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カテゴリ:個人メモ( 57 )   

Q「英語の本を翻訳するっていう事をどう思われますか?」→俺「日本を豊かにすることだ!」   

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みなさん、こんにちは。

さて、今回は個人メモである。大半の人には無関係の興味のない話だろうからスルーでよろしくネ。


最近、とある友人から面白いメールをいただいた。それは、我々科学者がする英語の本の翻訳に対する是非を問うというものである。

それに対する私のQ&Aを一応メモしておこう。以下のものである。

ちなみに、Qは私が質問内容をまとめたもので、Aがそれに対する私のその時の即興意見である。


Q1:英語の本を翻訳するっていう事をどう思われますか?

まあ、結論から言うと、英語の本や他国の本を日本語に翻訳するということは、我が国の日本語の文化を豊かにすることだと考えていますね。逆に、日本語の本を英語や他の国語へ翻訳することは我が国の文化の紹介のような意味を持つと思いますね。

Q2:「翻訳なんかするから日本人は英語の専門書が読めないんだ」に対しては?

これはこの意見の人の誤解でしょう。英語と日本語は極西と極東というまったくかけ離れた場所の言語ですから、地球上でもっとも離れた言語なので、お互いにうまく認識できる接点が少ない言語同士。だから英語の専門書および本が読めないということだろうと思いますね。翻訳したから読めないということはないと思います。

Q3:「翻訳をする研究者に一流の人はいない」に対しては?

確かにかつてはそういう事はあったかも知れないですが、日本語でしか仕事を公表していないのに、向こう側が翻訳してくれるという場合もありますね。あくまでその人の行った仕事の価値や相手の興味や関心により、翻訳されるかどうかは決まると思います。

むしろ、ショーペンハウアーの意見では、彼の本を翻訳するなら自分と同じくらいかそれ以上の哲学者であれと言ったというものがありますから、一流の人が翻訳する必要がむしろあります。朝永振一郎はディラックの教科書を翻訳しています。

私自身の考えでは、定年退職あるいは還暦過ぎたらむしろ翻訳するべきだと最近では思うようになりました。理由は色々ありますが、中高年の脳の老化防止にもなるし、それまでの自分の専門分野が完結するあるいは円熟するのは高齢者になってからだと思うからです。

特に最近つくづく思うのは、60過ぎないと、あるいは、退職して教育から一旦離れないと、それまでに学んだことが本当に正しかったのかどうかを疑うような学問の根底に関わることに対する懐疑や疑問は回避する傾向があるということです。学生や大学のスタッフでいる以上、その大学の教程の基礎となる理論を否定することは難しいのでは?だから、ニュートン力学の成立の是非、アインシュタイン理論に対する反論や量子力学の是非などを問うような本は大学の人には書けない。

そうなると、逆に大学の人は批判者を大学の外にいる人だからと思って自分たちを納得させることができる。

Q4:藤原正彦先生の考え方については?

「祖国愛、母国語への造詣の深さが学問や文化を育てる」
「英語力が国力を表すならインドやフィリピンはもっと発展していたはずだ」
「流暢な英語をしゃべれても国際的な影響力は無い」
「英語圏以外で母国語で最先端の学問を学べるのは日本だけ」
「母国語で学問ができるということがどれだけありがたいか」
「我々は言葉で物事を考える。だから言葉のつたない者は思考も浅い」

などはまさにそのとおりだと思います。藤原先生の本は昔かなり読んだことがありますが、概ね賛成ですね。

まあ、TOEFLの世界ランクで我が国は最下位ですから、英語力が国力を表すのであれば、最下位になったはずですが、科学や文化は言語の問題ですから、我が国には欧米圏、英語圏よりはるかに豊かな文化があり、その結果我が国が科学でも成功してきたと言えるでしょう。

また文化は我々の持つ遺伝子の産物、反映でもありますから、やはり遺伝的生物的問題も無視できません。

言語能力と思考能力はまった別次元の問題だと思います。しかし言語が思考に影響を与えるのもまた事実であると思います。

もし問題があるとすれば、それは英語が世界語であるために、ユーザーが多く、あまりに英語で書かれたものが増えすぎて、日本人がそれらについていかれずに取り残される結果になるということだろうと思います。しかし、かと言って、英語だけでフォローしてもそれは人口の問題があるので、結局完全にフォローするのは不可能だろうと思いますね。

それよりは日本語で美しい作品を作るほうが意味があるし、英語圏の価値の高いものだけに絞って日本語に翻訳することの方が意義が高いと思います。

日本人は日本語で読む方が英語で読むより数段早いので、やはり日本語の本が大事と思います。

Q5:同時通訳ツールなんていうものが現れたら、もはや英語を積極的に学ぶ理由も無いかもしれません。

これについてはもう実質上そうなっていると思います。いわゆるコミュニケーション(会話)のツールとしては翻訳機で十分です。

著作の翻訳もグーグル翻訳などかなり正確になってきていますね。私も自分の翻訳と比べてチェックします。そのうち、自動翻訳で英語の本であろうが、どの国の本も読める時代になると思います。いずれは翻訳家は必要なくなるはずです。今現在でも、単語のチューニングとかいうものがあり、分野にチューニングするとかなり正確な自動翻訳が行われるものもあるようです。pdfも部分部分を一気に自動翻訳できつつあります。

最近ePubに移行中というか勉強中ですが、これなどネットのホームページをそのまま書籍化するところからできたもののようで、html形式の文書をpdf化するものだと思います。だから、逆に我々のLaTexとはかなり相性が悪い。

Q6:井口さんは毛色の変わった本の翻訳をしていますが、実はそれが日本の学問には重要なものの一つなんじゃないか?

そう思っていただきありがとうございます。私の翻訳の流れは一連の私個人の研究上の興味からきたもので、特にそうしようと思ってしたことではないのですが、結果的に変わった本を出すことになってしまいました。自分が英語で読みながらそれをついでに翻訳するということをしてきた結果ですね。翻訳したからせっかくだから本にしておこうということにすぎません。

私が大学の先生だったら、その翻訳までで終わりで特に本にする必要もないし、英語だけで読んでそれで論文を書けばそれでよろしいわけです。が、大学の先生ではないので、本にまでしたということになります。

しかし本来なら大学の先生こそそういうことをすべきだと思います。自分が学んだ論文や本はせっかくなので日本語に翻訳すべきです。いまではePubで出せます。

大学はシステマチックに大学の文化コンテンツとしてそれぞれの専門分野の研究者が学んだ論文や著作を日本語に翻訳して公表しておくべきだろうと思います。

最近では我が国の講義をYouTubeにアップしたりしていますが、研究論文の日本語訳もアップしたら良いと思います。

Q7:日本人が英語にどっぷりつかって、それこそ英語の専門書しかなくなったらこんなに日本人は国際的影響力は無く、白人の下に位置する一英語圏民族で終わったような気がします。

まさにそのとおりだと思います。その意見の証明がインドやシンガポールや香港やマカオでしょうね。

日本人が日本語で高度文明を築いてきたからこそ、いまのアニメやその内部のコンテンツが全世界に良い影響を与え続けているのであって、日本が英語圏だったらそういうものはすべて英国の下部社会にランクされるので、結局欧米人に影響を与えるものはなにもないはずです。

いまでは、日本星とか、惑星日本とか呼ばれるほど、日本人と日本は世界に影響を与えていますから、やはり日本語で読めるものを増やすことは実に重要なことだと思いますね。


いずれにせよ、なかなか興味深い問題意識である。

実際、大学や研究所の専門家、特に数学者や理論物理学者は日常業務である研究と教育に大変忙しい。だから、ゼミでは英語本を読ませることもあるかも知れないが、それを翻訳して日本語で出版しようというようなことは非常に稀である。

強いて言えば、物理学者より数学者の方が翻訳本が多い気がする。また、我が国で新しく出る教科書や著作の数も数学のほうが物理学より多いような気がする。が、あまり紀伊国屋や大きな本屋に行くことがないのでわからない。


最近特に思うようになったことは、我々物理学者が本当に自分の頭で物理学を考えるようになれるのは、

還暦を過ぎてから=60歳になってから

ではないか、という気がするわけだ。

というのは、学者が大学の職員でいる限り、その学者さんは自分が学校の教科書として教える内容について否定的な見解を教育することは難しくなる。

ニュートン力学を今教えながら、そしてそれで試験をしたりしながら、

「実はニュートン力学は間違っているんだ!」

とは教えづらい。まあ、実質上不可能であろう。

また、今最も完全な理論が「一般相対性理論」と「量子力学」であり、その統合を目指しているさなかにあると教育している最中に

「実はエーテルが存在して、相対論は間違いだったんだ!

とは教えづらい。これまた実質上不可能だろう。大学の教程が崩壊してしまう。

同様に、いまそういういわゆる「標準的見解や標準理論に基づいて」研究論文を出して給料をもらっている学者が、それを疑うということはほぼ不可能だろう。

したがって、本当のリアルな現実理論を生み出そうとすれば、少なくとも

(あ)標準理論を教える立場にないこと
(い)標準理論で飯を食う必要のないこと


の2点が必要不可欠なことになる。

ということは、大学や研究職にいないか、やめるか、退職しているか、ということになる。

定年退職が65歳なら65歳以上、60歳なら60歳以上が必要条件になる。

ちなみに、必要条件というのは、それが満たされないとだめだが、望む結果が得られないという条件のことである。

この場合は、学者が既成の標準理論を疑うということができるための必要条件を探しているから、上の2つで十分だということだが、60歳以上の学者がみな既成理論を疑うようになるとは限らないし、期待できない。

翻って、私自身の場合を考えると、30台後半でいわゆる研究職を離れフリーの理論物理学者になったから、既存の理論フリーでいる期間が長かった。だから、大学の人達より、自由に気ままに様々な意見や理論や実験に接しても特に問題はなかったわけだ。

フリーの理論物理学者だからこそフリーエネルギー(フリエネ)を真面目に考えることもできる。もし大学にいたとすれば、フリエネは眉唾だという大学の代弁者にしかなれなかったに違いない。

相対論、およびその一般化の超ひも理論やブレーン理論で食っている人たちに、「そもそもアインシュタインが間違っているじゃん」と言ったとしてもそれを受け入れる余地はないだろう。

日本政府の東大出身の官僚たちが一度作った法律を、いくらそれが悪法だったとしても、廃止することができない。なぜなら、それにより多くの国家予算をつけて実施してしまい、既成事実化してしまったわけだからだ。

これと同じように、一度確立した標準理論は、それがいくら矛盾に満ちたものになったとしても、それを捨てることができない。なぜなら、最初に標準理論を既成事実としてノーベル賞を与えてしまった以上、それを否定することはノーベル賞を自ら否定する結果になるからである。

大学や研究所は、既成事実の上に既成事実を重ねていく組織である。だから、その職員である研究者が既成事実を否定する論文を書くことはほぼ不可能である。


昔は良かった。

というのは、昔は学者は大学にいなかった。そもそも大学自体が未発達だった。だから、自由に実験し、自由に解釈できる自由があった。パトロンは金持ちや王族貴族だった。大金持ちの余興や個人的興味から科学が発達したわけだ。

しかしながら、今のように、大衆迎合し、大衆教育が目的になった20世紀以降では、科学は教本化、教程化して、教育は就職の目的になった。こうなると、受験勉強と同様に、内容は問題ではなくなり、形式が重要視されるようになる。

その最近の兆候が、最近の医学部の不正入試を問うしかたに現れた。女子への不当差別だという問題だが、女子は生物的遺伝的に血を怖がるのが普通であり、これまでそういう性質上の経験則から、女子の医学部への適性は受験勉強の科目の成績だけでは見ることができないから、経験則として、わざわざ女子の入学を減らすようにしてきたわけだ。

なぜなら、せっかく入学させて高度な教育しても、途中で結婚していなくなったり、外科医になりたがらなかったり、楽な分野へいきたがるのであれば、せっかくの行為を仇で返す結果になるからだ。そういうリスクを避けるために、女子の入学に制限をかけてきたわけだ。

それが、単にお勉強の出来不出来の問題に矮小化され、逆にこれまでの教育経験上の配慮としての制限の問題がミスリードされたわけである。

これには相当に一理あって、かつて第2次世界大戦時にロシアで青年はみな戦争に駆り出され、医学部に女子学生だけが入った結果、女子は数学や機械いじりが苦手、血を見るのが苦手で、高度医療者や外科医がほぼゼロになり、その結果、戦後のロシアの医療が崩壊に瀕してってしまったという歴史が残ったのである。

女子には女子としての社会的役割があるから、その分どうしても専門職では数がすくなるのが自然であるが、それを差別だというのは、自分が母親になるのは差別だというに匹敵する自己矛盾に満ちたおバカな感性と言えるだろう。

こういう人は、韓国人と同様に、お日様を見ればそれが旭日旗の戦犯旗だと批判すようなものだ。事実は逆なのだ。この場合なら、太陽の日の出を模したものが旭日旗であってそれ以上でもそれ以外でもない。

同様に、女性だからこそ理系や医系の入学者が減るのであって、減るのは差別の結果ではない。

つまり、女性の能力の問題ではなく、女性の好みの問題なのである。女性が医学部を好まないというだけの問題なのである。


だいぶ話がそれてしまったが、最近はそうなってもできる限り止めずに、流れに任せて思いつきをメモするようにしている、「口からでまかせ」の観点であるが、これもまた大学人にはこういう意見を出すことが不可能だという例としてメモしたまでだ。

大学には限界がある。


さて、こうしてみると、いま昨今のクラウドファンディングなどの新しいスポンサーや投資のあり方が出てきた時代では、クラウドファンド的なやり方で、大学や国家機関ではできないことややりそうもないことに支援するという芽もありそうだ。

クラウドファンドがフリエネの研究を支援する。かつての王族貴族のやり方を真似ることができそうだ。

しかしながら、既成事実化した世界がいまではあまりに業界として大きく成長しすぎて、それをなし崩し的に崩壊させるかも知れないものへは相当の妨害や障害になる時代になった。

ある人が偶然ガンを消す方法を発見したとしても、既成の医学界がそれをフェイクだと言うに違いないし、同様に、ある人がフリエネ発電を発見したとしても、既存の物理学会がそれをトンデモだというフェイクニュースを流すに違いない。


この意味では、やはり他の惑星から再出発する他ないのかも知れない。

この地球上が化石燃料時代とその栄華で反映している人型生命体で溢れているとすれば、新文明が誕生するには、その人型生命体が滅びるか、あるいはそれがいない場所で発達する他ないわけだ。

海洋内が最強生物となったサメから逃れるには、陸上に逃げ延びなければならなかったように、この地球上で最強生物となった白人種や偽ユダヤ人種から逃れるためには、他の星へ逃げ延びなければならないに違いない。おそらく共生はありえないだろう。


さて、いずれにせよ、学者がこれまで自分が学んだことをいったん忘れて、また自分で自分なりに再解釈したり、再構成したりするようにできるにはかなりの時間が必要であることは確かだ。

力学の専門家は力学しか知らないから、それを超えるメタ力学を考えることは不可能だろう。

数学者は数学しか知らないから、それを超えるメタ数学を考えることはかなり難しいだろう。

物理学者は物理しか知らないから、やはりそれを超えるメタ物理学を考えることは難しいだろう。

自分が学んだ専門を超えてすべてを再構築するには、長い年月ですべての分野に目を通す必要がある。実に地道な作業だ。英語でそれを行うにしてもほぼ不可能なくらいの作業であろう。我々は日本語で生きている。したがってそういうことを行うのは更に時間と労力がかかる。

だとすれば、やはり英語の名著は日本語になっていなければ、相当に不便であろう。英語で読むより日本語で読むほうが遥かに理解しやすいし速い。

もし、定年退職した学者が、それまでに自分が学んだ中で最も有用だったとか重要だったという英語等の専門書を日本語へ翻訳したとすれば、かなりの数の本が日本語で出版されるだろう。そうなれば、かなり後々の人たちが得をするだろう。


こういう意味の翻訳文化を広がることを心より期待して、この辺でやめていこう。


世の始まりですナ。





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by kikidoblog2 | 2019-08-20 09:32 | 個人メモ

昭和のヒーローがまた一人逝った!:高島忠夫さんお疲れ様でした!ご冥福をお祈りいたします。   

みなさん、こんにちは。

そういえば、高島忠夫さんがお亡くなりになられた。享年88歳。ご冥福をお祈りいたします。

徹子の部屋 追悼・高島忠夫さん


私が高島忠夫でイメージするとすれば、小学生の頃、毎夏の夏休みに見に行った、少年向けの怪獣映画の主人公のイメージである。

ゴジラが東宝、ガメラが大映。

そのゴジラシリーズとガメラシリーズ。さらには妖怪シリーズを欠かさずに映画館へ見に行ったものである。

【公式】「キングコング対ゴジラ」予告 アメリカの人気怪獣キングコングを相手に迎えたゴジラシリーズの第3作目。
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大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス1967
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昔の日本の(日本人の)芸能界は、東映なら誰それ、東宝なら誰それ、大映なら誰それというように、それぞれの映画会社に専属のトップ俳優がいた。

青春スターなら、石原裕次郎は日活。宝田明は東宝。本郷功次郎は大映。

同様に、女優もそうだった。


だから、昭和の俳優は、自分の活躍の場がはっきり分けれていたわけだ。


ガメラは大映だから、本郷功次郎さんが主役だった。

ゴジラは高島忠夫さんが主役だった。

こうして、いい意味で切磋琢磨し、あっちがゴジラなら、こっちはガメラだというような感じで頑張った。

あっちが加山雄三(東宝)なら、こっちは石原裕次郎(日活)だという按配だ。


それと比べると、最近の在日創価学会の朝鮮芸能界になった我が国の芸能界は、そこのところが不明瞭で見境がない。まさに朝鮮脳である。

NHKの朝ドラに出ていたのかと思えば、「嫌なら見るな」のウジテレビにもでるし、CMにもあっちこっちの会社のCMにでる。

テニスの松岡なんてそこら中に出まくる。錦織がたまたま自分のテニス番組にいたというだけで、錦織の育ての親になりすましているわけだ。錦織からすれば、いい迷惑だろう。本来なら錦織が出るべきCMを全部松岡修造がとってしまったわけだ。


この見境がなくなったところが、逆に一握りの俳優だけで芸能界全体を闊歩することになり、人材不足になったようだ。

若者、若手が育たない。

人は顔を見て判断するするから、同じ顔の役者が様々の役をしたところで、リアリティーがかけるわけだ。

最近の歌手の世界の「カバーソング」と同じで、同じ歌手が他人のいろんな歌をカバーすると、個性がなくなる。

ドラマや映画などまさにそれだろう。


同じ役者が、教師やったり、医者やったり、農夫やったり、ヤクザやったり、。。。これじゃ、

使い回しですか?

いいもんはこの役者、悪人はコイツ。ヤクザは高倉健。独眼竜は渡辺謙。


とまあ、いい意味で住み分けがあった方がよろしいわけですナ。


とまあ、そんな古き良き時代の日本の芸能界の代表格の一人だったのが、高島忠夫さんであった。

まあ、息子たちはその親の七光りに過ぎないから、どうでもいい。


ところで、私が一番子供の頃おもしろいと思ったのが、ムー帝国が復活するという

海底軍艦だった。

ムウ帝国皇帝  海底軍艦 1963年
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海底軍艦(プレビュー)


ちなみに、宝田明の東宝はそのちょっと前にこれを出していた。

世界大戦争 (1961) - 日本版 予告編 (復興)


やはりサッカーでもスポーツでも映画でもお笑いでも、なんでもそうで、いろいろのチームがあるからこそ

切磋琢磨

できる。

皆同じプロダクション所属とか、芸人の大半が吉本とか、イケメンの大半がジャニーズだけとか、そうなってくると、そこには腐敗が生まれる。

アンチ吉本の芸人がいなかったからこそ、吉本の闇営業も生まれるし、アンチAKB秋元一座がないからこそ、秋元一座の枕営業も生まれる。

やはり、ほどほどに制限すべきなんでしょうナア。


まあ、俺にはどうでもいいがナ。


一方、アメリカのハリウッド。CGの発展でジョブズの悪影響か、全く新しいコンテンツを生み出す、考え出す力がなくなってしまった。日本映画のコピー、なりすましだけ。

恥を知れ!Shame on you!

まあ、金のためなら尻の穴を売るのが偽ユダヤ。そもそもハリウッドとはそういう場所だった。アカデミー賞はそんな偽ユダヤ人の仲間内の賞に過ぎない。

今では、我が国のアニメや戦隊モノに押されっぱなし。所詮は、いまだに英王室のリバイバルのディズニー映画やスターウォーズ的なものしかない。

アニメや日本映画の影響を受けるなら、やはり日本映画と切磋琢磨した方がいい。日本がアニメなら、アメリカはこれだというような新コンテンツを考え出すべきでしょうナア。

役所広司の代わりをリチャード・ギアがするとかもう勘弁してほしい。おかげで、芝犬やら秋田犬やらが盗まれっぱなし。日本を広めるふりをした日本潰し作戦なんでしょうナア。


いやはや、世も末ですナ。



高島忠夫さん、お疲れ様でした。ご冥福を心からお祈りいたします。






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by kikidoblog2 | 2019-07-02 10:58 | 個人メモ

伊藤清「確率論と私」の「確率論と歩いた60年」2:おまけ「数学者と金融戦士の話」   

おまけ:

ついでに伊藤清の「確率論と私」の「確率論と歩いた60年」
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確率論と私
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の最後の方にある金融経済学への確率微分方程式の応用の話をメモしておこう。

ここでは、伊藤清の理論が金融界に応用され、その結果、日本の金融界が敗退していくさまに対する、伊藤先生への当てこすり、あるいは、警鐘が語られている。

どうやら空白の10年の時代に入り、アメリカにいる日本人あるいはアメリカ人の金融界の人から伊藤清宛に手紙が来たという。その内容の抜粋である。

「数学科の優秀な学生の進路がすっかり変わってしまいました。我々の時代には数学者のタマゴは、大抵、数学者になりましたが、今では、彼らは、経済戦争の勇敢な戦士になるのです。

アメリカ軍の戦士は「伊藤理論」というレーダーで照準を合わせて砲弾を発射しているのに、日本軍の戦士はブルーベリーを食べて夜間視力を増強し、経験とカンと精神力で応戦しています。

数年前まであれほど優勢を誇った日本軍も、いまや劣勢いかんともし難く、敗走に次ぐ敗走を重ねています。

我々は、貴兄をはじめ多くの日本人数学者を友人とするアメリカ人数学者として、非常に複雑な心境です。

おそらく日本軍は壊滅する前に「伊藤理論というレーダー」の存在に気づき、たちまち有効な反撃を開始するでしょう。そうなると、戦局は拡大する一方です。(さらに、かつてアジアばかりか世界に翼を伸ばして成長著しかった四頭のドラゴンが故郷へ撤退していく様を語ってくれた手紙もありましたが、省略します。彼らの手紙の最後は次のようなものでした。)

幸か不幸か、「伊藤理論」はレーダーであって、原子爆弾ではありませんから、一発で戦争を終わらせる力がないことは確かですが、そうなると、どのような形でこの戦争を終わらせ、その後にどのような戦後が来るのか、今はだれにも判らないのです。」

手紙を読んだ私は、思いもよらない内容に茫然としました。私はこれまでの人生において、株やデリバティヴはおろか、銀行預金も、定期預金は面倒なので、普通預金しか利用したことがない「非金融国民」なのです。

妻によれば、我が家の財政は、定期預金と普通預金の利息に差があったときには、預金残高がほとんどなく、預金残高に少しは余裕のできた昨今は、どちらに預けても利息は無いも同然とのことですから、あれこれ心を遣わなかったのは賢明だったかなと思っています。

とりあえず、友人に返事を書いて、彼の間違いを指摘してやりました。

「私が数学者のタマゴから雛鳥になりかけていた頃、日本軍の戦士が夜間視力の向上のために食べていたのは、ヤツメウナギであって、ブルーベリーなどという英米語食品ではありません」
とまで書いたとき、彼のトールキンのファンタジーさながらの迫力ある報告に比べて、私の指摘の貧弱さに愕然としました。

私は、彼の報告に対するコメントは諦めて、近ごろの日本の学生のことを書くことにしました。

「日本でも、我々の時代の数学者のタマゴは、みんな数学者になりました。私の大学の同級生も全員数学者になり、「岩波の数学辞典」の頁を飾っています。しかし、現代の日本では、数学がよくできる高校生は、数学者のタマゴにすらなりません。実際、「数学オリンピック」などで金メダルを取るような高校生は、数学科には来ないで、医学部へ行くようです。

私は「これを能くする者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」とつぶやいては、「与えられた問題を早く解く能力があるだけでは、よい研究者になれません。自分で問題を見つけて、自分のやり方で考えるのが好きな学生が、たとえ何年も成果があがらなくても、自分の問題を考えること自体が楽しいといううような仕事をしてほしいものです」などと、解説を加えています。

「数学オリンピック」のメダリストたちは頭が良すぎるので、一つの問題を三十分以上考えられないのでしょう。」



このあとの話も興味深いが、それは原著を読んでもらい、最後の言葉も面白い。

時間と空間の森の小道を彷徨いつつ、六十年を確率論と歩いてきました私は、この原稿を書きながら、頭の中でもう一度、同じ道を歩きました。現実には歩くことができなくても、頭の中で歩くことができて幸せでした。私は文字通り「考える葦」になったのです。
ーーご清聴ありがとうございました。



この講演は、授賞式に体調を崩し登壇できなかった伊藤の代読者のための原稿である。



こういう数学者らしい数学者は我が国にはかなり多い。

どうして小国の我が国から偉大な数学者が誕生するのか?これも謎の一つである。



いやはや、世の始まりですナ。




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by kikidoblog2 | 2019-06-06 14:07 | 個人メモ

伊藤清「確率論と私」の「確率論と歩いた60年」:俺「俺の確率との出会いはいつだったかな?」   

みなさん、こんにちは。

さてもう一つ個人的メモ。スルーでよろしく。


伊藤清の「確率論と歩いた60年」

これは伊藤清博士が1998年に京都賞を受賞された際の受賞講演録であり、伊藤清の
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確率論と私
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伊藤清の数学と佐藤幹夫の数学:俺「いでよ、天才君!確率D加群を構築せよ!?」

の中に再録されてある。若い人は(中高年も含めて)ぜひ一読したほうが良い。

というのも、かつて同じ頃保江邦夫博士が「確率微分方程式」
確率微分方程式―入門前夜
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という本をお書きの際の序文でもこの授賞式に参加して「心洗われた」とあったからである。

ところで、どうして私は確率論に心を奪われるのだろうか?

と自問すると、どうやら私の記憶では、私が小学校の高学年、たしか6年生になったばかりの頃、文部省が教育改定を行い、新しい数学として「順列組み合わせと確率」を指導要領に加え、それをちょうどその6年生になった頃急遽わら半紙の教材を配られて、必死で問題を解かされたからである。

今は知らないが(たぶんゆとり世代以降、順列組み合わせと確率は外されていると想像するが)、小学生時代に確率論、つまり、伊藤清の言い方で言えば、「古典的な確率論」を学んだわけだ。そういえば、その時、集合論も加わった。ド・モルガンの法則とか、ベン図とか、そんな初歩的なものだが。

思えば、物性論の量子統計は順列組み合わせの問題だから、この時の新指導要領のおかげで、私はのちのち分数排他統計の理論を作り得たと言えるのかも知れない。この意味では、悪名高き文部省、いまの文科省だが、昔は結構いいことをやっていたのかもしれない。

そして、私が理科大の4年次の卒研のテーマが「ブラウン運動」であった。これは、大したものではなく、私が所属した統計物理学講座の卒論テーマが単に岩波の「統計物理学」の各章だったというだけ、私はブラウン運動の章の第5章と第6章を読んで中にある数式を全部証明しろというに過ぎなかったのである。

しかし、その影響は大きく、私が阪大基礎工の大学院に進学した時、「ブラウン運動の量子力学版を研究したい」と当時の基礎工の統計物理学講座の主、中村伝教授に言ったのである。たぶん当時はもっと生意気に

「ブラウン運動の量子力学版を作りたい」

と言ったのではないかナ。

返答は即座に「ノー」となり、私は量子力学はすでに普通の知識は持っていたから、固体物性論と場の量子論の勉強に入っていった。

しかしながら、密かにその頃ブラウン運動の量子力学版も勉強していて、NelsonやYasueの名のつく論文を読んでいた。また、場の量子論では、梅沢ー高橋の論文とかそういうものも勉強していたのである。

しかし、そのYasueの話はほとんど記憶になかったが、たしか同じ研究室の学年では3年先輩のドクターコースにいた京都大出身の蛯名氏から、保江氏の伝説をちょっと聞いた程度だったと思う。だから、その後、NelsonとYasueの名はほとんど記憶から失われたのだった。ヒカルランドの講演会が企画されるまでは。


そして、保江邦夫氏があのYasueであったことがわかり、これもなにかの縁、また「三つ子の魂百までも」の格言通り、一旦物性論に進んだ俺の魂は再び確率論の世界、ブラウン運動や量子ブラウン運動の世界に舞い降りたというわけだ。

というわけで、あのヒカルランドの講演会以来私は、保江邦夫博士の全論文、および私が手に入れられるNelsonの本や論文などを読んだというわけだ。

すると、その一番のオリジナルが伊藤清だったわけだ。だから、徐々に、その心の師であったコルモゴロフやヒンチンの確率論の本も図書館から借りてコピーしたりと、そして我が国の伊藤清以前の確率論の大家、北川敏男や伏見康治などの本も買って読んだりしたわけである。

すると、やはり量子力学の数学構造と確率論の基礎方程式である拡散方程式、この2つの永遠の類似、永遠の謎に行き当たるわけだ。

つまり、どうしてシュレーディンガー方程式と拡散方程式は似ているのか?

この問題をある意味で解いたのは、Nelsonと保江邦夫だったわけだ。

しかしながら、それでは、ファインマンとカッツ(Kac)の積分形式とがまだうまくフィットしない。

シュレーディンガー方程式を導くやり方としては、数種類あるわけだが、そのそれぞれが「量子化の方法」と名がつくが、拡散は実の現象、量子力学は虚の現象。拡散方程式は実時間、シュレーディンガー方程式は虚時間。どっちを実、どっちを虚と見るかは見方次第である。

この問題の起源は、指数関数にたどり着く。指数の肩が実か虚かで、指数関数か三角関数かに分かれる。前者が減少増大現象を扱い、後者が振動現象を扱う。この違いがまさにオイラーの公式から出る。

量子力学のシュレーディンガー方程式は、波動関数という複素数表示の関数からその特徴が出る。

この問題は量子力学のシュレーディンガー方程式が発見された当初から気づかれていたが、いまだにはっきりとはわかっていない気がする。当のシュレーディンガー自身もコールラウシュと拡散方程式の論文をシュレーディンガー方程式発見以前に書いていたから、そんなことはご存知だった。

そしてシュレーディンガー自身が1931年〜1933年にどうやらその問題と解こうと相当に苦労したようだ。だが、この研究はあまり一般受けしなかった。数学者のベルンシュタインを除き。

しかし、1980年代後半に保江の同じ年の弟子のザンブリニがこれらの論文をスイスで発見し、そこからいくつか論文を書いたのである。

こうしてみた時、とてもユニークな存在は私が一番敬愛するノーバート・ウィーナーである(保江はウィンナーと呼ぶ)。

ウィーナーは正真正銘の20世紀を代表する早熟の天才で、活躍した頃20歳程度。ウィーナーの哲学「万物は不確かだ」にしたがって、ウィーナー過程の理論を生み出した。これがレヴィやヒンチンやコルモゴロフを刺激した。

ところで、ウィーナー自身に一番影響を与えたのは、ルベーグとギブズである。ギブズの統計力学の教科書からヒントを得、それにルベーグ積分の概念を重ねてウィーナー過程の理論を構築したのである。

この乱数の数学。これがゆらぎの理論の基本になった。

そして、すべてはゆらぐ、すべては不確かだの哲学は、古典力学にも転用され、その時、古典軌道をフーリエ展開するという思想を生んだ。これによって、ランダムネスにより不確かになった軌道を取る粒子、それがブラウン運動である。こういう立場の数学を構築したわけだ。

すると、乱数の特徴によって、そのフーリエスペクトルに特徴が異なって現れる。ここに相補性の原理、あるいは、双対性の原理が出てきた。完全な連続スペクトラムは複雑な軌道を表し、完全な離散スペクトラムは一定軌道を表す。また、時間局所的な摂動はホワイトスペクトラムを生み、時間偏在的な摂動は離散スペクトラムを作る。

こうして、量子力学以前の前期量子論時代の1926年の欧州でウィーナーは時間と周波数との相補性の原理の講演をマックス・ボルン率いるゲッチンゲン大学の数物学科で行った。ヒルベルトもその弟子のジョン・フォン・ノイマンもいた。ボルンもその弟子のパウリとハイゼンベルクもいた。たぶんジョルダンも。

その数カ月後にハイゼンベルクは行列力学を発見したのである。そして、ボルンは同じ年に再びアメリカのウィーナーを訪れて二人で量子力学に演算子の概念を導入した。

数学がよくわからなくなるとウィーナーに聞け!とまあ、その当時はそんな感じだったわけだ。

そのウィーナーも普通の量子力学の解釈には異を唱えたわけではなかったが、異質な違和感を感じていたようだ。そこで、かなり晩年(とはいってもまだ50台だったろうから自分の晩年になるとは思っていなかったはずだ)に、A.ジーゲルというユダヤ系の女性数学者といくつか論文を書いた。

まあ、これは大分前から読んでは跳ね返され、読んではまた跳ね返されというもので遅々としてよく理解できない論文なのだが、一番ウィーナーらしいと思う論文の一つである。量子力学のシュレーディンガー方程式と現代確率論を合体させようというようなものである。

シュレーディンガー方程式は古典力学でいう決定論の方程式である。ただ、古典力学では粒子の位置が決定されるが、量子力学では状態をあらわす波動関数が時々刻々決定されていく。

この波動関数にアンサンブルを考えて、確率論的波動関数を構成する。こう考えると、ボルンの解釈がうまくいくというようなやつだった。

まあ、物事の直感的なイメージをつかみたいという、俺個人の理解した直感的イメージでは、古典力学の軌道に当たるものが量子力学では波動関数である。だから、古典軌道に対するエルゴードの定理が量子力学に現れるとしたらそれは波動関数に対するエルゴード理論のはずだ。だから、波動関数のアンサンブルを考え、それにエルゴードの定理が成り立つと考える。さすれば、電子ビームの実験結果も個別発射の電子の繰り返し実験も同じ結果を与えるはずだということになる。そしてウィーナーとジーゲルはそれ完成させたかった。ちなみに、エルゴードの定理の最初の証明はアメリカのウィーナーの天敵といわれたユダヤ嫌いのバーコフであった。

とまあ、そんなところだが、だいぶ前置きがなくなってしまったが、要は伊藤清の「確率論と歩んだ60年」を読んで欲しいという願いである。

最後に、心の清らしい伊藤清先生の書かれた一節だけ引用しておこう(最近は名前はやはり「体」を表すと信じる。あるいは、人はその名前に影響を受けて育つ場合がある)。

どうやら1942年の戦時中、伊藤清博士は次女を病気で失ったらしい。生後4ヶ月。そのときの傷心は相当なもので、自分を見失ったという。

この話のあとにこう続く。

それから10年以上経った1950年代の日本で、外国の友人が駅などで大事なカバンを置き忘れて、数時間後に取りにいったら、ちゃんと下のところにあった、周囲にいた貧しい身なりの人々から「遺失物係に預ける、かえって厄介になるから、自分たちが交替で見ていた」と聞かされて感激しているのに対して、私は「日本では当たり前だ。八世紀の初めに書かれた本に、こういう伝説があるし、その松の木もフォークロアも、私の生まれた海辺の町に残っている」などと、誇らしげにいうことにしていたのです。

私は、神話の時代の物語の中で子供時代を過ごし、今世紀の戦争の時代の恐怖と困窮を体験した者の一人としいて、如何なる時代の、如何なる名のもとに行われる戦争にも反対しなければならないと思っています。地球の歴史上多くの戦争がそれぞれの時代の「神」の名において行われてきました。「神」は、時に「正義」や「民主主義」と名を変えて現れましたが、戦争の悲惨さは拡大し、「父と子の祈り」は無力だったと思います。しかも、戦後、1950年代のアメリカで、物質的豊かさと精神的豊かさの恵みを体験し、その後の研究の多くの友人達に負っている者の一人とひても、「核の冬」が来ないことを祈らずにはいられません。


この赤字の部分は、最近でも訪日外人がいつもいうことである。江戸時代のペリーやハリスの時代もそうだった。預かった財布はかごの上に置くだけ。

最近、三越本店の天女の前で聞いた話だったが、三越は最初呉服屋で始まり、その後両替商を始め、そのうち銀行業を始めたという。その時代、送金業者は道端にかごをたくさん並べておくだけ。そこのかごに自分の送金したい金を受取人の名前だけかいて紙に包んでいれた。すると、そのかごについている行き先の地方名だけで、ちゃんと相手に届いたというのである。だれも盗まなかったのである。

基本的にはいまもそうだ。高校総体でも選手は貴重品はカバンにいれて集団で並べておくだけ。するとだれも盗まない。ちなみに、たまに大学サッカー部のグランドとか、外人が多く住む地域では、かっこうのいいカモにされる。

本当はこの講演録をもっと書きたかったが、書いている途中であらぬ方向へ話が飛んだので、とんだままにつれずれに書いてしまった。これも即興演奏の良いところだと思ってお許しを。


いやはや、世の始まりですナ。




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by kikidoblog2 | 2019-06-06 11:36 | 個人メモ

「日本の大学を評すると」:実学の東大、虚学の京大、独尊の名大、材料の東北、神の手の阪大!?   

『風立ちぬ』予告編特別フィルム
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みなさん、こんにちは。

さて、先日まあ、突発的に

伊藤清の数学と佐藤幹夫の数学:俺「いでよ、天才君!確率D加群を構築せよ!?」

をメモしたわけだが、この際、ついでにこの数十年間に私が個人的に、日本の大学を観察してきたり、その中の研究者や学者さんたちのやっていること、そのやり方、一般的傾向のようなものを見てきたことをまとめてメモしておこう。忘れない内に気がついた時にメモする形である。

基本的には日本の大学は東大と京大の2系統に分かれる。

まあ、歴史的にも一番最初に東京に東大だけができ、東大から東大ではできないことをやろうということで集まった学者さんたちが、関西に京大を作ったわけだから、毛色が異なるのは当たり前と言えば当たり前である。

その後は、この2大学から学者さんやそのお弟子さんたちが、大阪、東北、名古屋、九州、広島、北海道などへ進出していったわけだ。この辺の事情はだいぶ昔に「何が科学をつぶすのか」という拙著で説明した。


(あ)東大と京大の違いは何か?

そこで、二大巨匠大学である東京大学と京都大学の違いは何だと思うか?と聞かれたらどう答えるかということをメモすると、こうなるだろう。

実学の東大、虚学の京大

その大学の歴史的起こりからして、戦前の東大の学者はイギリスから学び、蒸気機関車を作ったり、飛行機を作ったり、ゼロ戦や戦艦大和を作ったりということで、最優秀の東大生は航空流体力学科(後の航空宇宙学科)に進学した。

だから、東大は現実にこの世界を変革するような実学ベースで発展した大学なのである。

それゆえ、経済学もまたイギリス発祥のケインズ経済学がベースになる。

この事情はあまり一般人は知らないかも知れないナ。

それに対して、そういう実学は政治家や政府とのつながりが過ぎて面白くない。もっとアカデミックで衒学的な純粋に学問だけをやりたいという学者としての願望を突き進めたいということで誕生したのが京大である。

だから、いわゆる虚学=実用的ではない学問、たとえば、純数学や理論物理学などが京大では好まれた。

それゆえ、経済学も、経済学の虚学の代表格がマルクス経済学である。だから、京大は共産主義思想の学者の根城になった。

いまも京大生には何年も留年してバリケードを立てる共産主義の学生がいる。

この事実もまたあまり一般人には知られていないかもナ。

というわけで、実学の東大、虚学の京大、これがこの段階でのキャッチフレーズだろう。

実際、東大には物性研究所(物性研)や産業技術研究所(産研)がある。

京大には、湯川秀樹の基礎物理学研究所(基研)、福井謙一の基礎化学研究所(化研)がある。純数学の数理解析研究所もある。


(い)国に例えれば?

次にその大学の色をどこの国の大学に似ているか?という見方で見てみよう。

この場合、

イギリス型の東大、フランス型の京大

ということになる。

東大は明治の開学の時代に大半が大英帝国の工学者がやってきた。だから、建学の精神からしてイギリス型なのである。だから、東大は、ケンブリッジとかオックスフォードに近い空気がある。

一方、京都大学はフランス型の抽象的思考を好む。それに若干フランスの隣のドイツが交じる。

あまり欧州の大学の傾向を知らない人には理解不能かも知れないが、欧州は島国のイギリス型と大陸の仏独型の2種類に分かれている。

フランスは理屈派で抽象的思考が好みである。

ドイツは理論武装派でやはり整然とした理論体系が好みである。

しかし仏独は同じカソリックで、ラテン系欧州人の系譜があり、地の利から交流が盛んである。スイスは仏語圏と独語圏が分断されているという。

それに対して、イギリスはそもそもプロテスタントで、カソリックとは相容れない思想を持っている。それゆえ、英国人は実学的で、理論よりも実験重視の傾向が高い。

だから、良い実験家はイギリスでたくさん生まれてきた。ファラデーは有名だが、マックスウェルも実験理論両方行っている。特殊相対論実験のモーズレー、一般相対論検証したエディントン、X線のブラッグ、。。。数多くの有名な実験野郎が輩出されてきた。

同じ実学的なドイツは、実験より先に理論が来てそれに基づいて実験をするというタイプに近いかもしれない。

ラテン系のフランス気質と、アングロ・サクソン的な英独の違いといえば、そんな感じでもある。

京大はそのフランス型だから、かなり多くの数学者や物理学者は戦前フランスに渡った。有名なのが岡潔である。フランスのジュリアの下へ行った。

東大は蒸気機関車の時代からイギリスへ留学した。文学でもそうで、夏目漱石はイギリスに留学している。南方熊楠もイギリスへ留学した。

一方、森鴎外はドイツへ留学したはず。

ついでにいえば、京大の岡潔の層理論を完成させたのはフランスのカルタンであった。京大の伊藤清の後継者もまたフランスのマリアヴァンであった。そして、京大の佐藤幹夫の後継者もフランスのシャピロであったようだ。そして、佐藤幹夫の一番弟子で昨年チャーン賞をとった柏原正樹の研究を一番評価したのもフランス数学界だったし、そもそも佐藤幹夫と同時代に同じようなことを考えたクロタンディークもユダヤ系フランス人だった。


(う)アメリカの大学はどうか?

ところで、アメリカはその欧州のすべての国々、それにロシアからもユダヤ系が流れた。だから、アメリカは欧州のほぼ全部を吸収したと言える。だから、捨てる神あれば拾う神ありでさまざまである。

簡単に言えば、東部(東海岸)がイギリス型、西部(西海岸)がフランス型に近いだろうか。まあ、ばらばらだから簡単に分けることは困難である。

いずれにせよ、アメリカの大学の発展はこの100数十年のことにすぎない。特にここ100年である。

100年前のハーバード大にはまだユダヤ人学者は一人もいなかった。第一号がノーバート・ウィーナーの父親のレオ・ウィーナーである。

それからこの100年でハーバード大の正教授の7〜8割がユダヤ系になった。

ちなみに、プリンストン大学の高等研究所は、第二次世界大戦でヒトラーから逃げたユダヤ人学者やユダヤ人妻のある欧州学者の中で有名な学者たちの避難場所として作られたのである。

だから、アインシュタインやゲーデルとか多くの天才がそこへ逃げた。

それを裏から支援したのが、実はノーバート・ウィーナーだった。

一方、ウィーナーのいたMITことマサチューセッツ工科大学は、第一次世界大戦の教訓から科学的に軍事を見直さないと戦争には勝てないということから、軍事技術を発展させるために生み出された新鋭の大学だった。特にウィーナーの時代になって、それが第二次世界大戦に向けてテコ入れされたのである。

つまり、MITは軍事兵器製造のための大学なのである。言い換えれば、MITの科学は軍事のためのものである。

日本国のTITこと東工大は一応このMITを真似ているが、戦後日本国憲法のために、米留学してアメリカの軍事は助けるが我が国の自衛のための軍事には何も助けないという伝統になっている。東大や京大もそうである。


日本の大学で一番アメリカの影響を受けたのは、おそらく理科大(東京理科大)だろう。私の母校である。

学部のスタイルはアメリカの大学の授業と演習のスタイル、日本では有名塾のやり方に近い。1時間講義を受けて問題演習を1時間講義されるというスタイルである。


(え)高校生へのすすめ

というようなわけで、もしあなたがいま高校生でこれからどういう学問を学びたいか、あるいは、どういう大学に行きたいか、それによって進学すべき大学は変えるべきだということになる。

この場合には、東大は応用ベースの実学が強く、京大はアカデミックな虚学である、数学や理論物理が強いということを知っておくべきだろう。

たとえば、経済学で言えば、東大は資本主義のケインズ経済学から派生した現代版。京大は、共産主義思想のマルクス経済学から発展した近代社会経済学。こういうふうな色がある。

物理で言えば、昔から(戦前から)東大は物性論が強い。京大は素粒子論や数学が強い。

当然、東大駒場は現代数学の巨匠も多いが、やはり応用に重点を置く人が多い。それに対して、京大は応用や実用などあまりかまわない。

面白い例が、先日メモした佐藤幹夫と伊藤清である。

二人共に東大出身の天才だが、純粋にアカデミックな数学しか興味なかったため、東大よりは京大の方が居心地がよく、結局京大教授として全うした。

ところで、名古屋と東北は意外とユニークである。

東北は東大の物理学者の長岡の原子模型の長岡半太郎が初代総長になったように、物理に重きを置くが、かなり応用物理中心である。特に電波技術とか、磁石とか、物質マテリアルの物理が中心になっている。

レーダーの最重要技術である八木アンテナは東北から生まれた。

名古屋は最近ノーベル賞の益川が出たように、東大京大ほど規模は大きくはないが、東大や京大の喧騒をはなれて独自の主義主張で自分の道を行くタイプの研究者が多い。この意味でかなりユニークである。

名古屋の数学は、大半が東大出身者である。だから、一応、東大型の準東大が名古屋だといえる。

名古屋はトヨタがあるように、この空白の20年を全く感じていない唯一の場所である。たぶん、ひょっとしたら、マツダのある広島もそうかもしれないが。

この20年のデフレ時代もっとも豊かな人生を歩んだのが名古屋である。だから、金のかかるフィギュアスケートの大半が名古屋から生まれたわけだ。

科学もそうで、名古屋の研究者は非常にこの20年頑張ったといえる。今後のノーベル賞の呼び声の高い人は名古屋で仕事している場合が多い。ちなみに、保江邦夫は京大院から名大院に転校した。

やはり大学のアクティビティーはその地元の経済事情と絡んでいるから、大企業が近くにあるかどうかは重要な要因である。

学生の卒業後の就職先も地元に大企業があるかないかは死活問題だろう。

おっと私の母校の阪大を忘れるところだった。

阪大はかの緒方洪庵の適塾がその前身である。だから、何よりも医学系が強い。

神の手の外科医になりたければ、阪大に行け。

これが乗じて「白い巨塔」のモデルになってしまったが、現実問題として、阪大にはゴッドハンドの本当に優秀な外科医が多い。

物理は医学と比べればそれほどたいしたことはないが、準東大型であろう。かつて湯川秀樹や大阪市大に南部陽一郎がいたが、ベースは永宮の物性論だろう。だから、物性理論や生物物理がさかんである。

ついでに、九州大学は、ウィーナーの日本の弟子だった北川敏男が作った大学だから、統計学や確率論、今で言えば、応用数学のような感じのメッカになっている。

数理生物学とか、数理物理学とか、それも現実社会への応用を目指したものが多いようにみえる。


(お)結論

とまあ、そんなこんなで、

実学の東大、虚学の京大、ゴッドハンドの阪大、自由気ままの名古屋、農業の北大、金属材料の東北、統計数理の九州、平和利用の広島(?)という感じかナ。

まあ、独断と偏見でまとめたわけだが、何がしかの参考になれば幸いである。



頑張れ、ニッポン!




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by kikidoblog2 | 2019-06-01 22:59 | 個人メモ

丹沢渓谷で落雷死:希少な姓「丹沢」と黒駒勝蔵と聖徳太子と黒駒   

みなさん、こんにちは。

そういえば、関東の一角に
「丹澤渓谷」「丹沢山」
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という場所がある。

なんとそこで登山客が雷に打たれて死亡したとか。お亡くなりの方のご冥福をお祈り致します。

登山中の雨で木陰に…雷落ち男性死亡 神奈川 丹沢山地

もし生き延びたら、一気に若返ったのかも知れない。

保江邦夫先生から、かつて70台の男性の科学者が落雷にあったが生き延びたところ、見た目も体力もすべて30歳台に若返ってしまったという話を聞いたことがある。

もし仮に1万人が落雷を受けた場合、9999人は死亡する。しかし万が一、1人くらいは生き残り、そういう人はリセットされて若返る可能性がある。たしか我々の対談本にも出ていた話だったのではないだろうか?

それに比して、STAP細胞の場合もそうで、万が一の確率でしかSTAP細胞はできないのだが、

STAP細胞、あります!

というように、たまにはリセットされる細胞があるというらしい。


さて、話はちょっと外れてしまったが、その丹澤渓谷の丹沢。

実は、私の母親の旧姓は、この

丹澤

だった。

そこで、どれほどの人がこの姓を持っていたのかネットの姓検索で調べたところ、なんとたったの

640〜690人

にすぎなかった。

https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=丹澤
【名字】丹澤

【読み】たんざわ

【全国順位】 10,437位
【全国人数】 およそ690人
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「丹澤」という名字(苗字)の読み方や人口数・人口分布について

電話帳に掲載されている情報によると、「丹澤」という名字(苗字)の人は全国に約640人程おり、全国で「10,491番目」に多い名字となっています。
「丹澤」の読み方については、一般的に「たんざわ」とよみます。
日本全国で見ると、「丹澤」さんは主に「山梨」「東京」「神奈川」「静岡」「埼玉」の順に多く分布しているようです。
「丹澤」姓と相性の良い名前
「丹澤」さんの人口分布表
順位 都道府県 人数
1位山梨県約280人
2位東京都約140人
3位神奈川県約100人
4位静岡県約40人
5位埼玉県約40人
6位千葉県約40人
7位北海道約10人
8位大阪府約10人
9位広島県約10人
10位青森県約10人
11位愛知県約10人
12位茨城県約10人
13位群馬県約10人

小地域順位
1 山梨県 笛吹市 増利(3.91% / 約20人)
2 山梨県 西八代郡市川三郷町 上野(0.993% / 約30人)
3 山梨県 西八代郡市川三郷町 (その他)(0.235% / 約20人)
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ほとんど山梨にしか存在しない名字だった。

確かに昔から、丹頂鶴のようにめったに見ない姓だなとは思っていたが、極めてローカルな姓であった。

私の母親の実家は、昔の東八代郡八代町増利(まさり)という場所だったと思う。そしてそのルーツは、黒駒だったと聞いたことがある。今はすでに大分前に他人の物となっている。

今となっては定かではないが、清水の次郎長では敵役にされてしまった、
黒駒勝蔵
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の出身地とされる場所である。

前に拙ブログにもメモしたことがあったが、

隆盛と鉄舟の駿府城会談の焦点、”甲府の戦争”とは?:次郎長vs勝蔵の戦闘であった!

清水の次郎長というのは、明治時代の娯楽のフィクションであって、実話ではない。

現実の歴史は、

清水の次郎長→幕府軍
黒駒の勝蔵→官軍


に入り、甲州戦争という、薩長官軍と幕府軍の代理戦争を繰り広げたのである。それは猛烈な戦いで、双方に大きな犠牲者を出したと言われている。

その結果、黒駒の勝蔵の率いた官軍が勇猛果敢に攻めて清水の次郎長
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の幕府軍を敗退させ、捕虜にしたのである。

ところが、勝海舟の家来だった山岡鉄舟と西郷隆盛の品川会談の結果、江戸幕府の無血開城となり、その後、明治維新が起こった後、勝利者の黒駒の勝蔵が冤罪で重罪になり、死刑。負けた方の清水の次郎長が釈放されて、英雄になってしまったのだった。

そして、戦後処理として山岡鉄舟は、用済みになった江戸の侍たちを清水に配置転換し、清水の次郎長にその世話を頼み、渡世人の清水の次郎長のイメージアップを計るための小説を地元の作家に書かせたのだった。

それが、清水次郎長物語である。

それが後々ドラマ化、テレビ化されて、いまのイメージが出来上がったわけだ。

まあ、人相はその人を語る。清水次郎長と黒駒の勝蔵の顔つきを見れば、どっちがどういう人だっただろうかわかるだろう。

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ところで、黒駒の勝蔵の「黒駒」というのはどこから由来したのか?

なんと聖徳太子が乗っていた馬、それが「黒駒」であった。

聖徳太子と甲斐の黒駒
【橘寺にある甲斐の黒駒の像】
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「馬子さま、すばらしい馬が集まりましたね」

「ははは。皇子(みこ)さま、
皇子さまが一番気に入った馬を選ばれるとよろしいですよ」

598年(推古天皇6年)、
聖徳太子と大臣(おおおみ)・蘇我馬子は
国々に命じて名馬を献上させました。
飛鳥の宮殿の馬屋には国々から集められた何百頭という馬が並びます。

「うーん…どれもすばらしい馬ばかりですね。
一番を選べと言われても迷ってしまいますよ…」

「やや…これは!!」

聖徳太子は一頭の馬と目があいました。
体は青く、足は四本とも白く、
とても立派な顔つきをしています。馬が言います。

「私は甲斐の国の黒駒と申します。
皇子さま、私に目をつけるとはお目が高いですよ。
私を皇子さまの愛馬にしてください」

「おお!甲斐の黒駒か。すばらしい。
こっちこそ、お願いするよ」

聖徳太子は黒駒の顔に自分の顔をすりつけて、
黒駒の顔をなでなでしました。

聖徳太子は甲斐の黒駒を大切に養わせます。
ほどよくしつけができた頃、黒駒の背に鞍を置いて
聖徳太子は黒駒の背にのぼります。

「よっと…」

聖徳太子が鞍にまたがると、

ヒヒーーン

ターーンと地面を蹴って、黒駒は
飛び出します。

「うわっ」
「皇子さま!!」

ふわり宙に体が浮いた黒駒は、
少し先の地面に着地するかと思うとそうではなく、

そのまますーーと飛んでいき、

蘇我馬子と家来たちがおどろく中、
黒駒は馬屋の入り口をくぐって宮殿の中庭に漂い出ると、
上昇気流に乗るようにすーーと空高く舞い上がります。

「わあああーーっ!」

「皇子さま!皇子さまーっ!
おい、誰か皇子さまをお助けしろーっ!」

蘇我馬子がワアワア言って家来を集める間にも、
聖徳太子を乗せた黒駒はぐんぐん空へ上がっていきます。

蘇我馬子と家来たちがずっと下のほうに小さくなり、
宮殿全体が見渡せるほどにまで馬は駆け上がります。

「皇子さま、ビックリさせてごめんなさい。
私を選んでくださったお礼に、すごい所へお連れしますよ」

「すごい所ってお前…」

ビュウウウウーーン

「わ、わああーーっ」

必死に黒駒のたてがみにしがみつく聖徳太子。

黒駒は一気に加速し、飛鳥寺の五重の塔の脇を、
ばらーん、ばらーんと屋根瓦二三枚弾き飛ばして飛んでいき、

鈴鹿山を越え、
伊勢湾を越え、東海道ぞいの陸地や海を真下に見ながら飛んでいき、
その先には、

黒駒の飛行ルート
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「皇子さま、見えてきました。見てください」
「ん?あれは…ひょっとして、噂に名高い富士の山かい!
うわあ、はじめて見たよ。伊勢の鈴鹿山よりずっと大きいんだね!」

黒駒は富士山上空を一気にかけあがり、
眼下には富士の火口からもくもくと煙が上がるのが見えました。

そして富士山を超え甲斐を通って信濃に入ります。

信濃で黒駒と聖徳太子は地上に降り、信濃名物信州そばを仲良く食べて、
また黒駒は太子を乗せて空を飛び、わずか3日で都に戻ってきました。

「皇子さま、心配しました!よく御無事で」

とりすがる蘇我馬子。

太子はごめんごめんと蘇我馬子をなだめながら、
富士山のことなどを蘇我馬子に話して聞かせるのでした。

黒駒は聖徳太子にとてもよくなつきました。
後に聖徳太子は斑鳩に自分がすむ宮殿を建てますが、
斑鳩から飛鳥の都へは20キロも離れています。

ふつうなら通勤がたいへんですが、
聖徳太子には黒駒があったので平気でした。

聖徳太子はいつも黒駒にまたがって、
斑鳩から飛鳥の間を飛んで、行き来しました。

奈良・斑鳩にある駒塚古墳は、黒駒を葬った場所と言われています。
解説:左大臣光永



私の目は細く、まぶたが厚ぼったいが、私のいとこも目が細く、まぶたが厚ぼったい。この傾向はこの丹澤の特徴なのかも知れない。

いずれにせよ、この丹澤という名字は、丹澤渓谷の周辺部で生まれたものだろう。


というわけで、かなり希少名字になった丹澤姓をちょっと前から、残したいなとは思っていたのである。

山梨には、望月姓も多いが、これも富士山の上に月が昇る場面を姓にしたからだという説がある。
富士山とともにより
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というわけで、黒駒という名前もまた由緒正しい名前であった。



それにしても、丹澤ないし丹沢がこれほど少ない名字だったとは。


いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2019-05-07 08:47 | 個人メモ

日本最古のデパート三越の印傳屋と天女像とライオン像   

みなさん、こんにちは。

先日の講演会はなんとか無事に終わり、予想外の大盛況で大変ながらも楽しい日を迎えられた。

すでに講演会の内容はそちらのサイトに上がってきているようなので、そっちをみてもらおう。私個人はそれが仕事ではないので、もうこの件はそれ以上ここで取り上げるつもりはない。一回こっきり。一応、それで終わりである。宿禰との関わりも終わりである。武内宿禰さんの関係者の今後の活躍を期待したい。

それにしても、武内宿禰さん

世界一の物理学者

というのは盛り込みすぎていますよ。

むしろ、

世界一の変人物理学者

の方に近い。

すくなくとも、

世界一恵まれなかった物理学者

あるいは、

世界一貧乏な物理学者

なら100%正解だ。



さて、今日は平成最後の日

それで、講演会の後の翌日の後日談をメモしておこう。

実は、翌日ホテルをチェックアウトしたら、ちょうどホテル前にシャトルバスが停車していた。見ると、東京駅まで無料ということで、すぐ近くの地下鉄乗り場へ行くのも良かったが、来たときとは別のルートで帰ろうということになり、東京駅へ行くことにした。

東京駅と言えば、20年ほど前、東大物性研の若手研究者とそこで待ち合わせて、物理の議論を兼ねて食事しようとしたことがあったが、その時連れて行ってもらった六本木のイタメシ屋(もう死語か?)は、ワイン1本と普通のスパゲッティを食っただけで1万数千円という当時としては破格の値段に閉口したのを覚えている。

その後その相手の研究者は、大分後に不祥事をやらかして物理学者の職を解かれてしまった。私は●●で会社をやめましたに近いものだった。優秀な男だったので非常に残念で切ない思いをしたものだ。

だから、それ以来東京駅というと、あまりいい印象がなかったわけですナ。


駅を出ると、まず奥さんの要望で三越に行って、その後で八重洲ブックセンターへ行こうということになった。

というのも、私も妻もいつも財布や小銭入れ
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も印伝を使っている。ところが、徳島そごうの印傳屋はすでに消滅の危機で陳列しなくなってしまった。そこで、三越にはあるはずだということで、三越に行くことにしたわけですナ。

そして、その後で八重洲ブックセンターで本を探す。

今回池袋なら大きな本屋があり、都内の大書店なら、買いたい本もあるのではと思って、必ず買って帰ろうかと思っていたのである。それがこの本である。

同期現象の科学: 位相記述によるアプローチ
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ところが、池袋に行ったのは良かったが、そういうチャンスが訪れなかった。そこで、東京駅なら八重洲ブックセンターがある。だから、そこで探す。

印傳屋は予想通りあった。かなり多くの品物が置いてあり、目を楽しませてくれた。そしてそこを出たところで、中を見ると、なんと巨大な天女のオブジェが見えた。これである。

天女像
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最初上から見たのだが、正面へ行こうと正面に立って見ていたら、そこでガイドの男性がふと吸い込まれるようにやってきて、いろいろ経緯をお話してくれた。

創業者の日比翁助とその息子の日比雷音の物語である。

三越創業者日比翁助はわが国初のデパートの創始者。ロンドンのトラファルガー広場のライオン像にえらく感動し、それを特別発注し、自分のデパートの入り口にも置いた。それがこれだった。

左のライオン
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右のライオン

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それほどまでにライオンが好きだった翁助氏。息子の名前まで雷音にしたんだと。

三越と高島屋と白木屋の関係とか。いずれにせよ、三越こそ我が国で最も古く、一番最初にできたデパートだったということらしい。

そして、戦後財閥解体され、大苦境に陥ったとき、この三越を再帰させる象徴として大彫刻家に頼んでできたのが、この天女像。当初の時間と予算を大きく突破してできたものだという。

とまあ、そんな歴史ヒストリアでどういうわけか盛り上がってしまったわけだ。店内ガイドの男性と非常に長いこと興味深い話ができた。どうもありがとうございました。そして最後には握手までしてお別れしたのである。


というわけで、三越のライオンさんと天女さんそして印傳屋。実に良いもの見ることができた。

この後、八重洲ブックセンターへ行ったのだが、なんと八重洲ブックセンターには上の本の在庫がなかった。そして、さっき天女像の前で男性ガイドさんから聞いたばかりの、創業者翁助翁の著作

小僧読本
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もなかった。そしてそれから孫引き解説したこの本。
「三越小僧読本」の知恵
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これもなかった。

実はちょうどホテルをチェックアウトする前にもう一回温泉に入ろうかと思っていたら、もう清掃が始まっていて、入れなかった。もう大半の従業員が外国人青年だった。たぶんベトナムかな。

それで部屋でシャワーにしたんだが、その時テレビで元Jリーガーの武田さんが、いつも自分が持ち歩いて読んでいる本といって、ボロボロの本を出していた。それがこの三越小僧読本の知恵だったのだ。だから、ガイドの人と話した時に、小僧読本の話が出て、ぜひそれを買いに行こうと思ったわけである。

しかし私が欲しい本はまったくなかったというわけで、もうすぐに羽田へ行くことにしたわけですナ。


そして羽田ではいつも築地の寿司は高すぎて食えないし、すきやばし次郎がガイジン専用になってもはや日本人は食べることができないから、その代わりとして空港内の寿司で我慢しているんだが、そこで出発前に夕食をとって、なんとか無事に今回の講演旅行が完了したというわけですナ。

ちなみに、前回その寿司屋で食べたときは、築地から仕入れていたが、今回はもう豊洲だという話。


もう築地の寿司屋はなさそうだ。残念。

まあ、平成最後の日ですからヨ。

いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2019-04-30 16:25 | 個人メモ

天の祝福:いよいよ武内宿禰と私の講演会間近になってなんと百年に一度の大珍事「竹の花が咲いた!」   

みなさん、こんにちは。

さて、桜が咲いて、桜が散って、今度はツツジが咲くのかと思っていたら、

竹の花が咲いた。
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最近ここ徳島では100年ぶりの珍事が起きた。これである。

数十年に1度「竹の花」見つかる
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徳島県小松島市のたけのこ農家が、数十年に1度しか咲かないとされる竹の花が咲いているのを見つけました。

竹の花を見つけたのは、小松島市のたけのこ農家、喜田和彦さんで、竹林を手入れするため山に入った際、一部の竹に花が咲いているのを見つけたということです。

花が咲いたのは、「淡竹(はちく)」という種類の竹で、稲穂のようなとがった形の3センチほどの花をつけ、中には先端から黄色いおしべが垂れ下がっているものもありました。

植物に詳しい徳島県立博物館の茨木靖学芸員によりますと、竹は花を咲かせる周期が長く、数十年に1度の周期でしか花が咲かないものもあるということです。

竹の花を見つけた喜田さんは「70年以上生きてきて初めての体験です。竹の生理現象と思いますが、平成から令和に変わる時にこうした珍しいものが見られて、感動しています」と話していました。


地元のニュースでは、竹を栽培している農家(ここ阿南や徳島はたけのこの一大産地なのである)の人もこれまで一度も見たことがないという話である。


とまあ、そんなあんなで、これも俺と武内宿禰氏との平成最後の対談を祝っているのであろう。これである。

ついに井口博士が劇場デビュー!?:「新春講演会のお知らせ」

運命を創れ! - 第73世武内宿禰
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一周年祈念特別講演会・井口和基×竹内睦泰
『日本人とは何者か?日本はどこへ向かうのか?』
- 最新科学と古神道の激突 -


一周年祈念特別講演会『日本人とは何者か?日本はどこへ向かうのか?』 最新科学と古神道の激突


あるいは、新天皇の即位を祝っているのかも知れませんナ。


いよいよ明日出発。みなさんとお会いできる時を楽しみにしております。


竹の花が100年ぶりに咲くとは、マジっすか?

果たしてこれは朗報なのか、悲報なのか?

武内宿禰さんに聞いてみようっと。



いやはや、乞うご期待。



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by kikidoblog2 | 2019-04-25 15:08 | 個人メモ

「年月は人を変える!?」:大学教授も官僚と同じことをする!?   

青春時代
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みなさん、こんにちは。

今年の春の甲子園はすでにはじまり、あの夏目漱石の坊っちゃんの時代から120年目の甲子園初出場となったここ阿南の徳島県下随一の古さを誇る富岡西高校が今日第三試合に登場する。はたしてどうなか?30−0となってもそれは仕方がない。頑張れ、富西。


さて、我が国のこの時期は引っ越しシーズンでもあり、ゆく年くる年のような新年とは違う、ゆく人来る人の新年度の到来となる。

また、いつもこの今頃は、来るエイプリルフールのネタを何にしようかと迷いながら、メモするときでもあるナ。

この新年度を前にして、最近気づいたのは、こんなことである。

私の知人友人も私の世代はそろそろ定年退職やら引退やらの高齢者への道に突き進むようだ。

我々は大学院生の若き日に、持て余す時間の中で、いろいろ議論したりしながら、勢い勇んで

「日本の官僚は天下りがひどくてだめだよな。もっとアメリカのようにならなきゃな」

なんて言っていたものである。

ところが、さすがにこの年になると、そういっていた若者も定年後の先が心配になるらしい。むろん、私はフリーだからそんなものはないが。

定年を1〜2年前にして、やたらと本業の大学教授とか高専教授とかそういうものとは違ったことをやりだす人がいる。

たとえば、サイエンスカフェ。あるいは、科学博物館とか。

なんで本業の研究職として良い若者を一人でも多く輩出しないのか?

と俺は個人的に???でいたわけだが、どういうわけか、私の知り合いでもそういう人がいる。

最初は、つまり、定年の数年前ごろには、なかなかいい活動かもな、と思ってみていたわけだ。

現職だけではなく、課外活動として地域未着型の新しい科学普及の試みとかに取り組む意欲的な活動だな、と見ていたわけだ。

ところが、2,3年たち、いざその人が定年を迎えると、その本質が見えてしまったわけだ。

要するに、定年後に定年前に自分が生み出した課外活動事業でちゃっかり本職として雇ってもらう。

つまり、定年後の再就職先を子どもたちを出しにしてせっせと作り出していたわけだ。


ひょっとして、これは?

つまり、これが若い頃我々が「官僚の天下り先」といって揶揄していたやり方そのものだったんですナ。

官僚の天下り先といったって、そんなものはそれまでないわけだ。だから、自分が現職の間にせっせとある目的で活動し始めるわけだ。そして、そういうNPOとかNGOとか、官庁の下部組織の活動拠点を作っておくわけだ。

そして、自分が官僚の出世競争で破れて、肩たたきで勇退、退職となった場合に、その事業の理事だとか幹部だとか運営責任者として(高額で)再雇用されるわけだ。

実力と先見の明のあるやつほど、たくさんそういう部署を予め作っておく。そして、2,3年ごとに渡り歩き、その都度、退職金まで用意しておく。

まあ、本人は自分がいた省庁の管轄の決めの細かい国民へのサービスを提供したわけだから、良いことをしていると思っているわけだ。

こうして、いわゆる特殊会計というものができあがる。

つまり、これまでの生存するあるいは逝去された元官僚たちが、それぞれの老後のための再就職先としてつくってしまった無数の事業=言い換えれば、この国にたかっている事業を作ったために、一般国民や一般の政治家や一般の官僚が使えない予算が溜まりに溜まってしまったというわけだ。

これが、中央政府の霞が関の官僚だけではなく、法人化したあとの大学法人や行政法人などにもあり、大学や高専の先生たちも「似たようなこと」を行っているということなんですナ。

最近では、地方に大学スタッフから講演者が派遣される「サイエンスカフェ」というのが結構賑わっているのだが、そういうものもまさに数学者の定年後の再就職先だったということのようですナ。

それ以外には、最近はAO入試というのがあり、才能ある若者ややる気のある若者を発掘するという美辞麗句でスーパーサイエンス高事業なんていうものもある。

科学の素養のある若者を海外へ短期留学させるとか、あるいは、科学オリンピックに参加させるとか。こういうものもある。

しかし、そういうものが、財政的に見たら、普通の官僚の天下り先と同じだったりする訳だ。幻滅。

まあ、自分の財布から金を出して工面するというような日本人はめったにいない。

海外からは世界のATMといわれる安倍晋三こと李晋三首相でも、自腹は切らず、好き勝手に無関係の国税から金を出す約束して国益国防に反することをする始末だ。

国家の首相がそうなのだから、示しがつかない。これじゃあ、その下々がこぞって安倍晋三のマネをするわけですナ。ゴーサインを出しているようなものなのだ。


まあ、それもまた人生なんだが、結局、我々の仲間も若い頃批判してきた官僚さんたちと質的には同じことをしてしまっているということである。

これでは、官僚を批判できない。

こうして一人また一人と体制批判できない人たちが増えるというわけだ。


あの青春時代はどこへ行った?

やはり年月は人を変えるんですナ。



いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2019-03-26 13:44 | 個人メモ

Time-Lag タイムラグ:「昔と今で正反対になる謎の法則があるのでは!?」   

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タイムラグ

関連する二つの事の間に生ずる時間的なずれ


みなさん、こんにちは。

さて、この日曜日は奥さんとビッグひなまつりで有名な勝浦の風物詩、早咲きの桜の木を見に行った。しかし、かつて我が子達が小学生の頃行った時に写真をとったその大きな桜の木は2本ともに見事に伐採されてしまっていたのである。
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その子孫のまだ子供のようなあるいは少年のようなおとなになりきっていない若い桜の木々があるだけになった。しかもすでに早咲きは見事に散ってしまった後だった。
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その桜の木の道を挟んで向かい側に地元では有名な和菓子屋さんがあるのだが、そこのいちご大福とあずきのういろうが我が家の念願の目的であった。
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この2つはなんとか達成できた。

これは、我々の情報空間と現場の情報空間との間のタイムラグである。我々には現場の状況がリアルタイムでつかめていなかった。それがこういう結果を導いたわけだ。

実は最近良く思うことだが、どうも我が国や世界でも、これほどスマホのリアルタイムの時代になったにもかかわらず、逆にこういうタイムラグがいたるところに見受けられるのである。それが最近非常に気になって仕方がない。

というわけで、いくつかそんなもとをメモしておこう。


(あ)お遍路さんとその世界遺産化のタイムラグ

ここ四国ではそれほど大きな産業がないから、なんとか観光業で生き延びようという勢力があり、四国遍路を世界遺産にしようという運動グループがある。

今日たまたまここ阿南テレビでそういう活動家、特に徳島大学准教授の外人さん(米人)の講演を見たのだが、一応どんなことを話すかを聞いていたんですナ。

すると、最初は白人外人、つまり、西洋人が四国に来てお遍路さんをして国に帰ってそれが非常に良かったということを記録や本に残した人を研究しているという、その外人教授の仕事内容から始まり、最後は最近四国遍路に来た外人グループの意見やアンケートを調査して、こうした方が良いとか、ああしたほうが良いという、お決まりの結末になっていった。

要するに、他の地方ですでに世界遺産になった場所で行われたこととうり二つがまたここ徳島や四国で行われるわけだ。

が、その後、富士山がどうなったか?

というような結末はすでにもうわかっているはずなのだが、そういう富士山の世界遺産化の誘致から弊害が出るまでの時期からこれから四国遍路を世界遺産化していくというまでのタイムラグがあるわけである。

外人が四国遍路を感激してありがたがる、というのは結構だが、その先、外人が増えて富士山や京都のようになれば、みずぼらしい田舎のおじいさんやおばあさんがいくらお接待しようとしても、怖くてできなくなるし、そもそも数が多すぎれば、自分がわずかの年金つかってお接待しているつもりがそっちの方が破産してしまう。

また同じことを、英語と日本語で翻訳したとして、同じことを考えていると思うのは結構だが、それも外人の場合、宗派や国々によってもかなり意味合いが違う。

最後は、イスラム教徒がお遍路したり、欧米のヴィーガン(狂信的菜食主義者)が来たりすれば、それに対応しなければならない。

トイレがきれいだから日本が良いといったら、我が家のようにまだ汲み取り式の便所が四国のほぼ半数を占めているのに、逆に非難されかねない。つまり、地元民の大負担になるわけだ。つまり、地元民ですらまだ水洗化もできていない家庭が多い中で、どうして外人さんだけのためにわざわざ最先端の温水トイレを地元が工面しなきゃならんの?ということになるわけだ。

つまり、一部の推進側のお寺や外人教授の売名行為や利便や理想の追求のために、他の普通の大半の人が引きずられるわけだナア。

この間に、すでにそういう事が起こった京都や富士山では、もう外人が多すぎて、忙しすぎるから外人はもういらんという時期に入ってきたのに、これからそういう夢を描くというおバカな感じに見えるわけだ。

こういう変な意味のタイムラグが昨今の我が国にはいたるところに拝見できるわけですナ。

はっきり行って、四国遍路は、空海と同行二人=修験者の一人旅、であるはずのものが、外人が来れば、集団旅行や集団ハイキングになってしまうわけだ。UFJやディズニーのアトラクションの延長のようなものに変わるのだ。旅行者が少なければ、神秘体験もできるが、京都の有名な鳥居の神社のようになれば、霊験も失われる。

ましてや日本人で一人で傷心旅行をしたり、自分を見つめるために四国遍路するというようなことができなくなる。つまり、本来の四国遍路の意味がなくなるわけだ。

これもまた安っぽい観光業に落ちた京都や高野山や富士山を見れば分かるわけだ。が、その轍を踏まないようにならない。


(い)地方の市民講演会のタイムラグ

その次の講演会では、なんと阿南市民に、とはいっても高齢者がほとんどだが、そういう高齢者相手に「地球温暖化の危険性」なんていうのを講義している地方自治体職員がいた。

いったい何年遅れているんかいな?

もう物理学者も地球物理学者も、あのゴアの「不都合な真実」はもう真っ赤なウソで、我が地球はこれから「大寒冷化の時代」に入るだろうといっている時代である。

ビル・クリントンとアル・ゴアの時代からだから、20年はタイムラグがある。

いまでは、まともな科学者の誰一人単純にCO2が地球温暖化の原因だと考えていない。いまは、太陽活動の方がはるかに寒暖を決める決定的要因だと考えられるようになったわけだ。

特に、太陽活動の増減により、太陽の勢いが減退すると、つまり黒点が少なくなると、地球の磁場活動も弱まり、宇宙の様々の場所から宇宙線が大気に入ってくるため、雲ができやすくなり、太陽光が遮られて地表温度が下がって、寒冷化する。逆に、太陽の勢いが増すと、つまり黒点が増える時期には、その逆のことが起こり、地球磁場が活発になり、宇宙線を反射し、晴天が増え、太陽光がそのまま地表を温めるから温暖化する。

とまあ、いまではこれがかなり現実に近いだろうと考えられている。

そしてどういうわけか最近の太陽は非常に勢いが減退しているのである。だから、冬大雪になる。

太陽光とCO2は植物にとっては栄養源だから、地球が砂漠化しないためには必須アイテムなのである。

問題はCO2ではなく、ばい煙に含まれる金属微粒子PM2・5の方である。これもまた地球の温暖化や寒冷化に寄与する。

いずれにせよ、地方市民の中高齢者だから、適当にいい加減な昔の地球温暖化の説を吹聴して公務員のバイトするというのは非常に困る。


(う)地震被害のタイムラグ

かつて同じ阿南テレビの市民講演会の番組に、かつての東日本大震災で大被害を受けた仙台市職員が講演したことがあった。たぶん、8年位前だろう。

それで特に記憶に残ったのは、彼らが目撃した自動車の火災事故だった。

何もしていないが、津波に飲み込まれて火を吹いた自動車とそうではない自動車があったのである。

それでどういう自動車が水没して火を吹いたかと調査した結果、トヨタのハイブリッド車のプリウスのような水素自動車だったのである。

が、この事実は隠蔽されたようで、その後この講演者が講演しに来たことはない。

しかし私はこれがえらく記憶に残った。

ハイブリッド車は災害に弱い。どころか、時には火を吹いて危険になるのである。

また、EV車やソーラーカーも水没すると、感電するからかなり危ないのである。ガソリン車の方がエンジンがかからなくなるだけだから、水害には良好かもしれないのである。

その講演者によると(まだ生きているか知らないが)、プリウスは爆発したというのだった。


こういう実際の現場を知るものから、これから起こるかもしれない災害に対する予防をするという人との間にも、かなりのタイムラグがある。


(え)タイムラグの大きさにより理論が正反対化する

同じことを別の場所で起こさないためには、失敗を失敗としてリアルタイムで共有していかなければいけないわけだ。

これは、科学でも同じことで、一見突飛、一見とんでもな発想でも、理論でも、実験でも、そういうものも歴史に残しておく必要があるのである。さもなくば、後世の若者がまた同じことをしでかす。

いまの標準理論は昔の異端理論である。いまや常識といわれている「プレートテクトニクス理論」は1970年代以前には異端の説の一つに過ぎなかった。

スポーツ医学でもそうで、いまのスポーツ力学の常識やトレーニング方式や水分補給の仕方は昔の異端=非常識で誰も信じなかったようなものである。

昔はピッチャーは水泳は禁止。そんなことをすれば肩をすぐ壊すという理論だった。いまは水泳が推奨されている。昔は筋肉痛は温めて治す。それが、今ではむしろピッチングの後はアイシングが有効となっている。甲子園でもそうだ。

サッカーでも同じ。昔は規定時間のハーフタイムの吸水が良いという理論で、間に飲めば、汗をかいて疲労するだけだという考え方だった。だから、しょっちゅう水飲むやつは根性なしのだめ選手とされた。それが今では、四六時中のどが渇いたら飲め。汗だくで動けなくなったのは水が足りないからだという説が流布している。

要するに、時代の空気というより、その時々の大企業のご都合により、御用学者が頑張って一般のパラダイムをシフトさせる役を務めるわけですナ。

戦前の探検映画をみれば、探検者の最初のトレーニングはいかに乏しい水事情でも生き残れるかという、ちびちび飲む訓練であった。水筒の小さなキャップで1日1杯で過ごす。そういう訓練をして、糖代謝から脂肪代謝へ変えるのである。

いまはどこでも水メーカーの水が買える(ようになってしまった)から、飲料水メーカーが飲め飲めと推奨するわけだ。本当は、人間はどっちでも耐えることができるのである。状況次第なのである。


(お)危険なタイムラグもある

とまあ、昔良いと言われたことが今悪いとなり、昔悪いと言われたことが今良いと言われるというようなことが非常に多いのである。

このタイムラグはかなり致命的である。

昔は西洋人にとり宗教は良いと言われ、自然崇拝のアニミズムで無宗教に見えた日本人は悪いやつだと考えられた。しかし、今はどういうわけか逆になり、昔悪い民族とみなされた日本人が自然崇拝自然共生の良い民族だとみられるのである。むしろ、敬虔な宗教人はテロを起こしかねない危ない奴らとみなされる。

いったいどっちが真実なのか?

いま四国遍路は素晴らしいと言っている西洋外人が、あと数十年後には正反対になっているかも知れないわけだ。

数十年前まで親日の代表国だったチャイナや韓国が、いまや正反対になったことはいまでは小学生でも知っているはずである。

世の中ではそういうことが頻繁に起こるのである。


(か)真実は無

こうなると、結局、一番真実に近いリアリティーの高いことを言っていたのは、ひょっとしたら、

無の思想

の福岡正信さんだったかもしれませんヨ。

結局、この世界にはなにもない。良い悪いはなにかにそう信じるように洗脳されただけのことで、自分が勝手にそう信じ込んだにすぎず、現実世界にはそんなものははじめから何もなかった。

いまの正論がその後また非常識な誤論になるかもしれないし、そのあたりは、素粒子論の坂田の発展理論のようなものかもしれないわけである。ぐるぐる堂々巡りしながら人間は先に進む。昔の文部省のスパイラル教育のようなものですナ。



いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2019-03-19 12:36 | 個人メモ