アイラブジャパン:「礼に始まり礼に終わる」=「日本式ノーサイドゲーム」!?
2019年 08月 25日
夏の甲子園のノーサイド
みなさん、こんにちは。
ノーサイド!
というと、ラグビーの試合終了のサイン、

ということになっている。

しかし、これは別にラグビーの専売特許ではない。あらゆるスポーツであれば、試合終了後にノーサイドでお互いの健闘を称え合う。
我が国のサッカーでも野球でも全く同じだ。
しかし日本の外の外国ではかならずしもそうではなく、後味の悪い結果になる。
試合が終わってもずっといつまで経ってもその試合のことをネチネチと執着するからである。
場合によっては、乱闘、あるいは、次の試合で報復、挙句の果ては、サポーター同士の乱闘になで発展することもしばしばだ。
さらには、そのサポーター同士の場外乱闘から、実際の戦争が始まってしまうということさえあった。
旧ユーゴスラビアのクロアチアとセルビアの戦争は、最初両国代表のサッカーの試合で始まったといわれている。
だからこそ、スポーツのスポーツたるゆえんは、政治をスポーツに持ち込まないこと。
おそらく、韓国や中国がスポーツに安易に政治を持ち込むのは、そういう国々の国民が本当の戦争をやったことがないからではないかという気がするわけですナ。
翻って、我が国の場合、我が国へスポーツが伝来した時代からずっと、まったく同じだった。
というのも、すでに我が国は江戸時代以前から、剣道や相撲を中心にした、武士精神が根付いていたからである。
礼に始まり礼に終わる!
これぞ武士精神。武道精神である。
あるいは、我が国の将棋や囲碁の対決にまで遡るかも知れない。
だから、試合に負けていくら悔しくてもそれを噛み締めて、お互いの健闘を称え合う。
これが、我が国のノーサイドである。
だから、我が国には別にラグビーが日本に来ようが来まいがすでにノーサイドの概念があったわけだ。
今回の101回目の甲子園。
熱闘甲子園 2019年8月22日 HD
大阪の履正社が石川の星稜に5−3で勝ったわけだが、その後の表彰式、さらにその後が実に興味深かった。これである。
閉会式後の履正社と星稜(第101回選手権大会)
しかしながら、我が国の場合、これは別に野球に限った話ではない。
サッカーでもそうだ。柔道や剣道でも、なんでもそうだ。
海外の人はこれを学んでほしい。真似してほしいものですナ。
少なくとも、大日本帝国時代に夏の甲子園出場した野球チームは満州、朝鮮、台湾とあったが、いまもってこれを真似してきたのは、台湾だけだろうナア。
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《KANO》
ところで、今回の甲子園で一番印象的だったのは、
優勝校準優勝校の監督の両方が、いわゆる
不祥事起こして謹慎の経験者だった
ということだ。
普通は、それで首にすれば事足りると考えて、日教組に乗っ取られた教育委員会から追放されてしまう。
しかし、星稜と履正社はともに、謹慎処分で職場に復帰させた。
その結果、両監督がそれぞれ独自に覚醒し、指導方針を変えた。
その結果が躍進につながったというのである。
履正社の岡田監督は、選手に体罰した結果問題となったらしいが、謹慎後の変化後は、対話に変えた。おそらく星稜の林監督も似たようなものだろう。
この意味では、やはりサッカーのイエローカードとレッドカードと同じで、一回目はイエローでしばらく謹慎処分。二回目になったら解雇、というようなやり方の方が良さそうだ。反省できないものは選手であろうが、監督コーチであろうが追放。
どうやら経験則としては、これがベストの感ありますナ。
まあ、だれしも一度やらかして反省し、前より進歩するというものである。やらかしてみないとわからないというものもあるわけだ。そこで一皮むける。
まあ、良い意味で一度は大目に見ることも我が日本の伝統である。
頑張ろう、日本!

by kikidoblog2 | 2019-08-25 14:56 | アイラブとてつもない日本