戦争を終わらせる力がないことは確かですが、そうなると、どのような形でこの戦争を終わらせ、その後にどのような戦後が来るのか、今はだれにも判らないのです。」
手紙を読んだ私は、思いもよらない内容に茫然としました。私はこれまでの人生において、株やデリバティヴはおろか、銀行預金も、定期預金は面倒なので、普通預金しか利用したことがない「非金融国民」なのです。
妻によれば、我が家の財政は、定期預金と普通預金の利息に差があったときには、預金残高がほとんどなく、預金残高に少しは余裕のできた昨今は、どちらに預けても利息は無いも同然とのことですから、あれこれ心を遣わなかったのは賢明だったかなと思っています。
とりあえず、友人に返事を書いて、彼の間違いを指摘してやりました。
「私が数学者のタマゴから雛鳥になりかけていた頃、日本軍の戦士が夜間視力の向上のために食べていたのは、ヤツメウナギであって、ブルーベリーなどという英米語食品ではありません」
とまで書いたとき、彼のトールキンのファンタジーさながらの迫力ある報告に比べて、私の指摘の貧弱さに愕然としました。
私は、彼の報告に対するコメントは諦めて、近ごろの日本の学生のことを書くことにしました。
「日本でも、我々の時代の数学者のタマゴは、みんな数学者になりました。私の大学の同級生も全員数学者になり、「岩波の数学辞典」の頁を飾っています。しかし、現代の日本では、数学がよくできる高校生は、数学者のタマゴにすらなりません。実際、「数学オリンピック」などで金メダルを取るような高校生は、数学科には来ないで、医学部へ行くようです。
私は「これを能くする者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」とつぶやいては、「与えられた問題を早く解く能力があるだけでは、よい研究者になれません。自分で問題を見つけて、自分のやり方で考えるのが好きな学生が、たとえ何年も成果があがらなくても、自分の問題を考えること自体が楽しいといううような仕事をしてほしいものです」などと、解説を加えています。
「数学オリンピック」のメダリストたちは頭が良すぎるので、一つの問題を三十分以上考えられないのでしょう。」
このあとの話も興味深いが、それは原著を読んでもらい、最後の言葉も面白い。
時間と空間の森の小道を彷徨いつつ、六十年を確率論と歩いてきました私は、この原稿を書きながら、頭の中でもう一度、同じ道を歩きました。現実には歩くことができなくても、頭の中で歩くことができて幸せでした。私は文字通り「考える葦」になったのです。
ーーご清聴ありがとうございました。
この講演は、授賞式に体調を崩し登壇できなかった伊藤の代読者のための原稿である。
こういう数学者らしい数学者は我が国にはかなり多い。
どうして小国の我が国から偉大な数学者が誕生するのか?これも謎の一つである。
いやはや、世の始まりですナ。

by kikidoblog2 | 2019-06-06 14:07 | 個人メモ