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2019年 03月 23日 ( 1 )   

いよいよ保江邦夫博士の時代が来るのか?:物質と非物質を統合する物理学の到来が近い!?   

みなさん、こんにちは。

さて、今日もまた理論物理の話なので、普通の人はスルーして欲しい。おそらく時間の無駄になるだけだろう。


今年はどういうわけか、「量子力学の基礎論」に関心が向いていて、保江邦夫先生の本に接して以来の量子力学の確率量子化の話に加えて、例のハイゼンベルク不等式を拡張された小澤の不等式まわりで結構楽しむことができた。

だいぶ前、おそらく数年前に一度保江先生と初めて対談する前に保江邦夫博士とはどんな人だろうと思って、一応彼の過去の論文や本を手に入れられるものはほぼすべて読んだ時期があった。その頃、図書館で借りて読んだものがこれだった。

保江邦夫「量子の道草」は名著だ!?:俺「保江は道草を食うが、凡人は道草に食われる!?」

保江邦夫著量子の道草
量子の道草 増補版→「
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この本は初版が1999年だから、もうちょうど20年前に書かれたものである。

私がここ阿南に来たのが1996年だから、ちょうど私が三菱財団の自然科学研究助成をフリーランス物理学者として初めて授与され、それを基にして名古屋の青本和彦博士と分数量子統計のラグランジュ逆転公式を使って、準超幾何関数を発見した頃のものであるようだ。だから、当時は保江先生の「や」の字も存在していなかったと思う。

そこで今年の1月にこの本は良い本だからまた手元においておいていつでも読めるようにと地元の小書店で取り寄せて買ったのだった。

それを時々読み眺めるが、本当によくかけていたと思う。その後の私の調べでは、当時保江先生はご自分の「数理物理学序説」シリーズ9巻を書き上げている頃か、書き上げた頃だろうから、一番油の乗った良い時期だったのだろう。すべての章がコンサイズに見事にまとめられていたと思う。

むろん、ネルソンと保江の時代は1960年代中頃から1970年代だから、すでにノーバート・ウィーナーは1964年に死去しているから、ウィーナーの直接の影響はなく、その後のウィーナーの後継者たちが発展させた数学様式に基づいている。

つまり、まだ解析的な古典数学的色彩の残ったウィーナーの様式からコルモゴロフや伊藤清やマリヤヴァンやドープなどの現代確率論的な色彩の数学に基づく。

が、これが我が国の物理学世界では盲点になっているために、なかなか保江先生流の理論物理が流行してこなかった理由の一つになっていると思う。

物理学を学ぶ3つの道:「物理数学」、「微分幾何学」、「確率論」の三種。俺は第3の道が好き。

しかしながら、その重要性は変わらない。

一方、1昨年の暮れに保江先生は、「神の物理学」という本もお書きになった。これである。

神の物理学: 甦る素領域理論 単行本 – 2017/11/10
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「神の物理学」:我らが保江邦夫博士、ついに神様の物理学を発見!
「神の物理学」2:保江邦夫博士のミラクル数理勉強法とは何か!?俺の想像では?
「神の物理学」3:「モナド」と「モナド」の間には、「神」が宿るのか?それとも「無」があるのか?
「神の物理学」4:「2つの遺言」→「神の物理学」に込められた「2つの遺言」を解き明かすものは誰か!?
「神の物理学」5:やはり世界は「愛」に包まれていた?「愛の素領域」理論完成!?

私は今年新春にこの本も書店で注文して買ったのだった。が、この「神の物理学」は、保江先生の一つの高みを象徴した作品となったのではなかろうか?理論物理を目指す人は一読以上の価値があると思う。

この本の中でしばしば中込照明博士の「唯心論物理学」のことが登場するが、その著書はこれ。
唯心論物理学の誕生―モナド・量子力学・相対性理論の統一モデルと観測問題の解決
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保江先生の思想は、中込照明の量子モナドの思想と、湯川秀樹の素領域の思想と、梅沢博臣の場の量子論、およびネルソンの確率量子化の思想、などが絶妙に結びついてエンタングルしている。これが実に稀有で面白いところである。

さらに言えば、合気道と愛魂道と、エスタニスラフ神父由来のモンセラート修道院伝来のイエスの活人術、の融合、さらには、我が国の古神道由来の祝詞や祈りなどがある。

果たしてこれらの融合が保江邦夫博士の体の中で見事になされるのかどうか?実に興味深いところである。すでに完全に完成しているのではなかろうか?

唯一つのことから、それが起点になり、どんどん和が広がっていく。そういう感じの発展形式である。お見事としか言いようがない。

そしてここに来て、一種の援軍のような形で全く違う方向から、同じような観測の問題に立ち向かう研究者が出てきた。それが、例の小澤正直博士である。

名は人を表す。

がごとく、正直に緻密に分析できるタイプの物理学者である。それがこれだった。

ハイゼンベルクの顕微鏡~不確定性原理は超えられるか
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量子と情報 ―量子の実在と不確定性原理
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量子力学のアンサングヒーロー:ボルン学派に不確定性を教えた男はノーバート・ウィーナーだった!?
悲報「最近の院生はセミナーを聞かず」:久しぶりに神戸で物理の講演したんだが。。。!?


歴史によれば、フォン・ノイマンとその元ネタを作ったワイルだったか、ウィグナーだったか、彼らの観測理論では、

意識が観測に影響を与え得る

というものだった。しかしながら、ハイゼンベルク不等式にも小澤不等式にも俺の不等式にも意識はあからさまには入っていない。「観測する」という行為の中には観測者の意志が入っている。

まあ、これについてはいろいろ考え方がありそうだ。が、そもそも我々自身が宇宙の中の自然現象にすぎないわけだから、あまりに昔の西洋人は己の意識にこだわりすぎたのではないかと思う。

意識も生命もすべて自然の一部に過ぎない。宇宙の一部にすぎない。

一つの宇宙の法則の結果として生命体は生まれ、意識も存在し得る。

量子力学にはこういう思想がない。最初からない。

だから、当時の西洋人は白人支配の国家の人々であって、人と自然、神と人という区別が非常にはっきりしていた。したがって、当然、主観と客観というものを特別に意識した。

その結果、観測するものと観測されるものとを明確に区別していたわけだ。自由意志があるかないか、というのもそういう考え方から生じたものである。

はたしてそう簡単に区別できるのか?自由意志があろうがなかろうが、それもまたこの宇宙の一部にすぎない。

東洋でも我が国ではそのあたりが最初から違っていた。神話の時代、竹内文書の時代から、この宇宙から人までを一つの世界として見ていたのである。

おそらく中込照明博士は京都大出身だから、そういう影響を強く受けていたのかも知れない。

ノーバート・ウィーナーもインドの統計科学研究所に行ったりきたりして、インドのヨガの思想やインドの古代思想と接するうちに徐々に考え方を変えていったらしい。

情報時代の見えないヒーロー

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晩年にはウィーナーはインド人の知人の影響もあって、死後の世界は実在すると信じるようになったという。

そして、量子論とライプニッツのモナドとホールデンの機械脳の微妙なウロボロス的関係

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も議論していた。


いよいよ意識と量子、心と脳、魂と物質との新たなる関係がわかってくる日も近いのではないか?


若者の参入を期待したいところですナ。

しかしながら、昨今の若者は自分に与えられたことしかしないという完全分業制。あるいは、区画化を満喫しているらしい。




いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2019-03-23 11:17 | 保江邦夫・素領域・愛魂