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2019年 07月 29日 ( 2 )   

【緊急事態】友達がソウル駅近くで韓国人男性6人位に囲まれ袋叩きに!:新たなる「通州事件」への道!   

みなさん、こんにちは。

いよいよ恐れていたことが韓国ソウルで起こったようだ。

まさに現在の通州事件の前触れだろう。

【緊急事態】友達がソウル駅近くで韓国人男性6人くらいに囲まれ袋叩きに合いました
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韓国 ソウルに旅行に行かれる方へ
今日友達がソウル駅近くで韓国人男性6人くらいに囲まれ袋叩きに合いました。警察に行きましたが全く相手にされなかったとの事です。本来なら明日までの旅行でしたが、本日の最終便で帰国するとの事。
韓国へ旅行する方はくれぐれも気をつけてください。釜山も心配です。

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韓国旅行に行く方へ ソウル 釜山
1、街中で、なるべく日本語を喋らない。デモには絶対に近づかない。
2、もしもの為に翻訳機を。
3、帽子と黒のマスクを。

友達みたいに危険な目に合わない為に。
今更キャンセルすると、キャンセル料がかかるので絶対行く!って人の為に。


ところで、こういう朝鮮人が起こす暴力事件には独特の特徴があり、戦前の日中戦争や日露戦争を招くきっかけになった、朝鮮人による扇動事件の数々である。

一言でいうと、

他人を焚き付け、他人同士で戦争を起こさせるという習性である。

たとえば、有名な「通州事件」の前ではこんなことをした。

18歳未満閲覧禁止『Sさんの体験談』
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(前略)

そのうちにあれだけ親日的であった通州という町全体の空気がだんだん変わって来たのです。
何か日本に対し又日本人に対してひんやりしたものを感じるようになってまいりました。
Tさんが私に日本人であるということが人にわからないようにと言った意味が何となくわかるような気がしたものでした。

そして何故通州という町がこんなに日本や日本人に対して冷たくなっただろうかということをいろいろ考えてみましたが、私にははっきりしたことがわかりませんでした。
只、朝鮮人の人達が盛んに日本の悪口や、日本人の悪口を支那の人達に言いふらしているのです。

私が日本人であるということを知らない朝鮮人は、私にも日本という国は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしていると申すのです。
そして日本は今度は支那を領土にして支那人を奴隷にすると申すのです。
だからこの通州から日本軍と日本人を追い出さなくてはならない。
いや日本軍と日本人は皆殺しにしなくてはならないと申すのです。


私は思わずそんなんじゃないと言おうとしましたが、私がしゃべると日本人ということがわかるので黙って朝鮮人の言うことを聞いておりました。

そこへTさんが帰って来て朝鮮人から日本の悪口を一杯聞きました。
するとTさんはあなたも日本人じゃないかと申したのです。
するとその朝鮮人は顔色を変えて叫びました。
日本人じゃない朝鮮人だ、朝鮮人は必ず日本に復讐すると申すのです。
そして安重根という人の話を語りました。
伊藤博文という大悪人を安重根先生が殺した。
我々も支那人と一緒に日本人を殺し、日本軍を全滅させるのだと申すのです。

私は思わずぞっとせずにはおられませんでした。
なんと怖いことを言う朝鮮人だろう。
こんな朝鮮人がいると大変なことになるなあと思いました。
Tさんは黙ってこの朝鮮人の言うことを聞いて最後まで一言もしゃべりませんでした。

こんなことが何回も繰り返されているうちに、町の空気がだんだん変わってくるようになってまいったのです。
でもそんなことを日本の軍隊や日本人は全然知らないのです。
私は早くこんなことを日本人に知らせねばならないと思うけれど、Tさんは私が日本人と話すことを厳重に禁止して許しません。

私の心の中にはもやもやとしたものがだんだん大きくなって来るようでした。
道を歩いているとき日本の兵隊さんに会うと「注意して下さい」と言いたいけれど、どうしてもその言葉が出てまいりません。
目で一生懸命合図をするけど日本の兵隊さんには通じません。
私が日本人であるということは通州で知っているのはTさんの友人二、三人だけになりました。
日本の兵隊さん達もだんだん内地に帰ったり他所へ転属になったりしたので、殆ど私が日本人であるということを知らないようになりました。

そうしているうちに通州にいる冀東防共自治政府の軍隊が一寸変わったように思われる行動をするようになってまいりました。
大体この軍隊は正式の名称は保安隊といっておりましたが、町の人達は軍隊と申しておったのです。
この町の保安隊は日本軍ととても仲良くしているように見えていましたが、蒋介石が共産軍と戦うようになってしばらくすると、この保安隊の軍人の中から共産軍が支那を立派にするのだ、蒋介石というのは日本の手先だと、そっとささやくように言う人が出てまいりました。

その頃から私は保安隊の人達があまり信用出来ないようになってまいったのです。
行商に歩いていると日本人に出会います。
私はTさんから言われているのであまり口をきかないようにしていました。
すると日本人が通った後ろ姿を見ながら朝鮮人が、
「あれは鬼だ、人殺しだ、
 あんな奴らは
 いつかぶち殺してやらねばならない」
と支那人達に言うのです。


最初の頃は支那人達も朝鮮人達の言うことをあまり聞きませんでしたが、何回も何回も朝鮮人がこんなことを繰り返して言うと、支那人達の表情の中にも何か険しいものが流れるようになってまいりました。
特に保安隊の軍人さん達がこの朝鮮人と同じ意味のことを言うようになってまいりますと、もう町の表情がすっかり変わってしまったように思えるようになりました。

(中略)

昭和十二年になるとこうした空気は尚一層烈しいものになったのです。
そして上海で日本軍が敗れた、済南で日本軍が敗れた、徳州でも日本軍は敗れた、支那軍が大勝利だというようなことが公然と言われるようになってまいりました。

日に日に日本に対する感情は悪くなり、支那人達の間で、
「日本人皆殺し、日本人ぶち殺せ」
と言う輿論が高まってまいりました。
その当時のよく言われた言葉に、
「日本人は悪魔だ、
 その悪魔を懲らしめるのは支那だ」
という言葉でした。


私はそんな言葉をじっと唇をかみしめながら聞いていなくてはならなかったのです。
支那の子供達が「悪鬼やぶれて悪魔が滅ぶ」という歌を歌い、その悪鬼や悪魔を支那が滅ぼすといった歌でしたが、勿論この悪鬼悪魔は日本だったのです。

こんな耐え難い日本が侮辱されているという心痛に毎日耐えなくてはならないことは大変な苦痛でした。
しかしこんなときTさんが嵐はまもなくおさまるよ、じっと我慢しなさいよと励ましてくれたのが唯一の救いでした。
そしてその頃になるとTさんがよく大阪の話をしてくれました。
私も懐かしいのでそのTさんの言葉に相槌を打って一晩中語り明かしたこともありました。

(中略)

そして支那人の心がだんだん悪くなって来て、日本人の悪口を言うようになると、あれ程日本と日本人の悪口を言っていた朝鮮人があまり日本の悪口を言わないようになってまいりました。
いやむしろ支那人の日本人へ対しての怒りがだんだんひどくなってくると朝鮮人達はもう言うべき悪口がなくなったのでしょう。
それと共にあの当時は朝鮮人で日本の軍隊に入隊して日本兵になっているものもあるので、朝鮮人達も考えるようになって来たのかも知れません。

しかし五月も終わり頃になって来ると、通州での日本に対する反感はもう極点に達したようになってまいりました。
Tさんはこの頃になると私に外出を禁じました。
今まではTさんと一緒なら商売に出ることが出来たのですが、もうそれも出来ないと言うのです。
そして「危ない」「危ない」と申すのです。
それで私がTさんに何が危ないのと申すと、日本人が殺されるか、支那人が殺されるかわからない、いつでも逃げることが出来るように準備をしておくようにと申すのです。

六月になると何となく鬱陶しい日々が続いて、家の中にじっとしていると何か不安が一層増して来るようなことで、とても不安です。
だからといって逃げ出すわけにもまいりません。

そしてこの頃になると一種異様と思われる服を着た学生達が通州の町に集まって来て、日本撃つべし、支那の国から日本人を追い出せと町中を大きな声で叫びながら行進をするのです。

それが七月になると、
「日本人皆殺し」
「日本人は人間じゃない」
「人間でない日本人は殺してしまえ」
というような言葉を大声で喚きながら行進をするのです。
鉄砲を持っている学生もいましたが、大部分の学生は銃剣と青竜刀を持っていました。

そしてあれは七月の八日の夕刻のことだったと思います。
支那人達が大騒ぎをしているのです。
何であんなに大騒ぎをしているのかとTさんに尋ねてみると、北京の近くで日本軍が支那軍から攻撃を受けて大敗をして、みんな逃げ出したので支那人達があんなに大騒ぎをして喜んでいるのだよと申すのです。

私はびっくりしました。
そしていよいよ来るべきものが来たなあと思いました。
でも二、三日すると北京の近くの盧溝橋で戦争があったけれど、日本軍が負けて逃げたが又大軍をもって攻撃をして来たので大戦争になっていると言うのです。

こんなことがあったので七月も半ばを過ぎると学生達と保安隊の兵隊が一緒になって行動をするので、私はいよいよ外に出ることが出来なくなりました。

この頃でした。
上海で日本人が沢山殺されたという噂がささやかれて来ました。
済南でも日本人が沢山殺されたということも噂が流れて来ました。
蒋介石が二百万の大軍をもって日本軍を打ち破り、日本人を皆殺しにして朝鮮を取り、日本の国も占領するというようなことが真実のように伝わって来ました。

この頃になるとTさんはそわそわとして落ち着かず、私にいつでも逃げ出せるようにしておくようにと申すようになりました。
私も覚悟はしておりましたので、身の回りのものをひとまとめにしていて、いつどんなことがあっても大丈夫と言う備えだけはしておきました。

この頃通州にいつもいた日本軍の軍人達は殆どいなくなっていたのです。
どこかへ戦争に行っていたのでしょう。

(中略)
八時を過ぎて九時近くになって銃声はあまり聞こえないようになったので、これで恐ろしい事件は終わったのかとやや安心しているときです。
誰かが日本人居留区で面白いことが始まっているぞと叫ぶのです。
私の家から居留区までは少し離れていたのでそのときはあまりピーンと実感はなかったのです。

そのうち誰かが日本人居留区では女や子供が殺されているぞというのです。
何かぞーっとする気分になりましたが、恐ろしいものは見たいというのが人間の感情です。
私はTさんの手を引いて日本人居留区の方へ走りました。

そのとき何故あんな行動に移ったかというと、それははっきり説明は出来ません。
只何というか、本能的なものではなかったかと思われます。
Tさんの手を引いたというのもあれはやはり夫婦の絆の不思議と申すべきでしょうか。

日本人居留区が近付くと何か一種異様な匂いがして来ました。
それは先程銃撃戦があった日本軍兵舎が焼かれているのでその匂いかと思いましたが、それだけではありません。
何か生臭い匂いがするのです。
血の匂いです。
人間の血の匂いがして来るのです。

しかしここまで来るともうその血の匂いが当たり前だと思われるようになっておりました。
沢山の支那人が道路の傍らに立っております。
そしてその中にはあの黒い服を着た異様な姿の学生達も交じっています。
いやその学生達は保安隊の兵隊と一緒になっているのです。

そのうち日本人の家の中から一人の娘さんが引き出されて来ました。
十五才か十六才と思われる色の白い娘さんでした。
その娘さんを引き出して来たのは学生でした。
そして隠れているのを見つけてここに引き出したと申しております。

その娘さんは恐怖のために顔が引きつっております。
体はぶるぶると震えておりました。
その娘さんを引き出して来た学生は何か猫が鼠を取ったときのような嬉しそうな顔をしておりました。
そしてすぐ近くにいる保安隊の兵隊に何か話しておりました。

保安隊の兵隊が首を横に振ると学生はニヤリと笑ってこの娘さんを立ったまま平手打ちで五回か六回か殴りつけました。
そしてその着ている服をいきなりバリバリと破ったのです。
支那でも七月と言えば夏です。暑いです。
薄い夏服を着ていた娘さんの服はいとも簡単に破られてしまったのです。

すると雪のように白い肌があらわになってまいりました。
娘さんが何か一生懸命この学生に言っております。
しかし学生はニヤニヤ笑うだけで娘さんの言うことに耳を傾けようとはしません。

娘さんは手を合わせてこの学生に何か一生懸命懇願しているのです。
学生の側には数名の学生と保安隊の兵隊が集まっていました。
そしてその集まった学生達や保安隊の兵隊達は目をギラギラさせながら、この学生が娘さんに加えている仕打ちを見ているのです。

学生はこの娘さんをいきなり道の側に押し倒しました。
そして下着を取ってしまいました。
娘さんは「助けてー」と叫びました。
と、そのときです。

一人の日本人の男性がパアッと飛び出して来ました。
そしてこの娘さんの上に覆い被さるように身を投げたのです。

恐らくこの娘さんのお父さんだったでしょう。
すると保安隊の兵隊がいきなりこの男の人の頭を銃の台尻で力一杯殴りつけたのです。
何かグシャッというような音が聞こえた
ように思います。
頭が割られたのです。

でもまだこの男の人は娘さんの身体の上から離れようとしません。
保安隊の兵隊が何か言いながらこの男の人を引き離しました。
娘さんの顔にはこのお父さんであろう人の血が一杯流れておりました。
この男の人を引き離した保安隊の兵隊は再び銃で頭を殴りつけました。

パーッと辺り一面に何かが飛び散りました。恐らくこの男の人の脳髄だったろうと思われます。
そして二、三人の兵隊と二、三人の学生がこの男の人の身体を蹴りつけたり踏みつけたりしていました。
服が破けます。
肌が出ます。
血が流れます。
そんなことお構いなしに踏んだり蹴ったりし続けています。

そのうちに保安隊の兵隊の一人が銃に付けた剣で腹の辺りを突き刺しました。
血がパーッと飛び散ります。
その血はその横に気を失ったように倒されている娘さんの身体の上にも飛び散ったのです。

腹を突き刺しただけではまだ足りないと思ったのでしょうか。今度は胸の辺りを又突き刺します。
それだけで終わるかと思っていたら、まだ足りないのでしょう。
又腹を突きます。
胸を突きます。
何回も何回も突き刺すのです。

沢山の支那人が見ているけれど「ウーン」とも「ワー」とも言いません。
この保安隊の兵隊のすることをただ黙って見ているだけです。

その残酷さは何に例えていいかわかりませんが、悪鬼野獣と申しますか。
暴虐無惨と申しましょうか。
あの悪虐を言い表す言葉はないように思われます。

この男の人は多分この娘さんの父親であるだろうが、この屍体を三メートル程離れたところまで丸太棒を転がすように蹴転がした兵隊と学生達は、この気を失っていると思われる娘さんのところにやってまいりました。
この娘さんは既に全裸になされております。
そして恐怖のために動くことが出来ないのです。
その娘さんのところまで来ると下肢を大きく拡げました。
そして陵辱をはじめようとする
のです。

支那人とは言へ、沢山の人達が見ている前で人間最低のことをしようというのだから、これはもう人間のすることとは言えません。
ところがこの娘さんは今まで一度もそうした経験がなかったからでしょう。
どうしても陵辱がうまく行かないのです。

すると三人程の学生が拡げられるだけこの下肢を拡げるのです。
そして保安隊の兵隊が持っている銃を持って来てその銃身の先でこの娘さんの陰部の中に突き込むのです。
こんな姿を見ながらその近くに何名もの支那人がいるのに止めようともしなければ、声を出す人もおりません。

ただ学生達のこの惨行を黙って見ているだけです。
私とTさんは二十メートルも離れたところに立っていたのでそれからの惨行の仔細を見ることは出来なかったのですが、と言うよりとても目を開けて見ておることが出来なかったのです。

私はTさんの手にしっかりとすがっておりました。
目をしっかりつぶっておりました。
するとギャーッという悲鳴とも叫びとも言えない声が聞こえました。
私は思わずびっくりして目を開きました。

するとどうでしょう。保安隊の兵隊がニタニタ笑いながらこの娘さんの陰部を切り取っているのです。
何ということをするのだろうと私の身体はガタガタと音を立てる程震えました。
その私の身体をTさんがしっかり抱きしめてくれました。
見てはいけない。
見まいと思うけれど目がどうしても閉じられないのです。

ガタガタ震えながら見ているとその兵隊は今度は腹を縦に裂くのです。
それから剣で首を切り落としたのです。
その首をさっき捨てた男の人の屍体のところにポイと投げたのです。

投げられた首は地面をゴロゴロと転がって男の人の屍体の側で止まったのです。
若しこの男の人がこの娘さんの親であるなら、親と子がああした形で一緒になったのかなあと私の頭のどこかで考えていました。

そしてそれはそれでよかったのだと思ったのです。
しかしあの残虐極まりない状況を見ながら何故あんなことを考えたのか私にはわかりませんでした。
そしてこのことはずーっとあとまで私の頭の中に残っていた不思議のことなのです。

私は立っていることが出来ない程疲れていました。
そして身体は何か不動の金縛りにされたようで動くことが出来ません。
この残虐行為をじっと見つめていたのです。
腹を切り裂かれた娘さんのおなかからはまだゆっくり血が流れ出しております。
そしてその首はないのです。

何とも異様な光景です。
想像も出来なかった光景に私の頭は少し狂ってしまったかも知れません。
ただこうした光景を自分を忘れてじっと見ているだけなのです。
そうしたときTさんが「おい」と抱きしめていた私の身体を揺すりました。

私はハッと自分にかえりました。
すると何か私の胃が急に痛み出しました。
吐き気を催したのです。

 (後略)



まあ、これがあのモングル人襲来の時に朝鮮人がモンゴル人にやった告げ口外交と同じ手口だ。

残酷なモンゴル人にあっちの海に日本人が住んでいると教えて手引し、無実の対馬の住人を餌にして島民全員を残虐に殺し、食ってしまったのである。

俗にいう「対馬の虐殺」という。


大東亜戦争は、日本人となった満州の朝鮮人が起こしたのである。つまり、北はロシア人、南は中国人に今現在文政権がやっているような嘘捏造の話を鵜呑みにさせるような工作活動を起こし、日本人をあたかも世界の敵かのようにプロパガンダし、ロシアやチャイナが日本と戦争し始めたら、自分たち朝鮮人はその後ろに隠れ、その戦争の最中、婦女子を襲い、火事場泥棒をし、双方から利益を不当に得る。

とまあ、こういうことを行ったわけだ。


これが朝鮮人という人形生物に染み付いた天然のDNAの性質である。

古くは、百済の時代の白村江の戦いでも同じことをやったし、
秀吉の朝鮮出兵でも同じことをやったし、
江戸時代の朝鮮通信使の時代でも同じことをやったし、
明治維新の時にも同じことをやったし、
日清戦争の時にも同じことをやったし、
日露戦争の時にも同じことをやったし、
大東亜戦争の時にも同じことをし、
終戦後の日本でも同じことをしたし、
朝鮮戦争の時でも米ロに対して同じことをしたし、
ベトナム戦争の時も米国に同じことをしたし、
そして、今現在も同じことをしつつある。
←いまここ


とまあ、そんなあんなで、朝鮮人のDNAはまったく変化していないのである。むしろ、純化されその特質が強化されたと言えるだろう。


傾向の最大の特徴は、

(1)嘘で固めて悪口を言い始める。
(2)悪口を周りに言いふらす。
(3)その嘘を周りのものに及ばせ、無関係の他人をまき込む。
(4)いつの間にか自分の問題を他人の問題とすり替える。←いまここ
(5)すり替えれた他人同士を焚き付け、無益に戦わせる。
(6)不思議と自分は静まる。
(7)他人同士が戦っている間に留守になった場所で婦女子や子供や老人を襲う。特に女子を襲う。
(8)自分は被害者であり、相手が加害者だと言いふらす。
(9)(1)〜(8)のループを無限に繰り返す。



とまあ、そろそろ日本人は朝鮮人のこういう性格を覚えてちゃんと対処すべし。とにかく、そういう生物が国内にもわんさか、世界中にわんさか、半島には数千万、チャイナにも数億いるわけだ。

遺伝子の問題だから、治る問題ではない。病気でもなければ異常でもない。そういう特質なのだ。

やつらは犬猫を食う種族だ。人間も食う。

クマは人襲う。そういうものと同じことにすぎない。


俺が地球人は一旦滅んだほうが良いという意味が分かるだろ!


いやはや、新しい世の始まりですナ。ゾンビの世ですナ。


いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2019-07-29 16:36 | 韓国・ウリナラ・法則

昨日の「異常震域の深部地震」の謎:超古代ムー帝国のあった場所で地震が起こったのか!?   

みなさん、こんにちは。

いやはや、令和になりあまりにいろいろな不気味なことが起こりすぎて、またETの手も借りたいほどである。しかしいまだそれはなさそうだ。

さて、7月28日早朝3時の地震をメモしておこう。


(あ)異常震域の深部地震

これについては、すでにダマスゴミメディアのニュースもいくつか出ている。なぜなら、非常に稀な変わった地震だったからである。

宮城で震度4、震源は600キロ離れた三重県沖 遠方が揺れる「深発地震」に注意
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 28日午前3時31分ごろ、宮城県で震度4を観測する地震があった。気象庁によると、震源地は三重県南東沖で震源の深さは約420キロ。地震の規模はマグニチュード(M)6・5と推定される。震源が深い「深発地震」で、約600キロ離れた宮城県で最大震度が観測された。

 巨大地震は一般に、沈み込む海側プレート(岩板)と引きずり込まれる陸側プレートの境界面付近で発生し、震源の深さは数十キロで揺れは通常、同心円状に広がる。しかし、深い場所で起きた場合、地表に伝わるまでに揺れのエネルギーは大きく弱まるが、固いプレートの内部では比較的弱まらず伝わる。

 専門家によると、通常の10倍以上深い場所で発生した今回の地震は、太平洋プレートが地下深く沈み込んだ先で起きた。震動はプレートを通して東北沖まで伝わった後、日本列島が乗る北米プレートへ接触面から伝わったとみられる。

 気象庁によると、三重県南東沖を震源地とする地震は昭和59年1月に深さ388キロでM7・0、平成15年11月にも395キロでM6・5が発生。いずれも関東、東北が揺れる「異常震域」という震度分布だった。

 深発地震は頻度が少なく防災上の重要性が低いため、国は長期予測をしていない。東北大学の遠田晋次教授(地震地質学)は「深発地震でも、震源が深さ百数十キロだと大きい被害が起きる危険があり注意が必要」と話している。


【地震】三重県南東沖で大規模な異常震域発生!北海道~九州で揺れる P波とS波がはっきりわかれる


(い)異常震域地震

まあ、昨日はすぐに私もこの地震について調べてメモしようとしていたが、昨夜はここ阿南の夏祭りの最終日の花火大会があった。それで、夫婦でそれを恒例で見に行ったのである。そんなわけで、ダマスゴミの方が私より先にあいなった。

今回の地震の興味深いのは、どうやら地震学用語にある「異常震域」という現象である。

その結果、地表の真上から見たら、震源地は和歌山沖でこっちの方に近かったのだが、大揺れした場所はあっちの方の関東東北だった。

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要するに、揺れた場所と震源地が分極したのである。

これは、その大地震の揺れが、我々のいる西日本のプレートに伝わらず、彼らのいる東日本のプレートで伝播した。

マスゴミ報道はそういう説明である。


(う)日本のプレートの地下構造

さて、そこでネット上で見つかる日本の地下のプレートの構造の模式図をいくつかメモしておこう。

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これらを見て分かるように、そして、すでに周知の事実だろうが、我が国は地下において、以下の4つの大陸プレートが折り重なっている。

ユーラシアプレートフィリピン海プレート北米プレート太平洋プレート

箱根の関所より西日本は、ユーラシアプレート上にあり、箱根より東日本は北米プレート上にある。

そこへ南からフィリピン海プレートが食い込み、東から太平洋プレートが押し込んでくる。

おそらく世界でも最も複雑な構造を持った場所である。

2011年の311は、北米プレート太平洋プレートとの境界面上で引き起こされた。むろん、表のメディアでは1個のM9の自然地震になっているが、実際には核爆弾(小型中性子爆弾)の3個の連動した三連発で起こされた地震テロであった。

一方、韓流親中の日本政府官僚やジャムズテックの地震学者たちから和歌山沖で起こってほしいと期待されている南海トラフ地震は、ユーラシアプレートフィリピン海プレートとの境界面上で起こると予想されている。

そして、今回、その場所で起こった。

しかしながら、こういったよく見る、巷に溢れた画像には、北米プレートフィリピン海プレートとの境界面が描かれていない。


(え)北米プレートとフィリピン海プレートとの境界面は?

そこで、あまり見えない一番真ん中の北米プレートとフィリピン海プレートとの境界面はどうなっているのか?

そういうものを見るには、やはり内部が透けて見えないとわからない。というわけで、スケルトンのものはないかと探すとこんなやつが見つかった。

地球内部構造の3D表示 ~日本列島下の地震の分布とプレートの形状~

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今回の地震は地下深部420kmの深い場所で起こった。

その場所は、北米プレートの青色の部分である。その上には何やら「黒い緩衝帯」があり、さらにその上の浅い部分にフィリピン海プレートの紫の部分が乗っている。

その「黒い緩衝帯」とは、マントルのことであり、液体である。

というわけで、今回は、結構な大地震が北米プレートの420kmの地下で起こったが、その振動はその上のマントルでは吸収されて伝わらず、硬い岩盤の北米プレートに沿って表面波(横波)が伝わり、それが関東・東北の地下で大きな振動を引き起こしたのである。


したがって、結論としては、

深い場所の自然地震ほど関東・東北が揺れる。

浅い場所の自然地震ほど西日本が揺れるということである。


とまあ、そんなところですナ。

距離的には、超古代のムー帝国があったあたりの大陸が、長年のうちに日本の下に引き込まれて、その場所あたりが地震を起こしたのかも知れませんナ。なにせ超古代文明の遺産があったかも知れないわけだ。



いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2019-07-29 09:44 | 地震・地震予知・噴火