カテゴリ:個人メモ( 36 )   

「講演会の顛末記」:講演会お疲れ様でした!ありがとうございました!サムハラ神社のご利益か!?   

みなさん、こんにちは。

昨日無事にここ阿南に7時半に帰宅できました。

講演会の皆様に心からの感謝の言葉を妻ともどもお送りしたいと思います。

どうもありがとうございました。


ちょうど20年ほど前の1998年。私はフリーの理論物理学者としては史上初。

三菱財団の研究助成をうけることができたのだが、その時、

分数排他統計を持つ準粒子の研究

でもらったのだった。

それで、当時私が閃いたアイデアが厳密数学的に正しいかどうかを聞くために、名古屋大学の多元数理の青本和彦教授のところへしばしば出かけたのである。

その頃、徳島空港から名古屋小牧空港直通の中日本エアラインというのがあり、小型の双発旅客機で約1時間で徳島から名古屋に行けたのだった。

そして、近鉄の東山線に乗って、すぐに名古屋大学に行けた。と思う。そういう記憶がある。

この中日本エアラインは低気圧が近かったり、雨が降ったりすると、まさに富士急ハイランドの富士山のように、垂直落下や急上昇を繰り返し、数百メートルのヒヤリハット体験しながら、本当に歯を食いしばって耐える時間があった。

名古屋に着陸したときには、いや〜〜、これぞ本当の飛行機だといつも思ったものである。特に帰りがひどかった。

美人スチュワーデスさんといっしょに墜落してミンチになるなら良いかとも思ったが、あまり美人ではなかった。というより、昔は美人だったかもなという中年のスチュワーデスが乗っていたものである。

ところが、その後何年して、あえなく経営難で閉鎖。

それから、名古屋へ行くには、神戸、大阪経由のなんば行きの高速バスしかなくなったのである。

これがまた難儀するもので、運転手によっては、なんば到着後に乗り換えるはずの予約した近鉄の出発時間のたった5分前になんば到着。

だから、運転手に文句言う時間もなく、即ダッシュで近鉄特急に飛び乗る。

何度かこういう経験を積んだものである。

また徳島の高速バスの運転手の中に「安全運転」第一厳守の人物がいて高速でも時速60kmの法定速度を守るやつがいた。

「あの〜〜、運転手さん、このままだと俺の近鉄の出発時間すぎるんだけど」
「もうちょっとスピードなんとかならん?」

「きみ〜〜、もう一時間たったけどまだ徳島にもついていないぞ。遅れるぞ!」

「きみ〜〜、まだ神戸だぞ。もう出発まで1時間半しかないぞ!」

とまあ、こんな案配で、運転手の横に張り付いて催促して、近鉄出立前5分に到着。猛然とダッシュ。

汗びっしょりで近鉄特急の中に入れた。間一髪セーフ。

いや〜〜、スリル満載。


だから、高木先生の講演会が、名古屋の先の豊田市にあると聞いて、真っ先にこの悲惨な経験が甦ったというわけですナ。


しかし、今回は奥さんといっしょに前日の我々の結婚記念日を兼ねて前日に豊田市に入る予定にした。

奥さんは夜勤明けで午前中に帰宅。そして、いっしょに阿南11時50分発の高速バスでなんばへ出発した。

今回はかなり余裕を持って、近鉄の予約はせず、適時乗るスタイル。

そこで、なんばにつくと、まずはサムハラ神社で色あせてしまった私の指輪を買い換えようと思ったわけだ。

まずはサムハラ神社で参拝。

そして社務所で指輪を買おうとするが、宮司さんが

「もうありません。来られるのが遅かった。それにもう来週まで指輪は入りません」

ということで、なくなく絵馬だけ1個買って、記念撮影のみ。

サムハラ神社の石碑前
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ところで、帰り際に俺は気づいた。

何やら巨大な足跡が一つだけ残されていることに。これである。

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私の靴が27cmだから、ゆうに30cmは超える足跡。

はたしてだれがこんな巨大な足跡を残していったのだろうか?

謎である。


この頃、私は

「どうもサムハラ神社にはもうご利益はないな」

と感じ始めていたので、奥さんに

「もうサムハラ神社の宮司があんな調子では商業化しすぎてもうナマグサ宮司だ。これじゃあ〜、サムハラのご利益はないと思うよ」

と言ったのである。

そうして近鉄に無事に乗り、今度はなんばから名古屋に到着。

そこで、奥さんは名鉄と近鉄を勘違いして、というより、いっしょくたにしていたので、もうホテルが有ると思っていたら、豊田市はもっと先だったことを知る。

今度は名鉄で名古屋から豊田へ行かなければならない。


だから、当初の予定より1時間も遅れて、夜9時過ぎに会場となる名鉄豊田ホテルに到着。

奥さんは朝から何も食べていなかったからとにかく早くチェックインして何か食べに出よう。特に、「味噌煮込みうどん」とかいうやつが食べたいというので、私は何事もブラジルW杯の経験上、先にできることは先に済ませたほうが良いよということで、私は名古屋で目的のものを食ってからホテルへ行こうと言っていただのだが、名鉄と近鉄をごちゃ混ぜにしていたので、豊田駅で食べることにしたのだった。

そしてチェックインに行くと、なんと部屋がない。

予約した部屋がない!

なんといま高校総体が名古屋で開かれていて、名古屋から近郊の全ホテルが満杯。しかも前日に岡崎の大花火大会もあったという。

申し訳なさそうに、ホテルのフロントの係員の人が、一応部屋はとってあるのですが、ちょっと変わった部屋ですがよろしいですか?

と聞く。こっちは何でも良いから早く部屋に荷物をおいて食事に行きたかった。

それで「もちろん」問題ないです。どこでも良いですとOKというと、キーナンバー801をくれたのだった。


そして荷物を滑らせながら801に行くと、そのフロアは結婚式場だった。

そして結婚式場の一番となりの部屋だった。

部屋の中に、大きな色直し用の鏡台があり、バスルーム前には男女別々に同時に化粧できるように左右対称に2つずつ鏡と洗面台がある洗面台。

さらには、ダブルベッドが2つ。

さらには、応接室と寝室に分かれているような感じのスウィートルームだったのである。

なんと、その部屋は昨日帰宅後に調べたら「ブライドルーム」というやつだった。

これから翌日に結婚式を控えた新郎新婦が神妙な面持ちで前日を過ごすという特殊な部屋だった。


いや〜〜、破産!

これが最初に我々によぎった言葉だった。

こんなスウィートルームに2日も泊まったら我が家は破産である。

どうしようか?

と思ったのだが、ともかく夕飯を食いに行った。


ところが、豊田の夜は早い。どんどん9時以降は飯屋が店じまい。飲み屋もみな帰り支度を始める。

味噌カツや味噌煮込みうどんどころではない。

もう食い物にありつけるかどうかのせとぎわになった。

いろいろ探し回っていると、松坂屋の近くに手羽先専門の看板をみつけ、そこの近くに、串カツの文字を発見。というわけで、この居酒屋に入ることにした。

すると大正解。

焼き鳥も1本140円でそれほど高くはなく、普通に生ビール中を一杯ずつで、結婚27年目をお祝いして、土手煮とかいう一物やいくつか食して、最後に焼きそばとお茶漬けを食べてなんとか無事夕飯を取ることが出来た。

そして、その晩は、27年ぶりの結婚式のマネごとができた。

実は我が家は結婚式をしないままいままできたので、結婚式がどういうものかまったく知らなかったのである。結婚式の前日にこんなスウィートルームに泊まるということも知らなかった。

というわけで、とにかく、熟睡して当日になった。


翌日の当日。

朝食が出たので、ホテルの朝食を取り、そしてゆっくりして、まずは会場をチェックに行こうと、フロントにいくと、そこで一人の青年に出会った。どうやらファンの一人で、講演会を聞きに来て、一応早めに場所をチェックに来たら、
私がいたので勇気を出して話しかけたという青年だった。

とにかく今いる部屋が広い。そこで部屋で話そうと誘って我々の801にいって、12時前までいろいろ話す。

そして、実は地元の名古屋近郊の大学にいる同業者の友だちがいるので、その彼と講演会で会ってその前にいっしょに食事でもしながら久しぶりに話しましょうということで、待ち合わせをしていたのである。

それで12時ジャストにまたフロントに行くと、2分遅れでその友人がやってきた。

実はその前に一応会場を見に行くとすでに保江博士が歓談中で、これからみんなで昼食会をするというので、私はその友人もいっしょにどうということで迎えに行ったのだ。


というようなわけで、まずは講演会の主催者の高木先生とその関係者といっしょに保江先生と私と奥さんと友人とで昼食会ができたのである。

その時、私が保江先生にいつ来られたのか聞くと、昨日の夜8時だという。本当は今日来るはずだったが、やはり当日は時間的にも厳しそうだとわかって、前日に来ることにしたら、無事一部屋空いているということで、そこでここに宿泊することになったというのである。

いや〜〜、これで理由がわかった。

我々は当初8時にホテルに到着するはずだったが、サムハラ神社によったために、1時間遅くなってしまった。

そしたら、普通のツウィンではなくて、スウィートルームしかないということになったんですよ。

だから、きっと後から来るといい出した出版社のだれかか、あるいは、保江先生が急遽お泊りになったんじゃないかと想像してたんですよ。

やっぱりそうだったんですね。

というような会話になった。

そして実は俺はサムハラ神社は効用が切れたと言っていたんだ。

そう保江先生に言ったら、「これだ。これがサムハラのお導きだよ」って。

もし我々が先に着いたら、きっと保江先生がお一人でスウィートルームになったはず。


いや〜〜、サムハラ神社恐るべし!


おみそれいたしました。礼。

後はすべてうまく行き、例年は50人参加のところが、今回は会場溢れんばかりの大賑わい。140人超えとなってしまったという。主催者の皆様には想像以上のご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした。

この度はどうもいろいろお世話になりありがとうございました。

では、みなさんお元気で、またいつかお会いしましょう。





いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2018-08-06 11:49 | 個人メモ

「変な話」:どうして昔と今とで話が逆転したか?「水飲むな」→「水を飲め」   

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みなさん、こんにちは。

今回は私個人への個人メモである。興味ない人はスルーを。



さて、確かにまだまだ暑いがいっときよりは暑さがマシなった気がするが、相変わらず暑いことは暑い。

熱中症という新語のために、かえって死んだ人が多くいるような錯覚がでるが、昔も今も同じように高齢者になれば、暑さで卒倒する人はたくさんいたはずである。

それが熱中症という概念で当てはめればなんとなくそれに当てはまるから「熱中症死」したという呼び方をするから、さも熱中症死が増えたかのような印象を持つわけだ。

単に昔はわざわざ熱中症に当てはめなかっただけで、そんなに大差はないだろうというのが俺の個人的想像である。

私の父親も50半ばで群馬に出張中に脳梗塞で倒れたことがある。幸い同乗者に事情を知っていた人がいてすぐに病院に行ったために助かり、その後ずっとリハビリ生活したが、今91歳になっても健在である。もっとも施設に入院しているのだが。

当時はエコノミー症候群という言葉もなければ、熱中症という言葉もなかった。

どちらも水分不足、塩分不足が原因だ。

我々が子供の頃、野球部に入ると、入った瞬間から「水泳禁止」。練習中の飲食、特に水飲み禁止だった。

喉がカラカラでも水道ダッシュは厳禁。

そういう時代だった。

水泳禁止は肩を冷やすと肩が壊れるからだという理屈だった。

一方、水飲み禁止は、水を飲むと汗をかくから、汗をかくだけ体力消耗するからだという理屈だった。

この時期、名映画「アラビアのロレンス」とか、英米の映画の探検隊は、水を一日たったのコップいっぱいだった。

遠征中の水不足を減らすことと、汗かきを減らすことだった。

たしか、有名な「地底探検」とか、そんなやつでも、水筒の小さな口コップにたった1杯を飲んで終わりとか、それを回し飲みするだけとか、それが当時の最先端の技術だったと思う。

だから、ではないかもしれないが、我が国でも部活でも水は制限された。

しかし、そこは成長期の子供や少年たち、15分休憩になると、学校の水道にみんなで猛ダッシュし、水道の蛇口に口をあててごくごくごくごく腹が満杯になるまで飲み続けた。

休憩が終われば、胃袋がチャップチャップいいながらも練習再開したものである。

今思えば、ここでやっていたことは、今の常識からすれば、すべてダメ、NG、違法行為だった。

しかし、奇妙なことに、だれも死ななかった!

私がサッカー部に移った後も、当時は野球部同様、水は休憩時間に飲むだけ。

だから、1時間練習したら休憩10分。そういうときに水道に猛ダッシュした。

試合では、ベンチに猛ダッシュして帰り、水を飲む。当時はポカリスウェットとか、そういうものはないから、蜂蜜レモン水とか、レモン水を応援の父兄からもらって飲んだものである。あるいは、梅干しと蜂蜜レモンを食べる。

不調になってもそれでも誰も死ななかった!

いまでは大谷投手のように、野球選手は水泳もすれば、試合後にはかならず肩をアイシングする。昔では巨人軍のプロ選手でも、肩を馬肉で冷やした。それをあとで馬刺しにして食った。

サッカー選手でも、試合後は筋肉をアイシングする。だから、アイスパッドでラップして足回りを冷やす。

水は試合中いつでもグランド周囲においたビンで飲む。女子マネはそれをいつも冷たいやつに入れ替えるのが仕事の一分になっている。

昔はそんなことすれば、先輩から鉄拳がとんだ。

弛んでるぞ!

それでもだれも死ななかった!

試合中でも誰も死ななかった。


ところが、いまはピッチの上で選手が死ぬこともある。

これだけ水分補給しているのに、大勢の高齢者が病院に入る。ジョギングの猛者も不調になって入院する。

何かが間違っているんじゃね〜〜の???


これが俺の疑問である。

今の風潮で儲かるのは、大塚とかペプシとかコカコーラとかキリンとかそういう水商売の大企業である。

そもそもキリンは俺ら昔のサッカー選手や野球部が自家製「蜂蜜レモン水」を飲んでいたやつを真似しただけだ。

ちょうやは、田舎の一般家庭どこでも作っている梅酒をマネしただけだ。

コカ・コーラやペプシは、昔アメリカの一般家庭のどこでもレモネードとして出していた飲み物を真似ただけだ。

レモネードにコカの実で茶色くしただけで、中身はレモネード。だから、逆にいまや昔のオリジナルに戻って、「透明のコーラ」で売り出す。

馬鹿か?

無知は犯罪でござる。


まあ、いずれにしても、どうも最近の医療知識は、大企業ベースの何か間違ったバイアスがかかっている。

水飲みすぎるから、尿に大量に出て、ミネラルがどんどん尿に出て、体力消耗する。

だから、今度はどんどんサプリをとれということになる。

大量に飲むには、カロリーは落とさないとまずいから、アスパルテームだの、人工甘味料のカロリーゼロにしなければならなくなる。

が、これらは大量摂取すればするほど発がんし、金玉や卵巣をやられる。

馬鹿か?

無知は犯罪でござる。


ところで、がん細胞は熱に弱い。ある医学博士の話では、体温が36度台程度の熱になっていると、体のがんはできないという。

癌になりやすい人は体温が低く、35度台の人が大半だと。

それでもそういう人が体温を36度以上に高めれば、3ヶ月以内の末期のがんも消滅するというのである。

だから、結核の人は癌にならない。結核患者は微熱がある。夕方になるとかならず熱が出る。だから、がん細胞が死に絶える。


ということは、インフルエンザにかかれば体温は41度にもなる。しかも3日は寝込む。

ということは、タミフルやワクチン使って体温を35度台に保つよりは、へたをすれば長生きになるかもしれないわけだ。

つまり、たまにインフルで高熱にうなされたほうが体内のがん細胞除去できて良いかもしれないわけである。

この観点でいえば、今年の夏の暑さは、知らず知らずのうちに体内にがんが出来始めていた人には幸いだったかもしれないわけである。

これだけ暑ければ、体温もいつもより高温になる。つまり、がん細胞が死ぬ。

熱中症でがんが消えた!

こういう人もいるのではなかろうか?


何事にも一長一短ある。


せっかく体内の発がん阻止にはもっともいい条件の暑い夏。その暑い夏に冷えすぎたところばかりにいるよりは、多少汗びっしょりになり、適度に水分やミネラルを取りながら、しかもがん細胞の好物であるらしいブドウ糖を取らないようにすれば、がんを撲滅できるかもしれないわけである。

厚生労働省はこの統計をとれ!

熱中症と発がんとの負の関係である。


私がここ阿南にきた22年前、私の記憶ではいまよりずっと暑かったと思う。あるいは暖かかった。

3月末には半袖半パンで活動していた。

しかし、今年は7月まで半袖半パンになれなかった。

なぜだ?

地球温暖化?

馬鹿か?


無知は犯罪ですナ!


最近はあらゆることが、科学も含めて、すべての情報がだれかによりマニュピレートされている印象のある今日このごろである。

あるいは、単に我々が馬鹿になっただけか?




いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2018-08-01 15:58 | 個人メモ

最近の話題:「本田圭佑、武井壮の講演会」→「小我の中の蛙、大海を知れず」   

井の中の蛙、大海を知らず
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みなさん、こんにちは。

昨日は阿南の夏祭りの最終日。花火大会の日だった。

我が家も恒例の花火大会を見に行ったが、今年は昨年より盛大だった。若干、景気が良くなったのだろうか?

夏祭り
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牛岐城跡公園のLEDモニュメント
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花火
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いまだガラケー、普通の携帯を使っているのは我が家くらいのものだから、あまり写りは良くない。いまのスマホはこの1万倍の解像度がある。

携帯の写真は数百KB程度だから、普通のプリンターのA4の範囲内に入るが、スマホの映像は1MB以上あるから、新聞紙以上の大きさの紙がないと入らない。それほどの違いがあるようだ。


さて、昨夜はJリーグの神戸にイニエスタ選手がデビューし、サガン鳥栖にフェルナンド・トーレス選手がデビューした。

トーレス選手はあまり我が国ではクリスチャン・ロナウド選手ほど知名度が高くないが、実績や戦績では、ロナウド選手を遥かに上回っている偉大な選手である。すべてのカテゴリーで優勝経験のある稀な大選手である。

イニエスタ選手と同じスペイン代表として南アW杯優勝経験者だし、欧州選手権などなど多くの大会で優勝経験している。

いわゆる、勝者のメンタリティーを持つ選手の1人である。





ところで、そのフェルナンド・トーレス選手、昨年の試合で一度死にかけた。



不死身の男フェルナンド・トーレス。


今後のこの二人の活躍を期待したい。


さて、大分前置きが長くなってしまったが、本田圭佑選手と武井壮選手の二人の一般講演が結構興味深いものだったので、一応ここにもメモしておこう。以下のものである。

【武井壮の「大人の育て方」がマジ凄い!】オトナの学校 完全版


【講演】本田圭佑選手が生きていく上で大事にしている事とは



この二人に共通しているのは、

成長

という概念。成長することことの大切さを礼賛していることである。

まあ、人生の中盤に差し掛かりまだまだ成長できる年齢にあるからそういうふうに考えるのは実に自然である。

私自身も昔はそうだった。しかしながら、いまは必ずしも彼らの思うようには思っていない。


しかし、その年代年代で自分の意見や考えを皆の前にぶつけるというのは素晴らしいことだと思う。

聞いている人は結局その人に理解できる部分しか頭に残らないし、共感しないかぎり共有できるようにはならない。

そもそもその人に受け入れられるべき芽が育っていなければ、言葉として認識できないのである。

しかし、仮に聞いた人が話の内容は全く理解できなかったとしても、その時確かに本田圭佑の話を聞いた、武井壮の顔を見たというようなことは経験として残るだろう。

そして、それがいつの日か、ふとあのときの話はこういうことだったのではないかと何年も何年も経ってからわかるというようなことが起こる。

実はこれが大事なんですナ。

この上の講演会を見ていてもわかることは、一見日本人の若者は質問したり、反論したりせずに、静かに聞いているのかどうかすらわからないくらいに静かに聞いている。

おそらく欧米の若者ならもっと反論したり質問したり反応が賑やかだろう。

実は、これが一番大事なことで、日本人の良さでもある。

西洋文明の西洋人、そしてその文明圏に支配された植民地化された国民の国々では、静かに聞くことがあまりできない。

常に、それぞれに話の腰を折るようなことをする。

よくテレビのバラエティーで人の話やストーリーを聞きながら、

「へ〜〜」とか「それやっちゃまずい」とか、横から主観を入れてそれが自分の見識かのようにひけらかして自尊しているタレントさんがいるが、これが実は一番やっちゃいけないことなのである。

こういうのを

小我

と岡潔先生は呼んだ。

人間が一番注意しなければならないこと。

己のいまのちっぽけな頭で意見すること。

これをすると成長できないのである。

自分に与えられる場面における情報はほんの一部でしかない。だから、本当はもっと深い話やそれができてやっとわかってくる段階を踏まねばわからないというようなことがあるが、いつも聞いたそばからそのときの自分の自己中な思考で分析してしまうと、自分では分析しているつもりでも本当はチャンスを逃す結果になっているのだが、それが自分では真逆に理解してしまうというようなことが起きる。

岡潔先生は、こういうことに気をつけよとおっしゃった。


しかし、白人にはこれができない。

その都度、Why?なんで?って聞いてしまうのである。

だから、これをするかぎり先に進めない。

話の途中で「なんで?」「なに?」となってしまえば、もうそこから先の話は聞かないことになる。話の途中で「そんな馬鹿な」と思い込めば、もうその話は聞く意味を失い、集中して話を聞かない。

私が知る限り、これが西洋人の致命的欠点であると思う。

まあ、これをネタに登壇した厚切りジェーソンみたいな人間もいるが、彼らには本当のことは理解不能である。

理解する前にまず把握することが大事なのである。

その場面をそっくりそのまま俯瞰的に眺め記憶すること。

これはなかなかできない。

サッカーをみるときもそうで、一試合まるまるそっくりそのままフィルム映像に残すように眺める。無心である。

こうしておいて、あとであのときはこんなプレーがあったというふうに引っ張りだす。

どこかのプレーに痛く感銘してしまえば、もうその次のプレーは忘れる。欧米のスポーツキャスターがこれである。

だから、「ゴ〜〜〜〜〜ル」と叫べば、もうそのゴールシーンしか頭に残らない。3−0の試合なら、3得点のシーンしか記憶できない。


これが小我である。

小我を捨てること=素直であること=無心であること

これができる人だけが真の成長ができるのである。


なぜ武井壮選手がいまの武井壮になったか?

彼の話にあったとおり、その年代年代で無心で人の話を聞いたからである。

あの人はこういった。別の人はこういった。他の人はこうもいった。

こういうことを全部記憶した。

もしそこで、あああの人は偽物だ。聞く必要がない。ああ、別の人は変なやつだ。だから、無視無視。他の人も大したやつじゃね〜〜。こうやっていたら、その少年は武井壮にはならなかったはずである。たぶん、その辺の身体能力の高いヤンキーチンピラになったはずである。

成長という意味を、伸びるという言い方で捉えれば、伸びる子というのは共通して素直であるということがある。

この素直であるというのは、目上の指導者の立場から見た言い方だから、上の人から見れば素直に見えるという意味である。

つまり、変な反論したり、難癖つけたり、裏で愚痴こぼしたりしない。

上から見て素直に見えるということは、その人物からすれば、いったん「すべて受け入れてみる」ということである。

自分のその時の考えでは間違って見えることでや矛盾して見えることでも、受け入れてみるということである。

青森山田のサッカー部に入部したら、まずテストを受ける。1500m4分55秒以内で走るのである。さもなくば、ボールを蹴る練習をさせてもらえない。

普通の子、伸びない子は、これに憤慨する。「こんなテスト意味ね〜〜じゃん」とクレームをつけるだろう。

まだ自分がクリアできた子が言うならわかる。しかし、4分55秒以内で走れない子でもそういうふうにいって批判するものがかならず出る。

これが小我である。

まずはその関門なり、試験なり、課題なりを受け入れる。無心でやってみる。

最初はできなくてもできるまで頑張る。

こうやって一つ一つの階段をステップアップできるものが、本当に伸びる子、成長する人間なのである。

なぜ乾選手が伸び悩んだか?

それは乾はいつも裏で愚痴をこぼし、小我で生きてきたからである。これが乾選手の成長を遅らせた。

たまたま今度のロシア大会では、岡田前監督が乾選手の活躍を夢見で見たからバックボーンになってくれたから岡田と先輩後輩の昔のチームメートのよしみで乾選手をレギュラーにしたのである。

ハリルホジッチなら、乾選手は多分落選である。

もし乾選手が小我を持たず素直な選手であれば、もっと若くしてもっと早くもっと偉大な選手に育ったはずである。


人は自分を確立した瞬間に成長が止まるのである。

これだと思った瞬間に成長が止まる。

なんとも皮肉なものである。


言い換えれば、人は自分をこれが自分だと定義した瞬間に成長が止まるのである。

しかし、己は自分は成長の真っ只中にいると思っているわけだ。

いまの武井壮選手からみれば、直線のように突出した、昔の言い方でいえば、「片輪」の選手も、(ちなみに、「片輪」とは、片方の車輪しかない車」の意味であるが)、その本人は成長の真っ只中にいると思っているわけである。

いまの武井壮選手なら、100mの選手は直線状の才能ということになる。だから、いまの桐生選手は「それだけ」の人間ということになる。したがって、将来的には「それだけ」では困るということになると武井壮選手は考えるわけである。

しかし「一芸に秀でる」ということは、円の半径を広げたという意味もある。

だから、将来的には一芸に秀でた結果、それがのちのち別の分野において別の才能すら開花させることができるようになるということでもある。

まあ、人間の脳にはそういう意味の柔軟性や広がりがあるわけである。

一芸に秀でることは、万芸の真理につながるという面もあるわけである。


何事も根底、元はいっしょである。

武井壮選手も陸上という一芸に秀でることができたからこそ、やはりそのおかげで今があるわけであろう。

本田選手もサッカーという一芸に秀でた結果、その後の万物への応用が効くということを把握できたに違いないわけである。


実際、若者には、あるいは、人には一芸に秀でる程度しか時間がない。またてっとり早くいくにはそれしかない。

どんなことにもそれなりの普遍性が仕込まれている。すべては同じ人がすることだからである。


というようなわけで、あまり欲張らずに、まずは自分にあった、自分にできそうな範囲で、自分の好きなことで一芸に秀でる。これを目標にしたらよろしいのである。

そのためには、小我を持たず、いったんは置いておいて、素直に先人たちの声に耳を傾け、それを受け入れて励む。できるようになったら、次のステップで同じようにやってみる。

この繰り返しですナ。

これが日本人的修行のしかたである。

たとえば、こんなもの。






我が国の義務教育は、左翼思想の日教組の「小我教育」の成果で、鼻くそ坊主の小学生でも生意気に意見すべしというような教育をしてきたために、いまや日本の伝統の職人教育などについていけるものが育たなくなってしまったのである。

だから、いまや日本の職人分野は白人さんばかりになってしまったようである。

白人の方がむしろ日本人より(己の目的成就のためには)我を捨てることができるのである。


いやはや、日教組の「小我教育」の成れの果てが「ニート」である。

小我の壁を作り、自室に籠城した結果である。

知的小我の砦。小我の井戸。

小我を捨て去れば、外界を知ることができるのである。

小我の中の蛙、大海を知れず。



いやはや、世も末ですナ。








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by kikidoblog2 | 2018-07-23 11:50 | 個人メモ

昨日発掘救済した自転車は、Briller old classic type cruiserだった!?   

みなさん、こんにちは。

今回は個人メモに過ぎない。だから、スルーでよろしく。

さて、昨日もらった廃棄自転車のメモ。

さよなら宮脇書店阿南店!:アマゾンまた一つ阿南の本屋を潰す!

ロングハンドル、5段変速、太めのタイヤ
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この中で、ロングハンドルと書いた部分、どうやら自転車用語があり、

超アップハンドル
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と呼ぶらしい。

また、同じような自転車はあるのか?そもそもこの自転車はどこのなんていう自転車か、ネットでみると、どうもわからない。

そういう意味では、かなりレアものだったかもしれませんナ。

たしかにいままで見たことがない自転車だった。

ボディーにBrillerとあり、Old style Cruiserとあった。

そこで、ネットでこのワードや超アップハンドルを入れて検索すると、いや〜〜自転車っていろいろあるんですナ。みなさん、結構良い自転車乗っていますナア。

そんなものをいくつかメモしてこう。

まず「Brisller」の検索で出てきたもの。
Briller bicycles

(これが俺のものに一番近いナ)
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次に、「長いハンドルの自転車」で出てきたもの。
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あまりこの辺ではお見かけしないが、実に面白い自転車を乗っていますナア。感心感心。

今日から俺もその仲間入りだ。


ブリラーの超アップハンドルミディアムファットタイヤ5段変速自転車。

こんなものが、廃棄処分されて、スクラップになってしまうところだった。


最近の大学の貴重な文献の除籍処分の嵐も寒気がするが、大変な時代になったものですナ。

ところで、それは、やはり後ろから前から助平の元文科省事務次官が仕組んだんだろうか?




いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2018-04-13 09:14 | 個人メモ

ボブスレーのマネックス、コインチェックを買収!:絶対マネできないナア!?   

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、これは何か面白い。そんなニュースを忘れないうちにメモしておこう。

だいぶ昔の拙ブログ1にこんなものをメモしていた。

「マネックス」と聞いたらボブスレー!?:ボブ戦友の松本大さん美女と結婚!?おめでとうございます!


ボブスレー日本代表のパイロット、エアレースで言えば、あの室屋義秀さんに匹敵するのが、鈴木寛選手。

この鈴木選手の所属会社が、マネックスなのである。


その社長さんがご結婚。

とまあ、そういうメモだった。


ところが、なんと今日のニュースが実に興味深い。これである。

マネックス、コインチェックの買収を正式発表。36億円で完全子会社化
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マネックスは、コインチェックの買収を発表した。36億円でコインチェックの全株式を取得し、完全子会社化する。

当社は、下記の通り、コインチェック株式会社(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:和田晃一良 以下、「コインチェック」)の全株式を取得することを本日決定いたしましたので、お知らせいたします。

1.背景および目的
当社は、MONEY の Y を一歩進めて X とした「MONEX」という社名が表す通り、一足先の未来におけるお金(MONEY)との付き合い方をデザインし、個人の投資・経済活動をサポートすることを企業理念として、オンライン証券業を中心に、最新技術を用いた金融サービスをグローバルに提供してまいりました。

当社では、個人とお金の付き合い方を大きく変える可能性がある次世代の技術・プラットフォームとして、ブロックチェーンや仮想通貨を認識しており、昨年 10 月からは、これらの技術を中心に当社グループを飛躍的に成長させるべく、「第二の創業」を掲げて、仮想通貨交換業への参入準備や仮想通貨研究所の設立など、この分野における取組みを進めてまいりました。

中でも、仮想通貨交換業は「第二の創業」において大きな役割を担う事業であることから、今般、当社は仮想通貨取引所の先駆者でもあるコインチェックの完全子会社化を決定したものです。
http://www.monexgroup.jp/jp/index.html


経営体制
代表取締役:勝屋敏彦
取締役:上田雅貴
取締役:松本大
社外取締役:久保利英明
社外取締役:玉木武至
監査役:長坂一可
監査役:郷原淳良
監査役:佐々木雅一

執行体制
社長執行役員:勝屋敏彦
執行役員:上田雅貴
執行役員:後藤浩
執行役員:三根公博
執行役員:和田晃一良
執行役員:大塚雄介

執行役員:木村幸夫



実はこの社長さんがまだかなり若手の頃、私といっしょに日本で最初にボブスレーに乗った人だったのである。

私の前の人。

私は最後尾でこの人の背中と尻にくっついた。

というより、社長が俺の股間に入ってきた。

俺の後ろは何もない。

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(最後尾が俺、その前がマネックス社長、その前がアウディ専門千葉自動車社長、一番前がパイロットの鈴木さん)


俺と接触した人は出世し幸せになる(らしい)伝説。


また一つ誕生したようですナ。


ところで、キンタマンこと、元ゴールドマン・サックスの人、金玉蔵氏。


この人の行くところ行くところ災害に見舞われるわ、潰れるわ。らしいヨ。


あの巨大証券、ゴールドマンサックスはサブプライムで倒産。

日本支社は東日本大震災でおじゃん。

御嶽山は大噴火で犠牲者多数。

かの偽学者スミルノフ学者に詐欺に合う。

ビットコインの本出せば、コインチェックでビットコイン盗まれる。


いわゆる持っていない人。というより、何か変なものを持っている人らしい。

自分で言っているらしいから、間違いなだろう。

要注意ですナ。


近づかないのが一番。

ヒカルランドは大丈夫だろうか?




しかし、そういう偽物こそ本物らしく見えるのがこの世界。



いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2018-04-06 16:14 | 個人メモ

「チャンスの女神」一考:「幸運の女神には前髪しかない」!?   

チャンスの女神
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みなさん、こんにちは。

4年前ブラジルW杯に行った時以来、痛切に感じるようになったこと。

これは、やはり基本的に

チャンスは一度

そのチャンスが来たときはその機会を逃してはならない、
たとえ、どんなにそれが大したことに見えなかったとしても、

ということである。

たとえば、なぜわざわざ昨日までここに桜の花見のたわいない話をメモしたのか?

大した意味はない。

別に昨日や一昨日でなくても良かったはず?
同じような日はまた来るのでは?
この日曜日でもよかったのではないか?

普通はそう思う。私も昔はそういう感じだった。

しかしながら、今日も昨日と同じように行けるだろうと、
昨日までは思えたが、今日はもうダメになったのである。

午前中から強風になり、もう花見どころではなくなった。

もう花も飛び散ってきている。

もう昨日までの桜と今日の桜はまったく別なのだ。

昨日私が撮影した写真のような日は、もう永遠に来ない(かもしれない)。

すくなくとも、今シーズンではあれが最後となった。


私がブラジルで体験し、明確に意識するようになったこととは
こんなことである。

つまり、Aをしたいと思っていた場合、
何らかのチャンスが来て、Aができそうだ、という瞬間が来る。

しかし、どういうわけか、いつもこのAは後でも来そうな感じ、予感がするのである。
つまり、またあとで、と思えるような形で訪れる。

だから、大半の人は、そこで思いとどまり、
もっと後でもっとAよりAらしいA'が来るだろうと待つ。

しかし、A'はおろか、Aすらもう永遠に来ない。

どうやらこれがこの世界の真実である。

つまり、チャンスは一度。そのときだけ。
それを逃がせばもう二度と来ない。

これが、俗に
チャンスの女神は後ろ髪がない
あるいは、
幸運の女神は前髪しかない
という諺の意味である。

チャンスの女神を前から見た時につかめ。
通り過ぎた後からチャンスの女神を見てももう周りと区別できない。
だからつかめない。

大半がそういうものである。が、もしも二度目が来たならそれを決して逃すな。
まあ、二度目はないと思うがナ。

チャンスの女神は、トイレの神様のようにどこぞに挟まっているわけではない。

優柔不断、縦横無尽に動き回る。

だから、予測不能である。


どうやらこれは我々のいる世界=宇宙が、一過性の現象らしいからである。

つまり、この宇宙は過渡的現象なのである。

ここにすべての秘密がある。

しかし、力学は、つまり、力学的世界像、
言い換えれば、ニュートン力学の世界観では、
最初の条件しだいで未来はすべて決まり、
いつもその瞬間から過去にずっと遡って元の場所に戻ることができる。

つまり、過去も未来も永遠につながっている。

現在の瞬間から未来もすべて予測可能。予測→制御
逆にこの瞬間から過去をすべて遡ることができる。記憶→測定

つまり、記憶→測定→現在→予測→制御。

過去から未来の側と未来から過去の側は現在を境に入れ替え可能。
これが力学的世界観である。

一方、でたらめな場合は、現在から一瞬先は真っ暗闇。
逆に現在から一瞬過去は完全ボケ。もう忘れている。

だから、時間軸を逆に過去に遡っても、すでに忘れたところを遡るだけだから、
やはり一瞬先は真っ暗闇になる。

この意味では、でたらめな世界、ランダムな世界でも時間反転にはある意味
対称的になっている。

過去の記憶をたどることも、未来の予測をすることも同じガウス分布で決まる。

これがウィーナーの世界観である。
あるいは、熱力学のクラウジウスの世界観である。


はたして現実はそのどちらでもなかった。

準ランダム、準決定論的、準熱力学的。

言い換えれば、過渡的である。一過性的である。


最初のチャンスの女神で例えれば、

チャンスの女神はいつかかならず舞い戻る、というのがニュートン的。

チャンスの女神はめったに来ないが、いつでも同じというのが、ランダム的。

チャンスの女神はたった一度だけ来るというのが、一過性的。


はて、貴方の場合はどれか?


信じる信じないは貴方のチャンスの女神次第ですゾ。



いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2018-03-30 12:02 | 個人メモ

ヤスミン聶記(せっき):「聶記」とは人の耳から耳へ伝わる歴史。ヤスミンちゃん5月に日本に来る!?   

「聶記」:
残酷な運命に翻弄されながらも いかに深く 人々や森を愛したかを……
「聶記」(セッキ)は「草に埋もれながら人の耳から耳へと語り継がれていく物語」を意味する監督の宮崎駿による造語であり、会意文字と思われる「聶(せつ)
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」(草冠(旧字体)に耳が2つ)は同氏による創作漢字である。


アシタカせっ記より



みなさん、こんにちは。

最近は仕事しながらいつも久石譲さんの交響曲ジブリを聞いているのだが、
その中に

アシタカ聶記
という作品がある。

このアシタカ聶記の「聶記」という単語、これは何を意味するのか?

と調べてみると、なんと宮﨑駿監督の作り出した造語だった。

本当は草冠に耳の字2つの耳耳をつけた1字で「せっ」ということになるらしい。

が、草冠の耳耳はないから、耳3つの聶で代用しているのかもしれない。


この「聶記」の意味。これが興味深い。

草に埋もれながら人の耳から耳へと語り継がれていく物語


イメージとしては、戦国時代のような戦いの場で、草むらに潜んだ兵士たちが、
休憩の場のようなところで、あいつはどうした、こいつはこんなやつだったとか、
兵士同士の耳を通じて伝聞が広がり、それが伝承とし記録され、
いつしか史記として刻まれていく。

つまり、戦地の現場の語り部が伝えた話。

こういうイメージである。

いまでいえば、口コミ、だろうか?あるいは、SNSやトゥイッターの伝承。


人々がネットやフェースブックやSNSやトゥイッターで広がった話が
歴史として伝わっていく。

こんなイメージかもしれない。


こういうものを「聶記」と呼ぶ。


科学の分野でも、いわゆる「耳学問」という言い方がある。

真面目には論文や本を読んで勉強したことではないが、
人の講演や茶会のお話として聞き知った話。

こういうものである。

しかし、研究の現場では、意外にこういうことが役立つ。

だから、「耳学問として学んだ物理の歴史」。
こういうものも「聶記」といっても良さそうだ。


さて、ちょっと前置きが長くなってしまったが、
最近この聶記にちょうど良さそうなものを見つけたのでメモしておこう。


そう、ブラジルの日系の歌姫、ヤスミンちゃんこと、
ヤスミン・ヤマシタさんのことである。


最近のものがYouTubeにアップされているか調べたところ、
やはり昨年のものがあった。これである。

Yasmin Yamashita AI SAN SAN (愛燦燦)


6ºFestival do Japão 2017-Brasilia-Yasmin Yamashita- Ano Oka Koete


Yasmin Yamashita (山下ヤスミン)ちゃん 「愛のうた」 2016/9/17


Yasmin Yamashita e Familia Lima " Showa Saigo no Aki no Koto " ( Hanabi Matsuri)


娘に… cover - ヤスミン山下 - 詞曲:吉幾三


山下ヤスミン – YAMASHITA YASMIN - ひまわり - HIMAWARI 2015


一年一年と成長してきているようだ。


そして、ついに今年の5月に日本へ!


ウェルカムトゥーJAPAN!

Yasmin Yamashita - Fukuoka Show 2018年5月1日



ヤスミンちゃんの歌がうまいんだって!
美空ひばり以来の天才だって!
ヤスミンちゃんが日本にくるんやて〜〜!
もうブラジルではだれもかなわないんだってさ!。。。


こういった草葉の陰の間のやりとり、おばちゃんたちの井戸端会議、
こういうもので伝わる歴史や事実

これが、「聶記」というものなんでしょうナア。


ところで、人間には「放射型」と「伝導型」の二種類がいる。
そういう意見をかつて披露したのは、
「反秀才論」で有名な柘植俊一博士であった。

ちなみに、この柘植先生は、あのヤワラちゃんに高校生で勝ったほど強かったが、
一番強かった時にはやわらちゃんの前にオリンピックにいけなかった
福見友子選手の子供の頃の柔道の師匠である。

日本女子の山口香が筑波大時代の指導者のひとりでもある。
柔道を科学的に研究した最初の理論物理学者である。

この柘植先生は、明治維新の志士の中で、

勝海舟と山岡鉄舟をとりあげ、
この二人は好対照であり、

勝海舟が「放射型」の人間であり、
山岡鉄舟が「伝導型」の人間だったと説いた。

つまり、その人についての、
本や新聞やニュースのような書かれた媒体、
いまなら映像媒体で一気に全世界に広がるというタイプ。
伝記や映画や写真などで世に知られるタイプ。

こういうのを「放射型」と呼んだ。

一方、全くこれと逆に、その人と実際にあって話したり、
いっしょに生活したり、いっしょに飲食したり、
こういう生身の体験を通じてその人の人となりを知り、
その人の考え方や思想などを知り、
それをその人の知人に伝え、
その知人がまた他の人に伝える。

こういうやり方で世に広がる人のことを「伝導型」と呼んだ。


まあ、理論物理学者だから、
マクスウェルの電磁理論とフーリエの熱伝導論の2つを
モチーフにして説明したのである。

その結果、放射型は知る人が多いために、後世まで話が残りやすいが、
多くは表面的なレベルに留まるが、
伝導型はその人の周りにしか伝わらないかもしれないが、
本当の話が生き残る。

そういう傾向にあると説いたのである。

だから、一般に勝海舟がやったことになっているが、
実際には山岡鉄舟がやったことがほとんどだったのだという
真実の歴史が語られる。

つまり、表向きのことは放射型、
その裏事情は伝導型で伝わるのである。

上の「聶記」は、伝導型の一種ということになるだろう。


とまあ、そんなわけで、
ヤスミンちゃんが今年の五月に日本の福岡に来るらしいぞ、
というも
一つの聶記というわけである。



ヤスミンちゃんの活躍を期待したい。


これを知った電通マンや博報堂マンが、
すぐに下世話のデビューなんぞを狙うとすれば、
あるいは安っぽいCMに出すとかして、
天才を堕落させようとするとすれば、
ブラジルの日系女医さんを目指し猛勉強中という、
ヤスミンちゃんにとっては偉い迷惑千万の話
というわけだろう。

ぜひ邪魔だけはしないでもらいたい。



いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2018-03-02 09:36 | 個人メモ

「歩む者のない道」:三浦知良選手と葛西紀明選手に捧げる詩→俺も同じ「落選組」だよ!?   

歩む者のない道
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黄色い森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
一人で旅する私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとした
その先は折れ、草むらの中に消えている

それから、もう一方の道を歩み始めた
一見同じようだがこちらの方がよさそうだ
なぜならこちらは草ぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたから
本当は二つとも同じようなものだったけれど

あの朝、二つの道は同じように見えた
枯葉の上には足跡一つ見えなかった
あっちの道はまたの機会にしよう!
でも、道が先へ先へとつながることを知る私は
再び同じ道に戻ってくることはないだろうと思っていた

いま深いためいきとともに私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。そして私は…
そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか

ロバート・フロスト (1916年)
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「物理の森の中で道が二つに分かれていた」:「バック・ツー・ザ・フューチャー」



みなさん、こんにちは。

今回は私の個人メモのようなものである。普通の人には興味ない話だから、スルーでよろしく。


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三浦知良選手
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と葛西紀明選手
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とはどことなく似ている。というより、非常に似ているように思う。

たぶん、性格も似ているのだろうが、夏のサッカーと冬のスキージャンプと競技の違いはあるが、その人生の岐路も良く似ている。

つまり、

落選組

だったのである。

三浦知良選手は、フランスW杯初出場のための立役者の一人だった。だから、確実にフランスW杯出場するものと見られていた。

ところが、監督がそれまでの三浦知良推しの加茂監督が解任されて、同年輩に近いコーチに過ぎなかった岡田監督に変わり、その結果、あの悲劇の伝説が生まれた。
伝説!外れるのはカズ

まあ、3人外すのは仕方がないわけだが、その理由を

「チームに得策ではないと判断した」

というようなことを言っちゃいかんでしょ。死刑宣告だよ、これは。

実はこの理由もすでに解明されている。単に、若い城彰二選手が三浦選手と同室だったが、城彰二のいびきがひどく、逆に三浦知良は城のいびきや城の寝相の悪さからでる騒音で眠れず、先輩の和良が城に文句を言った。その結果、今度は城彰二が眠れなくなり、城が岡田監督になんとかしてくれと直談判に行った。その結果、いびき野郎の城の落選ではなく、1人部屋を要求した三浦和良が得策ではないとされて落選したというわけだ。要するに、予算の関係。しみったれた岡田監督の個性による結果だった。

まあ、いま日本サッカー協会を牛耳っているのは、この時代の早稲田大サッカー部出身者。ちょうど私が高3のとき、早稲田サッカー部からレセプションの誘いが来たときのほぼ同年輩の連中である。

西野はこの時期の早稲田のスーパースター選手だった。いまは強化部長をしているようだ。

現会長の田嶋幸三は埼玉の浦和南出身、筑波大サッカー部出身のゴン中山や井原の遠い先輩にあたる。

このチームに得策ではないという意味が物議を呼ぶ。いったい何が?ということになるからである。

この衝撃が三浦知良選手の闘争心、負けん気に火を付けた。

その結果、ほぼ実際上はもうW杯出場は100%あり得ないにもかかわらず、その一縷の望みを信じて高齢になっても頑張る結果になった。


一方の葛西紀明選手の場合も非常に状況が似ていた。

葛西選手も長野五輪前の日本の三羽烏の1人だった。

原田、船木、葛西。

ところが、船木、葛西、原田、岡部で団体で優勝するはずが、ほぼ100%これで行けるはずが、なんと

船木、岡部、原田、斎藤

の四人が選ばれた。
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ヒラマサ五輪:カーリングで「ちゃぶ台返し」「将棋盤ひっくり返し」の愚挙が出た!?


その結果、優勝。金メダル。

この衝撃は、葛西紀明選手の闘争心に火を付けた。

いったいだれが葛西を落として斎藤を上げたのか?

5人のうちで斎藤は最下位の選手。葛西は2位の選手だった。

ほんとこの理由はいまだに分からない。

これ以後、なんとしても金メダル。これを目指す結果になった。そして今日に至る。

長野五輪から20年後の今回の平昌五輪では葛西選手は惨敗した。

実際上は、もう永久に金メダルはない。にも関わらず、三浦知良選手と同様に、次の4年後の北京五輪を見ざすと宣言した。

ここもまだ現役サッカー選手を続けると宣言した三浦知良選手と瓜二つである。

どうしてそこまでするのか???


まあ、簡単に言えば、

男の意地

というやつでしょうナア。ふたりとも意地っ張りなんですナ。自分のプライドが許さないわけだ。

おそらく、三浦和良選手はピッチの上で死ぬのが本望だと思っているだろう。松田選手のように、ピッチの上で突然の心筋梗塞で倒れて死ぬだろう。

一方の葛西紀明選手はジャンプで失敗して競技場に激突して死にたいと思っているかもしれない。


死ぬまで永遠に現役選手を貫く姿勢というのは、私個人は実に好きである。私自身死ぬまで現役の理論物理学者として研究し続けるつもりであるからだ。またそうありたいと思っているからである。

私も三浦知良選手や葛西紀明選手と舞台は違うが、同じ落選組の1人である。

私の場合は、大学教授からの落選である。

再三再四の公募はこの20数年ですべて却下された。

20世紀の科学者にとり、大学院までの修行期間で学んだり身につけたりしたことを発揮する場所、つまり、スポーツ選手にとっての五輪のような場所は、最高級の研究施設を持った大学である。

だから、大学教授になってそこで研究するということは、オリンピックに参加するようなものなのである。

しかしながら、私も同様に落選し、ここ20数年間フリーの研究者としてなんとか研究を続けてきたわけだ。

この意味では、フリーで五輪に挑戦するアスリートに似た境遇だったといえるかもしれない。

世界記録ではないが、それなりに記録も残してきた。この意味でも良く似ている。


さて、問題は何かと言えば、フリーで生涯現役選手の場合、弟子をとらないということが問題になる。

私にも無論物理学者の弟子はいない。というより、弟子は取らない。息子すら弟子にしていない。

その理由はその後の就職に関して責任を持てないからだ。

はたして三浦知良選手や葛西紀明選手の場合はどうか?

彼らはそれなりのプロ組織に属しているから、まわりに同業者やチームメートはいる。

そういう意味では弟子になりそうな選手がたむろしている。心の弟子を標榜するものはいるだろう。


しかしながら、本来の意味の、指導者と選手という意味の弟子をもつには、やはり自分が指導者の道を進まないとできない。

三浦知良選手がサッカー部やクラブの監督になり、自分の考え方や技術や経験を伝授する。こういうことは監督にならないかぎり無理である。

葛西選手も同様である。自分のジャンパー経験を選手に伝えるには監督やコーチにならないとできない。

はたしてこの問題に関して彼らはどう対処するか?


自己の完結と自己経験の伝授

前者が子供としての部分であり、後者が大人としての部分である。

人はみないつまでも子供の頃の夢を追いかけたいという願いと年齢とともに自分の社会的役割を果たさなければならないという現実との間で生きる。

つまり、簡単に言えば、

夢と現実との間で生きる。


最初から夢がない人、すぐに老ける人、自分の夢より他人の方が大事な人。こういう人たちにはこういう問題はあまりないのかもしれない。

もしも岡田監督が三浦知良選手をW杯に出していたら?

もしも葛西紀明選手が長野五輪で金メダルを取っていたら?


その後の展開はどうなっただろうか?


この「もしも〜」が効かないのが人生なのである。

ここがもどかしいところで、この世界の実は本質をついているところなのである。

頭の中や理論上では、平行な宇宙、平行な現実というものを想定はできる。しかし、現実世界はどれかを選べばそれしかできない。別の道はありえてもそこは実現しようがない。だから、別の道を選択したらどうなったかは知りようがない。

別の道で上手く行ったかもしれないし、それでも失敗したかもしれないし、それ以外の第三の問題が出てきたかもしれない。

要するに、この世界は「過渡的世界」なのである。一過性の現実の世界なのである。つまり、後戻りできない不可逆性の世界というよりもっと強く、たった一回こっきりの世界なのである。

というわけで、一つの道を進んだ選手はもはや後戻りはできない。


東大官僚の代えは効く。しかし、三浦知良選手や葛西紀明選手の代わりは存在しないのである。



いやはや、世も末ですナ。







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by kikidoblog2 | 2018-02-21 10:03 | 個人メモ

皇帝のように指揮するカラヤンvs踊るように指揮する久石譲:俺は久石譲がおちゃ〜みんぐにみえる!?   

みなさん、こんにちは。

これは個人的メモにすぎないから、普通の人はスルーでよろしく。


さて、ここ最近は私は久石譲さんの曲に惹きつけられている。ジブリの曲もだが、それ以外のものも、実に素晴らしい。

中には、どこぞの高校の校歌もあった。

また、長野県出身の久石譲さんこと、藤澤守さん
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そのものにも大変興味が出た。

これについてはまたいつかにして、今回は、この久石譲さんのジブリ演奏会の時の指揮の仕方についてである。

久石譲さんの指揮は、実にチャーミングであり、魅力的であり、また演奏者に非常に親切である。

常に、自分より他人、指揮者より演奏者本位という感じの指揮法である。

とまあ、俺にはそう見えるわけですナ。


かつて、中学生の頃、甲府南中学の音楽の先生が非常に合唱の好きな人で、1年から3年までの全クラスで合唱大会に出るというようなイベントを行っていた。課題曲と選択曲の二曲方式だった。

2年の時に私がクラスの学級委員をした時期があったが、そのときにクラスの指揮者に選ばれて、私が合唱を指揮することになった。

それよりずいぶん昔の幼稚園時代に、たまたまその幼稚園の放課後にオルガン教室があり、お前もやれといわれていやいやオルガン教室に通ったことがあった。周りは全部女の子だけで、私は女の子は普段全く遊んだ経験がなかったために、本当に嫌で嫌でたまらなかった。しかも私は指の動きが生来硬く、なかなか思うように動かなかった。

それでもちょうど右手の動きが終わる頃まではなんとか頑張ったが、さすがに左手が入り、両手で演奏する頃、辞めてしまったのである。

その後、ずいぶん経ってから気がついたが、音感だけは発達したようで、音楽家の絶対音感とまではいかないが、比較的音感はよく、小学校の高学年の合唱代表に選ばれて、合唱大会に無理やり出されたりしたものだ。

だから、音楽の音符をちょっとだけ当時は理解できたりして、いきなりクラスの指揮者に担ぎ出されてしまったわけだった。

また音楽の先生は男だったから、男で声の良い奴に非常に関心があったらしく、私はすでに1年の入学時に野球部に入り、当時の野球部伝統の、変声期の時期でも大声を上げて、グランドの両側に立って、「声を出せ〜〜」と先輩が言ったら、今度は反対側から新入生たちが一人ずつ「1年2組のいぐちで〜〜す。よろしくおねがいいたしま〜〜す」とあっち側の先輩のところまで聞こえる声で叫ぶという練習を毎日毎日やらされていた。

当時すぐに変声期にかかり、そうやって大声をだすと、声が裏返って、まったく声が出なくなったりして、喉も痛くなるし、これは大変だと思ったが、いつしか大声で大人の声が出るようになっていた。

そんなわけで、合唱の先生から「お前はバリトンの美声だな。合唱部に入れ」とかいわれたわけだ。しかし私は「いや〜、俺はもう野球部に入部していますから、合唱はできません」というような感じだった。

そんな合唱の時代、将来「指揮者」というのも面白いかもな、という漫然とした印象は持っていた。

それで自分なりに音楽を勉強したりして、夏休みの音楽の課題で自分で曲を作るというのがあり、適当に二部合唱の曲を作ってもっていったのである。ところが、まだ「和声」というものを知らず、まったくハモっていなかった。

そういうそれぞれの生徒の曲をクラスで先生がオルガンで弾いていく。そして私の番が来た。その合唱の先生が、「面白い曲だが、ハモっていないぞ」といわれて、結構みっともない思いをしたのだが、それ以来音楽より、野球、そしてサッカーへと移っていったわけだった。

そんなこんなで、昔から指揮者というのにはそれなりのあこがれのようなものがあり、今思えば、我が家の家系ではだれも音楽家は出ていなかったから、まあ1人だけ甲府英和の音楽の先生をした伯母がいたが、その人以外はいなかったから、音楽へ行っても成功できたということはなかったはずだから、それはそれで良かったのだと思う。

というようなわけで、昔は結構カラヤンとか、クラッシック音楽を聞いていた時代があった。

指揮者と言えば、カラヤンというような感じだった。

ところが、最近の久石譲さんの指揮を見ると、カラヤンとはまったく趣が違うわけである。

まあ、私個人の受けた印象では、

カラヤンは皇帝のような指揮をする。

それに対して、久石譲さんは踊るように指揮をする。

たしかヨーロッパでも踊るような指揮者だったというのは誰かいたような気がするが、名前は思い出せない。

しかし、久石譲さんの指揮を見たら、これがそれだとはっきりわかったわけである。

そんなわけで、カラヤンと久石譲さんの指揮の違いというのもメモしておこう。


(あ)カラヤンの場合→「皇帝のような指揮法」

Dvořák: Symphony No. 9 "From the New World" / Karajan · Berliner Philharmoniker

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(い)久石譲サンの場合→「踊るような指揮法」

久石譲 in パリ 宮崎駿監督作品演奏会 (2017年)

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というわけで、私も昔はカラヤンの方がかっこいいと思っていたりしたが、今見ると、いや〜〜久石譲の方が魅力的でかっこいいと思えるのである。実に不思議である。

日本語でだれか「おちゃめな指揮者」だというようなことをコメントした女性がいたが、まさにそんな感じの指揮法である。

英語には「チャーミング」ということばもあるから、その二つを足して、おちゃーみんぐ、

おちゃーみんぐな指揮者

とでも呼んでおこう。


ところで、久石譲さんの曲のコメント欄に多くの日本の若者達が、

「ノーベル平和賞をとってください」
「ノーベル文学賞をとってください」
「人間国宝はよ」
「日本人に生まれてよかった」
「日本人として誇らしい」

とか、そんな言葉が飛び交っている。

すでに二年前にボブ・デュランもノーベル文学賞をとったし、昨年は日系英人のイシグロさんもノーベル文学賞をとったわけだから、今年に久石譲さんや宮﨑駿さんがノーベル文学賞や平和賞をとっても誰もおかしいとは思わない。

俺としては、宮﨑駿さんがノーベル文学賞、久石譲さんがノーベル平和賞なって良さそうに思うが。


さて、よく猶太のジョークにあるような指揮者のジョークができそうだ。

世界中の指揮者が各国の指揮者の違いについて議論していた。
まず真っ先に英国人指揮者が口火を切った。「英国の指揮者は紳士的に指揮をする」
次にドイツ人指揮者がいった。「ドイツの指揮者は皇帝のように指揮をする」
フランス人指揮者がいった。「フランスの指揮者はロマンスしながら指揮をする」
イタリア人指揮者がいった。「イタリアの指揮者は熱愛を感じて指揮をする」
アメリカ人指揮者がいった。「アメリカの指揮者は教育者のように指揮をする」
ロシア人指揮者がいった。「ロシアの指揮者はロマネスク神殿のような重厚な指揮をする」
そこで残ったのは日本人指揮者だけとなり、みんながこっちをみるので、
日本人指揮者はしぶしぶいった。
日本人指揮者はいった。「日本の指揮者は演奏家のみなさんを信じていますので、彼らが演奏しやすいように指揮をします」

とまあ、こんな感じか。


それにしてもますます味が出てきている久石譲さんですナ。今後の活躍を期待したい。


ところで、この久石譲さんは愛煙家なのだとか。

タバコの匂いと煙の中でこんなに素晴らしい作品の数々が生まれるとすれば、やはり極端な禁煙活動は行きすぎだろう。

むかしは、煙幕を張るというような言葉があったように、タバコの煙幕は大人と子供の間の間仕切りのような役割をしていた。

確かに長寿や健康には禁煙はよろしいはずだが、健康で長生きの無能ばかりの世界よりは、多少のリスクはあっても世界を感銘させてくれる才能のいる世界の方がどれだけ楽しいか。

ついでにいっちゃ何だが、小説の白い巨塔の財前教授のように、難しい手術をした後には、愛人をベッドに転がす。そんな形で、ストレス発散をして、また次の難しい緊張する手術をこなす、というようなお医者さんがいたとしても、それでもし多くの難病の人や死に直面した人が救われるなら、それはそれでよろしんじゃないかと思うわけだ。

また、それが大人の男の魅力でもあるわけだ。

昔の森繁久彌の社長さんシリーズのように、何十年も頑張ってやっと社長になったんだから、妾をつくったり、京都の舞妓さんと恋愛したりと、それもまたある意味でご褒美だというようなものだろう。

何事も一長一短。あまりに潔白すぎて、不倫もダメ、タバコもダメ、酒もダメ、ギャンブルもダメ、愛人もダメってなったら、人間止めるに等しくなるんちゃうか?

相手次第なんだから、相手や奥さんがそれで良きゃそれでイイんじゃないのか、というようなオープンマイド、ある意味のいい加減さ、粋、そんなものが必要でしょうナア。

そういう意味では、文春砲は自分を棚に上げすぎているように見えますナ。

文春砲はどうやって007のジェームズ・ボンドに炸裂するのかいな?

奥さんも子供もいる大人の男が、恋愛のれの字も知らない美少女を大人の女にしてやったからって、それが悪いだの、性犯罪だのって、まあ、昔の日本を知っている俺からすれば、ちょっとキ印、子供じみていますナ。パヨク的である。

むしろ、変な男性不信に陥らせずに済んだという点で、その親から感謝してもらうべきだろうヨ。

赤い豚=red pig=porco rosso

の世界も若干必要なんじゃね〜〜の?


とまあ、久石譲さんの曲の中には、そんな妄想もさせてくれるほど

おちゃ〜〜みんぐなものがありますナ。


文春砲のようなものが正義だと錯覚して跋扈しているとすれば、ちゃんちゃら可笑しい。

不倫であろうがなかろうが、その男に魅力があるから、女が惹きつけられるんだからヨ。俺なんて金ね〜し、そんな男には女も寄り付かんヨ。




いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2018-01-27 18:14 | 個人メモ

我が家にまた一台再生自転車が誕生!?:昨今の高校生は良い自転車乗っていますナ!?   

みなさん、こんにちは。

さて、この時期になると、中高生の卒業進学の時期になり、中高生の親御さんたちはそれまで使っていた自転車を買い換える。それで、2,3年ほど使った自転車を廃棄処分する。そういうことが多い。

それで、私は知り合いの自転車屋さんの廃棄処分場に捨てて置かれる新廃棄自転車を眺めながら通り過ぎるのだが、最近気になるやつがあり、そいつをもらってきた。

数年使用済みの廃棄自転車だから、若干錆びていたり、パンクしたり、サドルがなかったり、タイヤがなかったり、あらゆる小物が壊れているが、面白い特徴のある自転車の場合、それをもらいうけて、自分で適当に修理して乗り回す。ここ10数年そうやって乗り回してきたから、このところ自転車を買ったことがない。

今乗っているのは、3段変速のベルトドライブタイプである。
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(たぶんこれ。進学校の高校生は結構いいやつ使ってんだよな。)


一昨日もらったのは、3段変速のシャフトドライブタイプである。
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(たぶんこの型の荷台付き)
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チェーンの自転車は多段階変速のみ有効。

このシャフトドライブタイプは、結構値段が高かったが、まだ試作品のようなもので、結構筋力がいる。日本で最初に出回った10数年前には私も新品を買って乗り回していたが、シャフトがおかしくなると乗れないから、いつしか廃棄処分自転車を修理して乗る仕方に変わったのである。

前のギアと後ろのギア比が小さいために、力がいるのである。もしこのシャフトドライブタイプの自転車を多段階に変えることができれば、革命的な自転車になるだろう。

ところで、今回のちょっと前に、前輪が二輪の三輪車タイプの廃棄処分自転車があったのだが、それをもらう手はずでちょっと用事に出かけたら、その間にご老人がめざとくみつけて、それを修理してくれと泣きついたので、そのおじいさんに貰われてしまった。

今回のは、電気系統が車軸の発電機でLEDの電灯が灯るタイプのすぐれものだった。電気系統はまったく異常がなかった。シャフトのクランクの留め金が代用品で賄われていたため、左のクランクがカクカク動くという不便なものだった。だから、廃棄したらしい。しかしそれを専用のボルトできっちり締めれば何も問題なく動いた。

ところで、こういうクランクのボルトを止めるには、専用の出っ張ったスパナが必要になる。14mmの口径のボルト用のものだ。
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これを買いに行ったら、なんと数千円もする。0円でもらった廃棄自転車の修理に5000円もかけていたら馬鹿らしいので、これは自転車屋で借りることにして、その場で修理した。


というわけで、我が家に再び一台再生自転車が誕生した。


いやはや、世も末ですナ。



おまけ:
「究極のエコ自転車ライトの完成」2:2号機完成!
「究極のエコ自転車ライトの完成」:電動アシスト自転車ライトをソーラーライトに改善!




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by kikidoblog2 | 2018-01-25 08:08 | 個人メモ