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カテゴリ:普通のサイエンス( 65 )   

専業主夫の教育系YouTuber鈴木貫太郎さん発見!:なんとなく俺と重なる部分があるナア!?   

専業主夫YouTuberの鈴木貫太郎さん
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みなさん、こんにちは。

さて、今回はちょっと興味深いYouTuberを発見したので、その人をメモしておこう。

鈴木貫太郎
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といえば、旧日本海軍の海軍大将、総司令官である。その司令官と同姓同名の現役、専業主夫のYouTuberである。この人である。

数学YouTuberの鈴木貫太郎さん
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まあ、今朝偶然YouTubeでこの人のアップしていた、以下のYouTube番組を見たんですナ。
なぜ、0!=1  0の階乗がなぜ1?


天才オイラーが解決した問題。奇数の平方の逆数の和にπが登場



まあ、どの分野でもそうだと思うが、努力の人、苦労して何かを身につけた人の方が、それを教える場合には、他人にもわかりやすく教えることができるようになる。だから、天才イチローが野球の名監督になるとは限らない。天才中田英寿がモウリーニョ監督にはなれないのと同じことである。

科学者や数学者の場合も同様だろう。

天才は後の天才には共鳴するものがある。しかし、凡人には天才からは得るものが少ない。

岡潔の授業で一番得をしたのは湯川秀樹と朝永振一郎だけ、残りの一般学生にはまったく理解不能だったという。そういうものだ。

それぞれ天才には天才の、凡才には凡才の持ち場、役割というものがあるわけだ。

このYouTuber鈴木貫太郎さんの教え方は実に上手。コメント欄を見ても普通の学生さんたちからはわかりやすいと絶賛されている。

そこで、どういう人なのか?と調べてみると、経歴に関するYouTubeも存在した。以下のものである。

【鈴木貫太郎さん】謎多き数学職人YouTuberの過去に迫る!【浦和高校→早稲田→塾講師→主夫YouTuber?】

これを見た限り、この鈴木さんと俺は非常に似ているナア。

まず顔も似たところがある。いま専業主夫というのも同じ。息子2人も同じ。塾講師経験者というのも同じ。俺は神戸の浜学園。鈴木さんは早稲田アカデミー。

また、むかし県の進学校のサッカー部出身というところそっくりだ。

もっとも浦和高はサッカーの強豪だったが、俺の方の甲府南は出ると負けのチームだったが、俺が入って県ベスト4の常連になったという点が違う。

鈴木さんの時代は、1981年高校入学というから、私が1974年だから、7歳ほど年下になるのかな?

浦和校サッカー部に入りたいがために、高校受験で1日14時間勉強して燃え尽き症候群になって、浦和校では落ちこぼれになった。赤点ばかり。なんてまさに昭和の進学校ですナ。

私も高校1年でサッカーばかりに集中して赤点をとったこともあるしナ。だから、1,2年のうちにどんどん成績が下がっていったというより最初からぎりぎりではいったわけだが。

俺の場合は、逆にサッカー部が終わって大学入試の勉強で、夏休みに1日14時間勉強して、その休み明けの基準テストで結果がでずに燃え尽き症候群になったんだが、その後、ラジオ講座というのを聞いて、1日1問というスタイルに変えて、ぐっと身につく勉強ができたという経験をしたものだ。

いずれにせよ、物事に一時期に徹底的に自分で納得の行くまで集中するというスタイルは共通のものがありそうだ。

その後、きっぱり仕事をやめて進路変更するとか、潔いところも私と共通しているナア。結果を恐れず、先もあまり考えずに、まずは自分のやりたいことを優先する。

実は、

物事を極める

には、こういう行き方しかないんですナ。

テレビタレントのジャニーズの中丸というタレントがいるが、永遠の初心者で終わるのは、いわゆる器用貧乏という人で、なんでもそつなくうまくこなす、それもその道のプロもうならせるほどうまくできる。がしかし、すぐに分野を変えて長続きしない人という人なのである。

中丸さんはどんなことにもチャレンジして実に器用にこなすが、いつも初心者で次へ移る。しかし、その道のプロは更にその先へ行って欲しいと思うのだが、自分は都合上そうしない。ずっとそれをしていると、若いうちはそれでも結構なのだが、ある程度年齢を重ねると、今度はついに器用にできくなる時が来る。そうなった時に、一番困るのは中丸さんタイプの人である。

なぜなら人には年齢の壁が存在するからだ。

昨日たまたまみたドラマで中丸さんも出ていたが、あまりの大根役者ぶりに驚いた。つまり、役者も中途半端な役者で終わるのだ。歌手も中途半端。どの芸もいつも初心者のまま中途半端に終わる。

それと比べて、これはと思ったのは、いだてんで役者初デビューの10種競技の達人、武井壮さんであった。彼は走るのも投げるのもジャンプも全部こなす。自称百獣の王である。いわゆる一芸を極めた人だ。それだけをやっていただけ。

しかし、逆にこういう人は、後々その気になれば、別の道も極めることができるのだ。

おそらく今後、武井壮さんは役者としてもいい役者に育っていくのではないだろうか?

物事は、まず一芸に秀でること。これである。サッカーでも、野球でも、スケートでも、英語でも、そろばんでも、料理でも、何でも良いのだ。とにかく一つのことを自分が納得するまでやってみること。これがその人を伸ばすのである。

だから、とにかく自分の得意なことや自分が好きになれることをみつけることだ。

一つでうまくいけば、それが自信になる。そして他もその気になればできるようになる。

心底好きになれるもの、一生それで棒に振っても良いと思うようなことが見つからなければ、それはそれで結構だが、その場合は、普通に生きればよろしいのである。何も問題はない。

ただ中丸さんのように、かなりの素質が備わっている人には、それを究極まで突き詰めないままで終わるというのはもったいない結果になるわけだ。多くの人が残念に思うわけだ。パティシエであろうが、スカイダイブであろうが、どれかに特化しなければ先には進めないのである。

物理で言う、対称性の破れですナ。可能性の中から、何かを選択しなければならない。そして一度それを選んだ以上、それを追求してみる。その先は、運を天に任せるほかはない。

ちょっと話がそれたが、鈴木貫太郎さんに話を戻すと、さらにいくつか面白い紹介番組もあった。むろん、別のYouTuberが撮影したものである。以下のものである。

【鈴木貫太郎】プロフェッショナル YouTuberの遊戯【なにこれ】


【教育系YouTuber】鈴木貫太郎の正体に迫る【謎の男】



実はこれはまだ先の話だが、いつかこのブログを止めた後、俺がやろうと思っているのはこのYouTuberなんですナ。一人でブロガーもYouTuberも両方同時にやるというのはかなり時間的に厳しい。だから、いずれはYouTuberとしてサイエンスの三枚おろしでもやろうかともくろんでいるわけだ。

むろん、自分で理化学塾を開くというのもオモシロイと思ってきたのだが、塾だとそこに参加した人しか見れない。講演会ビジネスもいいが、それも参加者しか聞けない。だから、ネットでYouTuberをやったほうがよろしくないか?というわけだ。

まあ、いつになるかはまだわからないがネ。


ところで、主夫というと、阿部寛のアットホームダッドでネタにされたものだ。当時バブル崩壊後の空白の20年で専業主夫になるものが増えた。

専業主夫と専業主婦の大きな違いとはなにか?

というと、やはりそこは男性、何事にもプロ化しやすい傾向がある。むろん、何事にも例外があるが、もともと高学歴なのは男性の方が圧倒的なので、専業主夫になってもそれを活かしやすいのは男の方なのである。

専業主夫の場合は、典型的な専業主婦のように、家事育児したらあとはせんべい食いながらテレビドラマをみて、。。。というわけにはいかない。

どうもこの辺が、日本政府にも理解されていないようだ。専業主夫=中高年ひきこもり、と考えているんちゃうか?

私は理研時代の数倍は学術論文や本などを出してきたし、この鈴木貫太郎さんはロードバイクレーサーやらプロ級の料理人でもある。

あまり普通の専業主婦の方では、こうなる人は少ないのでは?まあ、ケースバイケースだが。


いずれにせよ、自分の置かれた場所で咲きなさい。こういうことになるだろう。


いまやこういうふうにマスメディアが馬鹿にする一般人のレベルのYouTube番組の方が、NHKの教育番組や解説番組よりレベルが高く、信用度も高い。


いったいどうしてこんなことになってしまったのか?

YouTubeがみれれば、テレビ放送局はいらないのでは?


さて、インターネットが誕生して、プロバイダーのソフトバンクが誕生。その次は、それをいかに利用するかでアマゾンや楽天が登場した。

アマゾンや楽天が登場すると、今度はそれをいかに利用するかでメルカリのようなものが登場した。

じゃあ、YouTubeが登場したら、今度はどうするか?

要するに、ハードではYouTubeの閲覧と編集だけできるような端末テレビがあれば良いということになる。ソフトでは、誰でもすぐにYouTuberになれるもの、あるいは、YouTuberのためのアマゾンのようなものということになるだろう。

つまり、ネット上で、YouTuberの作品を売り買いできるソフトであろうか?

残念ながら、この地球上の進展とはそんな感じのものしかありませんナア。


いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2019-04-18 11:08 | 普通のサイエンス

ユージン・スタリコフ博士に乾杯!:ご出版、おめでとうございます!   

Seht, hier kann man keine Furcht mehr tragen,
selbst das Fragen haben wir verbannt,
Nur wer gläubig bleibt in solchen Tagen
hält dem gnadenlosen Schicksal stand!

See, here you can no longer bear fear
even the questions we have banished,
Only those who believe in such days
holds the merciless destiny!

見よ、
ここで君はもはや恐れることは何もない
私たちが追放した疑問さえも。
そのような恐れの日々を信じる人たちのみ
無慈悲な運命を保持するのだ!
ーーユーゲニ・B・スタリコフ
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みなさん、こんにちは。

だいぶ前にスタリコフ博士についてメモしたことがあったはず。これであった。

E.B.スタリコフさんの新著発見!?:なんと彼もインデペンデントフリーランス科学者になっていた!?

この中で、スタリコフ博士の本がもうすぐ発行されるということをメモしていた。が、ついにそのご著書がアマゾンでも公開されたようだ。4月2日刊行。以下のものである。

A Different Thermodynamics and its True Heroes
アマゾンA Different Thermodynamics and its True Heroes (英語) ハードカバー – 2019/5/5
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Description

The first and foremost general purpose of publishing such a book would be to pay the due tribute to the colleagues, whose results in the field are undoubtedly seminal, but they were and still are remaining ‘widely unknown’. Therefore, first of all, the book presents in detail the life stories of the colleagues. Moreover, learning about the combination of the contributions by all of the book’s protagonists might help motivated young researchers in their work on finally building up the logically consistent field of thermodynamics. It looks like the very first thermodynamics’ book of such a kind.

Readership

Students at any imaginable level, researchers (both academic and industrial ones). The last but not the least: A general readership interested in the History and Philosophy of Scientific Research.


さてこの本はすでにグーグルブックスでもみることができるようだ。これである。

A Different Thermodynamics and its True Heroes contents

これをみたところ、杉田元宜博士の論文や福井謙一博士の論文、そして私の論文など日本の物理学者や化学者の研究も引用してくれたようだ。どうもありがとう、スタリコフ博士。

900ページに近い分厚い熱力学の本。それも一般の物理学者が歴史の中で葬った研究者たちのアイデアをつぶさに発掘し、再構成する知性。これはなかなか私のような愚才にはできそうもない。

また、英仏独ロ西日と数か国語があっという間に堪能になってしまうというユダヤ系独特の脳みそがないと、なかなか多国籍の研究者の論文をくまなくリサーチすることは不可能である。すくなくとも英語だけで、日本語だけでも不自由な私からすれば、そう思う。

若い研究者は、来るべき世界のためにこういう不思議な魅力に溢れた本を読んで勉強すべきでしょうナア。

こういう歴史的著書に私の論文や名前も載った。それもノーベル化学賞の福井謙一博士や生物物理学会の創始者杉田元宜博士といっしょに載った。こういうのは、恐悦至極の至ですヨ。ほんと。もういつ死んでも構わないナ。

この数ヶ月は、いわゆる量子力学の散乱理論と不可逆過程の熱力学との類似性に興味を持ち、ウィーナー積分やァインマン経路積分法やネルソン保江の確率量子化法やディラックの量子力学や朝永振一郎の量子力学や小澤不等式とか、いろいろ量子力学の基礎論を勉強してきたのだが、まだまだしっくりいかないところがたくさんありますナ。

かつて朝永先生が戦時中にマイクロ波送信機の研究をしていたとき、ハイゼンベルクのS行列の論文をUボートで送ってもらって研究したことが非常に役に立ったという伝説がある。これが後の散乱理論の雛形になっていったわけだ。

散乱現象はまさに過渡的現象なのだが、系の記述は固定された閉鎖系として扱われる。一方、熱力学の過渡的現象は、つまり、不可逆過程の熱力学は、開放系として扱われる。同じ過渡的現象だが、そしてかたや量子散乱、かたや化学反応というともに一過性の現象を扱うわけだが、その扱い方が前者はギブスの量子統計力学、後者はオンサーガーの不可逆過程の理論を使う。我々は、同じような問題を量子統計力学とその拡張として取り扱おうとしてきたわけだ。このあたりにしっくりいかないところがある。

我々の持っている=知る物理学の理論にはあまたなるこういうしっくり行かない部分がある。それを無視して、例えば、ブラックホールを初めて可視化したといってもよいが、そういうまえにその土台をやはり堅固なものに変えなければならないのだろう。が、それが非常にやっかいなんですナ。


まあ、量子力学でも、拡散方程式とシュレーディンガー方程式は非常に似ているが、その厳密な関係というのがどうもまだしっくりいかないのである。ディラックーファインマンーカッツ流とネルソンー保江ーザンブリニ流では何かしっくり行かないのである。

昔の学者は偉かった。

最初にハイゼンベルクーボルンの行列力学とドブロイーシュレーディンガーの波動力学が別々に誕生したが、その後、すぐに両者のしっくりいかないところをシュレーディンガーとディラックが変換理論を作って補った。

今思えば、どうしてこういう事ができたのか不思議ですらある。

今の風潮なら、ハイゼンベルク学派はそれだけでエキスパートになり、シュレーディンガー学派はそれだけでエキスパートになり、両者は別々に発展するだけ。いつまでもそのしっくり行かない部分はそのまま残される。ディラック学派はその学派で伝承される。こんな感じではなかろうか。

考えてみれば、こいうのを統合したという意味では、やはりニールス・ボーアの存在はかなり重要だった。そして有名なソルベー会議。ボーアがいなければ(そしてアインシュタインもいなければ)、そのまま派閥で喧嘩してどれもが自分が正しいと主張して終わったのかも知れない。

最近よくこんなことを考えるようになった。年ですかナ。

いやはや、世も末ですナ。


いずれにせよ、ユージン・スタリコフ博士に乾杯。ご出版、おめでとうございます!






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by kikidoblog2 | 2019-04-15 12:34 | 普通のサイエンス

日本の物理学者特有のメンタル:「白人様の顔色をうかがう」→俺「ワイルドでいこう」   

ワイルドで行こう!


みなさん、こんにちは。

さて、昨日は4年ほど前にご逝去された南部陽一郎博士の本「素粒子論の発展」のことをメモした。

昔は良かった!?昔は日本の学者もワイルドだった!?:日本数物学会=数学と物理学が結婚していた時代!?

南部陽一郎 素粒子論の発展
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(あ)湯川ー坂田モード:新法則→新粒子の発見=実在論(唯物論)
(い)Einsteinモード:新法則→新原理の発見=形而上学(メタフィジクス)
(う)Diracモード:新法則→新数学的美しさの発見=数学的審美性(数学)


の研究の分類の話。それと、坂田の物理理論の発展段階の話である。

坂田の発展論とはこんなもの。

(0)新現象→(1)現象論→(2)モデル構築→(3)決定的理論 
   ↑                         ↓
    ←←←←←←←(4)(0)に戻る←←←←←←←←
                 

この理論発展の堂々巡りを繰り返しつつどんどんより細かい新粒子の理論を作っていく、というものらしい。

そして、歴史は坂田の言う通りの発展をしたのだった。

これが南部陽一郎博士の主張。


この本の前半の主題は、素粒子論の独特の発展形式を要領よくまとめたことにあるかもしれない。個々の理論は原著論文で数学を学ぶ他ないが、大きな見方、鳥瞰図、大局的観点で自分たちがやっていることを冷静に見るということが見事にできているというのも、南部博士の特徴かもしれない。

ところで、先程まで見ていたんだが、この南部博士の追悼論文集もフリーで見ることができた。以下のものである。
2016年
12月号 特集論文 現代物理学の予言者としての南部先生 III
7月号 特集論文 現代物理学の予言者としての南部先生 II
6月号 特集論文 現代物理学の予言者としての南部先生 I 


さて、問題は何か?

というと、やはり「我が国の科学、および物理学は、欧米の顔色をうかがいながら行っている」ということに尽きる。

将棋や囲碁でも、相手の戦略がよくわからない場合、盤面を見ても予測できないから、ときどきちらっちらと相手の目線の先を見る。

すると、いま相手がどの辺を見て作戦を練っているかおおよその見当がつく。しかし相手にこちらが見ていることを気づかれてはいけないから、盤面を見ているふりをしながらちらっと見るわけだ。

我が国の科学もこれとまったく同じで、いつも欧米人やユダヤ人がやったこと、やっていること、やりそうなことなどをちら見しながら研究してきた、しているということである。

これが我が国の科学の伝統にまで昇格しているとさえいうことができるかもしれない。

この点においては、DNAにまで刻まれてしまったかも知れないほどだ。

まあ、悪い言い方をすれば、「いつも白人様の顔色をうかがっている」ということだ。

いまの日本の官僚はジャパンハンドラーズの顔色ばかりみて施策している。ジャパンハンドラーズが何様なんだ???ということにはならない。

南部とてこの例外ではない。このあたりがかなり個人的には残念な部分かもしれない。

かつて明治時代はそうではなかった。まだ侍や寺子屋や住職や神主の子孫がいて、彼らは西洋人の考える科学の考え方や見方や知識のそれぞれにクレームをつけた。そして論戦に持ち込んだ。

ずっと前のフランシスコ・ザビエルに論戦を挑んだお百姓さんのようなものである。

翻って現代に戻れば、そういう明治時代に西洋の科学者に大反対した日本の住職や神主の論説の方に現代の科学の知識が近づいてきているのである。

いまの日本の学者にはこういう部分がない。西洋の学者の言うがままだ。その手のひらで活動する。CERNしかり、カミオカンデしかり。

だから、逆に言えば、ノーベル賞がとれるのである。


ところが、やはり西洋は科学を生み出した場所であって、科学が生まれる前からその独特の伝統が残っている。

その一つが「神秘主義」というやつで、いまもオカルト的な意味の神秘主義の文化が残る。保江邦夫博士の自伝本によれば、欧州にはいまも魔女の子孫がいるし、いまもエクソシストもいるという。

こういう伝統は一方で悪しきものも生むが、一方では、正統派に対する独自路線というもののありがたみというものも生むわけだ。

だから、教会側の正統派がなんと言おうが自分の信じる思想を大事にしようという精神も生まれた。

いまでは、最小作用の原理だとか、最大原理だとか言われる物理の金字塔の考え方も、そういうキリスト教的な神の根拠を探索するという精神から生み出されたものである。

ところが、こういうものがわが国の科学者には存在しなくなってしまったわけだ。

だから、西洋ではいまもニコラ・テスラの思想やファラデーやマックスウェルの思想を頑なに追求し続ける人なんていうものが存在する。

そうしているうちに、南部陽一郎博士もいっていたように、昔に死んだアイデアもまた蘇ることがあるわけだ。今風に言えば、物理のゾンビ概念が復活するわけだ。

ニコラ・テスラの信じたエーテル宇宙。これは今復活してきている。むろん、南部先生のような標準物理の表の物理の側でも、エーテル(=イーサ)概念は「場」「真空」「基底状態」とかさまざまの呼び名がついて復活している。

しかし、電磁場の相互作用がゲージ変換することにより、クーロン力と横波電磁波の世界に変換できるように、イーサの見かけは数学的変換で変換できる「架空」のものであるという見方に毒されている。

ところが、西洋の中には、いろいろ自分で実験してみると、そういうイーサも電気力線や磁力線も架空の数学的存在ではなく、量子化された実体をともなう物理量なのだ。そう考えた物理学者もかなりいたのである。

いちばん有名なのは、ニコラ・テスラと同時代に生きていたケルビン卿やスタインメッツであろう。

有名なスタインメッツの交流理論では、1電圧の定義は、金属が1秒間に1億本の磁力線を横切って生まれる電気力とある。

つまり、運動する金属が速く運動すればするほど1秒の間に切る磁力線の数が増えるから電圧が増すのである。

ケルビンは、コイルにイヤホンをつけて磁力線の中で動かしてみろ、音は連続的にジ〜〜となるのではなく、ジ、ジ、ジ、。。。と離散的に聞こえる。だから、磁力線は離散的に存在するものであると主張していたのだ。


ところで、南部先生の記述の中にも、「Diracの発想は天才的だ」だれも思いつかないことを思いつく、というような事がしばしば書かれている。量子力学が生まれた時代は、これを称して「ディラックのアクロバット」と呼んだものである。

ところが、よくいろいろな当時の文献を調べていくと、実はイギリスならではの伝統というものがやはりその背後にあるわけだ。イギリスは大英帝国だった。さらには、ニュートンがいたのである。その時代からの蓄積が大英図書館には存在する。

やはり伝統の力、特に、科学の伝統の力が働くのである。

たとえば、Diracのδ関数は、すでにN. Wienerの一般調和解析で無数に常識的使用されていた。いまでは当たり前になったが、被積分関数をδ関数で書くというようなことは、ウィーナーの論文がルベーグ積分を簡略化して書くという場合に使っていたわけだ。

また、オリバー・ヘビサイドの後継者もディラックではなくウィーナーだった。ウィーナーはアメリカ生まれだが、14歳でハーバードに入り、18歳で博士になったウルトラ早熟天才ユダヤ人だった。そして、学位を哲学でとったあとすぐにケンブリッジのバートランド・ラッセルのもとで研究生活に入った。

そこには、ホワイトヘッドやインドのラマヌジャンの師匠になったハーディとリトルウッドもいた。むろん、我が国からも留学している。ディラックがいつも図書館の薄暗い場所で本や論文を読んでいたのを目撃している。

そのウィーナーはヘビサイドを心の師匠として崇めていたという。ヘビサイドの伝記を出版しようと本まで書いたほどである。

実際、ヘビサイドの演算子法を拡張した論文を書いている。

だから、古典力学を演算子的に見直すというのもまた特にディラックが専売特許ではなく、イギリスのヘビサイド、ウィーナーの演算子法の伝統がそこにあったわけだ。

行列もそうだし、なにより、ディラック方程式の形式は、イギリスの大数学者ハミルトンの四元数の形式そのものだから、これもイギリスの数物界の伝統をくんでいるのである。イギリス人の数理科学者ならだれでもハミルトンの四元数は知っているはずなのである。

トポロジーの概念から生まれたモノポールは今の公式にはディラックが生んだようにいっているが、ヘビサイドの電磁気学の3部作には、マックスウェル方程式は電荷と磁荷に最初から対称的にかかれている。むしろ、他の物理学者から、最近の実験では、電荷だけ見つかって、磁荷はないそうだよと意見されている。

だから、ヘビサイドはしぶしぶ磁荷を消すために、Div B=0を置いている。

だから、これもあくまでイギリスの伝統に乗っていただけで、ディラックのオリジナルではないし、古くはファラデー、マックスウェルにも遡る。彼らもまたイギリス人だ。

というわけで、「ディラックの天才はどうして生まれたか?」わからない、なんていうのは嘘。それはイギリスの歴史を知らなかったからに過ぎないのだ。

だから、というわけではないが、ノーバート・ウィーナーはシュレーディンガーとハイゼンベルクに対して非常に評価したが、ディラックについてはまったく無視したという歴史が残っている。

それはそうだろう。イギリスが誇る天才、ハミルトンもヘビサイドも引用せず、全部自分ひとりでやったかのように書いていたからだ。ましてや、ウィーナーの業績をことごとく無視したか盗み取ったわけだ。

ウィーナーからすれば、ディラックは盗人にすぎなかった。と俺は思うヨ。

だから、だれもディラックがどうしてそれを発見したのかわからなかったのである。

誰かのものを参考に盗んだから、突如として生まれたかのように見えたのである。


ところで、そのヘビサイドの時代、イーサはまだ存在するものとして理論が建てられていた。

一説では、つまり、巷の本では、マックスウェルの理論を簡略化したのがヘビサイドかのようにあるが、俺の本にもそう書いているが、実際には、ヘビサイドをさらに簡略化したのがギッブズであった。いまの大学の電磁気学、南部先生のいうゲージ場理論の元祖のマックスウェル方程式はギッブズのものだったのだ。

ヘビサイドは、イーサを現実的に様々の条件で考えて計算していた。

例えば、イーサの中の電子の運動では、イーサが生み出す音波がいまの光だから、電子が光速度より速く動く場合と遅く動く場合とをわけて計算している

おもしろいのは、今の電磁気学では、ファラデーの電磁誘導の法則には二種類あった、ということが無視され、ファラデーの電磁誘導の第二法則だけがファラデーの電磁誘導の法則と書かれている。

第一法則は、電場は、運動物体の電荷に関係なく、v✕B、すなわち、E=v✕Bの法則のことで、マックスウェル以来この項が、curl Eの中に入っていたのである。つまり、curl (E -v✕B)=-∂B/∂tとなっている。同様に、curl (B - D✕w)=∂D/∂t+Jとなっている。DはD=εEである。

これを普通に計算すると、おもしろいことに、c^2=(V-v)(V-w)となって、この解のVはイーサの波の速度となる。cが運動物体とイーサの運動がないときのイーサの速度=光速度(真空)である。

すぐにわかることは、この場合、光速度より早い波と遅い波の2つが存在するのだ。

これと似たことがドイツのS. Giemensの論文にもあり、この場合、電気力線と磁力線の速度をv_e、v_mとすると、磁力線の速度は光速度を超えることになる。こんな計算を1930年代に行っている。


何を言いたいかというと、イギリスや欧州には、こういったその当時の著名人のお蔵入りになったご託宣や計算の数々がちゃんと書籍になって出版され、それが大学の図書館の中にきちんと管理されているということなのだ。だから、後のディラックでもこっそりヘビサイドの怪しげな本を読むことができる。図書館の暗闇に紛れて。

翻って、我が国では、1960年代でも1970年代の良書や教科書でもどんどん大学や高専が廃棄処分で売っぱらった。これでは、次世代の大発明も大発見も生まれないのだ。

ゾンビ、お蔵入り、こうなった昔の知識の中にも、非常にいい線いっていたが、その当時の技術ではどうにもならなかったというようなものも多く存在するのだ。バベージの計算機なんていうのはそういうものである。だから、イギリス人の中にたまにチューリングのような人物が出てくるわけだ。

フェルマーの最終定理を証明したA. Wilesは図書館でこの問題を子供の頃に読んでいつかこれを証明しようと決心したというし、やはりワイルズもイギリス人である。そこにはさまざまの間違った試みだった本もあるはずである。

間違うことは恥ずかしいことではない。すくなくとも、通説とは違う方向が良かったのか、悪かったのかの実証としての意味がある。後輩たちが同じ過ちをしないようにすむ意味では意義があるわけだ。

そして一度は滅び、死んだかに思われたアイデアがゾンビのように生き返る。そういうことは、南部がいうように、正統派の表の科学にもある。

だからこそ、裏の科学、オカルト科学であれ、それはそれとして、作品や論文や本は歴史に残していかねばならないのである。ひょっとしたら、だれかがそういうものの中から真理を発見する日が来るかも知れないからだ。

これをショーペンハウエルは言った。

真理は間違ったことからも生まれるが、間違いは真理から生まれることはない、と。

御意。まさに正論である。

だから、間違った行為でも何でもかんでも禁止する、妨害する。こういうことはタチが悪い。


南部の理論を読んですぐ分かることは、現代の素粒子論は、物性論である。超伝導理論の焼き直しにすぎない。超電導は固体物理である。しかし、世界には生命が存在するのだ。

だから、普通に考えれば、もし生命の理論ができれば、素粒子論者は他にいいアイデアがなければ、当然生命体の理論を使うようになるはずである。

すでにラビオレッテ博士は、複雑系や開放系の理論を素粒子理論に用いているわけだ。

かつて南部が「乱流するエーテル」を考えて、超ひも理論をイメージしたように。

エーテルが固体のようなものや液体のようなものであるとは限らない。いくつかの成分があり、それらの反応で変化するかもしれないわけだ。そして生命体のように真空も動的平衡を維持しているのかもしれないわけだ。

いまでは、邪道、異端、無意味と思われる理論やアイデアも昔の死んだ概念と重なってゾンビとなる可能性もあるわけだ。

こういうワイルドなやり方は白人様の顔色をうかがっていてはできないのである。

欧米人に特有の面白い特色は、NWOやCIAに殺害されようがお構いなしでどんどん真実を追求する強い魂を持つ研究者がいるということである。この点だけは日本人はあまり芳しくない。なかなか真似ができない。

もうすでに数百人が殺されたのではなかろうか?

それでも、地球は回転するのだ。

イーサは存在し、光速度より速く動く波も存在する。物性論ではそれがスピンと電荷の分離という現象で起こるスピノン波である。スピノンは電子の半分の性質を持つ。

モノポールがもし光速度以上の速度しか取れない粒子だとすれば、それは我々が見ることはできないだろう。つまり観測にかからないのである。1個モノポールが生まれると、それは光速度以上だから、あっという間に我々が過去に発した光の先まで突っ走る。つまり、過去を見ることも可能だろう。過去に行く。

いずれにせよ、いまは次なる革命の前夜である。

テスラ二世は出てくるか?


まさにワイルドで行こうである。





いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
ところで、最近こんな話題が脚光を浴びているとか。これについてはまたいつか。
「時間の逆転」を量子コンピュータで実現!「マクスウェルの悪魔マシン」が誕生か?




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by kikidoblog2 | 2019-03-16 14:26 | 普通のサイエンス

昔は良かった!?昔は日本の学者もワイルドだった!?:日本数物学会=数学と物理学が結婚していた時代!?   

湯川論文
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みなさん、こんにちは。

さて、また物理科学に関する個人的メモ話だから、普通の人はスルーを。時間の無駄だろう。

ところで、最近例の

悲報「最近の院生はセミナーを聞かず」:久しぶりに神戸で物理の講演したんだが。。。!?

でメモした、
南部陽一郎 素粒子論の発展
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を読んでいるわけだが、実に興味深い話が出ている。

(あ)湯川ー坂田モード:新法則→新粒子の発見=実在論(唯物論)
(い)Einsteinモード:新法則→新原理の発見=形而上学(メタフィジクス)
(う)Diracモード:新法則→新数学的美しさの発見=数学的審美性(数学)


の研究の分類の話。それと、坂田の物理理論の発展段階の話である。

坂田の発展論とはこんなもの。

(0)新現象→(1)現象論→(2)モデル構築→(3)決定的理論 
   ↑                         ↓
    ←←←←←←←(4)(0)に戻る←←←←←←←←
                 

この理論発展の堂々巡りを繰り返しつつどんどんより細かい新粒子の理論を作っていく、というものらしい。

そして、歴史は坂田の言う通りの発展をしたのだった。

これが南部陽一郎博士の主張。


そこで、この時代の一番最初の起こりが、湯川秀樹の中間子論や坂田昌一のニ中間子論である。これらの論文は太平洋戦争中に書かれたために我が国の雑誌に公表されざるを得なかった。

そんなわけで、前からずっとこの時代の論文が手に入らないものか?と私は思っていたわけだ。

ところが、インターネットは1996年に開闢。それ以来日本物理学会のサイトを見ていたんだが、すべて有料。会員でない限り、あるいは、お金を払わない限りそういう論文を閲覧できない。非常に残念だなと思っていたわけだ。


一方、ここ2,3年かかりっきりになっている我が国の不可逆過程の熱力学の創始者であった杉田元宜博士の論文もちょうど同じ時代に書かれていた。だから、つい最近までそれを調べることもできなかった。だから、論文がほしい時は知人や友人に頼んでダウンロードしてもらう他なかった。

しかし、また、故一柳正和博士の
不可逆過程の物理:日本の統計物理学史から
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(1999年日本評論社)
を読むと、1930年代から1960年代こそ、

我が国の線形応答理論に至るもっとも重要な時期だったことがわかるわけである。それも大半が日本語で書かれて公表された。多くは、物性論研究に公表された。

そんな中でも初期には、杉田元宜博士の論文や坂井卓三博士の論文のように、やはり日本の科学研究雑誌に掲載されたものがあったというわけだ。

それで、ここ最近そういう論文を見てみることにしたところ、なんと無料でダウンロードできるようになっていた。こえである。

戦前論文アーカイブ

日本の数学会と物理学会は、戦前では数物学会といって、両方一緒になっていたんですナ。だから、研究雑誌も数学者も物理学者も同じ雑誌に論文を公表したのだ。だから、実に面白い。物理の実験の論文の前に数学の論文が出ていることもある。

そこで、ものはついでと、戦前の論文集を全部最初から眺めてみることにした。まだ数が少ないからそういうことができた。今のように論文数がネット検索しないといけないほど多くなるとそういうことが不可能だ。

戦前の我が国では、数学者も物理学者も実に少数精鋭だった。

杉田元宜博士の論説文には、こうあった。

「1970年」の杉田元宜博士の予想:「物理学者の異常発生」

(い)戦前の物理学出身者の数について

物理教室も、私たちの頃は、東北大、東大、京大の3教室で全部で60人くらいだしていたのが、今日では国、公、私をあわせると3000人に近い卒業生を出している。


旧帝大に各20人。仮に4学年あったとすれば、各学年で5人。一学年だとすれば、各学年で20人程度。

こんな数だったのだ。毎年東大に物理専攻は20人しかいなかった。

そんな時代に数物学会というものがあった。


さて、ちょいと眺めてみた結果、意外な事に気がついたのである。

(あ)1930年までは研修時代

1930年くらいまでは、洋物の論文、つまり、海外の著名な物理学者の論文が、日本語に翻訳されて出ていたのである。むろん、英独堪能の杉田博士もドイツ語の論文を日本語に翻訳し、それを数物学会誌の研究論文報告として出していた。

この時期、物理では海外特に、英米の英語論文、ドイツの独語論文などが日本語訳されている。その中には、アインシュタイン、シュレーディンガー、ディラック、ハイゼンベルク、ボルンから、アメリカの半導体の父ウィルソンの論文もある。

上にメモしたように、同時に数学の論文もある。数学では仏語も翻訳されたわけだ。ファツー、ジュリア、ヴェイユ、。。。などの論文も翻訳されている。

おそらく岡潔もこの論文誌を読んでいたことだろう。

(い)1930年から日本人のオリジナル論文がで始めた。

そして、1930年頃を境に、徐々に日本人の数学や物理のオリジナル論文が出るようになる。

そして、しばらくすると湯川と朝永と坂田の時代に入っていく。それが1930年代後半から1940年代である。大東亜戦争の真っ只中に入る。

つまり、大正の時代までは、我が国の数学や物理学はまだ一種の見習い研修期間のようなものだった。それが、昭和初期に入って、徐々に日本人自らの手でオリジナルの論文が出せるまでに発展したということのようである。

大正デモクラシーの成果なのかもしれない。「科学のための自由な楽園」こと理化学研究所と「天才のための極秘の研究所」と言われた小林理学研究所の時代に入ったからかもしれない。

いずれにせよ、1930年が分水嶺だった感がある。

(う)論文形式が古典的で読みやすい。

もう一つ興味深いのは。まだその時代は。欧州の数学グループのブルバギができていなかったのか、数学の論文もオイラーやワイエルシュトラスの論文のように、古典的な記述が中心の書き方がなされ、我々でも実に馴染みやすいのである。要するに、アローマティマティックスこと、→だらけの記述がない、ということである。

同様に理論物理学の論文も、実に古典物理学的で読みやすい。アインシュタインの論文のように、あまり現代数学を使わない感じの記述の論文だが、内容が実にユニークである。

この時代の日本人は、今と違って、あまり物理や数学の様式美にとらわれていなかったわけだ。

つまり、まだ湯川ー坂田モードかEinsteinモードの段階で、Diracモードのものはあまりなかったからかもしれない。

(え)発想が大胆だった。

しかしながら、Diracの論文が出た直後に東大の坂井卓三博士はDirac方程式の論文を書いている。

柿下彦太郎博士の「空間の量子化」という論文まで存在した。

私は昨日まで知らなかったが、柿沼という博士がいて、その人は電子の構造の論文を一般相対論から作ろうとしていたようだ。実に斬新な発想である。

藤原咲平博士のように「2つの渦の衝突実験」なんていうものまであった。これは戦後だいぶ経って高橋秀俊博士が独立に似たような実験を行った。

数学では、E. Landauの素数定理の証明の論文も翻訳されていた。萩原雄祐博士によるポアンカレの再帰定理の論文もあった。

中には寺田寅彦といっしょに研究していた人の論文もあった。

なんとなくあの帝都物語の雰囲気が残っているところが面白い。


それが、1945年すぎると、この時代に活躍していた欧州の科学者や数学者が、ユダヤ系はヒトラーの迫害から逃げ、ドイツ系はブッシュシニアの親父のプレスコット・ブッシュのペーパークリップ作戦やオデッサ・ファイルでアメリカに流れ、秘密のデープステートの研究員、つまり、ジェーソンファミリーになっていく。

こうして、朝永と同時受賞となる、シュウィンガーとファインマンにより、やっと米国産の物理学者がノーベル賞を取る時代へ入っていったわけだ。

そんな時代に若き南部陽一郎博士が、湯川坂田朝永の薫陶とともに、米国へ移住する。まあ、軍事であれば、一種の二重スパイのようなものだろう。が、戦後はアメリカは日本には寛大だった。いまの米中なら南部先生もザン教授のような結末だったかも知れない。

そしてついに南部先生はノーベル賞もお取りになられて幸せのうちにご逝去された。要するに南部先生は運が良かったわけだ。


とまあ、我が国の物理の発展、数学の発展もすべては、戦前の数物学会の努力の賜物だったのだ。当時はみな独学で論文を読んで研究した。ろくにまだ量子力学の教科書とか量子統計力学の教科書というようなものはなかったからである。

まあそれが良かったという面もある。

いずれにせよ、彼らが戦後の日本の学者のための教師になっていった。

この意味では、やはりそういう先人の努力には感謝する他ないのでは?


はたして今の我々の努力は、後の人たちにより感謝されるのだろうか?




いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2019-03-15 17:31 | 普通のサイエンス

ムー4月号はヴェンターの「人工生命の誕生」:ついに白人は禁断の領域に踏み込んでしまったのか!?   

クレッグ・ベンターのコラージュ法
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みなさん、こんにちは。

いや〜〜、やはりたまにはちっぽけな書店にも行って見るものである。

最近、保江邦夫先生のHPから新著発売のニュースが出ていた。それで、ひょっとしたら、タイトルからして、例の天皇の祝詞効果の話が出ているのかも知れませんナ、と注文しにいったのである。

というのも、小書店も本を買ってあげないと、みなアマゾンによって絶滅されてしまうからである。そんな地球防衛軍のような気分で、地方書店防衛軍の隊員として、最近はアマゾンを使わないで、書店注文をするようになったわけですナ。

アマゾンはたしかに早い。2〜3日で到着する。しかし、郵便屋さんやクロネコヤマトの職員が大変だ。重要な高い本かと思っていると、1円本だったりするわけだ。おれらたった1円の本を配達させられていたのか?という案配だからである。

さて、問題の保江先生の新著とはこれ。
2019.03.09 事務局より新刊のお知らせ
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そのついでに、雑誌ムーを見てみると、なんと驚くべき記事発見!つい買ってしまったヨ。

なかなか良いツボをついてきますナ。これだ。
「三面大黒天」開運符とカタカムナのクスリ絵の豪華2大特別付録付き!!
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(最近のムーはますますコロラドデンバー国際空港的なイルミナティ暗黒面の絵になってきているナア。)


ところで、私がどの記事に着目したか?

むろん、これである。

禁断の最新科学 人工生命体の誕生

このタイトルを見てすぐにピンときた。これは絶対にクレッグ・ヴェンター博士の研究のことだな、とナ。

というのも、すでにだいぶ前にここにメモしたからである。これだった。

ヴェンター博士「マイコプラズマのサイボーグを作りだす!」:俺「生命の水素原子はマイコプラズマか?」

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問題の論文がこれ。

Design and synthesis of a minimal bacterial genome


このユタ州出身のヴェンター博士、米国でも異端中の異端。

実にワイルドな科学者である。

すでにヒトゲノム計画をあっという間に終了し、すでに地球上の大半の生命のDNAの全解読を終了。

人でも白人、黒人、赤人、黄人、青人、。。。と全人種のDNAを解読終了。

未公表でだいぶ多くのDNA全情報を個人的に収集しているとか。ヴェンター・バンクあるいはヴェンター・ライブラリである。

だから、西洋人と東洋人との違いも全部解読済みというのである。ほとんど問題がこじれるのを避けて未公開。

ちょっとした事実を言っても、人に関することはダマスゴミが大騒ぎするからである。

噂では、やはり西洋人と東洋人とはエイリアンと地球人ほど違うらしい。

そんなわけで、しばらく前から、ヴェンター氏は生命の起源の研究に矛先を変えた。

ところで、このヴェンター博士の研究所は、我が国の理研よりも規模が大きい。全世界の大学が束になってもかなわない。

なぜか?

というと、研究がDNAだけに特化しているからである。

まさに織田信長戦法だ。桶狭間の戦いである。

相手は、いろんな分野のショーウィンドーの大名行列のようなものだ。今川義元である。

だから、その中のDNA関連の生命部門だけに一極集中すれば、ハーバード大であろうが、ロスアラモスであろうが、東大であろうが、マックスプランク研究所であろうが、理研であろうが、勝算はある。

所詮は大会社であれ、大大学であれ、その研究部門はせいぜい数名か10数名に過ぎない。

だから、それを数十人から数百人でやれば、勝てるわけだ。

ヒトゲノムだけを集中してやる。

そのためには、DNAシークエンサーを何百台も集め、各装置に1人ずつ当て、そこにDNAの断片一部を配分する。そうやって集めたDNAの断片の配列情報を中央のスーパーコンピュータで一気に再配列する。

これが、いわゆる「ショットガン法」である。

世界の工場となった中国の工場がいかに強いか?

それは、広い工場に1万人が働き、1人1人が同じものを作れるからである。1人が一日に1台つくるだけでも、日に1万個の製品が誕生する。これでは、いくら優秀な技術者が日本にいようが、一人で1日1000個作っても勝ち目がない。実際にはせいぜい数個だ。

ヴェンターのアイデアは中国の共産党が考えたことと同じである。


そして、今度は、生命の作成に取り掛かったわけだ。

相手は最小の生命体。つまり、マイコプラズマである。

このマイコプラズマの全遺伝子配列など数万個。ヴェンターの研究所にすれば、おちゃのこさいさいだ。

問題は、それをどうやって減らすかである。

ちょうどiPS細胞のキー遺伝子の数を減らして最低限4個の注入で、細胞が初期化できたように、

いったい最低限何個の遺伝子セットがあれば、生命が維持できるのか?

これを解明したわけだ。

結論は、

473個

だった!

最小の生命体を維持するのに必要な遺伝子セットの数は473個にすぎなかった。

実はこういうことを正確に予言していた男がいた。

それが、あのジョン・フォン・ノイマンだった。

フォン・ノイマンは、死の直前まで「自己複製マシン」の研究をしていた。その研究の中で、自己複製する装置があるとしたら、適度に複雑で適度に簡単な、最低のパーツ数があるに違いないと予測していたのである。この本である。

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天才、自称他称「火星人」のジョン・フォン・ノイマンは理論を完成できずに死去したのである。


クレッグ・ヴェンターの人工マイコプラズマの作成はこれをほぼ証明したと言えるのである。

ところで、いまこの辺でかなり大きな地震が来たゾ!午後1時50分頃だ。P波が長く、S波が短かったから、自然地震だろう。震度4くらい。

さて、そのヴェンターよりはるか前にマイコプラズマの遺伝子セットについて非常に正確なことを書いていた人がいた。それが、我が国の京都大学の生物学者の丸山圭蔵博士だった。

博士は、最小の遺伝子はおそらく約280個と見積もっていた。

今日は俺の生誕60年:還暦祝いの「た・わ・ご・と」一発!:いかに生命体を計算するか?

生命―永遠を志向するもの
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生命とは何か
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問題は、そのムーの記事にもあるように、まだ未知の遺伝子、つまり、働きがよくわからない遺伝子セットが

149個

残っている。

つまり、働きが解明されたものは、473−149=324個。

この数は、丸山博士の見積もりとほぼ同一である。40個程度の違いしかない。丸山博士は未知の遺伝子が生命維持に重要だということはあまり良くわかっていなかったから、ハード面の働きから遺伝子セットの数を見積もらざるを得なかった。

ムーの記事の作者は、この未解明の遺伝子セットに「進化遺伝子」だと自分勝手に憶測を付け加えてしまったが、まあ、矢追純一と同じで、そこで自分の色をつけるから記事の価値が眉唾になってしまうわけだ。こういうことは必要ない。

この問題は、西洋世界でも結構古くからある哲学的問題につながるのである。

いわゆるホルンクルスの説である。これは、ライプニッツの時代にも遡る。

生命個体が生殖細胞でできるのなら、その生殖細胞の中には人間個体のすべての情報が入るはずだ。その生殖細胞には生殖細胞の作り出す情報も入っているはずだ。もし生殖細胞に染色体があるなら、その中には人間の全情報も生殖細胞の情報も全部入っているはずだ。その染色体に人間の情報も生殖細胞の情報も入っているなら、その内部のDNAの中には、人間の情報も生殖細胞の情報もDNAの情報も全部入っているはずだ。そのDNA情報の中には、DNAの構成もすべて入っているはずだ。

とまあ、フラクタル的に

内部の中に内部の中に内部の中に、。。。内部の中に。。。

永遠に続くのではないか?というわけだ。一番右の。。。のその先は、素粒子の中の内部から、その内部にまでずっと続くはずだ、つまり、この宇宙の全情報は、その究極の粒子の内部に入っていなければならない。
これが、ライプニッツのモナド論である。


さて、ヴェンターのマイコプラズマの研究は、どことなく、犯罪者がだれかの手紙や文章を切り刻んで、その文字を使って再配列して新しい文章を作り出す、というのに似ている。

そうやっても意味のある文章になったとき、その配列は生きているのである。

しかし、その文字の中には、どうしてもどうしてそれが必要なのかわからないものが存在する。

それがまだわからない問題だということである。


ところで、ヴェンター研究所では、こういう研究はすでにトヨタの自動車工場のようにロボットを使ったオートメーション工場のように行っているのである。だから我が国の理研であろうがどの大学であろうが勝ち目がない。

B29を竹槍で落とすようなものである。むろん、iPS細胞の山中博士の京大の研究所はやっていない。


現実はSFより奇なり!


果たして自然はヴェンターの知能より高いのだろうか?あるいは、ヴェンターの知能より低いのか?

これは今後に乞うご期待である。


ところで、そのムーの記事には、米軍産複合体のイルミナティーの生物兵器の研究の話もある。

DARPAのスーパーソルジャー計画である。

要するに、遺伝子改造した超人類を戦闘兵器として使用するというものである。

最近のチャイナの高知能、高耐性の人造ベイビーの話もある。

すでに遺伝子編集は次の段階を経ているのである。

クリスパー・キャスナインという技術らしい。

それを発明したのが、いずれノーベル賞を取るという、アメリカのジェニファー・ダウドナ博士とスウェーデンのエマニュエル・シャルパンティエ博士である。

いや〜〜、この分だと、EBの予言のように、生き残った地球人はグレイエイリアン化していくのかも知れませんナ。


いずれにせよ、我が国はiPS細胞とか、長寿とかそんなことばかり、健康科学ばかりやっているうちに、人類の哲学的問題に関わるような面白い問題は全部アメリカ人に解明されてしまうんちゃうか?



いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2019-03-13 14:30 | 普通のサイエンス

訃報:マイケル・アティヤー博士逝く!享年89歳。ご冥福をお祈りいたします!   

Sir Michael Atiyah Riemann Hypothesis Proof Interview Heidelberg Laureate Forum 2018


みなさん、こんにちは。

今日私の師であるBill Sutherland先生からメールが届いた。この先生は筆不精でめったにメールなど送らないというタイプの人なんだが、実に重要なメールであった。

昨年、リーマン予想を解いた数学者が現れたという話をメモした。これである。

ダイソンの妄想と俺の妄想:リーマン予想からABC予想まで。「数学は一つ」かも!?
グロタンディークやダイソンが言いたかったこと!?:俺「自己創造する代数多様体の研究」だろうナア!?
望月新一のABC予想の解決とマイケル・アティヤーのリーマン予想の解決はどことなく似ている!?
ダイソン先生が「リーマン予想と1次元準周期系が関係ある」といったわけ!?

その話の主人公の一人が望月新一博士であり、もう一人がマイケル・アティヤー博士であった。

そのメールとは、このアティヤー博士がご逝去されたという訃報であった。

これは数理物理学会のかなりの大ニュースである。

なにぶん、おそらくいまではスーパーストリング理論や関連の微分幾何的な数理物理の世界で生きている、つまり、飯を食っている人は非常に多いはず。そういう数物分野を生み出したのがこのアティヤー先生だったからである。

その最初が、いわゆるアティヤーージンガー指数定理(Atiyah-Singer Index theorem)というものである。

理論物理で言えば。甲元真人先生の師匠であったレオ・カダノフ(Leo Kadanoff)先生にあたるような人である。

そんなわけで、その訃報を一応ここにもメモしておこう。これである。

Michael Atiyah, Mathematician in Newton’s Footsteps, Dies at 89
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Michael Atiyah, center, and Isadore M. Singer receiving the Abel Award from King Harald of Norway in Oslo in 2004. The Abel is one of the top honors in mathematics.

By Julie Rehmeyer
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Jan. 11, 2019

Michael Atiyah, a British mathematician who united mathematics and physics during the 1960s in a way not seen since the days of Isaac Newton, died on Friday. He was 89.

The Royal Society in London, of which he was president in the 1990s, confirmed the death but gave no details. Dr. Atiyah, who was retired, had been an honorary professor in the School of Mathematics at the University of Edinburgh.

Dr. Atiyah, who spent many years at Oxford and Cambridge universities, revealed an unforeseen connection between mathematics and physics through a theorem he proved in collaboration with Isadore Singer, one of the most important mathematicians of the last half of the 20th century.

His work with Dr. Singer, of the Massachusetts Institute of Technology, led to the flowering of string theory and gauge theory as ways to understand the structure and dynamics of the universe, and has provided powerful tools for both mathematicians and theoretical physicists.

“He has heavily influenced the whole contemporary development of how math and physics have interacted,” the physicist Edward Witten, of the Institute for Advanced Study in Princeton, N.J., said in an interview for this obituary in 2015. Dr. Atiyah spent a good part of his career at the institute.

Newton and his contemporary Gottfried Wilhelm von Leibniz established the first major bridge between mathematics and physics by creating calculus and showing that it could describe physical attributes like velocity and acceleration. Dr. Atiyah and Dr. Singer discovered a similar but far more subtle connection.

Dr. Atiyah was also active among scientists in promoting peace. From 1997 to 2002 he was president of the Pugwash Conferences on Science and World Affairs, an organization that brings together scholars and public figures with the aim of curtailing armed conflicts around the world. (It takes its name from the site of its first meeting, in 1957, in the village of Pugwash, Nova Scotia. In 1995, the group and its founder, Joseph Rotblat, were awarded the Nobel Peace Prize.)

During his tenure at Pugwash Dr. Atiyah worked to defuse a nuclear standoff between India and Pakistan and to reduce tensions in the Middle East. Earlier, as president of the Royal Society (1990-1995), he publicly criticized the British nuclear program, arguing that it was a dangerous waste of scientific resources.

Dr. Atiyah received the two highest honors in mathematics: the Fields Medal, in 1966, and the Abel Prize, in 2004. Several colleagues of his have received Fields Medals for discoveries building on his work as well. He was knighted in 1983 and made a grand officer of the French Legion of Honor in 2011.

Michael Francis Atiyah was born on April 22, 1929, in London to the former Jean Levens, a Scot, and Edward Atiyah, a Lebanese. His parents had met while his father was a student at Oxford. The family moved to Sudan, where Edward Atiyah was a diplomatic liaison officer for the British colonial authorities.

Mr. Atiyah in 2008. “He would make you think that everything was possible,” said Graeme Segal, a former student.CreditBasso Cannarsa/Agence Opale, via Alamy
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Even with the father’s Arab ancestry and dedication to the Arab people, the Atiyah family identified culturally as British. Michael Atiyah spoke English at home and at school, and Arabic with extended family. (Written Arabic was the only class he ever failed, he said.)

At 12, he went to the Victoria School in Cairo, a well-known English boarding school, and at 16 he and his family moved back to England. At Cambridge, Dr. Atiyah did his undergraduate and graduate studies at Trinity College, where he received his doctorate in 1955. That same year he married Lily Brown, who was also a mathematician. She died at 90 in March in Edinburgh. Dr. Atiyah was master of Trinity College from 1990 to 1997.

Dr. Atiyah’s early work was in topology, a field of mathematics that studies shape, including that of mathematical objects with many more than three dimensions. Though such objects can’t be visualized, topology provides tools to figure out how many holes they have and how different parts of an object are connected to one another. Topology considers shapes to be elastic and malleable — able to be stretched or squished without their fundamental nature being changed, as long as no new holes are punched and no pieces are newly joined together. Working with the German mathematician Friedrich Hirzebruch, Dr. Atiyah developed a topological tool called K-theory.

Dr. Atiyah teamed up with Dr. Singer in the early 1960s. Dr. Singer is a specialist in mathematical analysis, the study of differential equations, which are used to describe physical phenomena in the language of calculus.

The equations are extremely useful for describing real-world situations, but they have a wicked problem: No one knows how to solve them precisely. Dr. Atiyah and Dr. Singer set out to see if Dr. Atiyah’s topological tools might help find the solutions.

Although they couldn’t find the exact solutions to any differential equation, they did manage to use topology to reveal the number of solutions such an equation has. This became their famous Atiyah-Singer Index Theorem, which they developed into an entire field, called index theory.

“It’s a bit of black magic,” Dr. Atiyah said in 2015, “to figure things out about differential equations even though you can’t solve them.”

But that was just the beginning of the connections that the index theory would make. In the mid-1970s, in the middle of this work, Dr. Atiyah learned something surprising: Physicists had been creating their own, less formal version of index theory in parallel with the mathematicians. They were using it to try to understand quantum field theory.

Dr. Atiyah and Dr. Singer teamed up with the mathematician Raoul Bott and Dr. Witten, who was then barely out of graduate school. The team (and soon many others) used index theory to see how discoveries in mathematics revealed truths about physics, and how physical facts revealed mathematical insights. In the process, they transformed both fields.

“It gives the whole landscape on which theoretical physics is constructed now,” Dr. Atiyah said.

Dr. Atiyah’s survivors include his sons David and Robin and three grandchildren. His eldest son, John, died while mountain climbing in 2002.

Dr. Atiyah continued to influence young mathematicians to the end of his life, and to experiment with his own mathematical ideas. In October, he created a stir when he claimed to have solved the Riemann Hypothesis, one of the most famous unsolved problems in mathematics, but the proof did not hold up.

Dr. Atiyah described himself as an optimist. In 2013 he told an online interviewer: “I believe in new ideas, in progress. It’s faith. I’ve recently been thinking about faith. If you’re a religious person, which I’m not, you believe God created the universe. That’s why it works, and you’re trying to understand God’s works. There are many scientists who work in that framework.

“Scientists, outside of religion, have their own faith,” he went on. “They believe the universe is rational. They’re trying to find the laws of nature. But why are there laws? That’s the article of faith for scientists. It’s not rational. It’s useful. It’s practical. There’s evidence in its favor: The sun does rise every day. But nevertheless, at the end of the day, it’s an article of faith.”
Correction: January 11, 2019

An earlier version of this obituary misstated the year Dr. Atiyah received the Fields Medal, one of the highest honors in mathematics. It was 1966, not 1996.



ところで、この記事を書いたジュリー・リーメイヤーという数物記事のジャーナリストも興味深い女性だなあ。森に住んで数学や科学のことを考えて「エッセイを書く」。

かつてのアーサー・C・クラークを彷彿させる。

印税はたいしたことないから、アフリカの奥地とか南米の奥地に住んで、そこで召使いを雇ったり、自炊したりして、ネットでそれを世界に発信する。そうやって儲けてなんとか生き延びる。

こんなやり方も面白いかもしれないですナ。


いずれにせよ、アティヤー先生のご冥福をお祈りいたします。R.I.P.合掌。



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by kikidoblog2 | 2019-01-14 11:52 | 普通のサイエンス

ダイソン先生が「リーマン予想と1次元準周期系が関係ある」といったわけ!?   

みなさん、こんにちは。

相変わらずあまりにいろいろのことが起こりすぎてETの手も借りたいほどである。

今回はまずは数学の話だから、スルーでよろしくネ。


あの自由人ダイソン博士がどうしていま突然、リーマン予想の問題と1次元準周期系の問題が関係あると言い出したのか?これを読んでいたんですナ。やっと言わんとする意味が理解できたヨ。

その解説がこれだった。

鳥たちと蛙たちBirds and Frogs ー Freeman Dyson

ダイソンの妄想と俺の妄想:リーマン予想からABC予想まで。「数学は一つ」かも!?
グロタンディークやダイソンが言いたかったこと!?:俺「自己創造する代数多様体の研究」だろうナア!?


この「鳥たちと蛙たち」で言うところの「鳥たち」という比喩は、フライハイ(天高く飛ぶ)という意味で、数学者の中でも個々の分野を超えて、数学全体を鳥瞰図を描くことのできる大数学者のことを言っている。

一方、「蛙たち」という比喩は、「地べたに這いつくばる」という意味で、各分野の専門領域に生息して大きな研究を成し遂げる大数学者の意味である。

まあ、それ以外は、単なる虫かミミズというところか、あるいは、チリやゴミ。

ダイソンは自分は若い頃は鳥になりたかったが、どうやってもできず、自分はカエルにすぎなかったという。

そんなカエルのダイソン君が、アメリカに留学し、そこで量子物理へ転向する前、自分の博士論文に関係する研究をしていたころ、多くの若き数学者が一番最初に「リーマン予想」や「フェルマー予想」を解決してフィールズ賞をもらいたいというように研究しはじめるというように、自分もそうしたが、自分はあえなく頓挫し、分野を変えるべくアメリカに渡ったという話がある。

それから70年。

自分は量子物理の相対論的量子場理論やランダム行列の理論などでそれなりに有名な研究を行えるようになったが、その間にフェルマー予想はワイルズにより解決されたが、いまだにリーマン予想は解決されずに残っている。

自分が成し遂げたランダム行列の理論とリーマン予想の問題の深いつながりがあることがわかったが、いまだ解けないということは「何かが足りない」ということになる。

その「何か」をいま再考し直すと、それは自分が博士論文のころにお世話になっていた指導教官のロシア人のベシコビッチ教授の行っていた、1次元概周期問題の理論に何か関係がありそうだとわかった。

というより、実はその頃自分はその師匠の理論から推測して、もしリーマン予想が解けるとすれば、こんな感じではないかという一つの予想というかビジョンを持っていたのだが、その当時は実にあいまいとしたものであった。

だからいつしか忘れていたのだが、1984年ごろに物性物理学で準結晶(quasicrystals)という新しい物質が発見され、その理論もいくつか現れた。そうしてみると、準結晶のX線スペクトラムの特徴が実に興味深いものだった。

ところで、物質の原子配置を求める場合にX線解析ということを行う。これは、物質にX線を照射し、その反射をフィルムに写真撮影すると、その物質の構造に対応して、スポット状に点の集団があるパターンを作って現れる。そのスポットと強度(明るさ)を目安に逆にそれに対応する構造を求めるのである。
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http://www.chem.ous.ac.jp/~gsakane/study/kiki/ccd.htm

強いスポットは周期性をあらわし、その波長に対応する周期配列の存在を暗示する。だから、スポットが2つ別々のところに現れると、それぞれに対応する2つの周期があることになる。

こういうふうにして、元の物質内のミクロの原子構造を推定できるのである。これがX線解析という手法である。タンパク質の構造解析も蛋白分子を結晶化させてX線解析してタンパク質の構造を決定してきたのである。下村博士の蛍光タンパク質もこうやって構造解析されたのである。

一方、音響のホワイトノイズ(白色雑音)や光の白色光のようなものは、無数の波長の音や光が混成して重ね合わされているものである。だから、光の場合はそれをプリズムで分光すると、虹色のパターンが分離できる。同様に音は機械でフーリエ分析すると、ホルマント構造という形で音のスペクトルが得られる。

こうしてみた場合、白色のものは、無周期の構造のない構造であることがわかった。

ソーラーパネルにつかわれるアモルファス半導体はこういう構造がランダムな半導体でできている。こういうランダムな構造の物質のX線解析を行うと、そのスペクトルはボヤ―とした連続的な光の帯で現れる。これがホワイトと呼ばれる理由である。
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http://www.geocities.jp/satouniverse/glass.htm

この数学理論を完成させたのが、ノーバート・ウィーナーであり、ガウス分布の確率論、ブラウン運動の理論などが生み出されたのである。そして、最終的にはネルソンー保江邦夫の確率場の量子化理論、確率変分学へと繋がった。

というわけで、構造がランダムならX線スペクトルは連続的、周期構造ならX線スペクトルはスポット状(・状)とわかったわけだった。

そこに準結晶が現れると、それはそれらのどちらでもなかったのである。一見スポット状に現れるが、まるで夜空の星々と見たように、一部を拡大するとまたそこにさっき見たのと同じような構造が現れる。そしてそれは際限がない。つまり、スケール普遍性を持っているのである。
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http://shinbun.fan-miyagi.jp/article/article_20120223.php

これは周期系が空間の並進方向に対称性(空間対称性)を持っているのに対し、準周期系は空間のスケールを変換する方向に対称性(スケール普遍性)を持っているというわけだ。

たとえば、3次元の準結晶の場合なら、そのスポットは黄金率τの整数倍の位置やそれに整数和をしてずれた場所、すなわち、mτ+nの場所に無数に現れるのである。

そこで、老人になったダイソン先生、若いお弟子さんにリーマンのζ関数のゼロ点のX線解析を行わせてみた。すると、驚くべきことに、そのスペクトルは、スポット状でありなおかつスケール普遍性を持っていたのであるという。しかもそのスペクトルの基調となる位置は、素数pのべき乗(p^n)の整数倍とその素数のlogであるlog pの整数倍の場所だけに現れたというのである。

スペクトルは連続的でもなければ、有限個のスポットでもない。そのどちらでもない。

つまり、おそらくもっとも複雑な準周期構造をしているにちがいない、というわけだ。

まあ、log pはpのゼロ乗の極限と見ることもできる。だから、pの分数乗の極限と見ることもできる。だから、基本的には、、素数pのべき乗(p^n)の整数倍とその位置を整数分だけずらした場所に出てくるということだろう。

まあ、とにかくこのお弟子さんの数値計算の結果は、若かりし日のダイソン博士が頭に描いたビジョンにかなり似ているということのようである。

なぜなら、ダイソン先生の先生のベシコビッチは、あのニールス・ボーアの弟のハンス・ボーアという数学者と二人で概周期系の理論の双璧となったからだった。

ところで、このニールス・ボーアの弟さんは有名なサッカー選手だった。その後ユダヤ人にありがちに学者の道に進み、数学者になった。


さて、そういうことのようですナ。ダイソン先生が1次元準周期系に関心を持った理由は。

ということは、p進数で理論(p-adic number theory)を作るだけでは、準周期系を理解することは不可能だということになる。なにかもっと斬新なアイデアが必要だということだろう。

いずれにせよ、頭の柔らかく集中力のある若い力が必須なことは間違いないだろう。


老兵は去るのみ、ですナ。



いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2018-12-10 11:08 | 普通のサイエンス

本邦初公開:ビル・サザーランド博士のハイネマン賞受賞の言葉   



みなさん、こんにちは。

先日、私のユタ大学時代の恩師ビル・サザーランド博士
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が理論物理のノーベル賞ともいわれるダニー・ハイネマンプライズを受賞したということをメモしていた。以下のものである。

私の師匠ビル・サザーランド博士が来年のハイネマン賞受賞!:カロゲローサザーランドモデルの発見!
いや〜〜ユタ大物理は祝賀ムードだった!?:来年のノーベル賞の期待も高まっているはず!?
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それでその受賞をお祝いしてメールを差し上げた次第なのだが、その折返しにその受賞の時のAIPへのインタビュー記事と思われる原稿を私に送ってくれたのだ。

それで、早速それを日本語に翻訳して私のHPやブログに掲載してもよろしいでしょうか?と聞いたところ、OKの許可が降りた。そこで、ついさっきまでそれを読みながら日本語に翻訳していたわけである。まあ、稚拙な拙訳だから、誤訳があるかもしれないが、ご勘弁を。


では、本邦初公開。(いうまでもなく、他人が勝手にサザーランド博士の許可なく転載やコピーはご法度ですヨ。彼にパーミッションもらってナ。

ところで、以下に出てくる、PrizeとAwardの違い。日本語ではどちらも「賞」と翻訳されるが、英語ではまったく概念上異なっている。

Prizeとは五輪競技のように人々が競争したり戦ったりして優勝した人がもらう賞のことであり、Awardはアカデミー賞のように人々から称賛されて表彰される賞のことである。


ビル・サザーランド博士の言葉

原文

2018年10月21日

私はいつどんなふうにダニー・ハイネマンプライズについて聞いたか?


私が覚えているところでは、私の良き親友のシュリラム・シャストリーがインドのバンガロー(Bangalore)空港から、私がハイネマンプライズを受賞したと私に電話してきた時、ヴェロニカ(私の妻)と私は太陽の下で外に座って昼食をとっている最中でした。そのとき私は、彼が私が賞の対象者になるために必要な仕事をしてくれたことに対して非常に感謝したのです。そして私は彼が正しかったということをシュリラムのために喜んだのです―私は彼の応募が成功するとは決して期待してなかったのです。

私の研究上の関心

私は主に統計力学と量子力学とこれらの関連について興味がありました。私は2次元6−頂点模型に関するPhD論文で始まったのです。これはある統計力学の問題で、多くのそういった問題のように、一つの物理系の異なる配置を単に数えることからなるものでした。この場合では、それは強誘電体モデルだったのです。氷をも含む他の多くの場合と同様です、私はこれらの問題の非常に一般的な類を厳密に解くことができたのですが、これが私の指導教官C.N.Yang(楊)教授を非常に驚かせたのです。Yangはすでにノーベル賞を受賞しており、プリンストンの高等研究所で長年を過ごし、ちょうとStony Brookにやってきたばかりでした。私は彼の最初の大学院生でした。Yangとオハイオから訪問していた彼の弟のC. P.Yangといっしょに私たちはこれらの解を研究して拡張したのです。この研究は磁気鎖の1次元量子ハイゼンベルグモデルとの面白い関連を示したのです。実際、C. N. Yangは何年か前にこの問題を解く非常に重要な研究を成し遂げていたのです。だから「その熟練者」だったのです。

この後まもなく私は斥力の逆2乗法則ポテンシャルで相互作用するN粒子の1次元量子系に対する厳密な波動関数を与えるCalogeroの興味深い論文を発見したのです。でも、彼の解は束縛のない散乱状態であり、それで私はどのように「箱の中におく」かを明確にし、有限密度で粒子の熱力学を明確にしたのです―いわゆるCalogero-Sutherlandモデルです。続いて、私はその研究を大きく拡張でき、これらの物理の問題とランダム行列という数学の問題との間に密接な関係を見つけたのです。

私の研究過程において、私はしばしば良き親友であり研究仲間でもあるシュリラム・シャストリーと共同研究することができました。これは最初に1980年に始まりましたが、彼が家族とともにユタ大学に訪れたときです。そしてそれは今日まで続いていて、インドや日本で行われたのです。私の論文などをちょっとみれば、「S&S」の共著論文を見つけると思いますが、多くは二人だけのもので、第一著者が我々のどちらかのものです。

こんなふうにして私は研究経験を積んできたのです。もしもっと知りたいと思う場合には、拙著:Beautiful Models: 70 years of exactly solved quantum many-body systems, (World Scientific, Singapore, 2004)を御覧ください。
Beautiful Models: 70 Years of Exactly Solved Quantum Many-Body Problems
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(序文の謝辞に私の名前もある)


私の始まり

私は家族の中で初めて大学に通う人間だったので、それが私を一種の「マイナリティー」の学生にしたと私は感じています。私の母ノラ・ホプキンスは看護師で、私に看護化学の本を与えてくれたのです。一方、父は多くの異なる専門を持っていたのですが、父が商船の航海術を教えたことから私に対数表を与えてくれたのです。私はミズーリ州のマーシャルの小さい農村社会で大半は育ったのです;私は良かれ悪しかれ多くのミズーリ人の性格の特徴を持つに至ったと思います。私の田舎の教師たちは非常に良かったのです。特に私に数学を教えてくれた「グラニー」・クラッチャ―さんが良かったのです。教科書の商人が彼女のもとを訪れた時に提供された新しい数学の教科書を評価してくれないかと私に頼んだのです。スプートニクが打ち上げられてまもなく、米科学財団(National Science Foundation, NSF)は若い科学者を採用し始めたのです。私が高校の中学部にいた頃、ミズーリのロラ(Rolla)にあるミズーリ鉱物学校で物理学の夏の学校が開催されたのです。(だれもそれが少年だけのものだったとは気づきませんでした!)私は選ばれて、その学校を非常に有意義に過ごせたのですが、高校の最高学年を飛び級して大学に通いたいと思うほど良かったのです。みんながそれに賛成してくれたので、私もそうしたのです。

私はカンサス・シティの郊外のリバティー(Liberty)にある、ウィリアム・ジュエル(William JewelL)という小さい短大で始めました;そこで1年過ごすと、先生たちが私に君はもっと大きな大学へ行きなさいとアドバイスをくれたのです。マーシャルに戻った私の高校の科学の先生が、セントルイスにあるワシントン大学における、教師のための、NSF課程に参加したのです。私にはその大学が非常によく見えたのです。それで私は転学し、それが許可されたのです。私は’Wash U’で際立った教師たちに出会ったのですが、いろんな仕方で最も影響を受けた人はT. A. ‘Alec’ Pond教授でした。彼は二年生の現代物理のコースをMax Bornの教科書で教えたのです。私が卒業になる1年前にポンド教授はStony Brookにあるニューヨーク州立大学の物理学部を開校するために雇用されたのです。翌年私はNSFの奨学制度で彼の後を追ったのです。そしてアレック・ポンド教授こそが二年後にC. N. Yangを招聘したのです。


私のユタ生活

もちろん私のユタ生活は本当には必ずしもそれだけというわけではありませんが、私は家族の一部だと思っております。私が学部生だった頃のワシントン大学に戻りましょう。私はお金が足りなくなり、T. A. ポンド教授に彼の大学院生を助けるために雇用してもらったのです。その院生の中には、クリス・ホーへネムザー(Chris Hohenemster)がおりました。クリスの妻はアンでドイツ語の教師でした。そして彼の父は工学部にいたのです。物理とドイツ語を通じて、また政治活動により、私はクリスとアンと知り合いになったのです(井口注:キング牧師の自由公民権運動の時代)。私が卒業した1963年の夏、彼らとのコロラドのキャンプに私や他の人たちを招待してくれたのです。それは私と私の弟も含んだ、家族や友人たちの一団でした。そこで私はクリスの姉の、私より2つ年上のヴェロニカ・ホーへネムザ―(veronica Hohenemster)と出会ったのです。彼女はニューヨーク、マンハッタンのアパートに住んでおりました。次の2年以上にわたり私たちはニューヨーク市とロングアイランドを行ったり来たり訪問したり、毎夏コロラドのキャンプして、お互いによく知り合うようになったのです。1965年7月30日に私たちは結婚しました;結婚証明書にはコロラドのゴシックとありますが、実際にはずっと山の方だったのです。この夏のキャンプについてはちょっと説明したほうが良いでしょう;私たちは学期中はNY市で教えていた教師たちからストーニーブルークの一軒家を借りて住んでいたのですが、夏の間は彼らがロングアイランドに建つその一軒家に住みました。だから私たちは夏の間はどこかに住まなければなりませんでした。1967年と1968年私たちは標高9500フィート(約2896m)(Brightonのように当時合法的に許可された)森林サービスの土地に手作りの丸太小屋を建てたのです。1968年10月に私たちの娘コリ(Cori)がジェファーソン港(Port Jefferson)で生まれました。私は1968年に卒業したのですが、もう一年CNYangと理論物理学研究所で過ごしました。それから2年オッペンハイマー特別研究員(Oppenhaimer Fellow)としてバークレーで過ごしたのです。私たちの息子ジェイソン(Jason)は1970年2月にカリフォルニア州オークランドのカイザー病院(Kaiser Hospital)で生まれました。こうして私たちの家族はいま全員一緒になったのです。

残念ながら当時は物理で職を得るのはそう簡単なことではありませんでした;私は西部にいたいと思いましたが、1971年の春に私は2つのオファーを得たのです。一つはパルアルトにあるスタンフォード大学、もう一つがユタ州ソルトレーク市にあるユタ大学です。選ぶのはそれほど難しいことではありませんでした;ご承知のとおり、私たちはユタを選んだのです。はっきり言っておきたいことですが、私たちは末日聖徒(モルモン教徒)ではありません。でも、何も問題は―私たちにも他のだれにもありませんでした―私たちは33年間もソルトレーク市に住んだのですから。1971年にはソルトレークに住み、大学に通い、子供を育てるさまざまの人たちがおりました。私たちはソルトレークの古い隣町である(赤い線の(red-lined))通りに住みました。そこは西へ15分の徒歩で町中に、東へ15分の徒歩で大学に行ける場所でした。私たちの子どもたちは開かれた学校(open classroom)に通いましたが、その学校は公立校システムに吸収されていきました。ヴェロニカと私は、電池&電球やクロスカントリースキーを学校の教師として共に選んだのです。私が退職する頃、私は大学で小学生の何人かを教えなければなりませんでした。

ハイネマンプライズをどのように観るか?

これは私が答えるのは難しい問いです;私は恥ずかしがりで内気です。第一に、私はそれを「賞(prize)」といよりはハイネマンアワード(Hineman Award)と見ます;この方がずっと私の気持ちを楽にしてくれるのです。私はいつも理論物理学を’競争的’というよりはむしろ非常に協力的な努力と見てきました。私はずっと年長者の仲間たちにより指導され、同僚たちと生産的に協力しあい、今後の学生たちを喜んで教えてきたのです。もちろん、このことは過去の偉大な科学者や数学者たちによって確立された膨大な歴史的支援構造を見落としています;だれもがこれに依存しているのです。

そんなわけで、長年に渡る共同作業的な冒険において私が行った部分に対する仲間たちからの感謝としてのアワードと見るのです。さらに満足なのはそのアワードがGaudinとCalogeroと共有されたことなのです。私たち3人は異なるけれども関連する興味をもち、いつもお互いに個別のアプローチを喜んで共有したのです。私の全経歴を通じて私は確かに‘プライズ’のために研究しなかったのです。

私の経歴を通して私の動機を説明していると感じるストーリーを言わせてください。説明したように、私はミズーリの小さい農村部出身です。17歳でカレッジで出発したのですが、18歳ですべての少年は徴兵のために登録しなければなりませんでした。これは1960年のことで、ベトナム戦争が始まったのです。徴兵会議(draft board)は私に学生猶予をくれたのです。しかしながら、1967年ごろ、私は(PhD学位論文にとりかかって)まだ大学にいたのです。したがって8年後も私がまだ大学を出ないので、徴兵会議は私をIIAに再分類したのです。彼らの経験上、私は非常に遅れた学生だったのです。しかし彼らは私にさらに2年の猶予をくれたのです。しかしながら、1969年に(今度はYangの理論物理学研究所のポスドクとして)私はまだStony Brookにいたのです。彼らは非常に怒りましたが、また再分類してくれたのです。というのは、CNYang教授が親切にも私のために非常に丁寧で詳しい手紙を徴兵会議へ書いてくださったのです。それは私の研究がどのように優れたものであるのか、だから継続させるべきであり、それが国家のためにどれほど価値があるかというこをを説明するものでした。彼は私にそのコピーを1枚送ってくれました。そしてこれが私の全研究生活人生を通じた1つのインスピレーション(霊感)となったのです。(むろん、私は徴兵されなかったのです!)




いや〜〜、私の知らない話ばかりでした。いい話だナア。


彼の二番目のPhDの私がこういう賞をとる可能性はまったくのゼロだから、他の人たちに頑張ってもらおう。


頑張ろう、弟子たちヨ!


おまけ:
いま気がついたのだが、BillのBeautiful Modelsのアマゾンの読者コメント欄に1つ数学者によるコメントが付いていた。どうやらDr. Lee D. Carlsonという数学者によるものだが、この人はアマゾンでなんでも読んではコメントする著名な人らしい。
Dr. Lee D Carlson, a man that reads everything

この数学者のBillの本へのコメントが非常に良く書けているので、ついでにそれもメモしておこう。以下のものである。

Gives good insights into quantum integrable models
2004年12月22日 - (Amazon.com)
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https://twitter.com/leecarlsonmath

グーグル翻訳

この本の主な美徳は、量子システムにおける統合性の概念に関する混乱を解消することです。第1章で正確に解けるシステムの理論の歴史的概要の後、著者は古典力学における統合性の概念を想起し、ハミルトニアンによって支配されるシステムに議論を限定している。標準的な動作角度の正準変換を使用して、ハミルトニアンシステムの可積分性は、よく知られているように、「崩壊」にある有限の量の量の存在によって示されること、すなわちそれらは運動の定数であることを示している。

この積分の概念は、有限次元の量子システムでは機能しません。これは、ハミルトニアンを含む、相互に通勤するオペレータの集合Lを仮定的に持つシステムを使用することによって示されているからです。彼は、2人の通勤オペレータが代数的に独立していないことを示し、D通勤オペレータは線形独立であり、Dはオペレータの固有空間の次元である。著者は量子システムのダイナミクスに関する情報を提供するという点で、それほど簡単ではない統合性の概念を提示する。

量子システムは、一般に互いに相互作用する粒子系であるため、興味のある動的事象は散乱事象である。実際に、量子システムの散乱理論は非常に発展しており、物理学と数学の両方で膨大な量の研究に影響を与えています。著者は、1次元で始まり、1つの粒子と2つの粒子を考慮して、いくつかの基本システムを考慮して、この積分可能性の概念の実行可能性を正当化する。エネルギーと運動量の保存は、散乱粒子のモーメントを単に再配列(粒子は本質的に「互いに通過する」)。

3つの粒子を考慮すると、状況はより複雑になります。エネルギーと運動量の節約はもはや、漸近的な瞬間が単に入ってくる瞬間の再編成であることを保証することはできない。有名な「Bethe ansatz」は、二体衝突の観点からの散乱の振幅比の決定を可能にします。本物の3体散乱は、3体重複領域から出現する平面波から逸脱する全漸近波動関数に含まれます。著者はこの「回折的」散乱と呼ばれ、正確に解決可能なシステムでは起こらないと指摘している。一般的な1次元システムの場合、それが発生し、これはBethe ansatzの使用を禁じます。回折散乱の存在は第3の独立した保存量の発生を妨げ、これは著者に「非可積分性」を定義するための基準を与える。この本で考慮されている量子システムは、「積分可能」であるため、回折散乱をサポートしていません。量子システムにおける回折のない散乱の結果は、古典的な積分可能なシステムで起こるものと同じくらい興味深いものであり、これらの「美しい」システムの特性を解明するためにこの本を書いている。

本書の早い段階で、著者はシステム全体の分析に使用されるさまざまなテクニックについて説明します。これらの技術は、基底状態にあり基底状態のすぐ上にあるシステム、およびそれらが有限温度にあるときのシステムの解析において生じる。研究の対象となるシステムはすべて可積分で非回折性であるため、著者が「基本方程式」と呼ぶものに従います。これらは、システムのモーメントのための連立方程式です。デルタ関数、逆平方、双曲線のポテンシャルによって支配されるシステムは、これらの技術を議論する際に考慮されるシステムです。

この本の全章は、Bethe ansatzを使って取り組まれた最初のモデルであるHeisenberg-Isingモデルに捧げられ、磁気チェーンと量子格子ガスのモデルです。このモデルは積分可能であり、Bethe ansatzが証明する応用として「無回折」であり、著者はこのansatzを用いてスペクトルの完全な方程式を得る方法を示しています。ゼロ磁束とゼロ磁場における基底状態エネルギーを計算し、この計算を非ゼロ磁場と磁束の場合に一般化する。

また、本書では、2つの粒子間の量子数の交換を可能にする可能性のある量子システムである交換モデルが考慮されている。著者は、双曲線の可能性など、本の中で考慮されている可能性のあるものを取って、交換の可能性を得るためにそれらを修正する方法を示します。特に双曲線のポテンシャルは、原点では強い反発を起こすので、2つの粒子の波動関数は、それらが会ったときに消滅し、異なるタイプの粒子の混合を禁止する。これは、2つの粒子を交換する順列演算子の組み込みによって緩和することができる。

著者は、本の最後の章で有名なハバードモデルについても議論します。このモデルは、強く相互作用する電子のモデリングシステムのための凝縮物性物理学で使用され、著者がBethe ansatzを再び使用して示すように、一次元で積分可能である。

本書の最善の章は第7章である。著者は、統合性の性質に関するより一般的な質問と、システムがいつ統合可能かどうかを証明する方法について詳しく述べている。システムが統合可能であることを示す最適な方法はないことに留意し、散乱をサポートするシステムの統合性を示すさまざまなアプローチについて説明します。この章での議論は非常に明快であり、したがって、読者は積分可能なシステムの特性、特にヤンバクスター方程式の役割とそれに続く「伝達演算子」の概念について多くの洞察を得るでしょう。テスト粒子と他のすべての粒子との散乱に対応する伝達演算子の著者の説明は、その役割を明確にし、正確に解けるシステムに関する文献にはない説明です。また、ミラーのウェッジから光線を散乱させる例を用いて、非可積分性の背後にある物理学についての非常に興味深い議論を行う。これらの例は、単純な数学的計算よりも有用な、非整数体系の振舞いについてより多くの光を当てる役目を果たします。




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by kikidoblog2 | 2018-12-06 17:34 | 普通のサイエンス

いや〜〜ユタ大物理は祝賀ムードだった!?:来年のノーベル賞の期待も高まっているはず!?   

ユタ大物理学部はお祝いムード満点!
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みなさん、こんにちは。

昨日は阿南の太陽の会という障害児童のための会のクリスマス会で毎年恒例のサンタクロースになってきたのだが、徳商のチアリーダーのダンスもあった。やはり華がありますナ。いつもは徳商サッカー部の応援のときに見る程度だったが、今回は初めてショーという形で見ることができた。

さて、サザーランド教授がハイネマン賞を受賞したという話:

私の師匠ビル・サザーランド博士が来年のハイネマン賞受賞!:カロゲローサザーランドモデルの発見!

をメモしたところ、どういうわけか、ツウィッターでリンクするものがいたので、調べて見たら、なんと

Salt Lake Tribune

からだった。

この新聞はユタ州最大の新聞で、歴史あるものである。大半の家では読んでいるというものだから、日本で言えば、読売新聞とかに匹敵するだろうか。

そこで、どうしてトリビューンが?と思って考えたら、やはりユタではビルのハイネマン賞受賞が大きなニュースになったのではないか?と思ったわけである。

そこで、ユタ大辺りを見てみると、やはりありました。ビルをお祝いするものが。これである。

同時に2人の物理学部の名誉教授が受賞したようである。

1人目が物性理論の私の師匠のBill Sutherland教授。
2人目が物性実験のEfros教授。たしかこの教授は私が留学中はまだ来ていなくて、私が日本に帰国して1年ほどしてユタの正教授になったんだと思う。

U emeriti professors awarded two of nation’s top physics prizes

Oct 24, 2018

Dannie Heineman Prize for Mathematical Physics

Bill Sutherland, emeritus professor of physics at the University of Utah, was awarded the 2019 Dannie Heineman Prize for Mathematical Physics, which he will share with Professor Michel Gaudin at the Institute for Advanced Study and Francesco Calogero, professor of physics at Sapienza University of Rome. The prize is one of the nation’s highest awards for physics — seven previous winners have gone on to receive the Nobel Prize.

Established in 1959 by the Heineman Foundation, the Heineman Prize recognizes outstanding publications in the field of mathematical physics. Jointly administered by the American Institute of Physics (AIP) and the American Physical Society, the prize is funded by the Heineman Foundation in honor of Dannie Heineman, an engineer, executive, and philanthropist born in North Carolina but who spent most of his career in Germany, Belgium, and Italy.

“As I remember, Veronica (my wife) and I were sitting outside in the sun having lunch, when my good friend Sriram Shastry called me from the Bangalore airport to tell me I had been awarded the Dannie Heineman prize. I was then grateful that Sriram had done the work needed for me to be considered, and pleased for Sriram’s sake that he was right — I certainly never expected his application to succeed,” Sutherland told AIP of his reaction to the news.

The citation for the 2019 prize reads: “For profound contributions to the field of exactly solvable models in statistical mechanics and many body physics, in particular the construction of the widely studied Gaudin magnet and the Calogero-Sutherland, Shastry-Sutherland, and Calogero-Moser models.”

PHOTO CREDIT: Courtesy of Bill Sutherland
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Bill Sutherland, emeritus professor of physics at the University of Utah, poses with a class he taught near the turn of the century.

Sutherland’s research has focused on the connections between statistical mechanics and quantum mechanics. He began his Ph.D. working on the two-dimensional 6-vertex model, a statistical mechanics problem. His research showed a strong connection with the one-dimensional quantum Heisenberg-Ising model. Later, Sutherland found an interesting paper written by Professor Francesco Calogero for an exact wave function of a one-dimensional quantum system of N particles interacting by a repulsive inverse-square potential. Calogero’s solution was an unbound scattering state, but Sutherland was able to build upon Calogero’s work and find a solution at finite density, known as the Calogero-Sutherland model.

Born and raised in Marshall, Missouri, Sutherland was the first to attend college in his family. He received his bachelor’s degree from Washington University and a Ph.D. from the State University of New York at Stony Brook in 1968. Sutherland joined the University of Utah in 1971 as an assistant professor and became a professor in 1982. He served on the faculty of the U’s Physics & Astronomy Department until 2004, when he retired and became emeritus professor.

“Bill Sutherland is a towering figure in mathematical physics,” said Peter Trapa, chair of the U’s Department of Physics & Astronomy. “His profound ideas have had a deep impact on the subject, and continue to inspire new and important applications in many different fields. He has a great legacy at the U. I’m delighted that he is being recognized by this prestigious prize.”

グーグル直訳+私の修正

ダニー・ハイネマン数理物理学賞

ユタ大学の名誉教授Bill Sutherlandは、2019年数学的物理学の賞であるダニー・ハイネマン賞を授与しました。彼は、高等研究所のミッシェル・ガウディン教授と、ローマ・サピエンツァ大学の物理学教授であるフランチェスコ・カロジェロ教授と同時受賞されました。 この賞は国内最高の物理学賞の1つであり、この受賞者のうちから7名のノーベル賞受賞者が出ています。

Heineman財団によって1959年に設立されたHeineman賞は、数学物理学の分野で著名な出版物を認めています。 米国物理学協会(AIP)と米国物理学会(APS)が共同で運営するこの賞は、ノースカロライナ生まれで永らくドイツ、ベルギー、イタリアで活動したアメリカ人のエンジニア、エグゼクティブ、慈善家であるDannie Heinemanを記念したHeineman財団から資金援助を受けています。

"私が覚えているように、私はVeronica(私の妻)と外に座って太陽の下で昼食を取っていました。そこに私の親友Sriram Shastryがバンガロール空港から私に電話をかけ、Dannie Heineman賞を授与されたと教えてくれました。 私はSriramが私のために必要とされた仕事をしてくれたことに感謝し、Sriramが彼が正しかったことを喜びました - 私は確かに彼の申請が成功するとは思っていませんでした」とSutherlandは彼の反応についてAIPに語りました。

2019年の賞の表彰は次のようになっています。
「統計的力学と多体物理における厳密に解けるモデルの分野への貢献に対して、特に広く研究されているGaudin磁石とCalogero-Sutherland、Shastry-SutherlandとCalogero-Moserモデルなどの構成し対して」。
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ユタ大学の名誉教授であるBill Sutherlandは、世紀の終わり近くに彼が教えたクラスを持っています。

Sutherlandの研究は、統計力学と量子力学との関係に焦点を当ててきました。 彼は統計力学の問題である2次元6頂点モデルの研究で彼の博士号を始めました。 彼の研究は、1次元量子Heisenberg-Isingモデルとの強い結び付きを示しました。 その後、サザーランドは、 正の逆2乗法則ポテンシャルによって相互作用するN体粒子の1次元量子系の正確な波動関数についてFrancesco Calogero教授が書いた興味深い論文を見出しました。 Calogeroの解は非束縛の散乱状態でありましたが、SutherlandはCalogeroの研究に基づいて、Calogero-Sutherlandモデルとして知られる有限密度の解を見つけることができたのです。

サザーランドはミズーリ州マーシャルで生まれ育ちましたが、家族の中では初めて大学に通うことになりました。 ワシントン大学で学士を取得し、1968年にニューヨーク州立大学(Stony Brook)で博士号を取得しました。 サザーランドは1971年にユタ大学に助教授として加わり、1982年に教授に就任し、定年退職して名誉教授になった2004年までユタ大学の物理学および天文学部の教授を務めました。

" Bill Sutherlandは数学的物理学の偉大な人物です"と、ユタ大の物理学と天文学の教授であるPeter Trapaは述べました。 "彼の深遠なアイデアは主題に深い影響を与えており、多くの異なる分野で新しい重要なアプリケーションを引き続き鼓舞しています。 彼はUに大きな遺産を残しています。私は彼がこの権威ある賞に認められていることをうれしく思います。

Oliver E. Buckley Condensed Matter Prize

Distinguished emeritus professor Alexei Efros
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Distinguished emeritus professor Alexei Efros has received the 2019 Oliver E. Buckley Condensed Matter Prize by the American Physical Society (APS). The award recognizes outstanding theoretical or experimental contributions to condensed matter physics and is named in honor of Oliver Ellsworth Buckley, a former president of Bell Labs. Efros shares the award with colleague Boris Shklovskii, a theoretical physicist at the William I. Fine Theoretical Physics Institute at the University of Minnesota, and Elihu Abrahams, distinguished adjunct professor of physics and astronomy at UCLA

Born in Leningrad, Russia, now St. Petersburg, Efros obtained a master’s degree from the Leningrad Polytechnic Institute in 1961 and a Ph.D. in physics a year later from the Ioffe Physico-Technical Institute. In 1986, he received the Landau Prize in theoretical physics from the Soviet Academy of Sciences. He emigrated to the U.S. in 1989 as a visiting professor and distinguished scholar at the University of California, Riverside. He moved to the University of Utah in 1991 and became a distinguished professor in 1994.

The Buckley award citation reads: “For pioneering research in the physics of disordered materials and hopping conductivity.” The main achievements of the Efros–Shklovskii collaboration are the theory of the hopping conductivity of semiconductors, based upon the percolation approach and the prediction of the Coulomb Gap in the electronic density of states. The Coulomb Gap is demonstrated in the specific temperature dependence of the hopping conductivity and in the specific voltage dependence of the tunneling current from the semiconductor to metal.

Efros became an APS fellow in 1992 for his work on the theory of transport in disordered systems. In 1997, he received the Humboldt Prize from Germany and the Lady Davis Fellowship from Israel. In 2015, he returned to Russia and taught at the Academic University of St. Petersburg from 2015-2018. He lives in Salt Lake City.

“Alexei Efros is a pioneer in the field of disordered systems,” said Mikhail Raikh, professor of physics and astronomy at the U, and a friend and colleague to Efros since their days in St. Petersburg. “His work on the problem of hopping conductivity and insulator-metal transition was groundbreaking, and his models are still used to today. We are so proud he has received this award.”

グーグル直訳

Oliver E. Buckley凝縮物質賞

著名なアレクセイ・エフロス教授
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著名な名誉教授アレクセイ・エフロス(Alexei Efros)は、アメリカ物理学会(APS)の2019年のOliver E. Buckley Condensed Matter Prizeを受賞しました。 この賞は、凝縮物性物理学への優れた理論的または実験的貢献を認めており、Bell Labsの元社長であるOliver Ellsworth Buckleyに授与されました。 エフロスは、ミネソタ大学のWilliam I. Fine Theoretical Physics Instituteの理論物理学者Boris Shklovskiiと、UCLAの物理学と天文学の教授であるElihu Abrahamsと共同受賞されました。

ロシアのレニングラード、現在サンクトペテルブルクの生まれ。エフロスは1961年にレニングラード工科大学で修士号を取得。 一年後にIoffe Physico-Technical Instituteから物理学で学びました。 1986年、ソビエト科学アカデミーから理論物理学のランダウ賞を受賞しました。 彼は1989年にカリフォルニア大学リバーサイド校の客員教授と著名な学者としてアメリカに移住しました。 彼は1991年にユタ大学に移り、1994年に著名な教授に就任しました。

バークレー賞の表彰は、「不規則材料とホッピング伝導度の物理学における先駆的研究」に対してです。Efros-Shklovskiiの共同研究の主な成果は、パーコレーションアプローチと電子密度の状態におけるクーロンギャップ。 クーロンギャップは、ホッピング伝導率の特定の温度依存性、および半導体から金属へのトンネル電流の特定の電圧依存性において実証されている。

Efrosは1992年に無秩序なシステムでの輸送理論に関する彼の研究のためにAPSのフェローになった。 1997年にはドイツからフンボルト賞を、イスラエルからデイビス奨学金を受賞しました。 2015年にロシアに戻り、2015〜2018年にサンクトペテルブルクのアカデミック大学で教鞭をとった。 彼はソルトレークシティに住んでいます。

「アレクセイ・エフロスは、無秩序なシステムの分野におけるパイオニアである」とユーフラテスの物理学と天文学の教授であるミハイル・ライク(Mikhail Raikh)とサンクトペテルブルクでの時代からエフロスの友人と同僚は語った。 "ホッピング導電率と絶縁体 - 金属転移の問題に関する彼の作業は画期的なものであり、彼のモデルはまだ今日でも使用されています。 私たちはこの賞を受賞したことをとても誇りに思います。


ビルが先か?エフロスが先か?

いずれにせよ、来年は物性でノーベル物理学賞受賞の可能性が高い。

はたしてユタ大初のノーベル賞学者の誕生なるか?


ちなみに、これまで一番ノーベル賞の呼び声が高かったユタ大の科学者は?というと、知る人ぞ知る理論化学の歴史的偉人、
Henry Eyring
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であった。しかし、残念ながらアイリングはノーベル賞をもらえなかった。

触媒作用の「活性複合体」や「化学反応速度論」の創始者である。だから、代々ユタ大の化学部は強いということになっている。スパコンを最初に入れたのもユタ大の化学部であり、当時の世界最速の富士通のものであった。私が富士通にいた頃の話である。私はそのプロジェクトとは無関係。


がんばれ、ユタ大!

師匠がいよいよ世界の中心に来たというのに、その二番目のPhDの俺がこれではいかん、いかん。

まあ、このヘル日本に生まれたことを悔やんでもしょうがない。



いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
Billの博士論文のときの指導教官は、ストーニーブルークへ移ったばかりで、すでに「対称性の破れ」でノーベル賞受賞していたC.N. Yang(楊振寧)教授である。
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そのC.N. Yangはエンリコ・フェルミ
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の一番弟子である。

俺が知っている博士論文についてのエピソードをいくつかメモしておこう。

Enrico Fermiの学生だったC. N. Yangの博士論文はたったの15ページだった。

それはレターのような短さだったという伝説。PhDには独創性が大事だという典型。

C. N. Yangの学生だったBill SutherlandのYangの推薦状は、たったの一言。

He is better than me!

だったという伝説。

ちなみにビルのPhDの中で一番「不肖の身」の俺についてのビルの推薦状の一文は

カズモトは好奇心旺盛で数学論文からドイツ語などの外国の物理の文献にも目を通そうとしている

であった。

すんません、目を通しただけで。

頑張れ、ビル!ご幸運をお祈りいたします。


来年の10月はじめにもこういうふうにお祝いできると良いですナ。なんとなくそうなりそうな気がするんですナ。

それにしても、写真を見た限りではいっときよりビルが若返った気がするが。気のせいかナ???




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by kikidoblog2 | 2018-12-03 10:00 | 普通のサイエンス

私の師匠ビル・サザーランド博士が来年のハイネマン賞受賞!:カロゲローサザーランドモデルの発見!   



みなさん、こんにちは。

今夜は乾杯だ〜〜〜!

いや〜、ついに私のユタ大時代の師匠、ビル・サザーランド博士
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が理論物理学の実質上のノーベル賞といわれる、数理物理学最高の賞、

2019年ハイネマンプライズを受賞。

いわゆる、
ガウディンーカロゲローサザーランドモデルの創始に対して
である。

この3人が同時受賞。

来年はノーベル賞は物性理論だから、来年この3人でノーベル物理学賞かもしれないゾ!

いよいよストックホルムの飯が食えるかも?

ジョーダンは吉本。


これである。

Dannie Heineman Prize for Mathematical Physics

やはりこの教科書を書いたことが決め手になったのかもしれないナ。

Beautiful Models: 70 Years of Exactly Solved Quantum Many-Body Problems
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(序文の謝辞に私の名前もある)


ちなみにこの本はビルが京大の基礎物理学研究所の川上則夫教授の招待で半年ほど滞在した時に書いたもの。
インド人のシュリラム・シャストリーも来て、みんなで湯豆腐屋さんで夕食会を開いた。シャストリーもいつか賞をとるだろう。もうとったかな?シャストリーはハルデーンの盟友。ビルの最初のポスドク。私はビルの二番目のPhD。


いや〜〜、昔のことが走馬灯のように駆け巡りますナ〜〜。

ユタ大のビルの研究室にて(1998)
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知恩院にて(1998)
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徳島の眉山のかんぽの宿にて(1999)
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徳島の県南の白い灯台にて(2002)
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(夫人はベロニカさん)



おめでとう、ビル!

Congratulations! Prof. Bill Sutherland!


いや〜、ビルについに風が吹いてきたんですナ。


ところで、数理物理のハイネマンプライズなら我が国の保江邦夫博士も取れる可能性が大。

確率変分学の創始、保江方程式の発見である。フランスの数学者と同時受賞なんてありえる。





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by kikidoblog2 | 2018-11-30 22:30 | 普通のサイエンス