スマホも電子計算機
みなさん、こんにちは。
年末に近づくと、特にその前の中秋の名月の時期に近づくと、あまりに色々のことが起きる。まさに猫やETの手も借りたい。そんな感じですナ。
どうやら安倍晋三と菅義偉(この名前は朝鮮人の名前そっくりで覚えにくい)は、我が国では新規事業を見込むあてもなく、せいぜい観光業で税収を上げることだけにかじを切った感がある。
まあ、前例はギリシャやフランスやスペイン。ちょっと前ならアルゼンチンやブラジル。
その結果どうなった?
最貧国への転落だ。
EUで一番貧しいのはスペイン、ギリシャ、。。。、フランス。
ぜったい観光業だけで飯食っていこうとするのは間違いだ。
ましてや今の倍の観光客を見込むとか、気が狂っている。
まあ、今の自民党も、今の東大官僚も気が狂っているからもうすでに時遅しであるナ。
我が国は行き着くところへ行き着くだろう。
その覚悟が必要だ。
逆に、スピ系の人たちのように現実世界とは別世界の精神世界の住人になるというのも一つの防衛本能だろう。
世界は全然良くなっていないが、その中で時たま起こる良いことを見つけて、世界は良くなっていると思う。こうやって生きていく。
我々科学者はそういうことはできない。シビアである。
良かろうが悪かろうがそれを冷徹に鉄の目を持って分析し尽くす。これが真の科学者であろう。
やはり新しい科学、これを生み出し、かつてバックミンスター・フラーが次のように言ったように、
人は人間を変えることは難しいが、
環境を変えることはできる。
環境が変われば人は変わる。
何かを生み出して環境を変えていくしかない。それにより良い方向へ発展する。
戦前の欧米諸国は人種差別法があった。
だから、北米、中米、南米、南ア、ナミビア、中国、東南アジア、ロシア、欧州、。。。
どこにも人種差別があった。
しかし我が国が大東亜戦争、太平洋戦争と最初に勝利し、大きな八紘一宇(=人類みな兄弟家族の意)の精神で大東亜共栄圏を作ることを目指した結果、我が国が敗戦した後も、大半の国々は表向きだけでも独立した。
それぞれの国の法律が変わり、法律上人種差別が撤廃された。
アメリカでも戦前は白人と黒人やアジア人との結婚が禁止され重罪だったが、戦後はそれが撤廃され自由になった。
その御蔭で、「自由の国アメリカ」なんて言い出した。しかし、戦前は「白人の自由の国アメリカ」だったわけだ。
しかしながら、人はそんなに簡単に変わらない。変われない。だから、法律が変わっても現実問題としてはそんなに簡単には変わらない、変わらなかった。
にもかかわらず、そういうふうに法律上の環境が変わると、長い間に少しずつアメリカ人が変わってきて、いまや戦前のアメリカ人とはまったく別人種と思えるほどに変わったのである。
人の変わり方とはこういうふうなものである。
もう一つの例は、電子計算機の発明である。
携帯やスマホが電子計算機であるとは今の人間は誰も思わないだろう。
しかしそれは電子計算機に過ぎない。
実際、時計も電子時計(=プログラム時計)、アプリもすべてプログラム、計算機も電子計算機である。プログラムさえあれば、科学計算も行える。
この電子計算機=コンピューターの発明は、1930年代のアメリカでその思想が生み出された。ノーバート・ウィーナーの想像力であった。ウィーナーがランダム計算理論を作ったあと、計算理論を脳の思考回路の持ち込み、その理論を弟子のピッツと同僚のマッカロクといっしょに作り出した結果、それがヒントになって、じゃあ本当に人間の脳の計算を肩代わりする機械を作ろうじゃないか、ということになったわけだ。
その可能性として、光学的、機械的、電子的な方法が考えられた。最初は光計算機が一番早くできそうだと思われたが、最初にバベージの機械的歯車計算機ができた。これが手回し計算機である。
当時は真空管の時代だから電子計算機は夢物語だったが、いろんな事情からやはり電子計算機が一番好都合だろうということになり、そこへ第二次世界大戦が起こったものだから、緊急にも電子計算機を作り、原爆開発の計算に必要だということになり、有名なマンハッタン計画が起こったわけだ。
有名なフォン・ノイマン、ハンス・ベーテ、リチャード・ファインマン。。。などなど何万人を超える科学技術者が集められ集中的に研究した結果、ついに電子計算機も生まれ、それを用いて原爆も設計され、我が国がその最初の犠牲になった。
ところで、広島長崎の人は大きな誤解をしている。
それは原爆の犠牲者がヒロシマ・ナガサキだけだと思って信じ込まされていることである。
実際には、いまや小型核爆弾、それも中性子爆弾ができている。だから、すでにヒロシマ・ナガサキ以後もさまざまな場面で小型シリンダー型中性子爆弾が使用されているのである。
2001年の911の貿易センタートウィンビルの爆発崩落。2011年の311東日本大震災及び福島第一原発爆発。
いずれも普通の石油や爆弾では決して溶融しないタイプの金属でできたビルの骨組みや原子炉の反応炉外壁の鋼鉄が一瞬にして溶融ないし破壊されている。
最初は電子計算機は大きな組織、大学や政府関係だけに納入された。だから、大型で高くついた。
その事情を見たスティーブ・ジョブズとウォズニアックがアップルを作り、個人用電子計算機=パーソナルコンピュータ=パソコン(PC)を発明したわけだ。
当時は、ミニコンピューターは大学や政府の持つ大型計算機と有線でリンクした端末でしかなかった。
端末から自由になることこれがPCの目的だった。
そのPCが発展し、小型化し、最終的に携帯やスマホiPhoneやiPadになったわけだ。
かたやインターネットも有線から無線のワイヤレスのネットワークへと進歩した。
したがって、スマホはPC。すなわち電子計算機なのである。
一般人が科学に興味がないから科学計算しないだけのことで、そのスマホの性能は我々が大学時代や大学院時代に使っていたマックの性能を遥かに桁違いに凌駕しているのだ。
しかし、今度はクラウド方式で逆にワイヤレスやらインターネットの繋がりという名目のもとで、すべてを共有する方向へと誘導された。そうなると、また40年前の大学の大型計算機のようになる。スマホには独立できるだけの機能や力があってもそれを使わずに、クラウドを通じての端末機能しかつかわなくなるわけだ。
思想としてはスティーブ・ジョブズの最初のPC思想の正反対に行ったわけですナ。
まあ、支配する方、コントロールする方としてはその方がやりやすいわけだ。
いずれにしても、スマホを誰もが持つ時代になると、それがなかった時代の人と比べると明らかに別の人格が出てくるわけだ。
極端に一言でいうと、世界中がスケベになった。
昔はポルノはかなり勇気を持って見ないと見れるものではなかった。しかしスマホ時代には年がら年中若い子自ら自分の局部をアップする。よほどアソコに自信があるのか、そういう感じだ。だから、誰もがそういう性風俗を見るようになってしまった。こうして日本人もキリスト教白人至上主義の国々も堕落した。
スマホを通じて世界の堕落、世の堕落者がそのまま表に出てくる時代になった。
こうして徐々に環境が変わったことにより、人類は悪い方向へ変わったのである。この点では。
人を変えるにはまず環境を変えること。
これはこういうふうに真実である。
前置きを書いているうちに、どんどんあらぬ方向へ話が進んで長くなってしまったので、一応この辺で一旦切って、メモとしておこう。
いやはや、世も末ですナ。