カテゴリ:個人メモ( 33 )   

シルバーハネムーンでブルーハワイに行って来ました!:結婚25周年旅行無事終了!   

ハワイの若大将


みなさん、こんにちは。

約一週間振りですナ。大変ご無沙汰していました。

この一週間、私と奥さんは、結婚25週年記念旅行として、常夏の島ハワイオアフ島に行っていたんですナ。シルバーハネムーンである。

1988年にソルトレイクで出会い、1990年にハワイでプロポーズ。1991年に東京駒込で籍を入れたのである。

あれから、25年。四半世紀が過ぎた。

子どもたちも無事成人し、ほぼ独り立ち。

この9月10日の奥さんの誕生日に、関空を出発し、オアフ島にいる妻の姉の住むカネオヘに11年ぶりのご挨拶も兼ねて、思い切ってかなり前から計画してお金を貯めて行ってきたのである。

幸いにも、というか、偶然にも、妻の姉の義理の息子になるDef Techのシェン
OHANA
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のハワイのコンサート
グリーンルームフェスタ2016
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がアメリカ時間の9月10日にあったので、到着してその夕には義理の姉夫婦といっしょにDef Techコンサートやケツメイシコンサートを見ることが出来たのである。それがこれだ。
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(右のパナマ帽が俺。若い女の子のエネルギーはマックス。何人でも子供が産めるヨ。)

やっとだれかがアップしてくれましたヨ。感謝。





今回のオアフでやりたかったことは、普通の人から見れば、非常にささやかなことだろうが、我が家の定番である。

(あ)アラモアナショッピングセンターのパラダイス・カフェのマフィンを食べること。
(い)ハレイワ(現地人はハレイバと発音)のマツモトアイスのかき氷を食べること。
(う)ハワイのコストコでチョコをたくさん買って帰ること。

これに今回は新婚時同様にシルバーハネムーン、そして久しぶりの子供なしの状態だったから、ノースショアを市バス55番で2人でツアーして、

(え)ワイメア・ベイビーチで泳ぐこと。
(お)カイルア・ビーチで泳ぐこと。

の2つを付け加えた。

幸運にもすべて無事完了。

今回のオアフは日本同様台風シーズンで、結構大量の雨が降っていたのだが、不思議と我々が行く先々が晴れて問題なく、そこで目的を果たすことが出来たのである。天に感謝。

いくつか写真をメモしておこう。以下のものである。

(あ)ハレイワ=ハイレバのマツモトアイス
レインボーアイスとIchiban Special抹茶
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Ichiban Special
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単なる抹茶あずきかき氷+アイスクリームなのだが、どういうわけか頭にキンと来ないのである。我が家は2回マツモトアイスを食べに行った。

2回目のあとで買い物中に店員の日系人女性と話したところ、一番のお勧めは

ピーチラムネ

だったかな。味見させてくれたが実に美味しかったヨ。

(い)ワイメア・ベイビーチ
これぞTバック
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(う)夕暮れのカイルアビーチ
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(え)俺が海で出会った友=バディー
巨大ふぐ(かハリセンボン君)=50cm
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(お)最後の晩、中秋の名月インハワイ
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(か)ホノルル国際空港のスタバにいる頭の赤い小鳥
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どういうわけか、雀もたくさんいたが、俺の足元に寄ってきたんですナ。だれかの生まれ変わりか?

(き)帰りのJALエコノミーの和食
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(もちろんナス科は食べず)


行きは奥さんが長年貯めたJALポイントでグレードアップがうまく出来てビジネスに座れたという大幸運があったのだが、流石に帰りにはそれがなくてエコノミーになった。

ビジネスの椅子の良さと広さとサービスと比べたら、エコノミーはサービスもエコノミーだったが、エコノミーはエコノミーなりの密着感があって大変良かった。私の右には若い日本女性が座り、まさに両手に花状態だったから、実に最高だったゾ。

おかげで、帰りには、

西田敏行の釣りバカ日誌6、
阿部寛の海よりもまだ深く、
ズートピア、
高畑充希の植物図鑑

の4本の映画も見てしまった。ここ数年映画館にはまったく行っていなかったから、実に久しぶりに最近の映画を見ることが出来た。

もちろん、俺のお勧めは久しぶりの純愛ものである植物図鑑。実家の家業を捨ててフリーの写真家になった夫。なんとなく我が家に似ている。たぶん、これはハリウッドのリメークが来るのではなかろうか?役所広司のシャーウィーダンスと似たレベルの好作品だと思う。金もかかっていないし、出演者も少ないし、まさに映画のエコノミーだった。

このハワイ旅行でいろいろ気がついたことなどについてはまた暇な時にメモすることにしよう。

いや〜〜ブルーハワイ。
Elvis Blue Hawaii


良いですナ。良い冥土の土産ができましたヨ。


ではまた。



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by kikidoblog2 | 2016-09-20 07:54 | 個人メモ

脅威のパフォーマンス:MJのダンスを踊る8才の少年vs千手観音   

みなさん、こんにちは。

ついでにこんなやつもみつけたのでメモしておこう。

この少年はだれ?
凄すぎる!マイケル・ジャクソンのダンスを踊る8才の少年!



これぞ千手観音菩薩!
極上の月夜 10億人が泣いた衝撃の美少女パフォーマンス千手観音


いや〜〜すごすぎますナ。




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by kikidoblog2 | 2016-09-05 17:42 | 個人メモ

溝口憲治博士の「DNA工学」ついに出版!?:アマゾンに対抗する秘策とは!?   

DNA Engineering
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溝口憲治博士の「DNA工学」ついに完成!?:俺もちょこっと参加したんだが!?


みなさん、こんにちは。

さて、やっと我が方のDNA論文の載っているDNA Enigineeringの本が出版されたようだ。以下のものである。
DNA Engineering: Properties and Applications

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August 15, 2016 by Pan Stanford
Reference - 366 Pages - 14 Color & 185 B/W Illustrations
ISBN 9789814669467 - CAT# N11428


この本の企画については、私は確か2013年頃に聞き、そしてブラジルワールドカップの始まる直前の2014年の初夏に原稿をお送りしたから、かれこれまる3年はかかったことになる。科学の本を出版するにはそのくらいかかるのが普通である。

ヒカルランドや徳間書店や月刊ムーなどの書いたらすぐに出るというような一般書とは大分趣が異なる。

私が他にも出してきた新潟のオンデマンド出版社の太陽書房からの科学関係の本でも、それぞれ翻訳には2〜3年もかかる。さすがに最近ではLaTex2e*に私が非常に習熟してきたから、タイプセットを作るまでには時間が短くなったが、科学の本を出すというのは実に骨の折れる作業なのである。

我慢、忍耐、勤勉、継続

こういう精神状態のない人間にはまず科学は無理ですナ。

かといって、それをしたからと言って金儲けに繋がることはない。

さて、今回この本がアメリカの出版社から出されるときに、ちょっとおもしろいことに気づいたから、それをメモしておこう。

つまり、この問題とは何か?

というと、

タイムラグ

の問題である。

つまり、このアメリカの科学出版社は自分の本を刊行する日時と、それがアマゾンなどのインターネット販売店が同じ本を刊行するまでに時間差があったということである。
DNA Engineering: Properties and Applications (英語) ハードカバー – 2016/9/19
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1ヶ月以上

のタイムラグがあるのである。

最近ずっと気になっていたのは、ヒカルランドや日本国内の出版社から本が出ると、すぐにアマゾンから販売されるのだが、その時、新刊本がすぐに中古本扱いで定価の2〜3倍の値段で売り出される。

こういう現象がある。

また、すぐに一時的に「現在在庫ありません」の状態になる。

今の日本の出版業者の慣習によると、私自身が東京で出版した新書でも自分で自分の本をここ阿南で一番大きな書店で買えるようになるまで、早くて

半年

もかかるのである。下手をすれば、徳島市のそごうの紀伊国屋書店まで行ってやっと買えるということになる。

つまり、いまの日本の書籍流通制度のものとでは、都市部の大書店のない地方では、新刊書を手にとって見るまでに半年以上かかるわけである。

一方、アマゾンが嫌いなあるいはインターネット購買の嫌な人間が、地元の書店で注文したとしても、2週間くらいかかることになる。

アマゾンで注文したら2〜3日で手に入る。だから、地方書店はアマゾンに太刀打ち出来ない。

そんな状況下で、新刊書はアマゾンですぐに現在在庫なしの状態になる。にもかかわらず、新刊書が中古として定価の2〜3倍でアマゾンの中古販売社から出されるわけである。

そうなると、地方のだれかさんは多少高くても早く欲しければそういう高額中古販売を利用して買って読まざるをえない。

どうしてこういうようなことが起こるのかよくわからなかったのだが、アメリカの出版社はその点非常に頭が良かった。

アマゾンなどのインターネット書店には一ヶ月以上販売を禁止するわけだ。

つまり、新刊本の初動操作を防止しているわけですナ。


というわけで、アマゾンを潰すための実に簡単な方法は、

新刊書はアマゾンには数ヶ月提供しない

という方法であった。十分自分の会社で儲けてから、やっとアマゾンなどのネット書店に提供する。これだ。

すべての出版社がこれをやれば、アマゾンは潰れるナ。


いやはや、さすがにアメリカの出版社は練れている。


いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2016-08-18 14:11 | 個人メモ

妄想一発:小池百合子+稲田朋美+中山恭子+桜井誠で保守新党作ってみたら!?   




みなさん、こんにちは。

今回は俺個人のためのメモであり、俺個人の妄想記事だから、普通の人はスルーでよろしく。


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いやはや、リオ五輪に見とれている内に、我が国の通称保守を代表する自民党がまますます中道左派振りを発揮し、さらには左派になりつつあるようですナ。

8月15日の終戦記念日に、首相や防衛大臣が靖国神社参拝しないとは?

まさに国歌君が代を唱わないサッカー日本代表に匹敵する左翼ぶりである。

もちろんどうして安倍晋三が今回そうなったかといえば、
谷垣幹事長頚椎損傷大事故
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→おそらく谷垣幹事長暗殺未遂事件
→支那朝鮮工作員の二階俊博幹事長就任
→支那朝鮮におもねる外交支持

という流れからも、自公政権内にいるパヨクこと反日左翼、親中親韓派が工作したからだろうということになる。

まあ、陰謀論に馴染みのある人間であれば、そんなことは百も承知だろう。

陰謀論のイロハのイとは、

その陰謀の結果、だれが一番得をしたか?

これを見る。

明らかに一番得をしたものは、反日親中親韓派の
二階俊博
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である。

ということは、二階の背後にいるシナ工作員が暗殺実行犯に命じて谷垣幹事長を葬り去った。

とまあ、こんなところだろう。


これにより、安倍晋三政府自民党が支那朝鮮外交に対して突然の弱腰外交に転じたというわけである。その結果、従軍慰安婦捏造と証明されているにもかかわらず、それに10億円も国税を投入。

これで、在日特権の年2兆数千億円の無駄金、およびパチンコマネー年20兆円への無課税のせいで、ますます我が国の借金財政が跳ね上がり、今では国民一人当たり800万円以上の借金となってしまったわけだ。

これでは、もうすぐ政府が維持できなくなり、無政府状態に陥るだろう。

世界経済が世界恐慌に陥るのが早いか、日本政府の財政破綻による無政府状態の方が早いか、いずれかだろう。

とまあ、そんな状況である。

というわけで、この解決法はないか?

と考えれば、やはりいまや左派となった自公政権より、もっと右側に位置する正統的な政党。本当にどまんなかにいる政党が必要だということになる。

桜井誠氏の言ったむしろ右派や右翼に見えるほうがまだ本当の左右のどまんなかに近いのである。

この意味では、そろそろ我が国にも

新保守党、あるいは、保守新党

というような名前の政党が誕生することが好ましい。


すでにマイケル・グリーンのようなジャパンハンドラーは虫の息である。もうカネがない。いまや支那の金をあてにしている有様である。

安倍晋三は前の安倍政権時に支那に行った時にその歓迎式典で毒をもられて一気に病気になって退陣した。いまもその後遺症と戦っているわけだ。

その時代の盟友
中川昭一大臣
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は、読売新聞のメギツネ
「敵は内にあり」2:殺人犯「越前谷知子」を発見!ニューヨークにいたぞ!
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に毒をもられて酩酊会見、その後、後遺症で病死→自殺に見える他殺

そして今回谷垣幹事長の謎の自転車事故発生。

というわけで、相変わらずの日本人政治家の暗殺がまかり通っているわけですナ。

これじゃ〜怖くてだれも政治家にはなれない!→だから俺は「銃刀法改正して自衛のための正当防衛による射殺が可能な国になれ!」と言っているわけだ。

政治家が銃を持っていれば、マイケル・グリーンとでも撃ち合うことはできる。
そうなれば、多少は連中も粗相を慎むだろう。

さてそこで、保守新党を作るとしたらだれが一番良さそうか?

といえば、どうやら男より女の方が良さそうだという気がしてきたヨ。

女性は生来本能的に生物的な感覚で物事を把握する傾向がある。女性は子を生むために、その子供が存続できるかどうかという本能的な部分を残しているからである。この本能には男のようにそこに色気や金や名誉が絡むということがない。そんなものでは子作りも子の未来も保証できないからである。

だから、女性には本質を直感的に感覚的に感じ取る能力がある。

そのため、アメリカであれ、ドイツであれ、男性よりむしろ女性の方が保守的なのである。だいたいどの国でもそうである。

もちろん、我が国でもそうである。

だから、小池百合子都知事、稲田朋美防衛大臣、中山恭子日本のこころを大切にする党首など保守的な女性政治家が出てくるわけである。

というわけで、俺の個人的妄想では、

小池百合子、稲田朋美、中山恭子、

こういった女性政治家が寄り集まって

日本保守党とか、新保守党とか、保守新党とか、まあそんな名前の右側に属する政党をお作りになったらどうだろうか?

稲田朋美大臣の場合、彼女がいくら頑張ったって、自公政権下では8月15日に靖国神社参拝は支那朝鮮の顔色伺ってできなくなる。

小池百合子都知事の場合、彼女がいくら東京都知事だからといって、無所属では自公に太刀打ちはできない。

中山恭子党首の場合、彼女がいくら右翼保守政党党首だからといって、議員数がたったの3人の弱小政党では何も出来ない。

というわけで、この3人と桜井誠の「行動する保守運動」が連帯して新政党を生み出したら良いのではなかろうか?

そして来年の東京都議会選挙で、真性の保守政党として若い保守議員を都議会に入れる。

まあ、これが俺の妄想で終わるのは百も承知。なぜなら、桜井誠氏は「パチンコ廃絶運動家」の真正保守「誠意大将軍」である。それに対して、小池百合子は在日パチンコセガサミーの協力がある。矛盾対立しているわけだ。

いずれにせよ、安倍晋三自公政権が、幹事長に支那朝鮮工作員の二階俊博が就任した瞬間に、自公政権は「暗黒面」「韓国面」に落ちたのである。

すなわち、「韓の法則発動」の危機があるというわけだ。

二階の言動次第では、東日本大震災核爆弾大津波、熊本核爆弾大地震の二の舞いになる可能性が高いというわけである。

まあ、一気に綺麗サッパリ東京が消えてなくなるというのもあながち悪くはない。

そのあたりはジャパンハンドラーにお任せしたい。くわばら、くわばら。

まあ、馬鹿につける薬はない。これはだれにでも言えることだがナ。
まあ、本気にしない。あくまで俺自身の個人的妄想だからヨ。

いやはや、ますますもって世も末ですナ。



おまけ:
在日特権の存在を知らないというおバカ層B層のみなさんのために俺からのプレゼント
桜井誠・都知事選
今や伝説となった桜井誠の神演説:「7月30日は日本人の”魂”の独立記念日だ!」
「日の丸が一番似合う男」桜井誠街頭演説13:桜井誠の「グランドフィナーレ」来た〜〜!

伝説の桜井誠の神演説

桜井誠【魂のラスト演説!高画質完全版!】 東京都知事選挙最終日 秋葉原駅


28.7.30【桜井誠 候補・ノーカット】 東京都知事選 グランドフィナーレ 秋葉原駅 電気街口


日本のマハトマ・ガンジー、桜井誠






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by kikidoblog2 | 2016-08-13 12:15 | 個人メモ

In My Memory of Leo Kadanoff:私の記憶のレオ・カダノフ→ユダヤ人を垣間見た!?   

みなさん、こんにちは。

Leo P. Kadanoff

といえば、物理学の世界では誰一人知らないものはない。

それほど有名なファンタスティックなトップスターの一人だった。先日メモしたように、私には一回だけ第三種接近遭遇したことがある。
光陰矢のごとし:1986年、あれから30年!やっぱりみんな老けたナア!?


おそらく我が国では、甲元眞人先生だけがこのカダノフの真性の愛弟子であり、シカゴ大学のカダノフの下で博士号を取得しておられる。

シカゴ大学は学生になるだけでも大変な世界でもトップ10に入る大学だから、そこの物理学部でしかもその学部のスーパースターの下で博士になるというのは並大抵のことでは不可能なのである。

にもかかわらず、甲元先生は東大物性研では何らかの差別を受けて、いまだに准教授である。

私がアメリカから帰国後の富士通時代、東大物性研は比較的近いからよく遊びに行って、そこの甲元研のセミナーには欠かさず参加させてもらっていたのである。

その時代1991〜92年頃に甲元先生の大学院生だった押川君の方が先に物性研の教授になってしまうという摩訶不思議な逆転劇が起こったという有様である。他の卒業生たちも軒並み教授に先になったんちゃうか?

教えて指導した方が、一から手ほどきを受けて博士になった方に先を越される。しかも甲元先生は、カダノフの愛弟子。それもかなり有望株の方のお弟子さんだ。

ほんとどうしてなんでしょうナア? 未だにこの理由がわからない。


まあ、それが東大人事と言えば東大というものだろう。超絶反日、売国奴の増田みたいなヤツのほうが、簡単に客員教授になれたりする国立大学だ。ましてや俺なんぞ一度もお声がかかった試しはない。

富士通時代、東大物性研に200万円も苦労して科学研究費を送り込んでやったにもかかわらずだ。もちろんちゃんとしたルートの奨学奨励金というやつだ。

当時甲元研には今つくばにいる初貝教授が助手だったのだが、200万でかなりの計算ができたはずである。たしかワークステーションを買ったのではなかったか?

私が渡した私の論文で、これは私のユタ大時代の博士論文の延長で、いわゆる物性理論の1次元電子論の波動関数は、バンドがある場合(つまり、周期系の場合)は厳密にリーマンテータ関数で書けるということを示した論文だったのだが、ちょうど初貝がアメリカ留学にチャンスに恵まれた時期で、その時のお祝いを兼ねて俺がそのプレプリを手渡したのだった。

これを使えば、
「量子ホール効果の理論が厳密に解けるよ!だから、ぜひ頑張れ」
って言ってな。

ところが、私の予想りカリフォルニアにいる間に初貝は私のアイデアを理解してそれを量子ホール効果に使って、非常に優れた研究を生み出し、それが彼の世界デビューになったのだが、なんと私の論文に対する謝辞もなければ、私にアイデアのある論文をもらったということすら書かなかったというわけだ。これが1993年の論文である。

しかしそれはこれまでだれも物性理論の世界ではお目にかからなかったアイデアだから、なぜなら可積分系の戸田格子の理論を物性理論に応用する理論だから当然である。

私はその理論を1次元準周期系に初めて応用し、
1次元準周期系の波動関数は無限次元リーマンテータ関数で書ける
という論文をすでに1992年にJMPに公表していたわけだ。
Kazumoto Iguchi, "Exact Wave Functions of an Electron on a Quasiperiodic Lattice: Definition of an Infinite-Dimensional Riemann Theta Function", J. Math. Phys. 33, 3938-3947 (1992).


とまあ、東大というのは、昔からそんな人間がたむろしている大学だから、最近のように、女性を集団強姦するような学生や大学院生がいたって何ら不思議はない。

私が大学院生の頃聞いた話では、東大の大学院生が地方大学の物理学会に行く先々で、女にちょっかいだして、ホテルから電話してくる奴がいたというものまである。自慢するわけだ。「俺今ホテル。横に女がいるよ」ってナ。こんな奴でも今頃はどこぞの大学の学部長や学長クラスになっているんじゃね〜〜か。

いやはや、カダノフ先生の話から、東大の話に移って大分前置きが長くなってしまったが、これも今は昔の物語。事実は事実としてちゃんと歴史に残すのもまた科学者の使命の1つである。


さて、そのカダノフ博士に対する追悼文をいくつか見つけたので、それもこの際メモしておこう。以下のものである。
Leo P. Kadanoff, Physicist Who Explored How Matter Changes, Dies at 78
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Leo P. Kadanoff, a physicist who provided critical insights into the transformations of matter from one state to another, died on Oct. 26 in Chicago. He was 78.

The cause was respiratory failure, said the University of Chicago, where he was a professor from 1978 until his retirement in 2003.

A member of the National Academy of Sciences and a fellow of the American Academy of Arts and Sciences, Dr. Kadanoff received the National Medal of Science in 1999.

“He won basically every prize except the Nobel Prize, and many people thought he should have won the Nobel,” said Emil Martinec, who directs the Kadanoff Center for Theoretical Physics at the University of Chicago.

Dr. Kadanoff’s biggest scientific contribution came in the 1960s as scientists were trying to understand how matter changes from one form to another, known as phase transitions. Boiling water turning into steam at a particular temperature and pressure, for example, is known as a second-order phase transition.

A Cornell chemist, Benjamin Widom, had come up with mathematical relationships that described behavior associated with such second-order phase transitions. But he did not have an underlying physical explanation for why these relationships exist.

Dr. Kadanoff turned to a simple model of another second-order phase transition, ferromagnetism. In some materials, atoms, like tiny bar magnets, line up to produce a magnetic field. As the temperature rises, the atoms become jumbled, and the magnetic field diminishes; above a certain temperature, the magnetic field disappears.

What Dr. Kadanoff found was that the jumbling had a fractal-like appearance. The patterns of fluctuations on a small scale possessed the same statistical distribution as much larger fluctuations. By looking first at small regions containing just a few atoms and then using those results to analyze ever larger regions, he could reproduce Dr. Widom’s mathematical observations.

“He was a master of boiling things down to the simplest possible form and then extracting the most important consequences that follow from that,” said Nigel Goldenfeld, a professor of physics at the University of Illinois. “That’s how he gained penetrating insights into very complicated problems where other people didn’t see what was going on, because they were too confused by the complications.”

At Cornell, another physicist, Kenneth G. Wilson, took Dr. Kadanoff’s work and came up with a more general mathematical theory.

The approach proved useful in understanding not only phase transitions but also a wide range of phenomena, including the interactions of elementary particles and how a drop of water breaks in two.

In 1980, Dr. Kadanoff shared a prestigious physics prize from the Wolf Foundation in Israel with Dr. Wilson and Michael Fisher, one of Dr. Wilson’s collaborators.

Two years later, the Nobel Prize in Physics honored the same advances, but only Dr. Wilson received the prize. At the time, Dr. Wilson said he would have expected the Nobel committee to honor Dr. Fisher and Dr. Kadanoff as well.

“Yes, I was very surprised and especially so that I’m getting the prize alone,” Dr. Wilson told The New York Times.

Leo Philip Kadanoff was born on Jan. 14, 1937, in New York City. He attended Harvard, obtaining bachelor’s, master’s and doctoral degrees in physics.

After leaving Harvard, he conducted postdoctoral research at the Bohr Institute for Theoretical Studies in Copenhagen. He became a professor at the University of Illinois in 1962, then moved to Brown University in 1969 and then to the University of Chicago in 1978.

Dr. Kadanoff served as president of the American Physical Society in 2007.

His first marriage, to Diane Gordon, ended in divorce.
In Memory Of
Leo Kadanoff

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ところで、このカダノフ先生とはもう一つだけ私は接点がある。これもこの際ついでにメモしておこうかナ。

私がユタ大で1次元準周期格子の理論で博士号をとる頃、「それを論文にしていいよ」という命が私の師匠であったビル・サザーランド教授から出された。そこで、私は早速待ってましたとばかりに論文をまとめ、それをレター論文にして世界最高名高いPhys Rev Lett誌に送ったのである。

この科学雑誌ではすぐにレフェリー(匿名査読者)から読んだ感想や意見が送られ、大半が拒絶されるのが常である。すんなり掲載されるものはあまりない。私も2つだけしかそういう経験はない。これはもっと後になって私自身が経験的に知ったことである。

当時はまだ院生だ。まったく無知だったが、そんなところにレフェリーレポートが届いた。通常のレフェリーレポートにはレフェリーは匿名で名前はない。ところが、そのレポートには名前がついていた。しかも、
「このレポートが意味を成すのは私の名前がついてある場合だけだ。by Leo P Kadanoff」
とあった。

なんとこのカダノフ先生、俺に名前付きのレフェリーレポートを送って来られた。しかも頭を巨大なハンマーで100回ほど叩き割ろうとするかのような痛烈な一撃の拒絶のレフェリーレポートを送ってきたのだった。

結構長いレポートだったが、結論は単純。

「俺様はお前が書いたことは全部知っている。だから掲載許可は俺の名にかけて絶対にしないぞ!」

というものだった。

いや〜〜〜、痛い。

当時、俺はなんでユダヤ人として生まれてこなかったのかとさんざん悔やんだものだ。たぶん、俺が、イグチビッチとか、イグラエルとか、イグチーマンとか、カズモエフとか、なんとなくユダヤ的な苗字であれば、きっともっと穏やかな論調だったのではなかろうかと思ったものだ。

カズモト イグチ、Kazumoto Iguchi

で出したわけだから後の祭り。

まあ、とにかく気を取りなおして、ビル・サザーランドにそのレフェリーレポートを見せると、サザーランド教授も驚いた。
「レオがこんなことをするとは信じがたいが、自分の知るレオ・カダノフはフェアな人物だ。しょうがないが、ここは彼に従って他の雑誌に出そうじゃないか?」


とまあ、こんな感じで、しょうがなく私はPhy Rev Bの方に回したのである。この遅れで、結局私の論文は博士論文のディフェンスまでには出版が間に合わず、さらには帰国までにも間に合わず、結局校正はここ阿南に一時的に将来奥さんになる人の実家訪問している最中にアメリカに送り返すという結果になってしまったわけだった。

天国か地獄か知らないが、どっちかにいるカダノフ先生、覚えていますか?

この経験以来、俺はいわゆるユダヤ人嫌いになったネ。あれはニダヤといっしょで上辺と裏では別だってナ。

まあ、ユダヤとニダヤは100%同根であろう。

実際、かつて朝鮮半島まで、アジアにはユダヤ民族の居住区が残っていたと、かのマルコポーロが書いているわけだ。

まあ、人間というものは、そうしたいろいろの経験を通じて男らしくなっていく。強くなっていくものである。

そんなわけで今の俺はもうなんにも驚かないがナ。

いくら天才と言っても、いまだにだれも生命を理解できないのはまったく100年前から変わらない。計算テクニックが巧妙になっただけ、ちょっと便利になっただけのことにすぎない。

生命が理解できれば、寿命を1000年に伸ばすことすら可能なわけだ。あるいはそれが不可能だということが明確になる。そのいずれかなのである。わからないから、無謀な努力をして時間を無駄にするわけだ。昔の永久機関さがしと同じことである。可能か不可能かわかれば、無駄な努力をする代わりにもっと有益なことに自分の時間を使えるようになるわけだ。


この偉大なるレオ・カダノフ博士のご冥福を心からお祈り致します。R.I.P.

もう俺にいじわるしないでチョ!


いやはや、世も末ですナ!





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by kikidoblog2 | 2016-07-24 10:48 | 個人メモ

光陰矢のごとし:1986年、あれから30年!やっぱりみんな老けたナア!?   

みなさん、こんにちは。

今回は私の個人的メモである。普通の人には興味ない話だから、スルーでよろしく。


最近は表の普通の科学や物理の話はある程度距離をおいているため、まったくPhys Rev Lettとかを見なくなって久しい。というより、新しいものを見なくなったという意味で古いものほどよく見ているのだがナ。

というのも、もはや大学に職をとる必要が無いから(といより年齢的に若い人のために諦めたのだが)、今流行中のテーマで論文を書く必要がなくなり、本来自分自身が子供の頃から抱き続けた謎を解決するためにだけ、自分の時間を集中できるようにしているからである。

もちろん、その謎とは、何度もここでメモしたように、「生命の物理化学的基礎」付けのことである。どうして物質であるはずの生命が他の無生命と考えられる物質と違った行動を取れるのか?こんな類の問題にどうすれば答えられるようになるか?を研究しているわけだ。

もちろん、DNAやタンパク質など生命の素材物質の研究は”物質面”からさんざん研究してきたが、それではDNAやタンパク質の電子伝導が分かるだけで、生命の中にあるDNAやタンパク質は理解できないのである。

まあ、それはそれで一生を費やすに十二分の内容があるわけで、何をやるにも時間も労力もとられる。計算も大変だ。しかしながら、それは所詮は物質物理学の延長でしかない。いや、なかった。

確かに複雑なDNA配列やタンパク質のアミノ酸配列に対してもシュレーディンガー方程式を解けるようにするという問題は面白かった。また応用面ではそれなりの需要もある。しかしながら、所詮は死んだDNAや死んだタンパク質の電子的性質でしかない。生きた細胞内のものとは異なる。

というわけで、生命というものを研究するにはそれなりの何がしかの確固たる基盤がないとだめなのだ。この「確固たる基盤」を構築するのが私のこの10年来の挑戦である。

もちろん、世界中にそれなりにそういう問題に挑戦している科学者はいるが、人は人、俺は俺だ。ゴーイングマイウェイである。

いまついにこの問題の真の突破口を摑んだ所だが、それは今書いている論文が出来あがるまでは、ここには証明のための余白もないし、乞うご期待ということにしておこう。


さて、大分前置きが長くなったが、こうして自分自身のこれまでの物理人生を振り返ると(もっともこれも永六輔、大橋巨泉などなど昭和を代表する高度成長期のマスコミ関係者がどんどんご逝去されていることが刺激となっているのだろうが)、私が昔会ったことのある人々も大分その地位や趣が変わってしまった。相変わらずいまだに大学院生のような生活レベルでいるのはこの俺ぐらいのものかも知れないですナ。

私が1986年の9月13日にアメリカユタ州ソルトレークに行った時から、ちょうど30年が経った。

当時はユタ大の理論物理を代表する学者は、
ビル・サザーランド(Bill Sutherland)
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ヨン・シー・ウー(Yong-Shi Wu)
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ダニエル・マティス(Dan Mattis)
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そして、
日本人の甲元眞人(東大卒シカゴ大学院卒)
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だった。

中でも当時の甲元先生は飛ぶ鳥を射落とす勢いであり、シカゴ大学物理学部のレオ・カダノフ(Leo P Kadanoff)教授の肝いりのお弟子さんであった。そんな日本で言えば東大に匹敵する、アメリカのシカゴ大からユタ大に職を得てバリバリに大活躍し、当時はめったに米人でも取ることの難しかったスローンフェローになったばかりだったのである。そんな甲元先生がそこにいた。

私は1986年の春だったか、甲元先生と当時六本木のアマンドストリートのすぐ近くにあった東大物性研(いまは柏にある)の客員教授室で面会して、ユタ大の物理学部の大学院生にスカウトしてもらったのだった。

そういう時期にまったく何も知らない若者が、ソルトレークの地に降り立った。ろくに英語もしゃべれない。特に私は耳が良くなかった。聞こえが悪いというのではないが、なかなか英語が聞き取れなかった。まあ、これもしょうがない。28歳後半で初めての海外旅行、初めてのアメリカユタだったわけだから。ほんの数カ月前までアメリカ留学なんて考えもしなかったわけだ。

2年ほどして、当時すでに若くして有名になっていた中国人ショー・チェン・ザン(Shou Cheng Zhang)という若者が講演にやってきた。年頃はほぼ私と同程度だったが、その先生がなんとノーベル物理学賞受賞者のシュリーファー(J. R. Schrieffer)だった。超電導理論の解明者の一人である。

ザンは当時1987年に発見されたばかりの高温超伝導現象のその理論化を試みていた。それをユタ大の物理セミナーで話したのである。

このザンをユタに招待したのが甲元先生だった。というのも、甲元先生もMITのシャピア(Shapir)や欧州のフリーデル(Friedel)と高温超伝導の理論化に挑戦していたからである。

セミナーが終わった頃、唯一の日本人大学院生であり、英語が聞き取れないために甲元先生の子分のようにしていた私も夕食を共にすることが出来た。当時ソルトレークには日本食レストランが2件ほど、寿司屋が市内と郊外の2件ほどしかなかったのだが、その郊外のかなり高級な寿司屋に行くことになったのである。

今のように和食がブームという時代ではなかったから、なかなか私のような大学院生が簡単に寿司を食べられる時代ではなかった。

ザンを真ん中にして甲元先生と奥さん、そして甲元先生の隣にザン、その端っこに私が座って歓談しながら、物理の近況報告をさかなにして寿司を食べたのである。ずっとザンは甲元先生と話していたのだが、おもむろにこっちを振り返って、「ところで君はいま何を研究しているんですか?」と聞いてきた。

そこで、私は当時「1次元準周期格子モデル」を研究していたのだが、その基本にある種のブレークスルーをしたばかりの段階で、その理論は「無理数の分類理論」という純粋数学の数学でしかなかったのだが、それをやっていると答えたわけだった。ザンは「ふ〜〜ん」という感じだったが、また話は甲元先生の方に戻っていた。

私はサッカーから物理に転向した変わり種で、いわゆる秀才でも俊優でもないから、東大出身者や中国の北京大出身者というようないわゆるエリートとはいつも肌が会わず、距離をとっていたのだが、やはりこのザンにもなんとなくそういうところを感じながら話をしていたのである。

これが多分記憶違いでなければ、1988年の初夏だったと思うから、これから28年は経ったわけだ。


昨日、たまたまこのザン博士はいま何をしているのかな?とインターネットで調べてみると、なんとなんとかのフランクリンメダルを受賞していたではないか?これである。
SHOUCHENG ZHANG
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この解説を読むと、Charles Kane, Eugene Mele, and Shoucheng Zhangの三人が「トポロジカル絶縁体」の発見者としての受賞ということになっていますナ。

この分野は我が国の物性理論の研究者も相当に貢献しているはずだから、非常に残念な思いに駆られている人も多いのではなかろうか?このままノーベル賞も持って行かれそうだ。

すでにこの現象の発見神話を作り上げてしまっているわけですナ。

私の記憶では、この「トポロジカル絶縁体」というのは、高温超伝導現象の理論化を行っていく中で、二次元平面内の電子論が重要になり、酸化物超電導体の場合には、どういうわけか超電導になる直前まで絶縁体(電気が流れない物質)のままであるというようなことから、その理由を探っていくうちに、それはトポロジカル絶縁体だというような概念が登場したのではなかったかと覚えているのだが。

そして、この2次元電子系のトポロジーの重要性を一番最初に見事に理論化したのが、甲元先生だった。その論文はグーグル・スカラーですでに2000を超える引用がある。ノーベル賞クラスですナ。

このままでは、また我が国の甲元先生もまた41番目の席につかされてしまう可能性もあるかもしれない。


さて、その甲元先生の先生であったレオ・カダノフ先生は、確か1987年頃だったか、一度ユタを訪れたことがある。たまたま私は甲元先生に用事があって研究室に行くと、そこに小柄の見るからにユダヤ人風の学者が座って議論していたのである。私はすぐに「ああ〜、これがカダノフ先生だな」と分かったから、話のコシを折るのもまずいかなと思って話が一段落するまで待っていたのである。そして話が途切れた時に、甲元先生に話をした所、甲元先生が、私にカダノフ先生を紹介してくれたのである。

まあ、あっちからすれば、「こいつは何もんだ」というような怪訝な顔をして「やあ」と挨拶しただけだったが、すでにノーベル賞級の歴史的物理学者の威厳というものを垣間見たのだった。

そこでついでにこのカダノフ先生も今何をしているのかなと調べると、なんとカダノフ先生は2015年にご逝去されてしまっていたのである。享年78歳。これである。
Leo Kadanoff
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Leo Philip Kadanoff (January 14, 1937 – October 26, 2015) was an American physicist.


ついでにメモしておくと、私が大阪大学の大学院生時代、あるジーンズを履いた禿の若いアメリカ人が、我が国の朝永振一郎博士の名前のつくモデル「朝永・ラッティンジャーモデル」の研究について講演しに来ていた。ダンカン・ハルデーンという我が国では無名の若者だった。

私はたぶん大阪大学に入学して一番最初に聞いた海外研究者の物理講演だったと思う。当時始まった大学院生用の物理講演セミナーであった。司会は今はなき吉森明夫先生だった。

なぜこのハルデーン博士が講演に来たかと言えば、このハルデーンの師匠がノーベル賞を取ったフィリップ・アンダーソンであり、そのアンダーソンの凝縮体物理学の教科書を吉森研究室で輪講していたからである。

このおそらく今となってみれば歴史的講演はまったく我々修士の大学院生には理解できなかった。が、これが後に「ハルデーン流体」という概念につながったものである。実際、公演終了後の質疑応答では誰一人院生やスタッフからの質問が出ず、しょうがなく吉森先生が質問して、「まあ、そういう1次元数理モデルも面白いですよね。ですがその研究する意義は何ですかね」みたいなたわいない質問だったために、ハルデーンが非常に憤慨した顔で超絶なる早口でまくし立てたのであった。

その後ハルデーンはいまや全世界の物性理論を代表する、そしてアメリカを代表する偉大なる理論物理学者になっていったというわけだ。

この若禿のハルデーン先生も今どうしているかと見てみたら、こちらはまだまだご顕在であった。これである。
F. Duncan M. Haldane
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私もアメリカ留学から帰ってここ阿南に来てから、つまり1981年頃ハルデーンの講演を聞いてからだから、16年後にハルデーン流体やハルデーン統計について後にさんざん研究することになったから、あの大学院生時代にもしハルデーンの研究に首を突っ込んでいればと思うのだが、後の祭りである。まあ、当時の我々はあまりに無知だった。

それにしてもハルデーンはまだ65歳だから、それにしてはルックスが老けすぎていないか?

早熟の天才だから仮に早世したとしても十二分にありあまりすぎるほどの業績を残したから別に問題はないのだろうが。

ところで、このハルデーンは祖父の時代から学者一家で、昔の生物学者のハルデーン(ホールデンと言う場合もある)が祖父か粗祖父にいるらしいから、西洋社会の中では超一流の学者家系の一人ということらしい。


いずれにせよ、
少年老いやすく学成り難し
光陰矢のごとし
を痛感する今日このごろですナ。


レオ・カダノフ博士のご冥福をお祈りいたします。RIP.





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by kikidoblog2 | 2016-07-22 09:05 | 個人メモ

今日は「本能寺の変」の日:謎の本能寺の変、信長も光秀も生きていた説!?   

みなさん、こんにちは。

いやはや、ねずさんの今日「6月2日」のお話は実に興味深い。一応ここにもメモさせてもらおう。以下のものである。
6月2日は本能寺の変
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昨今の我が国では、日本海を隔てたお隣韓国のバカウリナラファンタジーの悪影響をもろに受けたダマスゴミが繰り出す、ウリストリアが幅を利かせている。

それが史実に基づき、史実に隠れた「穴」を埋めるためにファンタジーを入れるというのであればまだしも理解できるが、史実とはまったく別世界の妄想や願望や希望的観測から繰り出されるのだからたまったものではない。

支那が3千年前からごく最近まで「人食い人種」だったことは伏せられ、いまの朝鮮人が高句麗、3韓時代(新羅、百済、任那)の民族とはまったく異なり、後から侵入した支那モンゴロイドでしかないことも伏せられて、捏造した妄想歴史が小中高の歴史教科書として採用されている始末である。

高句麗はどちらかと言えば、古代イスラエル失われた10支族の北方ルートにあたり、西のウイグルから東方のキルギス経由で樺太、北海道までに連なる北方系アジア人の民族である。

一方、百済は古代支那系の仏教国家であり、後の唐と新羅によって滅ぼされる。その時に我が国がの天皇家が手助けに行ったのが白村江の戦いであり、敗走した百済の王を我が国で住まわせた。しかし、「助けてもらった恩を仇で返し」、天皇家を崩壊乗っ取り、我が国の王になろうとした。我が国に仏教と漢字を伝え、それらを主導権の道具にして我が国の天皇家を滅ぼしかかったのが、百済の仏教徒である。この時の百済人が奈良の仏教徒の祖先である。しかし、天皇家の反撃を受け、京が京都に移った。これが武田日恵さんの研究結果である。

新羅は創始の段階から我が国の日本海側の人間が歴代の王になった国家で、その象徴が山梨から石川あたりにしかでない翡翠(ひすい)の勾玉で表されている。翡翠の勾玉は1万年以上前から我が国山梨あたりでは遺跡として発掘されるものである。したがって、新羅は倭の王が支配した国である。今のイギリスに一番近い形態だったと言えるだろう。

任那は九州沖縄のいわゆる縄文系倭人の倭国の一部だった。おそらく、魏志倭人伝で言われた卑弥呼は倭国の巫女ということだが、それはウソで実際には任那にいた倭人の巫女を見て、それを外挿して日本の巫女と想像して書いたものにすぎない。だから、日本国内にははっきりした痕跡が見つからない。が、いずれにせよ、韓半島の南半分は新羅、任那と別れるずっと前の5000年前には倭国の一部だったのである。事実、その頃の地層には倭人の人骨や前方後円墳がみつかる。というより、おそらく後にいわゆる縄文人となる民族が長らく世界に広く広がっていて、その後北南米や韓半島の南半分に追いやられ、そこを統治していたが、それから九州に一部が引っ越し、さらに後に我が国本土に移ったというのが本当のところだろう。

というわけで、実際の考古学的、あるいは、分子生物学的遺伝子ハプロタイプの研究などからも、明白に韓半島の現朝鮮人は、ずっと後の新しい時代に支那から侵入侵略した人食い人種の一種だったにすぎないのである。

ところで、現代までインドネシアやパプアニューギニアなどには人喰いの風習がある。パプアニューギニア人によれば、人間の中で一番うまいのが我々日本人で、鶏肉のようにあっさりとうまい。しかし、西洋人はサメのように臭くてうまくないという話である。

このインドネシアやパプアニューギニアの土人の人喰いの風習、古代支那の水滸伝などの記述からも支那人も人喰いの風習があった。このことからも、古代スンダランドという地域には人食い人種がいた可能性が高く、それが南アジアの一部に残っていた。そしてそれが支那人の侵入に伴って極東にも伝播したのであると見ることができる。この極悪非道の人種の末裔が現代の朝鮮人である。

まあ、こういう悲惨で哀れな歴史がかなり現実の歴史だから、嘘偽りの捏造をしなければ、まあ生きて入られないのだろうヨ。

さて、話が大分逸れたが、ねずさんの「本能寺の変」の話に戻ると、大まかに2つの話がある。
(あ)織田信長は生きていた
(い)明智光秀も生きていた
である。

(あ)「織田信長は生きていた」説
昨今では、
明智光秀
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現存した説はかなり知られているが、さすがに信長現存説はあまり知られてはいない。
人生50年〜〜〜
と舞を舞って切腹したという話が時代劇でさんざん描かれてきたからである。

ところが、ねずさんの話では、なんと
織田信長はスペイン本国へ移住し、後のジョルダノ・ブルーノになった

ジョルダーノ・ブルーノ(左)と織田信長(右)
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というのである。実に面白い。確かに似た顔をしている。

しかし、このジョルダーノ・ブルーノもまた異端の罪で「火炙りの刑」になったのではなかったか。

切腹を免れて異国に渡ったのはいいが、異教徒異端の罪で火炙りに処せられたのでは溜まったものではなかったのかもしれませんナ。

織田信長、ジョルダノ・ブルーノ説は今後も注目しておこう。

いずれにせよ、我が国は、チンギスハンの源義経説もある。

まあ、それほど我が国は古く、歴史があるという証明である。

(い)「光秀は生きていた」説
これについてはいろいろ最近になって出てきてるようだが、まだまだ真実からは程遠い。

光秀の末裔が語った本当の説というものも、その末裔がたくさんいるわけだから、たくさんの説が生まれてしまう。やはり歴史の流れや史実との照合や有力な証拠が欲しいところである。

一つの明智光秀の末裔の話はすでに本になっているようだ。
明智光秀の末裔が主張「本能寺の変の標的は家康のはずだった」


この説では、
明智光秀→天海僧正
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である。

ところで、私がとある末裔の方に聞いた話では、また別のストーリーであった。

最初の「本能寺の変の標的は家康のはずだった」は一致している。がしかし、その後がだいぶ異なる。その人の調査では、こうだった。
明智光秀→千利休→天海僧正(初代)

その人は、明智光秀の直筆、千利休の直筆、天海僧正の直筆を見比べて、同一人物だったと判明したというものである。

要するに、織田信長はいわゆる「南蛮人」、ポルトガル人やスペイン人のカソリックイエズス会宣教師の悪影響を受けすぎた。このままでは日本が宗教的に乗っ取られる。信長は東の雄徳川家康掃討のために、呼び寄せて暗殺を謀ったその時に、逆に、明智光秀と徳川家康とで陰謀の裏をかいて、信長を滅ぼし、逆賊としての汚名を来た明智光秀は自分の部下であった豊臣秀吉に殺されることにする。そして自分は千利休と名を変えて秀吉を影から支えた。

この陰謀では、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康の三者の間で、(あ)豊臣秀吉は百姓出身のため子を作らない約束だった。(い)そして天寿を全うしたらそのまま徳川家康にバトンタッチする。(う)光秀の子孫を徳川幕府の将軍に据える。等々の密約があったという。

ところが、秀吉が色気を出して家康掃討を計略したり、子を作ったために、光秀である千利休や徳川家康の反感を買い、関ヶ原の戦に発展した。結果的に徳川家康が天下人になった際に、千利休は天海上人と名を変えて今度は徳川幕府の指南役となった。そして、約束通りに明智光秀の子孫を徳川秀忠や徳川家光とした。だから、二人の名前には、光秀が付くというような話であった。

これがずっと後にこの光秀の血筋を引く水戸黄門こと徳川水戸光圀公まで光の字が残った理由なのだとか。

(う)「本能寺の変」→「武装仏教僧たちを非武装化する作戦」
これに対して、ねずさんの話では、武装仏教僧たちを掃討非武装化する作戦のために、「本能寺の変」を起こしたのだという考え方である。

もともと我が国の仏教は百済の時代のものである。だから、当時の倭人と縁戚関係にあった百済との交流が深い。戦前の大韓帝国と大日本帝国の縁戚関係に似ていると言えば似ている。天皇家の一部と婚姻関係にあるのである。

そこが唐帝国に滅ぼされて、百済王が我が国に渡ってきた。しかも仏教と漢字を持ってやってきた。さらにそれまでの我が国の上層階級で用いられた神代文字を葬り去ろうと画策した。それが藤原氏や蘇我氏の時代、聖徳太子の時代前のことである。ここに神代文字から漢字に移行した。カタカナは神代文字の1つであって、ずっと以前から用いられたが、それが漢字時代に入り、それをもじって復古してできたものが、カタカナからひらがなへの変化であったと考えられる。

実際、カタカナは古代ヘブル語のアルファベットとほぼ同一である。このカタカナを使った民族が大和朝廷の民族であり、古代イスラエルの失われた10支族のガド族、エフライム族、マナセ族だと考えられている。このガド族がミガド(御門=帝=天皇)となった。

(え)種子島の鉄砲伝来時代はスペイン帝国の時代
この時代もう一つの無視できないものは、すでに東南アジアはフィリピンを軍事拠点にしたスペイン帝国が東アジアも占領し植民地化しようとしていた時代のまっただ中にあったということである。

種子島の鉄砲伝来の「南蛮人が難破した時に鉄砲を持っていた」ということになっているエピソードも実際にはそうではなかった。実際、重い鉄砲を持って泳ぐことは不可能である。途中で海中に沈むのが常識である。

事実は、メンデス・ピントというマラーノ(カソリックに見かけ上改宗した振りをしたユダヤ教徒およびユダヤ人)が、当時の支那のジャンク船を使って福岡に行くつもりが、風に流されて種子島へ到着してしまったのである。

その時、種子島の主君であった北条直時が、ジャンク船に乗り込んで、渡航の目的を問いただし、その理由がわかると、上陸を許可して滞在させたのである。その時にピントの仲間であるスペイン人が鉄砲の名手であり、その鉄砲の威力に直時がいたく感動して、ジャンク船が渡航する際にお土産の記念品として、譲り受けたものである。そして、種子島の優秀な鍛冶職人たちにすぐに鉄砲の作製を命じたのである。この経験が福岡と大坂境に伝来し、そこが鉄砲職人のメッカとなったのである。

これはメンデス・ピントの自叙伝にちゃんと書かれた史実である。
トケイヤーの「ユダヤ製国家日本」2:いま蘇る鉄砲伝来の真実!

メンデス・ピント(ユダヤ人マラーノ)
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東洋遍歴記
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ところで、このメンデス・ピントご一行さまは、我が国の種子島に来る前にはどこで何をしていたかというと、実は支那で牢屋に入っていたのである。

無断で寄港した罪で上海あたりで捕まり、遠く北京まで鎖と重りにつながれたまま歩いて行進させられ、北京の大裁判所でまるで閻魔さまの裁判のような弾劾裁判を受けた。そこでピント一行が若い支那人を味方にする作戦を練って、自分たちは単なる商用渡航者であってたまたま寄港しただけで、商売も軍隊も関係ないと証明して、無罪放免になった。

そこで、スペインポルトガルの船は没収されてしまったために、支那人漁師の持つジャンク船(当時支那と台湾、沖縄、九州あたりまではこのジャンク船で交流があった)で、日本の九州長崎か福岡に行こうとしたのである。そうすれば、日本と交流出来ているオランダ船に乗ってちゃんと本国に帰国できる。

つまり、最初から鉄砲商人としてやってきたのであって、難破したわけではなかったのである。

この鉄砲商人がわざわざ我が国を狙ってやって来ようとしていたことからも、我が国に最初に上陸したイエズス会(いまでは悪魔教と考えられている)が手引したのであって、それは日本を植民地化する前の民族間紛争を起こして国家弱体化させる作戦を起こすためのツールとして鉄砲を売りさばきに来たわけである。

各大名に天下統一の夢を描かせ、民族間紛争を起こす。それによって鉄砲で優秀な武装兵力がお互いに殺戮で減る。こうして勝負が決まり、だれかが統治者になったところで、スペイン本国の大艦隊部隊がやってきて、一気に滅ぼして植民地化する。その拠点がフィリピンであり、ハワイであった。ハワイも最初はスペイン領であった。

このポルトガル・スペイン帝国の恩恵を受けたのが織田信長であった。そしてその部下の豊臣秀吉である。カソリックイエズス会パワーで天下人になったわけである。だから、本能寺の真横に南蛮寺ことスペインカソリック教会が建っていた。

スペインは後に秀吉にスペイン帝国の属国となれとさんざん使者を遣わした。しかし、その都度秀吉は勇猛に拒絶した。秀吉は逆に当時全ヨーロッパを帝国化していた大スペイン帝国に対して、日本の属国になれと使者に返したのである。

このことからしていま「真田丸」で描かれている臆病者秀吉像はまったくのナンセンスであって韓HKのウリナラファンタジーでしかなく、ウリストリアでしかない。

秀吉はスペインの使者の首をはねているのである。フィリピンにスペイン艦隊、いわゆる無敵艦隊、いまでいえば、ハワイにある米太平洋艦隊のような最高レベルの軍隊に対して、日本の属国になれと言ったというようなものである。だれがヒラリークリントンやトランプに「日本の属国になれ」と言えるだろうか?これが臆病者ができることかいな?NHKさんヨ!

その秀吉の強行な反応に対して理解不能となったスペインは、スペインと日本で支那韓半島のアジア一帯を植民地にしないかとまるで戦前のイギリスのようなことを言ってきたわけだ。それに対して秀吉は否。これも反対した。なぜなら、我が国はいまでいう特ア、支那朝鮮人の質の低さは何千年にもわたってよく知っているからである。

するとアジア知らずの白人国家スペイン帝国は、今度は支那を滅ぼして韓半島を植民地化し、最後に日本を植民地化する作戦に出た。スペインの手下となった支那が韓半島に来られてはまずい。

これが秀吉の時代のアジア極東の政治情勢だったという。したがって、韓半島に進入するスペイン支那連合軍を阻止するために、秀吉の朝鮮出兵が行われたのである。

これは戦前ロシア革命でソ連共産主義が起こり、アジアの共産化を阻止するために、明治政府が極東へ出兵し統治したというのと実に似た状況だったのである。だれが好き好んで、当時7つの海を支配した大英帝国の植民地となっていた支那に出兵する理由はなかったのである。

大事なことは、世界情勢が我が国の歴史に深く関わっているということである。韓半島は元々日本と陸続きだったわけだから、日本海は日本の「一部」の日本湖だったわけである。そこへ南アジア人や西アジア人のハプロタイプO3が侵入してきたのである。こうしていくうちに、韓半島と日本九州が離れて今の形になった。かなり比較的最近まで陸続きだったはずである。たぶん5000年前〜3000年前までは陸続きだったのであると見る。


まあ、大分長くなってしまったが、真実はいかに?


歴史の闇はこのように散在する貴重な文献を読み照らして立体的に歴史を構築すべきであろう。
表面的、一方的な側面から見たものでは、「〜〜史観」にしかならない。

いずれにせよ、NHKの「ウリナラ史観」の時代劇は百害あって一利なしである。


いやはや、世も末ですナ。



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by kikidoblog2 | 2016-06-02 10:17 | 個人メモ

「石膏の効用」の謎:実は石膏こそ「長寿」の秘密だったのではないか!?   

みなさん、こんにちは。

さて今回はちょっとあまり知られていないだろうこと、もちろん私もまったく知らなかったし、まだ本当かどうかの確信はないのだが、ひょっとしたら何かあるのかもしれないということをメモしておこう。

昨日メモした
謎のトーマス・マーリン博物館:実は興味深いのはそのマーリンそのものだった!

Thomas Merrylin Musium
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Merrylin Cryptid Museum (Part 1) - Homomius Alatus
の話は、まさに信じる信じないかはあなたしだいです、というような話であるが、私が興味を持っているのは、そのトーマス・マーリン博士
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1782 – 1942
が、
160歳まで生存した
ということである。

そして、その秘密は
Alabasterにある
と言ったかも知れないという情報であった。

Alabasterとは
雪華石膏
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のこと、つまり、最上級の石膏のことである。

そんなわけで、本当に石膏が長寿と関係があるのかどうか、ちょっと暇な時に調べてみようと思い立ったのである。もちろん、今後も個人的に調査する予定である。


(あ)ライン引きの石膏

さて、安物の人工的な石膏は、サッカーコートのラインや野球のラインを引く時に使う、あの白い粉である。
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サッカー部員になれば、下級生の頃は試合の始まる2時間前には集合して、まずはサッカーゴールを運び、それからライン引きが始まる
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という経験を必ずしてきたはずである。この時にお世話になるのが、その白い粉袋
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である。

これをライン引きに入れる時に結構白い粉を吸い込んでウホオホアホ状態になるものである。俺もさんざん吸い込んだものだ。この粉が石膏であった。


(い)豆腐の凝固剤

ところが、食用のちょっと高価な天然の石膏は、意外なものに使用されていた。

つまり、

豆腐の凝固剤

だったのである。これだ。
石膏って食べても大丈夫なのですか? 豆腐の凝固剤として使われてるらしいですが?

解答
人間が生きていくのに必要な水や食塩でも大量に摂取したら、命にかかわる事がありますし
猛毒でも超微量なら命の危険にならない事もあります。
(フグを食べる時に、若干毒を感じながら食べるのが良いと言う人もいます。)

適量ならば何も問題ないという事ですね(微笑)。


つまり、普通の豆腐は、
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天然の
にがり(つまり塩化マグネシウム)
で固めるのだが、工業的に安い豆腐を作ろうという場合に、にがり以外にこの石膏を使うらしいというのである。

なぜなら、石膏の主成分は
硫酸カルシウム
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だからだという。

だから、一般にスポーツマンは筋肉痙攣防止のためにマグネシウムを取らなければならず、大抵はそれを豆腐を食べて補うのである。あるいは、ドリンクで補う。

ところが、それが硫酸カルシウムだった。

ということは、牛乳飲まなくてもいいのか?安い豆腐を食えば。

驚き桃の木山椒の木!


(う)石膏温泉

さらに驚くべきことは、我が国に古くから存在する長寿温泉というものがあるが、そのお湯の主成分にこれまた石膏、すなわち硫酸カルシウムの鉱泉というものがあったのである。

たとえば、こんな温泉がその代表格らしい。
法師温泉(長寿館)

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法師温泉「長寿館」大人:800円小人:500円AM10:00-PM2:00
源泉名:旭の湯(新治村大字永井650)
泉質:石膏泉(緩和製低張性温泉)
泉温:42.9度CpH8.3成分総計1,290mg/kg  
源泉名:寿の湯(新治村大字永井650)
泉質:石膏泉(緩和製低張性温泉)
泉温:42.4度CpH8.4成分総計1,296mg/kg  
源泉名:源の湯(新治村大字永井650)
泉質:石膏泉(緩和製低張性温泉)
泉温:42.9度CpH.8.3成分総計1,290mg/kg  
色:無色透明臭い:薄硫黄臭味:薄硫黄味+薄石膏味 

入場料800円で長生きできれば安いものだが、この温泉の売りが、

石膏泉

であった。

石膏は白いからたぶん乳白色の温泉なのだろう。

探せば我が国にはそこら中にこの石膏入の温泉がある。

というわけで、ひょっとしたら、石膏は本当に長寿の源の可能性が出てきたのであった。だいたい日本人は温泉の湯を飲む人もいるわけだ。


(え)石膏入の漢方薬

そこで、ひょっとしてこの石膏を薬にしているのではないか?と推測した。

ビンゴ!ピンポ〜〜ン!

やっぱり石膏を主成分とする漢方薬がいくつか存在したのである。これである。その名も
竹葉石膏湯(ちくようせっこうとう)
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要するに、竹の葉っぱと石膏入りの漢方薬。

これが
体力が衰弱して、皮膚や粘膜が枯燥(こそう)して滋潤(じじゅん)にとぼしく、口舌が乾き、口渇(こうかつ)のあるもの。睡眠不良で夢の多いもの。食欲不振や盗汗(ねあせ)などのあるもの
に効果ある、というのである。

驚くのは、この症状だ。
体力がなくなり、
皮膚が乾燥して、
潤滑に乏しくなり、
口や舌がすぐ乾き、
睡眠不足で、
夢ばかり見る、
食欲もなく、
寝汗ばかりかく。


これって、どうみても老人病、更年期障害の典型的な症状だよナア!

つまり、老人病に効くっていうことじゃないのだろうか?

なんてこった!

石膏が老人病に効果あるのかいな?


(お)学校の黒板チョーク

というわけで、俺の昔の記憶をたどれば、学校の先生ほど白墨(チョーク)=石膏を使う。毎日黒板に白い文字を書く。
巣立つ2人に先生が黒板にチョーク
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これをまた黒板消しで拭く。その時にパッと白い粉が吹き飛び、ちょっと粉を吸う。

意外にこれが先生たちに良かったりしてナ。

どういうわけか学校の先生という生き物は長生きであることが多い。

それって、チョークの粉のせいだったのか?


また、我が国が世界最高の長寿国であることは今や全世界で誰もが知っているが、その理由は

石膏入りの豆腐にあった?

可能性もある。
豆腐→にがりの代わりの石膏
温泉→石膏入りの温泉
サッカーのライン引き→ラインの石膏
黒板→チョークの粉
漢方薬→石膏入りの漢方薬

意外にこんなやつらが我が国民の長寿の原因だったとしたら、まさに

予想外

である。


考えてみれば、俺は、学校には、小中高大大学院米大学院と633454と四半世紀も通って黒板と向き合ってきた。また、毎日豆腐を食っているし、サッカー部時代に粉をしこたま吸わされた。たまに温泉にも入るし、最近では入浴剤もよく使っている。

つまり、言い換えれば、
俺は石膏を食って生きてきた。


これが意外に俺が老けない理由だったのではないか?

なんかそんな気がしてきたんですナ。


石膏バンザイ!

の意外な効用に完敗。乾杯である。


いや〜〜、実に興味深い。

もちろん、信じる信じないはあんたの心がけ次第、というやつですナ。

まあ、石膏を食って死ぬことはありませんから。



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by kikidoblog2 | 2016-05-25 19:43 | 個人メモ

最近の日本は「どうかしてるぜ」4連発!:アマゾンから手倉森ジャパンまで   

みなさん、こんにちは。

さて、我が国方面からの地震電磁波は相変わらず出ているのだが、その話はまたにして、今回はちょっと趣を変えて、最近私が感じた「どうかしてるぜ」というものを幾つかメモしておく。

(あ)アマゾンの「どうかしてるぜ」

いやはや、最近のアマゾンはどうかしているのだろうか?

溝口賢治博士とお弟子さん編集の
DNA Engineering: Properties and Applications
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が、ついに5月21日刊行の日になったのだが、それまでアマゾンではずっと「ご予約注文承ります」状態だった。それがその日以来「現在在庫ありません」状態となった。

これっていったいどうなっているんでしょうナア?

ちょっと理解不能である。

これから一番売らなくて行けない時に売ることができない。こういう状態を放っておくとは理解不能である。

ちょっと前の拙著「ニコラ・テスラ〜〜」などの時もそうだったが、発売刊行日までは「予約注文受け付ける」ということだったが、当日になると「現在在庫なし」とか「2〜4週間かかります」というような状態になる。

これって、ひょっとしたら?

ダブル販売?

つまり、アマゾンの社員に新著を中古品として高額で売らせる。

つまり、アマゾン本社がそのままの値段で売っても金にならないから、民間個人の中古販売店に見せかけてアマゾンの社員たちが確信犯で出店して儲けている。

なんとなくそんな気がするんですナ。

あまりに大規模で組織的だからだ。

まあ、そのうちその真偽のいかんは分かるかもしれないですナ。

ところで、海外にはこんなやつがあるのだが???なんじゃ〜こりゃ〜〜!!!
PDF Download DNA Engineering Properties and Applications PDF Online

DNA Engineering: Properties and Applications
違法ダウンロードサイトか?


(い)NECの「どうかしているぜ」

これはついに我が家でも奥さん向けにWindows 10入りのパソコン、NECのLavieを買ったのだが、

なんと3日経ってもうまく動かない。


私はマッキントッシュとマイクロソフトがいまほどの大企業ではなかった段階からMacを使ってきた正真正銘のMacユーザーである。1986年9月にアメリカユタ大学に留学して初めてマッキントッシュを使えるようになった。当時の米大学はこぞってMacを導入していた時代である。

あれから30年。

そしてインターネットが我が国に初めて民間人が使用できるようになった1996年の秋。

あれから20年。

さらにスマホの時代に入った2006年。

あれから10年。

もうそんなに経ってしまったかとちょっと震えが来る時間が経ったわけだが、その時代でもMacにOSシステムインストールしてマイクロソフトのワードを使えるようになるにはせいぜい数時間もかからなかったはず。

それが、パソコン時代になって30年。インターネット時代になって20年。スマホ時代になって10年の今、NEC・LAVIEのウィンドウズ10でインターネットやofficeが使えるようにするのに

丸2日の消耗

さらに、翌日インターネット繋いでちょっと調べると、

インターネットイクスプローラーがフリーズし始めた!

これって「どうかしているぜ」だよナ。

なぜなら、Macであれば、買って来て家で開けてセットアップし始めれば、せいぜい20〜30分の操作で使えるようになるからだ。あとは自由自在だ。

果たしてNECが「どうかしてるぜ」なのか、マイクロソフトが「どうかしてるぜ」なのか、あるいはその両方が「どうかしてるぜ」なのかはいまいち分からないが、おそらく両者の方だろう。

一番興味深い(良く言えば)、一番頭にきたのが(悪く言えば)、マニュアルの書き方だった。

通常、パソコンというのは、パソコン本体のインストールが終わって、正常に機能することがわかってから、別のものとの連関をとる。プリンターとかそういうものは、すべて正常にセットアップしてからである。あるいは、パソコンのセットアップ時にプリンターなどとリンクさせながらセットアップを完了する。

ところが、NECのやつときたら、インストールしている最中に出てくる使用説明書とか、承諾書とか、そういうものが頻繁に出てくるのだが、それを大事だからコピーしろっていうものが出てきた。

パソコンで文書を作ってそれをプリンターコピーしたいからパソコンを買ってやったんだろ!

支離滅裂というのか、因果関係が壊れているわけですナ。

まあ、我が国のウィンドウズ系、つまり、マイクロソフト系のSEなんかの傾向に顕著に見られることなのだが、

ユーザーが1つ質問すれば、その答えのために2〜3つ質問を返してくる!


というものがある。最初の質問に答える前に「確認しておきたいのですが」というような感じの質問をいくつか返す。それに答えると、その間にそれぞれにまた同じように2,3質問を重ねる。そうなると、計9個の質問に返答しなければならなくなる。

こうなると我々ユーザーは音を上げて(つまり、腹を立てて)、「もういいよ」ということになる。

一般の人間の認識では、

1, 2, 3, many =1、2、3、たくさん(多数)

なのである。古代人は1つ、2つ、3つ、と指を折って、その後は「たくさん」(ほぼ無数)と考えたのである。が、これが現代人でも基本的に同じである。

3以上の要素になれば、それらの間の連関(リンク)数は3、6、10、。。。と一気に増えるからである。人間は部分を見るときに同時にそれらの関連も見ながら考える。単にその個別のものだけを見ているのではない。だから、3以上の場合は、非常に認識しづらくなるのである。

というわけで、初心者ユーザーに対してエキスパートが毎回数個の質問をすれば、二三回質問を繰り返した段階でもう何がなんだか分からないという感じになるわけだ。

だから、鉄則は、一回の質問に確認はせいぜい3個まで。

どうやらNECのマニュアルにはこういう傾向が見て取れた。

だから、俺はこう思ったヨ。
これはアスペルガーが書いたマニュアルだな!


その極め付きが、マニュアルにあったこんな傾向の書き方だ。例えばこんな感じ。
関連する2つのAとBについて説明します。Aはこういうことで、Bはこういうことですが、ここでは、AのCについてだけ説明します。


おいおい、いまはCについては聞いてないんだよ、知りたいのはBなんだヨ。

穴だらけの説明。

説明にファイヤーウォールが必要なのか?

ちゃんとフローチャート書いてマニュアル作ってんのか?

ということになるわけだ。

それに対して、最近では一番分かりやすい良いマニュアルを書いているのが、ダイキン(エアコン)とブラザー(プリンター)。

当然、こういうメーカーは順調に伸びている。企業成績も非常に良くなる。

なぜなら、ユーザーが設定がわかりやすく、困った時にマニュアル通りでうまくいく。

ところが、どうやらNECだけではななさそうで、富士通、ソニー、シャープ、東芝などの老舗の電機メーカーのパソコンがみんな同じような傾向のマニュアルやらセットアップのようである。

それに対して台湾のエイサーとかは、非常にわかりやすそうである。

だれが考えても、

これでは衰退する

のは当たり前ではなかろうか?


今時の人間が昔のUNIXの時代のように、設定に何日掛けてもそれが楽しいなんていう人間はいない。パソコンの設定のために業者1万円払って設定してもらわなければ動かないなんてというパソコンが売れるはずがない。せいぜい企業内や大学内や病院内とかの大組織のようなその筋の専門職を雇っていられるような場所でしか売れないだろう。

スマホのセットアップに2日もかかったら、だれがスマホを買うか?

PCとて同様だろう。

もしスマホの設定に買った個人であるジジバアや子供が設定するには難すぎるから、スマホショップがあるんじゃなかろうか?携帯ショップで、初期設定を店員がサービスで行う。だから、ジジババでも買う気になる。

もしパソコンが売れないというのなら、訪問販売とまでは行かなくとも、店頭販売だけではなく、自社の系列のPCショップで初期設定もサービスするとか、値段に込みにするとか、そうしたサービスが必要なはずである。

が、今の時点では、どうやら自分でできないユーザーはわざわざ1万円以上も払って設定してもらうらしい。

ところで、Windows10はそれまでのWindows 8を使っていた人からすれば極めて評判が悪いらしいが、もしそうなら逆にPCメーカーにとってチャンスのはずであろう。

自社のPCであれば、Windows 10の問題点を簡単にリカバリーできるとか、内部のAIが自動処理しますよとか、さまざまなアプリを仕込めるはずだからである。

そうやれば、他社のPCではセットアップに四苦八苦し、2日かかるのが、自社のPCではそれに10分ですむ。こういう感じであれば、だれもがその会社のPCを買うだろう。

いったい日本のPCメーカーは「どうかしているぜ」!


(う)大相撲の「どうかしてるぜ」

いやはや、暗黒面に落ちたモンゴル相撲の白鵬関。なんと全勝優勝。
「もうモンゴル相撲」って名前を変えて、ウランバートルで開催してくれや。
というのが私個人の印象である。

もはや相撲ではない。

何が問題かというと、もはやすでにモンゴル3横綱のせいで、
「張り手」→「目潰し」、
「かち上げ」→「エルボー(肘打ち)」、
「頭からのあたり」→「頭突き(ぱっちぎ)」
になっているからである。

相撲は基本的に首から上への攻撃を禁じている。なぜなら、神事だからである。

この意味は、「神様を相手に相撲をとる」という意味である。
はあ、神様に目潰し、エルボー、頭突きをしますか〜〜?


私はもう最近は相撲も見なくなってきたが、私が今場所で見て一番ひどいと思ったのは、好調の勢関に対して右エルボーで「かち上げにみせたエルボー」で、ノックアウトしたものである。

白鵬の利き手の左手で目潰しの張り手で入って、それを避けて下に来る頭に目掛けて下から右エルボーをアッパーカット気味に首に打ち込んだ。

この立会いである。
【動画】白鵬かち上げ 一撃で沈める!白鵬 vs 勢 夏場所9日目


右エルボーのアッパー
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一瞬意識が飛んだナ
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首へのカチアゲは反則でしょ。

これ〜〜、相撲だったよな?それともボクシング?プロレス?
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この敗戦以降、勢関の勢いがなくなり絶不調。ずっと頭が脳しんとう状態である。そんな不甲斐ない場所となった。


いまの六角親方って日本人かいな?あまり相撲のことをご存じないのではないか?

まだ貴ノ花の方が理事長にはよかったように思うが。

いずれにせよ、モンゴル相撲マフィアに乗っ取られているから、日本人が横綱になるのは100%不可能でしょうナア。3人のモンゴル横綱が下位のモンゴル人力士ネットワーク使えば、全部若手を阻止できるわけだ。

昔は相撲は部屋同士の戦いだったが、いまは人種同士の戦いになった。たった1人のブルガリア人力士だった琴欧洲は大関までが限度。同様に、少数派になった日本人力士は大関までが限度。

これって、何かこれから来る日本人と日本社会の姿を象徴しているように見えますナ。

まあ、そんなこんなで、俺は
モンゴル人力士や外人力士の人数制限→全体の3割までにすること
首から上への攻撃は禁じ手にすること→目潰し、頭突き、エルボー、ダメ押しは反則負け
CM出演は三役以上に限定すること→新関取をちやほやしないで辛坊させよ
親方は大関以上のみの権限とすること→あとはちゃんこ屋になれ

なんていいんちゃうかと思うわけですナ。

(え)U23手倉森ジャパンの「どうかしてるぜ」

さて最後はサッカー。U23のツーロン国際の初戦のパラグアイ戦。いや〜〜ひどすぎ。

U23手倉森監督「悪夢復活」!?:また全財産を喪失する危機か!?チーム消滅!?

ですでにメモしたように、いまの手倉森ジャパンは

瀕死の重傷!

瀕死の溺れる白鳥である。

アジアを制した時のDF陣が全治3ヶ月の大怪我で総崩れ。
MVPのエース中島翔哉選手も大怪我。

サッカーの基本はディフェンスにある。どの国も守りあっての攻めである。

カテナチオ

これなくしてはサッカーにならない。プロとアマの違いもディフェンスの差なんだな。


トゥーロン国際初戦はパラグアイに1-2敗戦 手倉森監督「悪いことが起きた」

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 サッカー男子のU-23(23歳以下)代表が集うトゥーロン国際大会第4日は21日、フランスのオバーニュで1次リーグが行われ、B組の日本は初戦でパラグアイに1-2で敗れた。パラグアイは2連勝。

 リオデジャネイロ五輪に向けて強化を図る日本は、五輪には出場せず21歳以下の選手で参加しているパラグアイに先制を許した。後半に浅野(広島)のゴールで1-1としたが、終盤にFKで勝ち越された。

 日本は23日にポルトガルと対戦する。(共同)

手倉森誠・U-23日本代表監督の話
悪いことが起きた。闘争心を出さないと。逃げのようなプレーが相手に勢いを与えた。後ろ向きのことがあると、アクシデントも起きやすい。(けがの)岩波と亀川は初診だと今大会は厳しい

【サッカーU23】日本代表vsパラグアイ ゴールハイライト(トゥーロン国際)21.5.2016
(この試合でまた2人がリタイヤ→計7人が全治数ヶ月の重症)

U-23トゥーロン国際大会メンバー
位置背番号名前所属生年月日年齢身長、体重
GK1櫛引政敏鹿島1993/1/2923186、82
12中村航輔柏1995/2/2721187、77
DF6亀川諒史福岡1993/5/2822177、68→怪我
13三丸拡鳥栖1993/7/0622172、69
4岩波拓也神戸1994/6/1821186、72→怪我
2ファンウェルメスケルケン際ドルトレヒト1994/6/2821178、72
5植田直道鹿島1994/10/2421186、77
3三浦弦太清水1995/3/121183、77
MF8大島僚太川崎F1993/1/2323168、64
7原川力川崎F1993/8/1822175、72
10矢島慎也岡山1994/1/1822171、67
11野津田岳人新潟1994/6/621176、70
15喜田拓也横浜1994/8/2321169、63
14前田直輝横浜1994/11/1721175、66
18南野拓実ザルツブルク1995/1/1621174、67
17井出口陽介G大阪1996/8/2319171、71
FW20富樫敬真横浜1993/8/1022178、73
16浅野拓磨広島1994/11/1021171、70
9オナイウ阿道千葉1995/11/820180、74
19鎌田大地鳥栖1996/8/519180、72


やっぱり、我が国伝統の「祝詞」である「君が代」斉唱を1人でもしないものがあると、結果は

悲惨

ですナ。
2番の選手がまったく歌っていないナ!
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(この2番がパスミスして1失点目につながった!罰当たりめ!)


この結果、故障者リストは以下のようになった。
MVPの若きエース10番、中島翔哉選手 →全治5~6週間
DF室屋成(FC東京)→全治3カ月
FW鈴木武蔵(新潟)→全治3カ月
DF松原健(新潟)→全治3カ月
そして
DF奈良竜樹(川崎)→全治4ヶ月
DF植田 →ガーナ戦で額裂傷

パラグアイ戦
DF岩波→重症
DF亀川→重症


当初のメンバー
AFC U-23選手権 カタール 2016(リオデジャネイロオリンピック・アジア最終予選)

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(この中の6人が絶望)
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(この中の中島が絶望)
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(この中の鈴木が絶望)


だれかなんか悪魔連れてきた奴がいるんちゃうか?

変なモノ持っているやつがいるんでしょうナア。

おれは、手倉森監督がその犯人だろうと見ているがネ。


大負けギャンブラーには何かがきっとある。


ひょっとして壊し屋さんかいな?


いやはや、世も末ですナ!




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by kikidoblog2 | 2016-05-23 10:37 | 個人メモ

大学図書館の「除籍処分の嵐」:みすず書房の「わが師・わが友」まで除籍だった!?   

みなさん、こんにちは。

21世紀の前半の昨今、よりにもよってこんなことになるとは?と思ったことは、大学図書館における
除籍処分
の嵐である。

大学の図書館の第一の役割は「本の保存保管」である。

が、これを突然放棄し始めたのである。

さすがにこれには驚いた。(大学の人は何かを勘違いしているんですナ。科学は現代に近いほど進歩していると思っているだろうが、それは真っ赤な嘘。進歩したのは一部のソフトだけで、本質的にはまったく進歩はなかったのである。これが今の世界の停滞を導いている根源なのだ。

私がこれに最初に気づいたのは、最適制御理論の本を勉強し始めた10年ほど前、阿南高専の図書館に行っては中を見てはこれは買っておくべきだなとアマゾンでポントリャーギンの微分方程式の本を注文して買うと、なんとそれが東京理科大学の図書のマークがついていたことだった。我が母校の図書館からの流出書であった。

結果的には大学が除籍したのだから、盗まれたものではなかったのだが、最初は何の印もなかったから、きっと大学から盗まれてアマゾンに出たものだろうと思い、大学に確認の電話まで入れる始末であった。もし盗まれたものであれば、返却しようと思ったわけだ。

まさか大学がこれほどアカデミックに価値のある歴史的な本を除籍するとは思わなかったからである。

とまあ、最初に大学図書館の除籍処分に巡りあったのはこんな案配だった。

その後出るわ出るわでどんどん全国の大学図書館からアカデミックの世界の名著が除籍処分の名目で流出したに違いない。

いったいだれがこれを許したのか?おそらく文科省の馬鹿官僚であろうナア。

おかげで、阿南高専からも数年前から除籍処分の嵐が起こった。

だいたい1960〜70年代の教科書や参考書や専門書であった。もちろん、自然科学や数学とは無関係の文系の古書も除籍対象になった。

私はすでに100数十冊は頂いただろうか?

というのも、

一創造百盗作

といって、たったの1冊でも現物があればそこから複製できるが、全部消滅すれば二度と複製はできない。それがこの世界の原理と知っているから、なんとかしてかつての昔の名著は保存しておきたいと考えたからである。

ちなみに、この言葉は、偉大な生物学者であった故大野乾(すすむ)博士のお言葉である。
「ものごとは、最初の創造こそ大事でありひとたび創造されたらそれから複製されていくのは非常に簡単である」
という生命の原理を評して言葉にしたものである。

1960年代〜1970年代の自然科学の教科書

というとあまり自然科学に関心のない人たちはご存知ないに違いないが、世界的に見ても我が国においても、この時代がもっとも自由闊達でいて名著の生まれた時期だったのである。今現在の自然科学の基礎や土台のほぼ90%がこの年代に完成したのである。

これを極端に単純化して言えば、

自然科学は1970年代までに終わっている

のである。

だから、この時代を境にして教科書のレベルも学問内容も下がる一方なのである。

これは最近の新しい教科書には何も本質的に新しいことがなく、せいぜいオーム返しや伝言ゲームのような繰り返しか、あるいは、アニメ化や萌化したキャラクターを使った、少女趣味的な教科書になっただけのことである。

小中高の教科書が、戦前のいわゆる「記述式」から、戦後の「図や写真入り」に代わり、そして最近の「絵本式」の紙芝居のような教科書になったのを見てもその傾向と対策が分かるだろう。

これとまったく似たようなことが自然科学分野の教科書にも起こっていたわけである。

にもかかわらず、その最高到達地点であった戦後20年30年ごろの名著の数々を、古書という単なる年数だけでみてポイ捨てし始めたわけである。

得したのはおそらくアマゾンのみ。

だから、アマゾンの陰謀か?

ところで、大学はどういうわけか大学自身でアマゾンにショップを持って自分の図書館から出る除籍処分の本を売って儲けるということをしない。謎である。

が、ここが大学法人化してもなお公務員気質が抜けないお公家さん体質のせいだろう。

結局、抜目のない理系崩れの人間にただで持って行かれてそれがアマゾンにて結構な高額中古図書として売りさばかれる。

大学は馬鹿か?

そうでなくとも図書館運営の図書費用がないから手狭になった図書館スペースから古書を除籍しなければならなくなったわけだ。ならば、除籍の際にお金を儲けないかぎりこの悪循環は断ち切れない。

こうやって大学図書館がどんどん知的ダウンサイジングをやっている。

とまあ、これが昨今の現状らしい。


さて、前置きが非常に長くなってしまったが、ここ毎年阿南高専から除籍処分が出たのだが、今年の分で偶然手にした古書がある。

わが師・わが友

という本である。たまたま今回の番では、まあ私は
朝永振一郎博士の「わが師・わが友
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はもう持っているからダブリになるな、まあそれでもいいか、版が違っているからもらっておくかと思って、我が家にもらってきたものである。

最近まですっかりこの本は朝永先生の本だとばかり信じ込んでいたが、ちょっと中を見たら驚いた。実はそうではなかったのである。

これは、我が国の各分野の錚々たる名だたる科学者たちが自分のわが師や友人や親友のことを生前に書き残しておこうとして書き残した本だったのである。これである。
わが師・わが友〈第1〉 (1967年)
わが師・わが友〈第2〉 (1967年)
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この本の第一巻を開いて最初に驚いたのは、この巻の一番最後が
古賀逸作博士
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だったことだ。日本の水晶クォーツの創始者、水晶発振子の父である。

この博士こそ、水晶の加工技術を学びにわざわざ山梨県甲府にやってきて、我が家の先祖、私の祖父の井口章の弟子になった人だったのである。我が井口家に伝わる伝統の水晶加工術、それを学んで帰り、大学でクォーツ発振子の原型を開発するのに成功したのである。
ファミリービジネス ( 9 )

ファミリービジネス9:「クォーツ時計誕生秘話」、水晶の切り方を古賀逸策博士に教えた祖父!


いまこの伝統は美馬貴石(これは祖父の会社の名、私の父の実家)の
二代目美一(びいち)(私のいとこ)
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が継いでいる。

この本は上巻だけで、

服部静雄
朝永振一郎(我が国の理論物理の創始)
坂口謹一郎
野副鉄男
秋月康夫(岡潔の盟友、朝永湯川の数学の先生)
茅誠司
桜田一郎
伏見康治(我が国の統計物理の創始)
松浦一
本川弘一
谷一郎
保井コノ
松沢武雄
団勝麿
堀内寿郎
小川鼎三(ていぞう)
安芸皎一(こういち)
古賀逸策(いっさく)(水晶発振器の創始者)

第二巻で

萩原雄祐
吉田洋一
玉虫文一
宮本高明
井本稔
永田武
桑原万寿太郎
永宮健夫(我が国の物性物理学の創始)
須藤俊男
台弘
三宅静雄(我が国の結晶学の創始)
森健志
熊谷寛夫
喜安善市
須田正己
渡瀬譲
神田英蔵
矢野健太郎(我が国の微分幾何学の権威)
高橋秀俊(我が国最初のコンピュータの創始者)

であった。全員の写真入り。1967年当時の初刊で450円。

名前を見て分かるように今現在の大学の長老はその孫弟子が曾孫弟子、あるいは、玄孫(げんそん)弟子か来孫( らいそん)弟子にあたる。今の学生は未来の昆孫(こんそん)弟子か、仍孫(じょうそん)弟子になる。

というように、1967年代までに現代の我が国の根幹は完成されているのである。

そんな時代の名著がアカデミックの砦であるはずの大学図書館からどんどん失くなっている。

いまこの仕掛け人がだれか突き詰めているところである。


いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
数学者の秋月康夫博士の一番最初の書き出しの節が「数学と岡君」であった。むろん、「岡君」とは岡潔博士のことである。

まず数学に行こうかどこに進もうか迷っていた頃、自分にも数学ができるかと秀才岡潔のところに聞きに行くと「まあ、やってみろよ」と励まされたという。それで数学者に順調に育った。その頃の学生に湯川秀樹とか朝永振一郎がいた。

戦時中の栄養不良から戦後病気になり、その療養生活でもはや数学はもう無理だと田畑を耕して百姓の真似事をしていると、奈良の山奥に引きこもったはずの岡潔が最近やっと仕上げたばかりの世紀の数学の大論文「不定域イデアルの概念(層の概念)」を持って突然やってきた。先祖の田畑を切り売りしながら数学に没頭していたが、もう金が尽きそうだからどこかに職をくれと相談に来たという。しかし、その頃は秋月博士の方も数学の自信を失っていたので、自分の姿を見て岡が言った
「数学をやれよ、もう一度やれよ。きっとやれるよ。一緒にやろうよ」
と励ましてくれたのである。

そして、食事療養で健康を回復し、自信がついてきた頃、ついに京大教授として雇われた。そしてその時に井草準一博士を招聘したという。この井草博士こそ「東大ノート」の先達であった。その見事なノートは比類を見ないという。そしてここから我が国の現代的な代数幾何学が誕生していった。

要するに、岡潔は自分もすごかったが、仲間にも優しく励まし、朝永湯川ばかりか、我が国の現代の代数幾何の生みの親でもあったわけだ。

岡潔がなければ、秋月もない。秋月がなければ、井草もない。井草もなければ、京都の松阪、永田、中野、西、小泉、松村、広中もない。また、東大の玉河、佐竹、志村、谷山、久我、名大の森川もなかったという。

この谷山や志村がいなければ、もちろんワイルズのフェルマー予想の解決もない。

つまり、岡潔がいなかったら、いまだにフェルマー予想は解けていなかったかもしれないのである。

この岡潔と秋月の話はだれかに小説にしてほしいナア。ドラマでもいいが。こういう良いドラマを映像にこそ残すべきなのだ。AKB48が何しようが世界にはまったく影響しない。

まあ、こういった話は当事者が書いたものだからこそ残る。それを若者が読んでこそなのである。そういうものを捨ててしまう。気が狂っているナ。



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by kikidoblog2 | 2016-04-27 09:18 | 個人メモ