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カテゴリ:普通のサイエンス( 69 )   

伊藤清の数学と佐藤幹夫の数学:俺「いでよ、天才君!確率D加群を構築せよ!?」   

みなさん、こんにちは。

さて今回はまた数学と理論物理の話。

普通人にはちんぷんかんぷんのはずだから、スルーでよろしく。もっともそういう俺にも細かいところはちんぷんかんぷんだから、恥じることはないのサ。


最近たまたま行った県立図書館で見つけた、伊藤清博士の
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確率論と私
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と木村達雄博士の

佐藤幹夫の数学 増補版 単行本 – 2014/9/17
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を近くの本屋に注文して(最近はいくらアマゾンで安い本があっても絶版でなければ書店を通して買うようにしているため)おいた本が到着したから、早速それらを買って少しずつ読み始めているわけである。

伊藤先生の本はだいたい全部読んだが、やはり創始者のものは面白い。

創始者というものは、その人と同じレベルの別の国々の創始者と関わりがあるから、そういう裏情報がとれ、そういうものの中に極めて将来性のあるテーマが潜んでいたりするわけである。

こういう意味でもやはり、オリジナルの人の著作=原典を読まねばならないという鉄則を思い出す。つまり、原典主義である。

今回そんなものをいくつかだけメモしておこう。

(あ)伊藤清の場合

まあ、俺にもよくわからないが、伊藤清先生の前には、ロシアのコルモゴロフというハンサムな超人的数学者がおりました。それより先か、ほぼ同じ頃、アメリカには、フェラーという大確率論の大家がおりましたとサ。

ロシアのコルモゴロフとアメリカのフェラーを知らない確率論の大家がいたとすれば、もぐり、となる。

同様に、日本では伊藤清先生の前に、伏見康治博士という理論物理学者、というよりはかなり応用数学者に近い先生がおりました。この伏見康治博士を知らない人がいるとすれば、もぐり、である。

ところで、この先生は後に大学を定年退官後の非常に高齢になってから、共産党から国会議員になったのである。

さて、そのフェラー先生のプリンストン大へ伊藤清博士が留学に行ったという。その時、フェラー先生が考えていたというのが、局所時間と局所地図の数学。

まあ、数学の話だから非常にわかりにくいから、俺個人の想像の域をでないが、一応まとめるとこんな問題と想像している。

まあ、例えば、仮に人それぞれが、自分の時計(たぶん腹時計)といい加減な自作の地図をもって、野山を出発点からゴール地点までワンダリングしたとする。たしかこういう競技があったような。たぶん、オリエンテーリングというやつか、ロゲイリングという競技(ゲーム)かもしれない。

そんなオリエンテーリングに沢山の人々が(N人が)参加している様を想像してほしい。

自分の腹時計と自作の地図を頼りに動き回るから、どんどん人々が三々五々外れていく。

どうやらこの現象を記述する微分方程式をフェラーが見つけていた。

そこでフェラーが伊藤先生に問うたという。

「この方程式は君の拡散方程式と一致するかい?」

数年後に伊藤先生の門下生の福島、武田、大島の3人によって1965年に解かれたんだとか。


拡散方程式とは、コップの水の中にインクを一滴落としたときに、インクが広がっていくような現象を表す方程式である。

一方、フェラーの局所時計と地図の方程式は、どちらかというと、マラソンのランナーたちが、最初集団で走り出して次第に集団がバラけていくような現象を記述する方程式である。

大分前から、このマラソンランナーのバラける様をうまく記述する方程式がないかと俺は探していたわけだ。

そこで、私はマラソンの何キロおきかの通過地点に来るときの選手の時間の分布をみると、確実にばらつきがある。だから、そのばらつきの方程式が見つかれば、それは一種の拡散現象をとらえているはずだから、それは全体的には拡散しているわけだから、きっと拡散現象と関係があるのではないか?と睨んでいたわけですナ。

しかしながら、時は流れ、俺にはその方程式も解も見つけられないでいた。

ところが、なんと伊藤先生の上の本に、それがフェラーの問題として出ていたわけだ。しかも日本人が1965年に解いていた。

何たる無知?無知は犯罪である。が、俺の鉄則だ。


いやはや、伊藤清先生恐るべし。


(い)佐藤幹夫の場合

さて、もう一方の佐藤幹夫博士の本は伊藤清先生の本よりかなり毛色が違うから、理解するのがもっと難しい。いまふうにいえば、「むずい」というやつだ。

毛色の違いとは、伊藤清先生のはかなり物理学者でも近寄りやすい。しかし、佐藤幹夫先生のは物理学者には近寄りがたい、ということである。古典数学的と現代数学的と言っても良い。

だから、保江邦夫先生が伊藤清先生の確率理論を物理に応用したくなったというのは非常によく分かる。

しかし、俺のユタ大時代の先生のビル・サザーランド博士は、まさにもう一方の佐藤幹夫先生の数学の系統の理論である量子可積分系が専門だった。今年、それで数理物理のノーベル賞といわれる「ハイネマン賞」を受賞した。「カロゲロ=モーザー=サザーランド系の発見」である。

つまり、こういう個人的交友関係、あるいは、個人的研究の履歴からして、俺は伊藤と佐藤の両方を理解しなければならないと常々思っているわけですナ。しかしながら、俺の頭脳ではいつも途中で頓挫する。

というわけで、明確に理解できないまま、この数十年過ごしてきたわけだ。

とてもではないが、佐藤スクールの理論などフリーの理論物理学者がたった一人で習得しエキスパートになんかなれるものではない。ましてや理解不可能だと思っていたわけだ。だから、くわばら、くわばら。そんなものスルー、スルー、スルー。時間の無駄だと。

ところが、今日やっと「D加群と非線形可積分系」という節までなんとか読み進んで読んだところ。

非常によく分かるではないか?

驚き、桃の木、山椒の木。

この俺にも言わんとすることが手に取るようにわかってしまったのだった。

むろん、こまかい記号の定義なんてわからない。さっぱりだ。

しかしながら、佐藤幹夫先生の言わんとしている構想や理想やイメージ、こういったものが非常によくわかったのである。

特に気に入ったのが、佐藤幹夫先生が「一般システムとはなにか?」と書いた部分だった。

exact sequence:D^n →D^m→M→0 (6)

(中略)

(6)のexact sequenceというものが線形偏微分方程式の一般のシステムというものを代数的に解釈したものです。
という部分である。

かつて1940年代、欧州に偉大な理論生物学者のベルタランフィー
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という人がいたが、その人は、
一般システム理論
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というものをぶち上げていた。

つまり、一つの生物システムはそれを記述できる微分方程式に直されるという思想であった。

リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?

我が国で杉田博士が終戦後に「生物物理学学会」を発足させ、その中に「生物理論」、すなわち「数理生物学」というものを生み出したのだが、いまや誰もそんなことは知らないというように、当時ヨーロッパから欧州の最新のアイデアを米国に持ち込み、欧州のベルタランフィ博士の「一般システム論」の創始に刺激され、それを生物理論というかたちで、数理生物学という分野があるはずだと一生懸命研究室を立ち上げたばかりの頃だった。

まさに飛ぶ鳥をも撃ち落とさんばかりの勢力の時だった。


もちろん、私はその本はすでに大分前に勉強した。

そこで問題になっているのが、

連立の微分方程式をいかにして作るか?
そしてもしできたらそれをいかにして解くか?

であった。

ところが、佐藤幹夫先生、曰く、細かいことは抜きにして、微分方程式を解くというのは、こういうことだよとおっしゃった。それが、上の部分だった。

俺流に解釈すると、代数方程式を解くということが、ある空間の中にある曲線や曲面などの図形どうしの交点を見つけることに対応するように、微分方程式を解くということは、ある微分演算子が作る空間の中でそれらが作り出す曲線や図形同士の交点を求めるようなもんだよ、ということなのである。

つまり、これこそ、あのヘヴィサイドが直感的にみつけたヘヴィサイドの演算子法の根底にある思想であった。

方程式の解(交点)というものがあれば、それがどんな数字かはあまり関係ないように、だから、解があるとして、xでもyでも良いように、微分方程式の解があるとすれば、それがどんな関数であろうと関係ない。そういうものをuとか、vとかすればよろしいと。

そして、代数方程式の連立方程式が、ユークリッドの互除法で最終的に解けるように、微分方程式の連立微分方程式も演算子のユークリッドの互除法で最終的に解ける。

この言葉でそれにあるすべてが理解できたんですナ。


ネットワーク理論で単純に言えば、トポロジーのグラフだから、微分方程式系とは、そのグラフ状の電気回路の上を流れる電流と電圧と電荷のようなものだ。

だから、キルヒホッフの第一法則(電流則)と第二法則(電圧則)で回路網を記述すると、その回路に流れる電流と電圧が即座に解ける。

この時、その方程式系はちょうど微分幾何のホモロジー代数と同じ構造を得る。これが、電気回路のテレゲンの定理というものだ。

系を電流の方程式だけで表してもいいし、系を電圧だけの方程式で表しても良い。なぜならその間にはオームの法則がああり、電流と電圧は必ず関係があるからである。言い換えれば、双対性がある。

佐藤先生のいう微分方程式のチルンハウス変換がこのオームの法則に対応しているわけだ。

古典物理では、変位と力の関係であるフックの法則である。

変位の微分方程式で考えてもよいし、力の微分方程式と考えても良い。変位と力には双対性がある。


そして極めつけが、その論説の最後の部分。「3.soliton解が線形微分方程式の無限小変形として捉えられること」であった。

どうせ細かい数学の定義はわからないからないほうが良い。佐藤幹夫先生は細かい定義をしないから非常に骨格だけ理解できるから非常にわかりやすい。数学的定義を理解することで嫌になってしまうというリスクがない。細かいことは後で論文を作る時にやれば良いという感じですナ。良いね!

結局、非線形微分方程式が解けるということはどういうことか?を最後で説明していたわけだ。

これもまた一言にまとめているから面白い。
Grassmann多様体上の、あるlinearなsectionを時間発展とcompatibleであるように取ってやると、いろんな方程式が出てくる。そのsection上を動くことによって、あのKdV方程式であるとかいろいろ。

まあ、要するに、無限次元のグラスマン多様体なる空間にある「ある種の流れ(たぶんハミルトン・フロー)」があって、これをある時間発展だけを取り出してみると、ある種の非線形微分方程式のソリトン解になっている。


実は、俺の師匠のビル・サザーランド博士は、この無限次元グラスマン多様体上の量子力学を構築したのだった。

これが、彼の言うところの、support scatteringという概念である。

つまり、相互作用する量子力学系が解ける場合は、粒子同士がお互いに相互作用をしていないかのように透過しあうだけになるような相互作用をする場合に独立粒子のように解ける。

ここで量子ラックスペアが出るのだが、そのラックスペアの一つと同じものが、佐藤幹夫博士の(12)式なんですナ。


ところで、伊藤清先生と交流があった保江邦夫先生の教科書シリーズの特別巻の第9巻
「ヒカルランド講演」無事終了2:皆さん、triportさん、竹之内さん、どうもありがとうございました!
2015年、きっと来る、保江博士のお弟子さん!?:悪魔の「数理物理学方法序説」
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の第7章「連続群論・流れを定める微分方程式」にこのピーター・ラックスの話がある。

さすがに確率論の大家の伊藤清先生の、ある意味でお弟子さんの一人である、保江師範、やはり確率論的な見方でラックスの話を見ているから興味深い。


(う)伊藤清の確率微分と佐藤幹夫のD加群を合体させる猛者はいないのか?

というわけで、20世紀の我が国の二大巨匠の伊藤清先生と佐藤幹夫先生の2つの流れを見たわけだが、これをある意味で保江邦夫先生のような感じで合流あるいは合体させることができると面白そうだ。

だれか若い数学者でそういうことをするものはいないのか?

俺の理解するところでは、佐藤幹夫先生の「D加群」というものは「普通の微分」を使っている。つまり、

df(x)=[∂f(x)/∂x]dx。

それに対して、伊藤清先生は「確率微分」を使っておられる。つまり、

df(x)=[∂f(x)/∂x]dx+(1/2)[∂^2f(x)/∂x∂x]dxdx。


つまり、「確率D加群」というものもあり得るだろうということである。stochastic D-moduleの理論である。

言い換えれば、普通の微分方程式をウィーナーがランダム変数を含む場合に拡張したように、ヘヴィサイドの演算子法の現代バージョンである「D加群」の理論をランダム変数を含む場合にまで拡張するのである。

いでよ、天才君。
若者よ、いでよ!


まあ、残念ながら俺にはそれをする時間がない。


いやはや、世の始まりですナ。






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by kikidoblog2 | 2019-05-31 19:47 | 普通のサイエンス

朝永振一郎と寺田寅彦、伊藤清とコルモゴロフ:天才コルモゴロフの天才育成法!?   

みなさん、こんにちは。

さて、最近量子力学の基礎に立ち戻っていろいろ復習しているのだが、朝永振一郎博士
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の「量子力学I
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量子力学II]
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は名著のほまれが高い。すでに英訳もされている。

Quantum Mechanics: New Quantum Theory v. 2
S. Tomonaga
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そしてこれの第三巻は未完のままに終わったのだが、実質上の第三巻にあたるのが
スピンはめぐる
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だろう。

その第三巻を読んでいたら、ちょっとおもしろい「表現」を見つけたので、それをメモしておこう。

私が持っているのは、古い方の本であるが、その157ページにこんな文章がある。

「われわれがNnやAnやHnをq-数とみなしたディラックの第二量子化の前で戸惑いを感じたのは、じつにこういう点なのです。きみたちのなかには、第二量子化をすらすら受け入れる人もいるかもしれない。もしそういう人がいるなら、その人はディラックと同じくらいえらい人か、あるいはまた、つきつめて物事を考えないで、あやふやのままで何でもわかったような気になってしまう。ノンキ坊主かのどちらかでしょう。」


これはディラックのアクロバットと言われた量子力学の「第二量子化」の定式化でディラックが発明した、あるいは、導入した、奇妙奇天烈なやり方に対するコメントである。

この後に結構重要な興味深い話に関わっていくのだが、私はこのフレーズはどこか馴染みがあった。それで、思い出すと、その昔に寺田寅彦
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が似たような言い方をしたことがあったのである。

これを私はdoblog時代にメモしていた。これである。
寺田寅彦の時代から80年:時代が変わると人も変わる!?

「科学者とあたま」(昭和8年10月、鉄塔)

「私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。
「科学者になるためには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはならない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に小数である。
 この一見相反する二つの命題は実は一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである。この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の曖昧不鮮明から生まれることはもちろんである。
 論理の連鎖のたった一つの輪も取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ緻密な頭脳を要する。紛糾した可能性と岐路に立ったときに、取るべき道を誤らないためには前途を見透す内察と直観の力を持たねばならない。すなわちこの意味ではたしかに科学者は「あたま」がよくなくてはならないのである。
 しかしまた、普通にいわゆる常識的にわかりきったと思われることで、そうして、普通の意味でいわゆるあたまの悪い人でも容易にわかったと思われるような尋常茶飯事の中に、何かしら不可解な疑点を認めそうしてその闡明に苦吟するということが、単なる科学教育者にはとにかく、科学研究に従事する者にはさらにいっそう重要必須なことである。この点で科学者は、普通の頭の悪い人よりも、もっともっと物わかりの悪い飲み込みの悪い田舎者であり朴念仁(ぼくねんじん)でなければならない。」

「頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなくてはならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。科学者の歴史は。。。偉大なる迂愚者の頭の悪い能率の悪い仕事である。」

「この老科学者の世迷い言を読んで不快に感ずる人はきっとうらやむべきすぐれた頭のいい学者であろう。またこれを読んで会心の笑みをもらす人は、またきっとうらやむべく頭の悪い立派な科学者であろう。これを読んで何事も考えない人はおそらく科学の世界に縁のない科学教育者か科学商人の類であろうと思われる。」


ところで、その朴念仁とは、次の意味である。

ぼくねんじん
【朴念仁】  1.無口で愛想がない人。 2.物の道理が分からない人。分からず屋。


要するに、朝永振一郎も寺田寅彦も言いたかったことは、本当に良い学者とは、いい意味での分からず屋、簡単には人の理屈に同意しない人でなければいけなよ、ということである。

他人が作った論理にすぐに迎合するようじゃだめだ。そのすべてを疑ってかかる。いくらそれが有名な理論であろうがそれを鵜呑みにせず、自分なりにいろいろ工夫して理解する努力が大事だという戒めである。

おそらく、この精神構造は、京大の数学者望月新一博士の「ノーと言えること、ノーと言える文化が学問の原点!」というものに近いだろう。
2018年の感想と、主張やその背後にある論理構造の情報を発信し記録することの重要性

望月新一博士の「心の一票」:「ノーと言えること、ノーと言える文化が学問の原点!」


講演する望月新一博士
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最近では、我が国のサイエンスのプレゼンスも経済指標同様に、相対的に順位が落ちてきたようだ。

むかしのお家芸と言われた日本男子体操のようなものであろう。

しかしながら、あれほど復活は困難だろうと思われた体操競技も、少数精鋭で、徐々に順位を上げ、ついに内村航平選手の時代に世界トップに躍り出た。

同様に、あれほど世界一は不可能だろうといわれた男女卓球も、少数精鋭のエリートプログラムの始動で、ついに10台で世界チャンピオンになるものまで現れた。

ということは、遺伝的、人種的、文化的、経済的、地理的に我が国の科学技術がだめだということではないだろう。

要するに、幼少期にその才能を開花し始めた子どもたちを、いかに世界のトップレベルと競わせるかという、育成プログラムが必要だということである。

我が国の場合、すでに少子高齢化で、どの分野でも昔のような一家の三男坊や四男に頼ることはできず、少数精鋭方式しかないのである。

科学に才能ある若者をいかに育てるか?

最近読んだ、伊藤清博士
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の「確率論と私
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の中にある、「天才コルモゴロフの教育法」というものが実に参考になる。

一部引用しておこう。
コルモゴロフによれば、10〜12才くらいの生徒から、数学の才能のある者を探そうとする親や教師がいるが、これは生徒をダメにする危険がある。

しかし14〜16才になると事情は一変して、数学・物理に対する興味がはっきり現れてくる。

コルモゴロフが高校で数学・物理を教えた経験によると、約半数の生徒は、数学・物理は自分にとってはほんの少ししか役に立たないと考えるようになる。

このような生徒のためには、やさしい内容のカリキュラムを考えたほうが良い。それによって、他の半分の生徒(これは全部が数学・物理を専攻するようになわるわけではないが)の数学教育をより効果的にすることができる。

高校レベルで数学・物理系、工学系、生物・農学・医学系、社会・経済系の諸専門に分けたほうが良い。
 
(以下中略)


数学における適性とは何か?コルモゴロフは次の3点であるという。

1.アルゴリズムの能力。複雑な式の上手な変形、標準的な方法では解けない方程式を巧妙に解くことの能力をさす(たくさんの定理や公式を記憶していてもだめである)。

2.幾何学的直感。抽象的なことでも、頭の中で、目に見えるように描いて考えられること。

3.一歩、一歩論理的に推論する能力。たとえば数学的帰納法を正しく適用することができること。

これらの能力があっても、研究題目に対する強い関心と日々の絶えざる研究活動がなければ、何の役にも立たないだろう。

大学の数学教育でよい教師とはいかなるものか?

(i)講義がうまい。他の科学分野の例をひいたりして、うまく学生をひきつける。

(ii) 秩序だった説明と広い数学の知識で学生をひきつける。

(iii) 個人教授にすぐれている。個々の学生の能力をよく見極めて、その能力の範囲で仕事をさせ、学生に自身をつけさせる。

このいずれも価値があるが、理想的な教師は(iii)の型の教師である。

数学・物理学部の学生教育について、コルモゴロフは、正規のコースをとらせるほかに、特に次の二点を強調している。

(i) 関数解析を、日常の道具として自由に使えるように教育すること。

(ii) practical workを重視すること。

この意味は私にはわかりかねたが、かつてモスコウ大学でコルモゴロフから習ったという方に最近会って聞いたところ、微分方程式でも係数や境界条件を具体的に数値(これは学生ごとに異なる)を与えて、その解の性質を学生に調べさせるという意味のようである。

(以下省略)


この話をおおまかにみれば、我が国の高校における理系文系の区別は結構いい線いっているということかもしれない。理数に興味のない生徒にいたずらに時間つぶしさせるよりは、そういう生徒には簡単なプログラムにして、それでできた時間を理系の学生に当てろということになる。

また、これから我が国の文科省が押し付ける予定になっている、英語必修とか、小学校からアルゴリズム必修というようなプログラムは、愚の骨頂だということになる。頭を混乱させるだけで、不調和の人格形成の日本人が大量に生まれることになる可能性が高い。

要は、将来的にみて、その子自身が外国生活したいとか、英米圏と関わる仕事をしたいとか、そういう家庭事情のある子だけで十分だということになる。家を継ぐとか、和の職人とか、日本ベースで生活設計する子どもたちには不必要で、邪魔なだけだということになろう。

将棋や囲碁も数学的アルゴリズムだから、将棋や囲碁に適性のあるものがその道に進むことからも自明なように、すべての子供達にそういうことを強いるのは悪影響もあり得る。

それよりは、その適性のあるこどもをどんどん指導していった方が早いということになる。

アルゴリズムはだめでも、運動能力のあるもの、言語能力のあるもの、才能はさまざまである。それを伸ばしてやればいいのである。おしつけは、新手のいじめを生むだけに終わるだろう。

囲碁や将棋の盤面を頭の中に描いて囲碁や将棋ができるというのは相当な才能である。

同じように、複雑な数式をあたまの中だけで描いて計算できるというのも相当なものである。

文筆家も50歳過ぎてやっと頭の中の原稿用紙に自由自在に書いたり消したりできるようになるといわれているほどである。

とまあ、そんなこんなで、天才コルモゴロフや朝永や寺田や伊藤清の意見を考慮してから育成プログラムを考えても遅くはないだろう。

それにしても、かつて民主党の菅直人が福島第一原発爆破のときにやったように、自分で考えること、なすこと、すべてがいつも最悪の一手になるというのは、やはり半島人の特徴が出ているんですナ。

いまの文科省や財務省もこの傾向が見て取れる。やはり朝鮮系に乗っ取られているんですナ。



いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2019-05-23 14:51 | 普通のサイエンス

数学者と理論物理学者:グロタンディークと佐藤と南部と小松彦三郎とヘヴィサイドとウィーナー!?   

みなさん、こんにちは。

さて、今回は数学者の話。あまり面白くないだろうから、普通の人はスルーでよろしくネ。

(あ)数学者と理論物理学者

最近良く思うことは、理論物理学者でおそらく数学の好きではない人はまずいないだろうということだ。が、これは物理学者の中でも特に数学的なことが得意だったり好きだから理論物理学者になったはずだからだが、おそらく彼らは数学者にも非常に関心を持っているのではなかろうか?

というのも、理論物理学者の中には、もうすこし数学的才能があれば絶対に自分が数学者になれた、あるいは、なりたかったという人がかなりいるからである。

一方、数学者には理数系は好きだが、物理が嫌いで、どうも馴染めなかったから数学者になったという人が結構いる。要するに、物理では実際的問題を扱うから、いわゆる「近似」を使うのである。この近似が、近似=いい加減と理解して、そこから物理より数学のほうが厳密なのだと錯覚して、数学分野に進むというものが多いということである。

かつて理論物理学者のレフ・ランダウが
「自分は人の論文の結論だけ読む。なぜなら、後は自分がやったほうがましだ。」
というようなことを言っていたが、数学者でも佐藤幹夫博士が
「数学辞典は非常に役立つ。というのは、定理がたくさんでているからだ。証明は自分でできる」
と言っていた。

まあ、こういう正真正銘の天才たちは論外として、普通は人のやったことをしっかり自分で読んで考えて、やり直してみて身につけるというものである。

朝永振一郎の時代では、「理論物理学者になりたければ、天才でないとだめだ」というご託宣があったらしい。同様に、「名を残す数学者でありたければ、天才ではないとだめだ」というのが数学の世界である。

だから、自分は数学者になりたかったが、それになれないから、理論物理学者で我慢した、そうせざるを得なかった。なぜなら、自分は新定理を証明することは不可能だからだ。そういう考え方がある。

ユタにいた頃、私の指導教官だった甲本真人先生とビル・サザーランド先生の横にYong-Shi Wu先生の研究室があった。だから、これら3人の顔を見に結構そのあたりをうろついたもんだったが、たまにWu先生から「君は最近何を研究しているんだ?」とか聞かれたことがあった。

そんなたわいない会話の最中で、Wu先生に
「数学は好きですか?いつも数学を勉強していますよね?」
というようなことを聞いたことがあった。すると、
「自分は数学は定理を使うだけだ。数学者の証明は信じる」
というような返事をもらったことがある。

難しい定理を全部証明まで理解しようとすれば、その数学分野の1冊2冊を読まなければならなくなり、その筋の専門家になる必要がある。そうなれば、時間がなくなってしまう。それよりは、数学者の証明は信じて結果だけを物理に使うんだ。とまあ、その時の私はそういうような意味だろうと受け取った。

数学者と理論物理学者の関係とはそんなものだろうか。

ところで、私はもともと理系でもなく、体育会系の野球部やサッカー部出身だから、こういった数学者とも理論物理学者ともまったく毛色の違う感性で理論物理や数学を見ているように思う。あまりかれらとはウマが合わない。あるいは、肌が合わないことを感じてきた。

強いていえば、スポーツのような数学であり、スポーツのような理論物理学という感じだろうか?技を磨いて、それぞれのポジションでいいプレーすれはそれで良い。とまあ、こういう感じの受け取り方に近い。が、うまく説明できない。別に天才ではなくても、適当にボールリフティングして楽しむように数理を愉しめば良い。それで結構だという感じかナ。歴史的プレーは偶発的に生まれることがあるように、凡才や鈍才でも運が良ければ天才のような研究をすることだって可能だという感じ。まあ、数学や科学の世界はそれほど甘くはないがネ。

(い)佐藤幹夫と南部陽一郎

さて、アマゾンでやすいのが出るかとさんざん待ったがどうやら出てきそうもないので、今日さっき本屋に行って、「佐藤幹夫の数学」という本を注文してきたのである。これである。


佐藤幹夫の数学 増補版 単行本 – 2014/9/17
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この本は県立図書館で借りてここ最近少しずつ目を通しているんだが、実に興味深い。

というのも、編者が木村達雄博士だからである。

実はこの木村達雄博士は、保江邦夫博士の合気道の先輩でそもそも保江先生が合気道の世界へ入るきっかけとなった恩人の一人であるようだ。そして、かのエジプトのピラミッドの王の間で「ハトホルの秘技」を行うために出向いた時、同行者の一団のリーダーがこの木村達雄博士だった。

保江先生の本でその時の写真を見た私の記憶では、アリキリのアリさんそっくりだというのが私の受けた印象だった。

その木村博士は20世紀を代表する日本の数学者になった佐藤幹夫博士の一番弟子であるということをこれも保江邦夫先生の著書から読んで知っていたので、いつかこの佐藤幹夫と木村達雄の関係がどういうものなのかを知りたいと思っていたわけだ。

そしてたまたま最近県立図書館に行った時、めったにいかないのだが、たまたま数学の棚で他の本を探している時に見つけたのだった。

この本を読んだ印象では、この本や佐藤幹夫さんの他のお弟子さんや影響を受けた人達からすれば、

佐藤幹夫とアレクサンドル・グロタンディークは似ている!

ということになる。なっている。

というのも、ふたりとも生まれも1928年でいっしょ。同時代人で、同じような思想を独立に生み出した。2人ともジェネラルナンセンスを大量に生み出した稀有の天才であった。しかしながら、見た目は全く異なる。方やつるっぱげ、かたや髪の毛ふさふさ。

しかし、私の個人的観点からすると、佐藤幹夫先生がユダヤ系フランス人のグロタンディークに似ているというよりは、むしろ素粒子論の南部陽一郎博士に似ているような気がする。

戦中戦後の大貧困の時代を生き抜いて、あるきっかけを経て研究者の道に入り、それから徐々に才能を表し、いつしかその道の歴史そのものになっていった。この意味では、グロタンディークはちょっと違う気がする。レジェンドではあるが、その全てが理解され尽くしていないからである。

だから、私は

佐藤幹夫と南部陽一郎は似ている!

というだろう。

実際、これもちょっと前まで読んでいた南部陽一郎博士の「素粒子論の発展」
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という本とこの「佐藤幹夫の数学」という本は、作り方も雰囲気も非常に似ていると感じるわけである。

職場を転々とした感じも似ているし、周りの多くの偉い学者の中で切磋琢磨されていった感じも似ている。そして弟子や理解者に囲まれて幸せな研究者人生を得た感じも似ている。この点では、孤高の人だった隠遁者グロタンディークはちょっと違う。

むしろ隠遁者的という意味では、グロタンディークは私のほうに近い。まあ、比較しようのない歴史的レジェンドだから、こういう書き方は誤解を招きかねないがネ。


(う)佐藤幹夫の考究録

私はたしか大学院受験する際だったか、だから理科大理工時代の1970年代後半に、当時すでに京都大学に佐藤幹夫博士というすごい人がいるということは知っていたから、その当時の有名な研究をもらおうと思って、はがきか手紙を出した記憶がある。

結果は、梨の礫で結局その論文はもらえず。しかも京大大学院は失敗し、その前に合格した阪大基礎工に進学したわけだ。だから、その論文はずっとあとまで読むことも目にすることもなかった。すっかり忘れたわけだ。ひょっとしたら、アメリカに留学する頃だったかも知れない。

ところが、どうやらインターネットの時代になって、やっとそれがだれにも手に入れられる時代になっていた。この意味では、今の若者は幸せものだ。これである。
佐藤幹夫講義録 (1984年度・1985年度1学期)

もしその時その論文をもらっていたら、私はどうしただろうか?数学者になろうとしたか、あるいは、天才じゃないから絶望し、別の道を目指しただろうか?

実は私は数学者の雪江昭彦博士と同じ甲府南高校の同級生である。彼は高校時代にすでに高木貞治の本を勉強し、大学生の数学を勉強しているという噂があり、サッカー三昧の私は「すごいな」という印象しかなかった。

しかし、たまたま私の母が若い頃東京の洋裁学校に行っていたらしく非常に洋服好きで、彼の家が洋品店で、その洋品店を非常に好んで買い物をしていたようだった。だから、時々雪江洋品店の話が出てきたのである。だから、彼は私をあまり意識せず知らなかっただろうが、私は雪江という名前は洋品店の名前として覚えていたのである。

その彼が東大に入ったことを知り、その後、京大の広中平祐博士がフィールズ賞を受賞し、その勢いで広中基金で優秀な若者を広中先生が研究した米ハーバード大の大学院に送るというプログラムを作ったが、その最初の1号に雪江が選ばれて、ハーバードへ行ったという話は知っていたのである。

その後、彼は、オクラホマ大(?)に渡り、その後、帰国し東北大に勤務し、そして京都大の教授となったようだ。

私はちょうどその彼のオクラホマ大あたりの頃ユタ大に留学し、物理を一から勉強し直していたわけだ。

その彼の専門が、「概均質ベクトル空間論」というものだったが、その創始者が佐藤幹夫博士だったので、そのテーマを名前だけは覚えていたわけだ。

それが、ずっとたって保江邦夫先生の兄弟子にあたる木村達雄博士の研究分野がまさにこの「概均質ベクトル空間論」というのだということを知り、そしてその木村達夫博士が佐藤スクールの一番弟子の一人だから、そしてその「佐藤幹夫の数学」の編者というわけだ。これを買わないはずがない。

とまあ、そういう事情でこの本をどうしても読んでみようということになったわけである。


(え)数学の天才は養成できるか?

ところで、佐藤幹夫博士の本を読んでいるうちに、偶然こんなものも見つけた。

数学の天才は養成できるか 飯高茂
佐藤幹夫氏の文化功労者顕彰 柏原 正樹, 河合 隆裕

飯高茂博士はフィールズ賞クラスの代数幾何の専門家、柏原正樹博士は昨年フィールズ賞の特別賞を授与されたばかりである。

この飯高博士の論説にかなり興味深い事が書かれていた。

まず最初の方にグロタンディークのやり方があった。これである。

「数学の問題に対して可能な限り一般化して考え、充分な一般化が成就すれば問題自身が自然に解けるのだと言った。もし解けなければ、一般化がまだ足りない」

私の知る限りでは、これとまったく同じことを岡潔が言っていたと思う。

広中平祐博士はハーバードに留学し、グロタンディークの弟子になる。そのハーバードへ留学する前の日本の数学会で、留学後にやろうと思っていた自分の数学の研究プログラムを講演したわけだ。

すると、その聴衆にまぎれていた岡潔が立ってコメントを行った。

君は研究テーマを小粒に分解し簡略化していけば問題が解けると思っているようだが、それは逆だ。むしろ問題はもっともっと抽象化し一般化したほうが簡単になるのだ

とまあ、こんな趣旨のことを話したのである。そして、ハーバードへ留学し何年かのちに「広中の電話帳」と呼ばれる大論文を生み出し、フィールズ賞に輝いたのだった。そのやり方は問題の次元を上げて問題をもっと一般的に定式化し直して解けたのである。

はたして、グロタンディークはだれからその考え方を知ったのか?広中を通じて、岡の考え方が伝播したのだろうか?

ところで、その飯高先生の結論も興味深い。

結局、天才は養成できないのである。

天才は突然生まれる!

のである。ただしいくつかの要因ないしは触媒はある。

(1)既成の教育は必ずしも必要ない。
(2)良き師や良き仲間に恵まれること。めぐりあうこと。
(3)運がよいこと。
(4)伝記や啓蒙書から刺激を受けたこと。


飯高先生はこれに付け加えて、

(5)懐の深い教育。
(6)静かな研究環境。


とした。

しかしながら、グロタンディークは両親はアウシュヴィッツ、自分は幼少期を修道院で生活したし、佐藤幹夫は貧困家庭でしかも東京大空襲の中で過ごし、南部陽一郎は空襲を避けて田舎に疎開していた。

だから、(5)と(6)は彼らには無関係に見える。三人英才教育を受けていない。その暇がなかった。

むしろ、血筋、つまり、DNAが大事だろう。朝永振一郎も湯川秀樹も侍の子孫である。武家の子供であった。佐藤家もきっとそうだったのではないか?

この意味では、やはり先祖代々の血筋もかなりの大事な要素だろう。

(7)血筋。

家系の中で一人だけ天才で、他の家族や親族の誰からも相手にされなかったり、話ができない、通じない、というのは結構つらいものがある。学者の子は学者。医者の子は医者。音楽家の子は音楽家。胎教の原理から言ってもそういう方が理にかなう。

(お)ヘヴィサイドとテスラと小松彦三郎

さて、長くなったので、この節で終わりにしたいが、佐藤幹夫の数学で知った名前に小松彦三郎博士
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がある。

私はまったく知らなかったが、どうやら英仏語に堪能な小松博士のおかげで、佐藤幹夫博士があまり英語論文を書かなかったにもかかわらず、欧米で一大ヒーローとなったようだ。佐藤幹夫の数学に惹かれた小松彦三郎博士が欧米にいって、それを欧米の数学者に伝達したからである。

この事実を初めて知ることができたのである。

さもなくば、杉田元宜博士のように、歴史の闇に埋もれるはずだった。英語で論文書かずに、自分の名前が残るはずもないし、欧米人からヒーロー扱いされるはずもない。

この意味では、やはり佐藤幹夫博士は運が良かったし、仲間に恵まれたんだと思う。

ところで、その小松彦三郎博士の論文を探していくうちに、実に興味深いことがわかった。

この小松博士はヘヴィサイドの数学に造詣が深かったのである。つまり、ヘヴィサイドの数学のマジック=演算子法、がなぜうまくいくのか?について研究していたのである。

実は、いまでは、佐藤=柏原のD加群として知られるやり方は、その萌芽は、ヘヴィサイドの演算子法やその前のリーマンの分数微積分にあったのである。

これを手短に説明した解説がこれだった。

Heaviside の数学 小松 彦三郎

そして、√(d/dt)とか、こういう奇妙キテレツな演算子を定義するには、「概均質ベクトル空間」のような入れ物が必要になる、という感じだろうか。

そんな小松博士こんな論文も書いていたが、これは今の所手に入らない。

ヘヴィサイドとテスラ 小松彦三郎 学士会会報 (815), 50, 1997

おそらく、これは東大の学士会報だから、東大卒でないと読めないのかな?


(か)ウィーナーと超関数

ところで、ヘヴィサイドまでは小松先生の話で演算子法とか超関数であるデルタ関数とか出てきたが、実はヘヴィサイド以後では、そのヘヴィサイドを心の師と仰いでいたのがノーバート・ウィーナーだった。

彼はヘヴィサイドの伝記まで書いたほどである。あまりに痛烈で未公表らしいが。

そのウィーナーの初期の数学に一般フーリエ解析や調和解析の論文や本があるのだが、この中に、デルタ関数と見えないがδ関数や、超関数にみえないが佐藤超函数(hyperfunction)の萌芽があるのである。

Generalized harmonic analysis (1930)

「Schusterの理論」として、佐藤超関数と実質的に同じものが佐藤より数十年早く行われているのである。

その証拠がこれだ。

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たいていは本の帯に隠れて見えないが、この表紙の下にある数式。この定理こそ、佐藤超函数そのものではないか?と私は思う。

この式はウィーナーの若かりし日の代表作であり、上の論文の式(5.53)がそれである。

というわけで、δ関数とも超関数とも名付けていないが、ウィーナーはそういうものを頻繁に使って研究していたのである。


(き)やはりそれで食えないと天才は育たない。

結局、飯高先生の分析でも盲点になっているのは、「天才はその天才で飯が食える」という面である。やはり最低限、その才能を使って食っていかねばならない。

南部陽一郎もシカゴで飯にありつけた。佐藤幹夫も東大京大で食っていけた。もしずっと高校教師だったら天才も萎んだのではないか?

自分の給料で家一軒くらい買える程度の給料がなければ、天才は天才になれないと俺は思う。

大学の人=大学に職のある人は、たいていそれが自然すぎるから、そういうのが前提に捉えるが、一般に見れば、それは前提ではない。むしろ、そういう最低限の前提条件が適ってからの話になる。

保江邦夫の場合も、運良くスイスの大学の助手になれたからこそ今がある。

問題は、そういう大前提である職を得るという部分だが、ここに本当の才能開花の秘訣があると思う。

それは、「人柄が良い」ということだろう。あるいは、「人に好かれる」あるいは「人から愛されるタイプ」と言いかえることもできる。

私の見た限りでは、南部陽一郎も佐藤幹夫も保江邦夫も、みな共通して人前でははにかみ屋のおとなしい性格だろうと思う。だから、目上のものから可愛がられる傾向がある。上から煙たがれたら見放されるが、可愛がられるタイプは職を得やすい。

サッカー選手でも、実力を発揮する前に言いたいことだけ言う選手は監督から嫌われて二度と使ってもらえない、ことがしばしばある。誰もが認める選手にすでになっていれば話は別だが、いくら本来の実力があっても、口だけの選手と見られたらそれで運命は止まる。

中田英寿はその点ではおとなしかったと思う。だから、上から好かれてチャンスをもらったのである。

上から好かれるということは、その時その場にどんな目上の者がいるかに依存する。それこそ運不運である。ハリルホジッチがいたら、デュエルのできないやつは弾かれる。森保なら、いまの目先のデュエルより将来性となる。

結局は、神のみぞ知る。運次第ということになる。

だからこそ、才能ではいくらでも佐藤やグロタンディークやアインシュタインのような人物がいるのだが、それを発揮するまでもなく終わってしまうのである。

したがって、天才はなかなか登場できないのである。

サーフィンでも大きな波はたまにしかこない。そのビッグウェーブが来てもそれに乗れるのはたまにしか現れない。大半は溺死する。

おれもどちらかと言えば、溺死した方だな。



いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
ついでにこれもメモしておこう。
{聞く}京都賞インタビュー

◆数学 探究を続け半世紀 

 ◇柏原正樹氏 京都大数理解析研究所特任教授 

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 国際数学連合が4年に1度、群を抜く業績を上げた数学者をたたえる「チャーン賞」に今夏、日本人で初めて選ばれた。数学者の道を進んで節目の半世紀を迎えた年、国際的な賞を続けて受賞した。「受賞講演会で、一般の方に自分の研究を理解してもらうのに大変苦労した」と笑う。

 東京大4年だった1968年、イスラエルのノーベル賞といわれるウルフ賞に輝いた世界的な数学者、佐藤幹夫・京大名誉教授(90)のセミナーに参加した。

 「高校まで数学は覚えるものだったが、新しいものを作るという佐藤先生の独創性にひかれて数学者を目指した。佐藤先生に受賞を伝えられてよかった」

 数学は、数字の代わりにxなどの文字を使って数の性質を探る「代数」や、図形や空間を扱う「幾何」、微分積分などの関数を研究する「解析」の3分野に大きく分かれる。

 「一度集中すると、何時間でもほかのことが目に入らなくなる。わからなかったことが自分で理解できることが一番面白い」

 並外れた探究心を武器に70年代、解析の手法を用いて、代数と幾何を結びつける「D加群」と呼ばれる理論を作り上げた。

 3分野を融合した画期的な理論は数学界で脚光を浴びた。それまで謎だった数学の難問を次々と解き明かして現代数学の一つの潮流を作り、将来は物理学などへの応用も期待される。

 数学者はひとりで思索することが多いが、約40人の研究者と共同で論文を書いてきた。
大きな壁にぶつかっても、共同研究者が別の見方を教えてくれた。恩師や周りの人たちに恵まれた」。
落ち着いた京都の街を散策しながら解法がひらめくこともあったという。

 研究意欲は衰えず、積み残していたD加群の課題に数年前、解決の糸口を見つけた。
昔ほど集中力が続かないが、なんとか完成させたい。若い人は大きな問題にチャレンジできる可能性がある。ぜひ挑戦してほしい」。
後進への期待も膨らませる。(冬木晶)

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(この顔には馴染みがあるナア。)
やっぱり数学でも一人では何もできない。グループで護送船団方式で戦う形の方が遥かに有利であろうナア。文部省や文科省に後ろ盾がいる方がいないよりずっと強い。数学研究も所詮は人のやること。金がすべてであろう。その点、俺はファラデー、マックスウェル、ヘルツ、テスラ、ヘヴィサイド、スタインメッツ、ウィーナーとか、グロタンディークとかの方が好きだな。




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by kikidoblog2 | 2019-05-12 16:47 | 普通のサイエンス

「シュレーディンガー-人とその業績」より:シュレーディンガーは真のボルツマン学派だった!?   

みなさん、こんにちは。

さて、このところ私は量子力学の古典的論文や著作を読み直しているところなんだが、その中で以下の本にであった。

シュレーディンガー―人とその業績―
シュレーディンガー―人とその業績
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これは、1987年に英語で出版。それが1989年ごろ和訳されたらしい。

残念ながら、この本を私は持っていなかった。また、どこかで見たことはあったかも知れないが、あまり関心を惹かれずに読んだこともなかったのである。

というのも、ちょうどその頃私は米国に留学中で、この本に気づかなかったようだ。ユタ大の本屋で英語版は見たのかも知れないが、その頃は、あまりに自分のPhD論文の研究に没頭していたからだろう。

あれからちょうど30年後の今、やっとこの本を知ることになって、このところ少しずつ読んでいるわけだ。

上の本は、1987年がちょうど1887年生まれのエルヴィン・シュレーディンガーの生誕100年。その生誕記念祭の記念国際学会として開かれた。その講演録のようなものらしい。

だから、著者が結構選りすぐりだった。目次と著者名を併記しておこう。

1.序論
C. W. キルミスター=編者

2.ボルツマンのシュレーディンガーへの影響
D. フラム=ボルツマンの孫→1971年ボルツマン賞受賞

3.シュレーディンガー方程式のシュレーディンガーによる当初の解釈:一つの救出の試み
ヨン・ドルリンク

4.量子ジャンプはあるか
J. S. ベル=ベル不等式のベル

5.-1平方根および複素位相とエルヴィン・シュレーディンガー
C. N. ヤン→1952年ノーベル物理学賞

6.原子・分子物理学に対するシュレーディンガー方程式の帰結
W. E. ティリング→1969年シュレーディンガー賞、2000年ポアンカレ賞

7.分子力学:H+H2から生体分子へ
M. カープラス→2014年ノーベル化学賞

8.化学反応の<軌道>による提示
福井謙一→1981年ノーベル化学賞

9.量子化学
A. D. バッキンガム→1996年ヒューズメダル

10.E.デ・ヴァレラとE.シュレーディンガー,そしてダブリン研究所
ウィリアム・マックレア卿→1976年ゴールドメダル

11.ボース粒子は凝縮するか?
J. T. Lewis

12.シュレーディンガー非線形光学
J. マッコンネル

13.40年後から見たシュレーディンガーの統一場理論
O. ヒットマイヤー1974年シュレーディンガー賞

14.宇宙のシュレーディンガー方程式
S. W. ホーキング

15.素粒子物理学の展望
A. サラム→1979年ノーベル物理学賞

16.ゲージ場・位相的欠損・宇宙論
T. W. B. キッブル→2014年アインシュタインメダル、2016年ニュートンメダル

17.量子論と天文学
M. J. シートン→1984年ガスリーメダル、1992年ヒューズメダル

18.シュレーディンガーの化学と生物学への寄与
L. ポーリング→1954年ノーベル化学賞、1962年ノーベル平和賞

19.エルヴィン・シュレーディンガーの『生命とは何か』と分子生物学
M. F. ペルーツ→1962年ノーベル化学賞


むろん、上の目次につけた表彰は私が昨日調べたものである。

まあ、翻訳はかなり苦戦した感じがあって、わかりにくい箇所もそこら中にはあるが、それでも日本語訳を出したことについては敬意を評したい。

もっと日本の物理学者は翻訳書や翻訳論文を出すべきだと思う。やはり日頃の思考形態である日本語で読んで考えることが大事だろう。英語のネイティブなら、直接英語で読めば良い。

私が特に面白いと感じたのは、フラム、ドルリンク、ヤン、福井謙一のものである。また、生命科学のポーリングとペルーツのシュレーディンガーに対する批判も実に興味深いものであった。


やはり欧米には古典力学や古典統計力学の創始者のその子孫が存在する。

シュレーディンガーの子孫もいるし、ボルツマンの子孫もいた。その一人が、D. フラム博士である。だから、自分の祖父であるボルツマンとその祖父の弟子で後にシュレーディンガーの師匠となった、フーリードリッヒ・ハーネゼールがいた。

ちなみに、マックス・ボルンの孫には、オリビア・ニュートン・ジョンがいる。

このボルツマンの一番弟子だったハーネゼールは第一次世界大戦で死去。その空席にその弟子のシュレーディンガーが職を得たのだった。

したがって、シュレーディンガーは真正のボルツマンの孫弟子にあたったのである。


実は、保江邦夫博士の数多くの著書でもそうだったが、我が国の物理学の科学史や教科書では、シュレーディンガーは無名のどうでもいいような物理学者だったが、それが量子の時代に入って、偶然が重なって、アルプスに女性と避暑中にシュレーディンガー方程式を発見して、一躍世界のトップに現れた、ということになっている。

つまり、シュレーディンガーの無名時代にシュレーディンガーはいったい何を研究していたのかあまり知られていなかったのである。

シュレーディンガー方程式を発見後は、朝永振一郎博士の量子力学やさまざまの著作やシュレーディンガーの論文集で、著名となった研究は紹介されている。

しかし、フラムによれば、無名時代の研究こそもっとも重要で、その後のシュレーディンガー方程式を生み出すための準備になっていたということである。

特に、1922年のシュレーディンガーの論文にその萌芽があったというのである。
E Schrödinger - Zeit. F. Physik, 12, 13, (1922)
On a remarkable property of the quantum-orbits of a single electron
Dopplerprinzip und Bohrsche Frequenz-bedingung

これについては、ヤンも気づいていて、この論文で初めて、exp{ieA/c}が現れ、量子力学で言う波動と位相の問題が現れたのだと。フリッツ・ロンドンはこれに感銘を受けて、その後の超電導理論に転用していく。ここからゲージ場の概念につながったとヤンは考えた。

ヤンはその分析の中で、かつてディラックがかつて1970年の講演で語った、シュレーディンガー方程式や量子力学を語った言葉を引用している。
非可換性は量子力学の真に主要で新しい着想であるのかどうかという疑問が湧いてきます。以前にはわたしはそうだと考えていましたが、最近はどうもそれに疑問を抱きはじめ、物理的観点からはたぶん非可換性が唯一の重要な着想ではなく、そこにはおそらくもっと深淵な思想が潜んでおり、我々の常識的概念のなかに、量子力学によってもたらされた何かもっと深刻な変更が迫られているのではないかと考えるようになってきました。

ですから、もし誰かが量子力学の主たる特徴はなにかとたずねたら、わたしは今やそれは非可換代数ではないといいたい気持ちです。しかるに、確率振幅は単に部分的に実験と関係しているにすぎません。その絶対値の2乗は我々が観察できるものの何かです。それは、実験屋さんたちが得るところの確率です。しかし、その他に位相というのがあります。それは絶対値1の数で、[確率振幅の]絶対値に影響することなく[確率振幅を]違ったものにし得るものです。そして、この位相は、それがすべての干渉現象の源であるがゆえにまったく重要なのですが、しかしその物理的意味ははっきりしていません。そんなわけで、皆さんもたぶんそうおっしゃるでしょうが、ハイゼンベルクとシュレーディンガーという真の天才は、本性としてまったく隠れたものであるこの位相量の存在を発見したのでした。そして、人々が量子力学のことをもっと前に考え及ばなかったのは、まさに、それ[位相量]がまったく隠れたものだったからです。


さて、最後にシュレーディンガーが真正のボルツマンの弟子だった、つまりボルツマンの思想圏に生きていたことを示すもの。それがこれである。

Sは作用、Ψは波動関数

S=K log Ψ

これは、ボツルマンのエントロピーの式、

S= k log W

のアナロジーである。

ちなみに、シュレーディンガーはコールラウシュという親友がいて、この二人で、ボルツマンのH定理の論文をドイツ語で書いている。

この中に、実はその後、ネルソンと保江邦夫らによる、確率量子化の研究につながるような、実に興味深い式も現れていた。

ヤンも気づいていたが、また保江先生もその著書のどこかで指摘されていたが、一番最初にシュレーディンガーがシュレーディンガー方程式としたものは、時間に2階の波動方程式:

H^2 Ψ=∂^2Ψ/∂t^2

だった。これを簡略化したものが、クライン=ゴードン方程式なので、シュレーディンガー=クライン=ゴルドン方程式と呼ぶこともある。

この一つが、いまいうところの、シュレーディンガー方程式:

H Ψ= i∂Ψ/∂t

である。ディラックはさらに、時間に2階微分のクライン・ゴードン方程式を時間に1階微分のディラック方程式に直した。

しかしながら、もともとの時間に2階微分のシュレーディンガー方程式を時間に1階微分の方程式に直していなかった。

これに一番類似なのが、超伝導のボゴリューボフ=ヴァラティン方程式であろうか。

要するに、負のエネルギーと正のエネルギーの両方が共存するわけである。

アインシュタインとド・ブロイの思想から導いた素朴なシュレーディンガー方程式は、超伝導のボゴリューボフ=ヴァラティン方程式のようなものだったわけだ。

それが我々の世界は正のエネルギーだけの世界だとボーアが主張していたものだから、片方だけとってシュレーディンガー方程式を導いたわけだ。

複素共役のシュレーディンガー方程式は、反物質(反電子)の方程式を表し、普通のシュレーディンガー方程式は物質(電子)の方程式を表すのか?

ところで、超電導では、粒子は2eの電子2個が対になった、クーパーペアである。

シュレーディンガーがもし超電導のBCS理論を知っていたらどう考えただろうか?

素朴に電子が何かの2個の粒子の複合体で超伝導を起こしていると考えただろうか?

この場合には、スピンは1/4のクォーターニオンになる。リーマン面は4枚になる。


とまあ、ちょっと怪しくなってきたから、今日はこの辺で。


新たなる革命前夜だろうか?



いやはや、世の始まりですナ。






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by kikidoblog2 | 2019-05-10 11:06 | 普通のサイエンス

専業主夫の教育系YouTuber鈴木貫太郎さん発見!:なんとなく俺と重なる部分があるナア!?   

専業主夫YouTuberの鈴木貫太郎さん
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みなさん、こんにちは。

さて、今回はちょっと興味深いYouTuberを発見したので、その人をメモしておこう。

鈴木貫太郎
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といえば、旧日本海軍の海軍大将、総司令官である。その司令官と同姓同名の現役、専業主夫のYouTuberである。この人である。

数学YouTuberの鈴木貫太郎さん
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まあ、今朝偶然YouTubeでこの人のアップしていた、以下のYouTube番組を見たんですナ。
なぜ、0!=1  0の階乗がなぜ1?


天才オイラーが解決した問題。奇数の平方の逆数の和にπが登場



まあ、どの分野でもそうだと思うが、努力の人、苦労して何かを身につけた人の方が、それを教える場合には、他人にもわかりやすく教えることができるようになる。だから、天才イチローが野球の名監督になるとは限らない。天才中田英寿がモウリーニョ監督にはなれないのと同じことである。

科学者や数学者の場合も同様だろう。

天才は後の天才には共鳴するものがある。しかし、凡人には天才からは得るものが少ない。

岡潔の授業で一番得をしたのは湯川秀樹と朝永振一郎だけ、残りの一般学生にはまったく理解不能だったという。そういうものだ。

それぞれ天才には天才の、凡才には凡才の持ち場、役割というものがあるわけだ。

このYouTuber鈴木貫太郎さんの教え方は実に上手。コメント欄を見ても普通の学生さんたちからはわかりやすいと絶賛されている。

そこで、どういう人なのか?と調べてみると、経歴に関するYouTubeも存在した。以下のものである。

【鈴木貫太郎さん】謎多き数学職人YouTuberの過去に迫る!【浦和高校→早稲田→塾講師→主夫YouTuber?】

これを見た限り、この鈴木さんと俺は非常に似ているナア。

まず顔も似たところがある。いま専業主夫というのも同じ。息子2人も同じ。塾講師経験者というのも同じ。俺は神戸の浜学園。鈴木さんは早稲田アカデミー。

また、むかし県の進学校のサッカー部出身というところそっくりだ。

もっとも浦和高はサッカーの強豪だったが、俺の方の甲府南は出ると負けのチームだったが、俺が入って県ベスト4の常連になったという点が違う。

鈴木さんの時代は、1981年高校入学というから、私が1974年だから、7歳ほど年下になるのかな?

浦和校サッカー部に入りたいがために、高校受験で1日14時間勉強して燃え尽き症候群になって、浦和校では落ちこぼれになった。赤点ばかり。なんてまさに昭和の進学校ですナ。

私も高校1年でサッカーばかりに集中して赤点をとったこともあるしナ。だから、1,2年のうちにどんどん成績が下がっていったというより最初からぎりぎりではいったわけだが。

俺の場合は、逆にサッカー部が終わって大学入試の勉強で、夏休みに1日14時間勉強して、その休み明けの基準テストで結果がでずに燃え尽き症候群になったんだが、その後、ラジオ講座というのを聞いて、1日1問というスタイルに変えて、ぐっと身につく勉強ができたという経験をしたものだ。

いずれにせよ、物事に一時期に徹底的に自分で納得の行くまで集中するというスタイルは共通のものがありそうだ。

その後、きっぱり仕事をやめて進路変更するとか、潔いところも私と共通しているナア。結果を恐れず、先もあまり考えずに、まずは自分のやりたいことを優先する。

実は、

物事を極める

には、こういう行き方しかないんですナ。

テレビタレントのジャニーズの中丸というタレントがいるが、永遠の初心者で終わるのは、いわゆる器用貧乏という人で、なんでもそつなくうまくこなす、それもその道のプロもうならせるほどうまくできる。がしかし、すぐに分野を変えて長続きしない人という人なのである。

中丸さんはどんなことにもチャレンジして実に器用にこなすが、いつも初心者で次へ移る。しかし、その道のプロは更にその先へ行って欲しいと思うのだが、自分は都合上そうしない。ずっとそれをしていると、若いうちはそれでも結構なのだが、ある程度年齢を重ねると、今度はついに器用にできくなる時が来る。そうなった時に、一番困るのは中丸さんタイプの人である。

なぜなら人には年齢の壁が存在するからだ。

昨日たまたまみたドラマで中丸さんも出ていたが、あまりの大根役者ぶりに驚いた。つまり、役者も中途半端な役者で終わるのだ。歌手も中途半端。どの芸もいつも初心者のまま中途半端に終わる。

それと比べて、これはと思ったのは、いだてんで役者初デビューの10種競技の達人、武井壮さんであった。彼は走るのも投げるのもジャンプも全部こなす。自称百獣の王である。いわゆる一芸を極めた人だ。それだけをやっていただけ。

しかし、逆にこういう人は、後々その気になれば、別の道も極めることができるのだ。

おそらく今後、武井壮さんは役者としてもいい役者に育っていくのではないだろうか?

物事は、まず一芸に秀でること。これである。サッカーでも、野球でも、スケートでも、英語でも、そろばんでも、料理でも、何でも良いのだ。とにかく一つのことを自分が納得するまでやってみること。これがその人を伸ばすのである。

だから、とにかく自分の得意なことや自分が好きになれることをみつけることだ。

一つでうまくいけば、それが自信になる。そして他もその気になればできるようになる。

心底好きになれるもの、一生それで棒に振っても良いと思うようなことが見つからなければ、それはそれで結構だが、その場合は、普通に生きればよろしいのである。何も問題はない。

ただ中丸さんのように、かなりの素質が備わっている人には、それを究極まで突き詰めないままで終わるというのはもったいない結果になるわけだ。多くの人が残念に思うわけだ。パティシエであろうが、スカイダイブであろうが、どれかに特化しなければ先には進めないのである。

物理で言う、対称性の破れですナ。可能性の中から、何かを選択しなければならない。そして一度それを選んだ以上、それを追求してみる。その先は、運を天に任せるほかはない。

ちょっと話がそれたが、鈴木貫太郎さんに話を戻すと、さらにいくつか面白い紹介番組もあった。むろん、別のYouTuberが撮影したものである。以下のものである。

【鈴木貫太郎】プロフェッショナル YouTuberの遊戯【なにこれ】


【教育系YouTuber】鈴木貫太郎の正体に迫る【謎の男】



実はこれはまだ先の話だが、いつかこのブログを止めた後、俺がやろうと思っているのはこのYouTuberなんですナ。一人でブロガーもYouTuberも両方同時にやるというのはかなり時間的に厳しい。だから、いずれはYouTuberとしてサイエンスの三枚おろしでもやろうかともくろんでいるわけだ。

むろん、自分で理化学塾を開くというのもオモシロイと思ってきたのだが、塾だとそこに参加した人しか見れない。講演会ビジネスもいいが、それも参加者しか聞けない。だから、ネットでYouTuberをやったほうがよろしくないか?というわけだ。

まあ、いつになるかはまだわからないがネ。


ところで、主夫というと、阿部寛のアットホームダッドでネタにされたものだ。当時バブル崩壊後の空白の20年で専業主夫になるものが増えた。

専業主夫と専業主婦の大きな違いとはなにか?

というと、やはりそこは男性、何事にもプロ化しやすい傾向がある。むろん、何事にも例外があるが、もともと高学歴なのは男性の方が圧倒的なので、専業主夫になってもそれを活かしやすいのは男の方なのである。

専業主夫の場合は、典型的な専業主婦のように、家事育児したらあとはせんべい食いながらテレビドラマをみて、。。。というわけにはいかない。

どうもこの辺が、日本政府にも理解されていないようだ。専業主夫=中高年ひきこもり、と考えているんちゃうか?

私は理研時代の数倍は学術論文や本などを出してきたし、この鈴木貫太郎さんはロードバイクレーサーやらプロ級の料理人でもある。

あまり普通の専業主婦の方では、こうなる人は少ないのでは?まあ、ケースバイケースだが。


いずれにせよ、自分の置かれた場所で咲きなさい。こういうことになるだろう。


いまやこういうふうにマスメディアが馬鹿にする一般人のレベルのYouTube番組の方が、NHKの教育番組や解説番組よりレベルが高く、信用度も高い。


いったいどうしてこんなことになってしまったのか?

YouTubeがみれれば、テレビ放送局はいらないのでは?


さて、インターネットが誕生して、プロバイダーのソフトバンクが誕生。その次は、それをいかに利用するかでアマゾンや楽天が登場した。

アマゾンや楽天が登場すると、今度はそれをいかに利用するかでメルカリのようなものが登場した。

じゃあ、YouTubeが登場したら、今度はどうするか?

要するに、ハードではYouTubeの閲覧と編集だけできるような端末テレビがあれば良いということになる。ソフトでは、誰でもすぐにYouTuberになれるもの、あるいは、YouTuberのためのアマゾンのようなものということになるだろう。

つまり、ネット上で、YouTuberの作品を売り買いできるソフトであろうか?

残念ながら、この地球上の進展とはそんな感じのものしかありませんナア。


いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2019-04-18 11:08 | 普通のサイエンス

ユージン・スタリコフ博士に乾杯!:ご出版、おめでとうございます!   

Seht, hier kann man keine Furcht mehr tragen,
selbst das Fragen haben wir verbannt,
Nur wer gläubig bleibt in solchen Tagen
hält dem gnadenlosen Schicksal stand!

See, here you can no longer bear fear
even the questions we have banished,
Only those who believe in such days
holds the merciless destiny!

見よ、
ここで君はもはや恐れることは何もない
私たちが追放した疑問さえも。
そのような恐れの日々を信じる人たちのみ
無慈悲な運命を保持するのだ!
ーーユーゲニ・B・スタリコフ
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みなさん、こんにちは。

だいぶ前にスタリコフ博士についてメモしたことがあったはず。これであった。

E.B.スタリコフさんの新著発見!?:なんと彼もインデペンデントフリーランス科学者になっていた!?

この中で、スタリコフ博士の本がもうすぐ発行されるということをメモしていた。が、ついにそのご著書がアマゾンでも公開されたようだ。4月2日刊行。以下のものである。

A Different Thermodynamics and its True Heroes
アマゾンA Different Thermodynamics and its True Heroes (英語) ハードカバー – 2019/5/5
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Description

The first and foremost general purpose of publishing such a book would be to pay the due tribute to the colleagues, whose results in the field are undoubtedly seminal, but they were and still are remaining ‘widely unknown’. Therefore, first of all, the book presents in detail the life stories of the colleagues. Moreover, learning about the combination of the contributions by all of the book’s protagonists might help motivated young researchers in their work on finally building up the logically consistent field of thermodynamics. It looks like the very first thermodynamics’ book of such a kind.

Readership

Students at any imaginable level, researchers (both academic and industrial ones). The last but not the least: A general readership interested in the History and Philosophy of Scientific Research.


さてこの本はすでにグーグルブックスでもみることができるようだ。これである。

A Different Thermodynamics and its True Heroes contents

これをみたところ、杉田元宜博士の論文や福井謙一博士の論文、そして私の論文など日本の物理学者や化学者の研究も引用してくれたようだ。どうもありがとう、スタリコフ博士。

900ページに近い分厚い熱力学の本。それも一般の物理学者が歴史の中で葬った研究者たちのアイデアをつぶさに発掘し、再構成する知性。これはなかなか私のような愚才にはできそうもない。

また、英仏独ロ西日と数か国語があっという間に堪能になってしまうというユダヤ系独特の脳みそがないと、なかなか多国籍の研究者の論文をくまなくリサーチすることは不可能である。すくなくとも英語だけで、日本語だけでも不自由な私からすれば、そう思う。

若い研究者は、来るべき世界のためにこういう不思議な魅力に溢れた本を読んで勉強すべきでしょうナア。

こういう歴史的著書に私の論文や名前も載った。それもノーベル化学賞の福井謙一博士や生物物理学会の創始者杉田元宜博士といっしょに載った。こういうのは、恐悦至極の至ですヨ。ほんと。もういつ死んでも構わないナ。

この数ヶ月は、いわゆる量子力学の散乱理論と不可逆過程の熱力学との類似性に興味を持ち、ウィーナー積分やァインマン経路積分法やネルソン保江の確率量子化法やディラックの量子力学や朝永振一郎の量子力学や小澤不等式とか、いろいろ量子力学の基礎論を勉強してきたのだが、まだまだしっくりいかないところがたくさんありますナ。

かつて朝永先生が戦時中にマイクロ波送信機の研究をしていたとき、ハイゼンベルクのS行列の論文をUボートで送ってもらって研究したことが非常に役に立ったという伝説がある。これが後の散乱理論の雛形になっていったわけだ。

散乱現象はまさに過渡的現象なのだが、系の記述は固定された閉鎖系として扱われる。一方、熱力学の過渡的現象は、つまり、不可逆過程の熱力学は、開放系として扱われる。同じ過渡的現象だが、そしてかたや量子散乱、かたや化学反応というともに一過性の現象を扱うわけだが、その扱い方が前者はギブスの量子統計力学、後者はオンサーガーの不可逆過程の理論を使う。我々は、同じような問題を量子統計力学とその拡張として取り扱おうとしてきたわけだ。このあたりにしっくりいかないところがある。

我々の持っている=知る物理学の理論にはあまたなるこういうしっくり行かない部分がある。それを無視して、例えば、ブラックホールを初めて可視化したといってもよいが、そういうまえにその土台をやはり堅固なものに変えなければならないのだろう。が、それが非常にやっかいなんですナ。


まあ、量子力学でも、拡散方程式とシュレーディンガー方程式は非常に似ているが、その厳密な関係というのがどうもまだしっくりいかないのである。ディラックーファインマンーカッツ流とネルソンー保江ーザンブリニ流では何かしっくり行かないのである。

昔の学者は偉かった。

最初にハイゼンベルクーボルンの行列力学とドブロイーシュレーディンガーの波動力学が別々に誕生したが、その後、すぐに両者のしっくりいかないところをシュレーディンガーとディラックが変換理論を作って補った。

今思えば、どうしてこういう事ができたのか不思議ですらある。

今の風潮なら、ハイゼンベルク学派はそれだけでエキスパートになり、シュレーディンガー学派はそれだけでエキスパートになり、両者は別々に発展するだけ。いつまでもそのしっくり行かない部分はそのまま残される。ディラック学派はその学派で伝承される。こんな感じではなかろうか。

考えてみれば、こういうのを統合したという意味では、やはりニールス・ボーアの存在はかなり重要だった。そして有名なソルベー会議。ボーアがいなければ(そしてアインシュタインもいなければ)、そのまま派閥で喧嘩してどれもが自分が正しいと主張して終わったのかも知れない。

最近よくこんなことを考えるようになった。年ですかナ。

いやはや、世も末ですナ。


いずれにせよ、ユージン・スタリコフ博士に乾杯。ご出版、おめでとうございます!






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by kikidoblog2 | 2019-04-15 12:34 | 普通のサイエンス

日本の物理学者特有のメンタル:「白人様の顔色をうかがう」→俺「ワイルドでいこう」   

ワイルドで行こう!


みなさん、こんにちは。

さて、昨日は4年ほど前にご逝去された南部陽一郎博士の本「素粒子論の発展」のことをメモした。

昔は良かった!?昔は日本の学者もワイルドだった!?:日本数物学会=数学と物理学が結婚していた時代!?

南部陽一郎 素粒子論の発展
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(あ)湯川ー坂田モード:新法則→新粒子の発見=実在論(唯物論)
(い)Einsteinモード:新法則→新原理の発見=形而上学(メタフィジクス)
(う)Diracモード:新法則→新数学的美しさの発見=数学的審美性(数学)


の研究の分類の話。それと、坂田の物理理論の発展段階の話である。

坂田の発展論とはこんなもの。

(0)新現象→(1)現象論→(2)モデル構築→(3)決定的理論 
   ↑                         ↓
    ←←←←←←←(4)(0)に戻る←←←←←←←←
                 

この理論発展の堂々巡りを繰り返しつつどんどんより細かい新粒子の理論を作っていく、というものらしい。

そして、歴史は坂田の言う通りの発展をしたのだった。

これが南部陽一郎博士の主張。


この本の前半の主題は、素粒子論の独特の発展形式を要領よくまとめたことにあるかもしれない。個々の理論は原著論文で数学を学ぶ他ないが、大きな見方、鳥瞰図、大局的観点で自分たちがやっていることを冷静に見るということが見事にできているというのも、南部博士の特徴かもしれない。

ところで、先程まで見ていたんだが、この南部博士の追悼論文集もフリーで見ることができた。以下のものである。
2016年
12月号 特集論文 現代物理学の予言者としての南部先生 III
7月号 特集論文 現代物理学の予言者としての南部先生 II
6月号 特集論文 現代物理学の予言者としての南部先生 I 


さて、問題は何か?

というと、やはり「我が国の科学、および物理学は、欧米の顔色をうかがいながら行っている」ということに尽きる。

将棋や囲碁でも、相手の戦略がよくわからない場合、盤面を見ても予測できないから、ときどきちらっちらと相手の目線の先を見る。

すると、いま相手がどの辺を見て作戦を練っているかおおよその見当がつく。しかし相手にこちらが見ていることを気づかれてはいけないから、盤面を見ているふりをしながらちらっと見るわけだ。

我が国の科学もこれとまったく同じで、いつも欧米人やユダヤ人がやったこと、やっていること、やりそうなことなどをちら見しながら研究してきた、しているということである。

これが我が国の科学の伝統にまで昇格しているとさえいうことができるかもしれない。

この点においては、DNAにまで刻まれてしまったかも知れないほどだ。

まあ、悪い言い方をすれば、「いつも白人様の顔色をうかがっている」ということだ。

いまの日本の官僚はジャパンハンドラーズの顔色ばかりみて施策している。ジャパンハンドラーズが何様なんだ???ということにはならない。

南部とてこの例外ではない。このあたりがかなり個人的には残念な部分かもしれない。

かつて明治時代はそうではなかった。まだ侍や寺子屋や住職や神主の子孫がいて、彼らは西洋人の考える科学の考え方や見方や知識のそれぞれにクレームをつけた。そして論戦に持ち込んだ。

ずっと前のフランシスコ・ザビエルに論戦を挑んだお百姓さんのようなものである。

翻って現代に戻れば、そういう明治時代に西洋の科学者に大反対した日本の住職や神主の論説の方に現代の科学の知識が近づいてきているのである。

いまの日本の学者にはこういう部分がない。西洋の学者の言うがままだ。その手のひらで活動する。CERNしかり、カミオカンデしかり。

だから、逆に言えば、ノーベル賞がとれるのである。


ところが、やはり西洋は科学を生み出した場所であって、科学が生まれる前からその独特の伝統が残っている。

その一つが「神秘主義」というやつで、いまもオカルト的な意味の神秘主義の文化が残る。保江邦夫博士の自伝本によれば、欧州にはいまも魔女の子孫がいるし、いまもエクソシストもいるという。

こういう伝統は一方で悪しきものも生むが、一方では、正統派に対する独自路線というもののありがたみというものも生むわけだ。

だから、教会側の正統派がなんと言おうが自分の信じる思想を大事にしようという精神も生まれた。

いまでは、最小作用の原理だとか、最大原理だとか言われる物理の金字塔の考え方も、そういうキリスト教的な神の根拠を探索するという精神から生み出されたものである。

ところが、こういうものがわが国の科学者には存在しなくなってしまったわけだ。

だから、西洋ではいまもニコラ・テスラの思想やファラデーやマックスウェルの思想を頑なに追求し続ける人なんていうものが存在する。

そうしているうちに、南部陽一郎博士もいっていたように、昔に死んだアイデアもまた蘇ることがあるわけだ。今風に言えば、物理のゾンビ概念が復活するわけだ。

ニコラ・テスラの信じたエーテル宇宙。これは今復活してきている。むろん、南部先生のような標準物理の表の物理の側でも、エーテル(=イーサ)概念は「場」「真空」「基底状態」とかさまざまの呼び名がついて復活している。

しかし、電磁場の相互作用がゲージ変換することにより、クーロン力と横波電磁波の世界に変換できるように、イーサの見かけは数学的変換で変換できる「架空」のものであるという見方に毒されている。

ところが、西洋の中には、いろいろ自分で実験してみると、そういうイーサも電気力線や磁力線も架空の数学的存在ではなく、量子化された実体をともなう物理量なのだ。そう考えた物理学者もかなりいたのである。

いちばん有名なのは、ニコラ・テスラと同時代に生きていたケルビン卿やスタインメッツであろう。

有名なスタインメッツの交流理論では、1電圧の定義は、金属が1秒間に1億本の磁力線を横切って生まれる電気力とある。

つまり、運動する金属が速く運動すればするほど1秒の間に切る磁力線の数が増えるから電圧が増すのである。

ケルビンは、コイルにイヤホンをつけて磁力線の中で動かしてみろ、音は連続的にジ〜〜となるのではなく、ジ、ジ、ジ、。。。と離散的に聞こえる。だから、磁力線は離散的に存在するものであると主張していたのだ。


ところで、南部先生の記述の中にも、「Diracの発想は天才的だ」だれも思いつかないことを思いつく、というような事がしばしば書かれている。量子力学が生まれた時代は、これを称して「ディラックのアクロバット」と呼んだものである。

ところが、よくいろいろな当時の文献を調べていくと、実はイギリスならではの伝統というものがやはりその背後にあるわけだ。イギリスは大英帝国だった。さらには、ニュートンがいたのである。その時代からの蓄積が大英図書館には存在する。

やはり伝統の力、特に、科学の伝統の力が働くのである。

たとえば、Diracのδ関数は、すでにN. Wienerの一般調和解析で無数に常識的使用されていた。いまでは当たり前になったが、被積分関数をδ関数で書くというようなことは、ウィーナーの論文がルベーグ積分を簡略化して書くという場合に使っていたわけだ。

また、オリバー・ヘビサイドの後継者もディラックではなくウィーナーだった。ウィーナーはアメリカ生まれだが、14歳でハーバードに入り、18歳で博士になったウルトラ早熟天才ユダヤ人だった。そして、学位を哲学でとったあとすぐにケンブリッジのバートランド・ラッセルのもとで研究生活に入った。

そこには、ホワイトヘッドやインドのラマヌジャンの師匠になったハーディとリトルウッドもいた。むろん、我が国からも留学している。ディラックがいつも図書館の薄暗い場所で本や論文を読んでいたのを目撃している。

そのウィーナーはヘビサイドを心の師匠として崇めていたという。ヘビサイドの伝記を出版しようと本まで書いたほどである。

実際、ヘビサイドの演算子法を拡張した論文を書いている。

だから、古典力学を演算子的に見直すというのもまた特にディラックが専売特許ではなく、イギリスのヘビサイド、ウィーナーの演算子法の伝統がそこにあったわけだ。

行列もそうだし、なにより、ディラック方程式の形式は、イギリスの大数学者ハミルトンの四元数の形式そのものだから、これもイギリスの数物界の伝統をくんでいるのである。イギリス人の数理科学者ならだれでもハミルトンの四元数は知っているはずなのである。

トポロジーの概念から生まれたモノポールは今の公式にはディラックが生んだようにいっているが、ヘビサイドの電磁気学の3部作には、マックスウェル方程式は電荷と磁荷に最初から対称的にかかれている。むしろ、他の物理学者から、最近の実験では、電荷だけ見つかって、磁荷はないそうだよと意見されている。

だから、ヘビサイドはしぶしぶ磁荷を消すために、Div B=0を置いている。

だから、これもあくまでイギリスの伝統に乗っていただけで、ディラックのオリジナルではないし、古くはファラデー、マックスウェルにも遡る。彼らもまたイギリス人だ。

というわけで、「ディラックの天才はどうして生まれたか?」わからない、なんていうのは嘘。それはイギリスの歴史を知らなかったからに過ぎないのだ。

だから、というわけではないが、ノーバート・ウィーナーはシュレーディンガーとハイゼンベルクに対して非常に評価したが、ディラックについてはまったく無視したという歴史が残っている。

それはそうだろう。イギリスが誇る天才、ハミルトンもヘビサイドも引用せず、全部自分ひとりでやったかのように書いていたからだ。ましてや、ウィーナーの業績をことごとく無視したか盗み取ったわけだ。

ウィーナーからすれば、ディラックは盗人にすぎなかった。と俺は思うヨ。

だから、だれもディラックがどうしてそれを発見したのかわからなかったのである。

誰かのものを参考に盗んだから、突如として生まれたかのように見えたのである。


ところで、そのヘビサイドの時代、イーサはまだ存在するものとして理論が建てられていた。

一説では、つまり、巷の本では、マックスウェルの理論を簡略化したのがヘビサイドかのようにあるが、俺の本にもそう書いているが、実際には、ヘビサイドをさらに簡略化したのがギッブズであった。いまの大学の電磁気学、南部先生のいうゲージ場理論の元祖のマックスウェル方程式はギッブズのものだったのだ。

ヘビサイドは、イーサを現実的に様々の条件で考えて計算していた。

例えば、イーサの中の電子の運動では、イーサが生み出す音波がいまの光だから、電子が光速度より速く動く場合と遅く動く場合とをわけて計算している

おもしろいのは、今の電磁気学では、ファラデーの電磁誘導の法則には二種類あった、ということが無視され、ファラデーの電磁誘導の第二法則だけがファラデーの電磁誘導の法則と書かれている。

第一法則は、電場は、運動物体の電荷に関係なく、v✕B、すなわち、E=v✕Bの法則のことで、マックスウェル以来この項が、curl Eの中に入っていたのである。つまり、curl (E -v✕B)=-∂B/∂tとなっている。同様に、curl (B - D✕w)=∂D/∂t+Jとなっている。DはD=εEである。

これを普通に計算すると、おもしろいことに、c^2=(V-v)(V-w)となって、この解のVはイーサの波の速度となる。cが運動物体とイーサの運動がないときのイーサの速度=光速度(真空)である。

すぐにわかることは、この場合、光速度より早い波と遅い波の2つが存在するのだ。

これと似たことがドイツのS. Giemensの論文にもあり、この場合、電気力線と磁力線の速度をv_e、v_mとすると、磁力線の速度は光速度を超えることになる。こんな計算を1930年代に行っている。


何を言いたいかというと、イギリスや欧州には、こういったその当時の著名人のお蔵入りになったご託宣や計算の数々がちゃんと書籍になって出版され、それが大学の図書館の中にきちんと管理されているということなのだ。だから、後のディラックでもこっそりヘビサイドの怪しげな本を読むことができる。図書館の暗闇に紛れて。

翻って、我が国では、1960年代でも1970年代の良書や教科書でもどんどん大学や高専が廃棄処分で売っぱらった。これでは、次世代の大発明も大発見も生まれないのだ。

ゾンビ、お蔵入り、こうなった昔の知識の中にも、非常にいい線いっていたが、その当時の技術ではどうにもならなかったというようなものも多く存在するのだ。バベージの計算機なんていうのはそういうものである。だから、イギリス人の中にたまにチューリングのような人物が出てくるわけだ。

フェルマーの最終定理を証明したA. Wilesは図書館でこの問題を子供の頃に読んでいつかこれを証明しようと決心したというし、やはりワイルズもイギリス人である。そこにはさまざまの間違った試みだった本もあるはずである。

間違うことは恥ずかしいことではない。すくなくとも、通説とは違う方向が良かったのか、悪かったのかの実証としての意味がある。後輩たちが同じ過ちをしないようにすむ意味では意義があるわけだ。

そして一度は滅び、死んだかに思われたアイデアがゾンビのように生き返る。そういうことは、南部がいうように、正統派の表の科学にもある。

だからこそ、裏の科学、オカルト科学であれ、それはそれとして、作品や論文や本は歴史に残していかねばならないのである。ひょっとしたら、だれかがそういうものの中から真理を発見する日が来るかも知れないからだ。

これをショーペンハウエルは言った。

真理は間違ったことからも生まれるが、間違いは真理から生まれることはない、と。

御意。まさに正論である。

だから、間違った行為でも何でもかんでも禁止する、妨害する。こういうことはタチが悪い。


南部の理論を読んですぐ分かることは、現代の素粒子論は、物性論である。超伝導理論の焼き直しにすぎない。超電導は固体物理である。しかし、世界には生命が存在するのだ。

だから、普通に考えれば、もし生命の理論ができれば、素粒子論者は他にいいアイデアがなければ、当然生命体の理論を使うようになるはずである。

すでにラビオレッテ博士は、複雑系や開放系の理論を素粒子理論に用いているわけだ。

かつて南部が「乱流するエーテル」を考えて、超ひも理論をイメージしたように。

エーテルが固体のようなものや液体のようなものであるとは限らない。いくつかの成分があり、それらの反応で変化するかもしれないわけだ。そして生命体のように真空も動的平衡を維持しているのかもしれないわけだ。

いまでは、邪道、異端、無意味と思われる理論やアイデアも昔の死んだ概念と重なってゾンビとなる可能性もあるわけだ。

こういうワイルドなやり方は白人様の顔色をうかがっていてはできないのである。

欧米人に特有の面白い特色は、NWOやCIAに殺害されようがお構いなしでどんどん真実を追求する強い魂を持つ研究者がいるということである。この点だけは日本人はあまり芳しくない。なかなか真似ができない。

もうすでに数百人が殺されたのではなかろうか?

それでも、地球は回転するのだ。

イーサは存在し、光速度より速く動く波も存在する。物性論ではそれがスピンと電荷の分離という現象で起こるスピノン波である。スピノンは電子の半分の性質を持つ。

モノポールがもし光速度以上の速度しか取れない粒子だとすれば、それは我々が見ることはできないだろう。つまり観測にかからないのである。1個モノポールが生まれると、それは光速度以上だから、あっという間に我々が過去に発した光の先まで突っ走る。つまり、過去を見ることも可能だろう。過去に行く。

いずれにせよ、いまは次なる革命の前夜である。

テスラ二世は出てくるか?


まさにワイルドで行こうである。





いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
ところで、最近こんな話題が脚光を浴びているとか。これについてはまたいつか。
「時間の逆転」を量子コンピュータで実現!「マクスウェルの悪魔マシン」が誕生か?




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by kikidoblog2 | 2019-03-16 14:26 | 普通のサイエンス

昔は良かった!?昔は日本の学者もワイルドだった!?:日本数物学会=数学と物理学が結婚していた時代!?   

湯川論文
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みなさん、こんにちは。

さて、また物理科学に関する個人的メモ話だから、普通の人はスルーを。時間の無駄だろう。

ところで、最近例の

悲報「最近の院生はセミナーを聞かず」:久しぶりに神戸で物理の講演したんだが。。。!?

でメモした、
南部陽一郎 素粒子論の発展
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を読んでいるわけだが、実に興味深い話が出ている。

(あ)湯川ー坂田モード:新法則→新粒子の発見=実在論(唯物論)
(い)Einsteinモード:新法則→新原理の発見=形而上学(メタフィジクス)
(う)Diracモード:新法則→新数学的美しさの発見=数学的審美性(数学)


の研究の分類の話。それと、坂田の物理理論の発展段階の話である。

坂田の発展論とはこんなもの。

(0)新現象→(1)現象論→(2)モデル構築→(3)決定的理論 
   ↑                         ↓
    ←←←←←←←(4)(0)に戻る←←←←←←←←
                 

この理論発展の堂々巡りを繰り返しつつどんどんより細かい新粒子の理論を作っていく、というものらしい。

そして、歴史は坂田の言う通りの発展をしたのだった。

これが南部陽一郎博士の主張。


そこで、この時代の一番最初の起こりが、湯川秀樹の中間子論や坂田昌一のニ中間子論である。これらの論文は太平洋戦争中に書かれたために我が国の雑誌に公表されざるを得なかった。

そんなわけで、前からずっとこの時代の論文が手に入らないものか?と私は思っていたわけだ。

ところが、インターネットは1996年に開闢。それ以来日本物理学会のサイトを見ていたんだが、すべて有料。会員でない限り、あるいは、お金を払わない限りそういう論文を閲覧できない。非常に残念だなと思っていたわけだ。


一方、ここ2,3年かかりっきりになっている我が国の不可逆過程の熱力学の創始者であった杉田元宜博士の論文もちょうど同じ時代に書かれていた。だから、つい最近までそれを調べることもできなかった。だから、論文がほしい時は知人や友人に頼んでダウンロードしてもらう他なかった。

しかし、また、故一柳正和博士の
不可逆過程の物理:日本の統計物理学史から
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(1999年日本評論社)
を読むと、1930年代から1960年代こそ、

我が国の線形応答理論に至るもっとも重要な時期だったことがわかるわけである。それも大半が日本語で書かれて公表された。多くは、物性論研究に公表された。

そんな中でも初期には、杉田元宜博士の論文や坂井卓三博士の論文のように、やはり日本の科学研究雑誌に掲載されたものがあったというわけだ。

それで、ここ最近そういう論文を見てみることにしたところ、なんと無料でダウンロードできるようになっていた。こえである。

戦前論文アーカイブ

日本の数学会と物理学会は、戦前では数物学会といって、両方一緒になっていたんですナ。だから、研究雑誌も数学者も物理学者も同じ雑誌に論文を公表したのだ。だから、実に面白い。物理の実験の論文の前に数学の論文が出ていることもある。

そこで、ものはついでと、戦前の論文集を全部最初から眺めてみることにした。まだ数が少ないからそういうことができた。今のように論文数がネット検索しないといけないほど多くなるとそういうことが不可能だ。

戦前の我が国では、数学者も物理学者も実に少数精鋭だった。

杉田元宜博士の論説文には、こうあった。

「1970年」の杉田元宜博士の予想:「物理学者の異常発生」

(い)戦前の物理学出身者の数について

物理教室も、私たちの頃は、東北大、東大、京大の3教室で全部で60人くらいだしていたのが、今日では国、公、私をあわせると3000人に近い卒業生を出している。


旧帝大に各20人。仮に4学年あったとすれば、各学年で5人。一学年だとすれば、各学年で20人程度。

こんな数だったのだ。毎年東大に物理専攻は20人しかいなかった。

そんな時代に数物学会というものがあった。


さて、ちょいと眺めてみた結果、意外な事に気がついたのである。

(あ)1930年までは研修時代

1930年くらいまでは、洋物の論文、つまり、海外の著名な物理学者の論文が、日本語に翻訳されて出ていたのである。むろん、英独堪能の杉田博士もドイツ語の論文を日本語に翻訳し、それを数物学会誌の研究論文報告として出していた。

この時期、物理では海外特に、英米の英語論文、ドイツの独語論文などが日本語訳されている。その中には、アインシュタイン、シュレーディンガー、ディラック、ハイゼンベルク、ボルンから、アメリカの半導体の父ウィルソンの論文もある。

上にメモしたように、同時に数学の論文もある。数学では仏語も翻訳されたわけだ。ファツー、ジュリア、ヴェイユ、。。。などの論文も翻訳されている。

おそらく岡潔もこの論文誌を読んでいたことだろう。

(い)1930年から日本人のオリジナル論文がで始めた。

そして、1930年頃を境に、徐々に日本人の数学や物理のオリジナル論文が出るようになる。

そして、しばらくすると湯川と朝永と坂田の時代に入っていく。それが1930年代後半から1940年代である。大東亜戦争の真っ只中に入る。

つまり、大正の時代までは、我が国の数学や物理学はまだ一種の見習い研修期間のようなものだった。それが、昭和初期に入って、徐々に日本人自らの手でオリジナルの論文が出せるまでに発展したということのようである。

大正デモクラシーの成果なのかもしれない。「科学のための自由な楽園」こと理化学研究所と「天才のための極秘の研究所」と言われた小林理学研究所の時代に入ったからかもしれない。

いずれにせよ、1930年が分水嶺だった感がある。

(う)論文形式が古典的で読みやすい。

もう一つ興味深いのは。まだその時代は。欧州の数学グループのブルバギができていなかったのか、数学の論文もオイラーやワイエルシュトラスの論文のように、古典的な記述が中心の書き方がなされ、我々でも実に馴染みやすいのである。要するに、アローマティマティックスこと、→だらけの記述がない、ということである。

同様に理論物理学の論文も、実に古典物理学的で読みやすい。アインシュタインの論文のように、あまり現代数学を使わない感じの記述の論文だが、内容が実にユニークである。

この時代の日本人は、今と違って、あまり物理や数学の様式美にとらわれていなかったわけだ。

つまり、まだ湯川ー坂田モードかEinsteinモードの段階で、Diracモードのものはあまりなかったからかもしれない。

(え)発想が大胆だった。

しかしながら、Diracの論文が出た直後に東大の坂井卓三博士はDirac方程式の論文を書いている。

柿下彦太郎博士の「空間の量子化」という論文まで存在した。

私は昨日まで知らなかったが、柿沼という博士がいて、その人は電子の構造の論文を一般相対論から作ろうとしていたようだ。実に斬新な発想である。

藤原咲平博士のように「2つの渦の衝突実験」なんていうものまであった。これは戦後だいぶ経って高橋秀俊博士が独立に似たような実験を行った。

数学では、E. Landauの素数定理の証明の論文も翻訳されていた。萩原雄祐博士によるポアンカレの再帰定理の論文もあった。

中には寺田寅彦といっしょに研究していた人の論文もあった。

なんとなくあの帝都物語の雰囲気が残っているところが面白い。


それが、1945年すぎると、この時代に活躍していた欧州の科学者や数学者が、ユダヤ系はヒトラーの迫害から逃げ、ドイツ系はブッシュシニアの親父のプレスコット・ブッシュのペーパークリップ作戦やオデッサ・ファイルでアメリカに流れ、秘密のデープステートの研究員、つまり、ジェーソンファミリーになっていく。

こうして、朝永と同時受賞となる、シュウィンガーとファインマンにより、やっと米国産の物理学者がノーベル賞を取る時代へ入っていったわけだ。

そんな時代に若き南部陽一郎博士が、湯川坂田朝永の薫陶とともに、米国へ移住する。まあ、軍事であれば、一種の二重スパイのようなものだろう。が、戦後はアメリカは日本には寛大だった。いまの米中なら南部先生もザン教授のような結末だったかも知れない。

そしてついに南部先生はノーベル賞もお取りになられて幸せのうちにご逝去された。要するに南部先生は運が良かったわけだ。


とまあ、我が国の物理の発展、数学の発展もすべては、戦前の数物学会の努力の賜物だったのだ。当時はみな独学で論文を読んで研究した。ろくにまだ量子力学の教科書とか量子統計力学の教科書というようなものはなかったからである。

まあそれが良かったという面もある。

いずれにせよ、彼らが戦後の日本の学者のための教師になっていった。

この意味では、やはりそういう先人の努力には感謝する他ないのでは?


はたして今の我々の努力は、後の人たちにより感謝されるのだろうか?




いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2019-03-15 17:31 | 普通のサイエンス

ムー4月号はヴェンターの「人工生命の誕生」:ついに白人は禁断の領域に踏み込んでしまったのか!?   

クレッグ・ベンターのコラージュ法
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みなさん、こんにちは。

いや〜〜、やはりたまにはちっぽけな書店にも行って見るものである。

最近、保江邦夫先生のHPから新著発売のニュースが出ていた。それで、ひょっとしたら、タイトルからして、例の天皇の祝詞効果の話が出ているのかも知れませんナ、と注文しにいったのである。

というのも、小書店も本を買ってあげないと、みなアマゾンによって絶滅されてしまうからである。そんな地球防衛軍のような気分で、地方書店防衛軍の隊員として、最近はアマゾンを使わないで、書店注文をするようになったわけですナ。

アマゾンはたしかに早い。2〜3日で到着する。しかし、郵便屋さんやクロネコヤマトの職員が大変だ。重要な高い本かと思っていると、1円本だったりするわけだ。おれらたった1円の本を配達させられていたのか?という案配だからである。

さて、問題の保江先生の新著とはこれ。
2019.03.09 事務局より新刊のお知らせ
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そのついでに、雑誌ムーを見てみると、なんと驚くべき記事発見!つい買ってしまったヨ。

なかなか良いツボをついてきますナ。これだ。
「三面大黒天」開運符とカタカムナのクスリ絵の豪華2大特別付録付き!!
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(最近のムーはますますコロラドデンバー国際空港的なイルミナティ暗黒面の絵になってきているナア。)


ところで、私がどの記事に着目したか?

むろん、これである。

禁断の最新科学 人工生命体の誕生

このタイトルを見てすぐにピンときた。これは絶対にクレッグ・ヴェンター博士の研究のことだな、とナ。

というのも、すでにだいぶ前にここにメモしたからである。これだった。

ヴェンター博士「マイコプラズマのサイボーグを作りだす!」:俺「生命の水素原子はマイコプラズマか?」

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問題の論文がこれ。

Design and synthesis of a minimal bacterial genome


このユタ州出身のヴェンター博士、米国でも異端中の異端。

実にワイルドな科学者である。

すでにヒトゲノム計画をあっという間に終了し、すでに地球上の大半の生命のDNAの全解読を終了。

人でも白人、黒人、赤人、黄人、青人、。。。と全人種のDNAを解読終了。

未公表でだいぶ多くのDNA全情報を個人的に収集しているとか。ヴェンター・バンクあるいはヴェンター・ライブラリである。

だから、西洋人と東洋人との違いも全部解読済みというのである。ほとんど問題がこじれるのを避けて未公開。

ちょっとした事実を言っても、人に関することはダマスゴミが大騒ぎするからである。

噂では、やはり西洋人と東洋人とはエイリアンと地球人ほど違うらしい。

そんなわけで、しばらく前から、ヴェンター氏は生命の起源の研究に矛先を変えた。

ところで、このヴェンター博士の研究所は、我が国の理研よりも規模が大きい。全世界の大学が束になってもかなわない。

なぜか?

というと、研究がDNAだけに特化しているからである。

まさに織田信長戦法だ。桶狭間の戦いである。

相手は、いろんな分野のショーウィンドーの大名行列のようなものだ。今川義元である。

だから、その中のDNA関連の生命部門だけに一極集中すれば、ハーバード大であろうが、ロスアラモスであろうが、東大であろうが、マックスプランク研究所であろうが、理研であろうが、勝算はある。

所詮は大会社であれ、大大学であれ、その研究部門はせいぜい数名か10数名に過ぎない。

だから、それを数十人から数百人でやれば、勝てるわけだ。

ヒトゲノムだけを集中してやる。

そのためには、DNAシークエンサーを何百台も集め、各装置に1人ずつ当て、そこにDNAの断片一部を配分する。そうやって集めたDNAの断片の配列情報を中央のスーパーコンピュータで一気に再配列する。

これが、いわゆる「ショットガン法」である。

世界の工場となった中国の工場がいかに強いか?

それは、広い工場に1万人が働き、1人1人が同じものを作れるからである。1人が一日に1台つくるだけでも、日に1万個の製品が誕生する。これでは、いくら優秀な技術者が日本にいようが、一人で1日1000個作っても勝ち目がない。実際にはせいぜい数個だ。

ヴェンターのアイデアは中国の共産党が考えたことと同じである。


そして、今度は、生命の作成に取り掛かったわけだ。

相手は最小の生命体。つまり、マイコプラズマである。

このマイコプラズマの全遺伝子配列など数万個。ヴェンターの研究所にすれば、おちゃのこさいさいだ。

問題は、それをどうやって減らすかである。

ちょうどiPS細胞のキー遺伝子の数を減らして最低限4個の注入で、細胞が初期化できたように、

いったい最低限何個の遺伝子セットがあれば、生命が維持できるのか?

これを解明したわけだ。

結論は、

473個

だった!

最小の生命体を維持するのに必要な遺伝子セットの数は473個にすぎなかった。

実はこういうことを正確に予言していた男がいた。

それが、あのジョン・フォン・ノイマンだった。

フォン・ノイマンは、死の直前まで「自己複製マシン」の研究をしていた。その研究の中で、自己複製する装置があるとしたら、適度に複雑で適度に簡単な、最低のパーツ数があるに違いないと予測していたのである。この本である。

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天才、自称他称「火星人」のジョン・フォン・ノイマンは理論を完成できずに死去したのである。


クレッグ・ヴェンターの人工マイコプラズマの作成はこれをほぼ証明したと言えるのである。

ところで、いまこの辺でかなり大きな地震が来たゾ!午後1時50分頃だ。P波が長く、S波が短かったから、自然地震だろう。震度4くらい。

さて、そのヴェンターよりはるか前にマイコプラズマの遺伝子セットについて非常に正確なことを書いていた人がいた。それが、我が国の京都大学の生物学者の丸山圭蔵博士だった。

博士は、最小の遺伝子はおそらく約280個と見積もっていた。

今日は俺の生誕60年:還暦祝いの「た・わ・ご・と」一発!:いかに生命体を計算するか?

生命―永遠を志向するもの
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生命とは何か
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問題は、そのムーの記事にもあるように、まだ未知の遺伝子、つまり、働きがよくわからない遺伝子セットが

149個

残っている。

つまり、働きが解明されたものは、473−149=324個。

この数は、丸山博士の見積もりとほぼ同一である。40個程度の違いしかない。丸山博士は未知の遺伝子が生命維持に重要だということはあまり良くわかっていなかったから、ハード面の働きから遺伝子セットの数を見積もらざるを得なかった。

ムーの記事の作者は、この未解明の遺伝子セットに「進化遺伝子」だと自分勝手に憶測を付け加えてしまったが、まあ、矢追純一と同じで、そこで自分の色をつけるから記事の価値が眉唾になってしまうわけだ。こういうことは必要ない。

この問題は、西洋世界でも結構古くからある哲学的問題につながるのである。

いわゆるホルンクルスの説である。これは、ライプニッツの時代にも遡る。

生命個体が生殖細胞でできるのなら、その生殖細胞の中には人間個体のすべての情報が入るはずだ。その生殖細胞には生殖細胞の作り出す情報も入っているはずだ。もし生殖細胞に染色体があるなら、その中には人間の全情報も生殖細胞の情報も全部入っているはずだ。その染色体に人間の情報も生殖細胞の情報も入っているなら、その内部のDNAの中には、人間の情報も生殖細胞の情報もDNAの情報も全部入っているはずだ。そのDNA情報の中には、DNAの構成もすべて入っているはずだ。

とまあ、フラクタル的に

内部の中に内部の中に内部の中に、。。。内部の中に。。。

永遠に続くのではないか?というわけだ。一番右の。。。のその先は、素粒子の中の内部から、その内部にまでずっと続くはずだ、つまり、この宇宙の全情報は、その究極の粒子の内部に入っていなければならない。
これが、ライプニッツのモナド論である。


さて、ヴェンターのマイコプラズマの研究は、どことなく、犯罪者がだれかの手紙や文章を切り刻んで、その文字を使って再配列して新しい文章を作り出す、というのに似ている。

そうやっても意味のある文章になったとき、その配列は生きているのである。

しかし、その文字の中には、どうしてもどうしてそれが必要なのかわからないものが存在する。

それがまだわからない問題だということである。


ところで、ヴェンター研究所では、こういう研究はすでにトヨタの自動車工場のようにロボットを使ったオートメーション工場のように行っているのである。だから我が国の理研であろうがどの大学であろうが勝ち目がない。

B29を竹槍で落とすようなものである。むろん、iPS細胞の山中博士の京大の研究所はやっていない。


現実はSFより奇なり!


果たして自然はヴェンターの知能より高いのだろうか?あるいは、ヴェンターの知能より低いのか?

これは今後に乞うご期待である。


ところで、そのムーの記事には、米軍産複合体のイルミナティーの生物兵器の研究の話もある。

DARPAのスーパーソルジャー計画である。

要するに、遺伝子改造した超人類を戦闘兵器として使用するというものである。

最近のチャイナの高知能、高耐性の人造ベイビーの話もある。

すでに遺伝子編集は次の段階を経ているのである。

クリスパー・キャスナインという技術らしい。

それを発明したのが、いずれノーベル賞を取るという、アメリカのジェニファー・ダウドナ博士とスウェーデンのエマニュエル・シャルパンティエ博士である。

いや〜〜、この分だと、EBの予言のように、生き残った地球人はグレイエイリアン化していくのかも知れませんナ。


いずれにせよ、我が国はiPS細胞とか、長寿とかそんなことばかり、健康科学ばかりやっているうちに、人類の哲学的問題に関わるような面白い問題は全部アメリカ人に解明されてしまうんちゃうか?



いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2019-03-13 14:30 | 普通のサイエンス

訃報:マイケル・アティヤー博士逝く!享年89歳。ご冥福をお祈りいたします!   

Sir Michael Atiyah Riemann Hypothesis Proof Interview Heidelberg Laureate Forum 2018


みなさん、こんにちは。

今日私の師であるBill Sutherland先生からメールが届いた。この先生は筆不精でめったにメールなど送らないというタイプの人なんだが、実に重要なメールであった。

昨年、リーマン予想を解いた数学者が現れたという話をメモした。これである。

ダイソンの妄想と俺の妄想:リーマン予想からABC予想まで。「数学は一つ」かも!?
グロタンディークやダイソンが言いたかったこと!?:俺「自己創造する代数多様体の研究」だろうナア!?
望月新一のABC予想の解決とマイケル・アティヤーのリーマン予想の解決はどことなく似ている!?
ダイソン先生が「リーマン予想と1次元準周期系が関係ある」といったわけ!?

その話の主人公の一人が望月新一博士であり、もう一人がマイケル・アティヤー博士であった。

そのメールとは、このアティヤー博士がご逝去されたという訃報であった。

これは数理物理学会のかなりの大ニュースである。

なにぶん、おそらくいまではスーパーストリング理論や関連の微分幾何的な数理物理の世界で生きている、つまり、飯を食っている人は非常に多いはず。そういう数物分野を生み出したのがこのアティヤー先生だったからである。

その最初が、いわゆるアティヤーージンガー指数定理(Atiyah-Singer Index theorem)というものである。

理論物理で言えば。甲元真人先生の師匠であったレオ・カダノフ(Leo Kadanoff)先生にあたるような人である。

そんなわけで、その訃報を一応ここにもメモしておこう。これである。

Michael Atiyah, Mathematician in Newton’s Footsteps, Dies at 89
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Michael Atiyah, center, and Isadore M. Singer receiving the Abel Award from King Harald of Norway in Oslo in 2004. The Abel is one of the top honors in mathematics.

By Julie Rehmeyer
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Jan. 11, 2019

Michael Atiyah, a British mathematician who united mathematics and physics during the 1960s in a way not seen since the days of Isaac Newton, died on Friday. He was 89.

The Royal Society in London, of which he was president in the 1990s, confirmed the death but gave no details. Dr. Atiyah, who was retired, had been an honorary professor in the School of Mathematics at the University of Edinburgh.

Dr. Atiyah, who spent many years at Oxford and Cambridge universities, revealed an unforeseen connection between mathematics and physics through a theorem he proved in collaboration with Isadore Singer, one of the most important mathematicians of the last half of the 20th century.

His work with Dr. Singer, of the Massachusetts Institute of Technology, led to the flowering of string theory and gauge theory as ways to understand the structure and dynamics of the universe, and has provided powerful tools for both mathematicians and theoretical physicists.

“He has heavily influenced the whole contemporary development of how math and physics have interacted,” the physicist Edward Witten, of the Institute for Advanced Study in Princeton, N.J., said in an interview for this obituary in 2015. Dr. Atiyah spent a good part of his career at the institute.

Newton and his contemporary Gottfried Wilhelm von Leibniz established the first major bridge between mathematics and physics by creating calculus and showing that it could describe physical attributes like velocity and acceleration. Dr. Atiyah and Dr. Singer discovered a similar but far more subtle connection.

Dr. Atiyah was also active among scientists in promoting peace. From 1997 to 2002 he was president of the Pugwash Conferences on Science and World Affairs, an organization that brings together scholars and public figures with the aim of curtailing armed conflicts around the world. (It takes its name from the site of its first meeting, in 1957, in the village of Pugwash, Nova Scotia. In 1995, the group and its founder, Joseph Rotblat, were awarded the Nobel Peace Prize.)

During his tenure at Pugwash Dr. Atiyah worked to defuse a nuclear standoff between India and Pakistan and to reduce tensions in the Middle East. Earlier, as president of the Royal Society (1990-1995), he publicly criticized the British nuclear program, arguing that it was a dangerous waste of scientific resources.

Dr. Atiyah received the two highest honors in mathematics: the Fields Medal, in 1966, and the Abel Prize, in 2004. Several colleagues of his have received Fields Medals for discoveries building on his work as well. He was knighted in 1983 and made a grand officer of the French Legion of Honor in 2011.

Michael Francis Atiyah was born on April 22, 1929, in London to the former Jean Levens, a Scot, and Edward Atiyah, a Lebanese. His parents had met while his father was a student at Oxford. The family moved to Sudan, where Edward Atiyah was a diplomatic liaison officer for the British colonial authorities.

Mr. Atiyah in 2008. “He would make you think that everything was possible,” said Graeme Segal, a former student.CreditBasso Cannarsa/Agence Opale, via Alamy
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Even with the father’s Arab ancestry and dedication to the Arab people, the Atiyah family identified culturally as British. Michael Atiyah spoke English at home and at school, and Arabic with extended family. (Written Arabic was the only class he ever failed, he said.)

At 12, he went to the Victoria School in Cairo, a well-known English boarding school, and at 16 he and his family moved back to England. At Cambridge, Dr. Atiyah did his undergraduate and graduate studies at Trinity College, where he received his doctorate in 1955. That same year he married Lily Brown, who was also a mathematician. She died at 90 in March in Edinburgh. Dr. Atiyah was master of Trinity College from 1990 to 1997.

Dr. Atiyah’s early work was in topology, a field of mathematics that studies shape, including that of mathematical objects with many more than three dimensions. Though such objects can’t be visualized, topology provides tools to figure out how many holes they have and how different parts of an object are connected to one another. Topology considers shapes to be elastic and malleable — able to be stretched or squished without their fundamental nature being changed, as long as no new holes are punched and no pieces are newly joined together. Working with the German mathematician Friedrich Hirzebruch, Dr. Atiyah developed a topological tool called K-theory.

Dr. Atiyah teamed up with Dr. Singer in the early 1960s. Dr. Singer is a specialist in mathematical analysis, the study of differential equations, which are used to describe physical phenomena in the language of calculus.

The equations are extremely useful for describing real-world situations, but they have a wicked problem: No one knows how to solve them precisely. Dr. Atiyah and Dr. Singer set out to see if Dr. Atiyah’s topological tools might help find the solutions.

Although they couldn’t find the exact solutions to any differential equation, they did manage to use topology to reveal the number of solutions such an equation has. This became their famous Atiyah-Singer Index Theorem, which they developed into an entire field, called index theory.

“It’s a bit of black magic,” Dr. Atiyah said in 2015, “to figure things out about differential equations even though you can’t solve them.”

But that was just the beginning of the connections that the index theory would make. In the mid-1970s, in the middle of this work, Dr. Atiyah learned something surprising: Physicists had been creating their own, less formal version of index theory in parallel with the mathematicians. They were using it to try to understand quantum field theory.

Dr. Atiyah and Dr. Singer teamed up with the mathematician Raoul Bott and Dr. Witten, who was then barely out of graduate school. The team (and soon many others) used index theory to see how discoveries in mathematics revealed truths about physics, and how physical facts revealed mathematical insights. In the process, they transformed both fields.

“It gives the whole landscape on which theoretical physics is constructed now,” Dr. Atiyah said.

Dr. Atiyah’s survivors include his sons David and Robin and three grandchildren. His eldest son, John, died while mountain climbing in 2002.

Dr. Atiyah continued to influence young mathematicians to the end of his life, and to experiment with his own mathematical ideas. In October, he created a stir when he claimed to have solved the Riemann Hypothesis, one of the most famous unsolved problems in mathematics, but the proof did not hold up.

Dr. Atiyah described himself as an optimist. In 2013 he told an online interviewer: “I believe in new ideas, in progress. It’s faith. I’ve recently been thinking about faith. If you’re a religious person, which I’m not, you believe God created the universe. That’s why it works, and you’re trying to understand God’s works. There are many scientists who work in that framework.

“Scientists, outside of religion, have their own faith,” he went on. “They believe the universe is rational. They’re trying to find the laws of nature. But why are there laws? That’s the article of faith for scientists. It’s not rational. It’s useful. It’s practical. There’s evidence in its favor: The sun does rise every day. But nevertheless, at the end of the day, it’s an article of faith.”
Correction: January 11, 2019

An earlier version of this obituary misstated the year Dr. Atiyah received the Fields Medal, one of the highest honors in mathematics. It was 1966, not 1996.



ところで、この記事を書いたジュリー・リーメイヤーという数物記事のジャーナリストも興味深い女性だなあ。森に住んで数学や科学のことを考えて「エッセイを書く」。

かつてのアーサー・C・クラークを彷彿させる。

印税はたいしたことないから、アフリカの奥地とか南米の奥地に住んで、そこで召使いを雇ったり、自炊したりして、ネットでそれを世界に発信する。そうやって儲けてなんとか生き延びる。

こんなやり方も面白いかもしれないですナ。


いずれにせよ、アティヤー先生のご冥福をお祈りいたします。R.I.P.合掌。



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by kikidoblog2 | 2019-01-14 11:52 | 普通のサイエンス