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「あのねのね」の「赤とんぼの唄」はPPAPのピコ太郎の先駆者だった!?   

みなさん、こんにちは。

昨日はここ阿南も比較的温かい快晴の日で、年末年始に合わせて髪を切りに安床屋へいった。

すると、同じようなことを考えた高齢者のオヤジばかりで、歩くのもままならないおじいさんたちといっしょになったわけだ。

そんなご高齢者であまりに混んでいたために、2時間半も待たされたのだが、その間に一本英語の論文を完読できてありがたかった。

一方、BGMがこれまた高齢者向けの1970年代の日本の音楽を有線で流し続けていた。

そんな中で久しぶりに聞いたのが、あのねのねのこれだった。
赤とんぼの唄 - あのねのね
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まさにこのYouTubeのと同じようにコンサートホールの聴衆の笑い声の聞こえるやつだった。


ところで、こんな感じで、言葉を変形=デフォルメして歌詞にするというのは、最近では、PPAPのピコ太郎のこれだろう。

ペンパイナッポーアポーペン


というわけで、ピコ太郎より何十年も前にあのねのねはピコ太郎とは逆のことをやっていたわけだ。

ピコ太郎が言葉を連結していくとすれば、あのねのねは言葉を排除していく。

「あのねのね」の「あのね」をとったら、「のね」

とやっていたわけだ。

ナンセンス・ソング

の一種だろうが、言葉遊びを歌にしたという意味では同類であろう。


あのねのね恐るべし。


とまあ、あのねのねの歌を聞きながら、こんなことを考えながら、床屋で待っていたというわけである。


俺も暇人だな。


いやはや、世も末ですナ。




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# by kikidoblog2 | 2017-12-22 08:35 | マスゴミ・ダマスゴミ

「バカチョン」の「チョン」は「ちょんまげ」の「チョン」だった!:NHKは橋爪功さんに謝罪すべし!   

ちょんまげ
「バカチョン」の「チョン」は「ちょんまげ」の「チョン」だった!:NHKは橋爪功さんに謝罪すべし!_a0348309_874683.jpg


これが「バカチョン」



みなさん、こんにちは。

最近のNHKはますます「韓の犬エッチK」に成り下がってしまったようだ。最近ではさらにKがキチガイのKになった感すらある。

なんと、NHKの昼のインタビュー番組で、日本人俳優の橋爪功さんが、「バカチョン」という言葉をだしたら、番組中にメインキャスターが「不適切な発言がありました」と(心にもない偽の)謝罪してみせたというのである。

こうやっていちいち在日南北朝鮮にによる、その誤った自意識過剰やその被害妄想からくる「言葉狩りテロ」に付き合わされ、日本の伝統文化破壊を目論むわけだ。

ところで、最近では、日本で和食を学んだ韓国のchosuneseが、いちいち和食についている和名を韓国語に直し、その途端にそれが韓国ルーツの料理に変化し、するとそれを海外に韓国オリジナルとして流布させる。

こんなことをしたがる朝鮮人が後を絶たない。

悪いことをするときは日本人になりすます。良いことをするときは日本のものでも韓国のものだと捏造する。

息を吐くように嘘をつき、嘘も100回言えば真実になる。

これが昨今の朝鮮人である。

NHK本社にはそういう韓国のテレビメディアが入り込み、NHK職員をマンツーマンで管理している。むろん、韓国の放送局員のふりをしたKCIAのメンバーである。

戦後ずっとそんなことをしてきたわけだが、いまや世界構造が代わりつつある。

戦後は終わったのだ。

というわけで、姑息な韓国人の手口がどんどんインターネット上で全世界に拡散してしまう。そういう時代になった。


さて、その問題の「バカチョンカメラ」の「バカチョン」とか、「バカでもチョンでも」という時の「チョン」とは、もちろん
「朝鮮人」の「チョン」ではない!


これは
「ちょんまげ」の「ちょん」
「ちょんぎる」の「ちょん」
から来ているのだ!

これは、「役に立たないつまらないやつ」という意味である。

たまたま音の響きが「チョンガー」=「(朝鮮語の)独身男子」の「チョン」と同じになっただけのことにすぎない。


「チョン」というのは前者の意味から派生して、「つまらない奴」「役に立たない者」という意味で使われていた言葉のようだ。「 西洋道中膝栗毛」の中にある「ばかだの、ちょんだの、のろまだの」は、「あほ、ばか、まぬけ」と同じ、同義語を反復する表現にすぎない。「 ばかだのちょんだの」に朝鮮人差別の意味はまったくない!


「馬鹿でもチョンでも」は差別語ではない | 新佃島・映画ジャーナル
自民党の谷垣禎一幹事長が、大阪市内での街頭演説で差別語を使ったという問題。発言内容は以下のようなものだったらしい。

「東京の自民党本部が賛成しているのに、大阪府連は都構想に反対している。(それを)ばかだチョンだというようなことを維新は言っている」(時事ドットコム)

 これのどこが差別表現なのか、僕にはさっぱり理解できない。「チョン」は朝鮮人に対する侮蔑的な表現であるという説明があるのだが、この説明はそれだけを取り上げれば事実だ。かつて日本人は中国人を「チャンコロ」と呼び、朝鮮人を「チョン」や「チョン公」と呼んでバカにしていたことがある。しかし「ばかだチョンだ」の「チョン」はそれとはまったく無関係だ。

 だいたい谷垣さんはここで、「チョン=朝鮮人」の意味で使っているのか? 違うでしょ? 朝鮮人のことを「チョン」と呼ぶのは時代錯誤の大差別だが、「ばかだチョンだ」はまるっきり問題ないよ。

 以下、僕が知るかぎりのことを簡単に解説しておく。

江戸時代末期には既にあった表現

 「ばかだチョンだ」のもともとの表現は「馬鹿だのチョンだの」だ。略して「バカチョン」と言ったりもする。辞書に載っているもっとも古い用例は、明治3年から9年に発行された仮名垣魯文の「西洋道中膝栗毛」にあるという。そこには「ばかだの、ちょんだの、のろまだの」と書かれているらしい。おそらくこの表現は江戸時代から一般的に広く使われていた罵倒語なのだろう。この時代の日本人に「チョン=朝鮮人」という発想はない。

 では「チョン」とはもともとどんな意味だったのか?

 チョンとは今でも読点や傍点に使う「、」や「・」のことだ。「どらえもんえかきうた」にある「丸(◯)描いてチョン(・)」の「チョン」だ。

 江戸時代には男性がちょんまげを結っていたが、あれをちょんまげと呼ぶのは形が「、」に似ているからだという。「、」はそれ自体では意味のない小さな点なので、些細なこと、小さなこと、などの意味にも使われる。ごくわずかな量を意味する「ちょんびり」や「ちょんぼり」という言葉や、短い時間を意味する「ちょんの間」という言葉が今でも残っている。

 チョンには別の意味もある。芝居(歌舞伎)で幕切れに入れる拍子木の「チョン」という音のこと。そこで終わり。そこで打ち切りというしるし。「そこでチョンになった」などと使う。何かを切断するときに使う「ちょん切る」も同じ意味からの言葉だという。

 「チョン」というのは前者の意味から派生して、「つまらない奴」「役に立たない者」という意味で使われていた言葉のようだ。「西洋道中膝栗毛」の中にある「ばかだの、ちょんだの、のろまだの」は、「あほ、ばか、まぬけ」と同じ、同義語を反復する表現にすぎない。「ばかだのちょんだの」に朝鮮人差別の意味はまったくない!(ただしあまりお上品な言葉でないことは確かだ。)

バカチョンカメラの登場

 「ばかでもちょんでも」が朝鮮人差別だと言われるようになったのは、マスコミが「バカチョンカメラ」という言葉を自粛した頃からだと思う。昭和50年代頃からではないだろうか。今では当たり前のことだが、誰でもシャッターボタンさえ押せば失敗のない写真が取れるカメラというのは、当時は結構大変な技術だったのだ。世界初の自動焦点カメラ「ジャスピンコニカ」の発売は1977年(昭和52年)のこと。ただしそれ以前から、スナップ写真などでだいたいどこにでもピントが合うパンフォーカスのカメラは出ている。それらを総称して「誰にでも簡単に撮影できるカメラ」という意味で「バカチョンカメラ」と呼ばれていたのだ。

 しかしこの言葉は、まもなく使われなくなった。理由は「チョン」が朝鮮人差別だということではなく、おそらくはメーカー側がそれを嫌がったのだろう。自分たちが技術の粋を集めて心血を注いだカメラを「バカチョン」とはひどい……。そんなわけで、こうしたカメラは「全自動カメラ」とか「ロボットカメラ」などと呼ばれるようになった。(後者は死語ですね。)やがてあらゆるカメラにオートフォーカス機能が搭載されると、バカチョンカメラという言葉は完全に死滅した。

 しかしこれと同時進行で、「バカチョン」は朝鮮人差別だという誤った説明が広まるようになっている。今ではこれがすっかり「定説」になってしまい、今回の谷垣さんの発言を「差別用語」だと報じる新聞まである始末。困ったもんです。今回は特に朝日新聞がひどい。見出しが「谷垣氏、街頭演説で朝鮮人差別用語」だもんなぁ。毎日も「差別的表現」と見出しで書いている。日本語の番人であるべき新聞マスコミが、日本語に対する誤解を広めてどうするんだよ!

差別語の範囲は時代によって異なる

 日本のマスコミでは差別語について一時期かなり神経質になっていたことがあり、ありとあらゆる言葉が「差別語だ」という理由で使えなくなってしまったことがある。たとえば「狂う」という言葉はかつてテレビでは決して使えない言葉だった。精神障害者に対する差別だというのだ。ドラマの中で「時計が狂う」と言おうとしたらシナリオにチェックが入って使えず、「時計が遅れている」に直したら「知的障害者に対する差別だ」と言われて使えず、「時計が進んでいる」に直したという話をどこかで読んだことがある。でも今は大河ドラマの中で吉田松陰が「諸君、狂いたまえ!」なんて大見得きったりしているのだから、時代が変わって差別語が差別でなくなることもあるわけだ。

 大河ドラマでは、忠臣蔵をモチーフにした「峠の群像」(1982/昭和57年)で「片手落ち」が使えないことが話題になったことがある。松の廊下の刃傷事件で浅野家だけが処分を受けたことに対して、藩士たちが「喧嘩両成敗にならず当家だけが処分を受けるのは片手落ちでござる!」と憤るはずが、「片手落ち」は身体障害者に対する差別だということになって「片落ち」になってしまった。言葉としては「片手+落ち」ではなく「片+手落ち」であり、一方にだけ手落ちがあるという意味なんだろうけどね。これはたぶん、今でもマスコミでは使えない言葉になってしまっていると思う。NHKが「片手落ち=差別語」のレッテルを貼ったからだ。

 本来差別語でもなんでもない言葉であっても、大マスコミが音頭を取って差別語のレッテルを貼ってしまえば、そこで差別語として確定してしまう。「片手落ち」は今でも使いにくい言葉だし、「ばかでもちょんでも」も公的な場で使うことはできない。谷垣さんにはお気の毒だけど、政治家も「言葉を使って商売」をしているわけだから、そのあたりは注意深くあるべきだったと思うけどね。

 しかし今回の件で一番みっともないのは、谷垣発言の揚げ足を取って「差別だ」と触れ回っているマスコミと、言葉尻を取り上げて谷垣さんを差別主義者扱いしている人たちだ。ある言葉が差別的か否かは、その言葉が使われた文脈で決まる。谷垣さんの発言に朝鮮人差別の意図がまったくないことは、誰がどう考えたってわかることだろうに……。


というわけで、橋爪功さんを差別者扱いしたNHKは橋爪功さんに直接謝罪したほうがよろしいのではなかろうか?


我が国のテレビ業界の創始者である「日本放送協会」=NHKが、いまでは「捏造放送キチガイ」になってしまったようだ。

実に残念なことですナ。

これじゃ〜〜、アメリカのファルスニュースCNNと同格に見られるわけだ。

受信料を徴収する価値もない。




いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
やりたい放題のNHK=日本犯罪協会。年収1800万もあるのにまだ金が欲しいのかいな?
【速報】NHK職員の37歳男性が受信料58万円着服!!

NHK職員を懲戒免職処分 37歳男性職員が受信料58万円着服「言語道断 厳しく対処」
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NHKが21日、会見を行い、職員の懲戒処分を発表した。37歳男性の名古屋放送局の中央営業センター職員が、去年10月から今年12月にかけて訪問集金により受け取った受信料58万円を着服したことが発覚し、懲戒免職とした。

中田裕之理事が経緯を報告。男性職員は愛知県内で訪問集金により受け取った受信料21件分、58万円余りを着服。収納の際、訪問先に領収証を発行したが、その後mシステムから発行履歴を消去し、協会には入金せず報告をしていなかった。男性職員は「親族の病院などの治療費で借金があった」といい事実と認め、弁済した。

NHKは「公共放送の職員として言語道断。職員としてあるまじき行為であり、厳しく対処しました。視聴者の皆さまに深くおわびするとともに、業務管理を一層徹底して参ります」とコメントした。




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# by kikidoblog2 | 2017-12-22 08:05 | マスゴミ・ダマスゴミ

斎藤一人さんからのメッセージ:「コレができない人は必ず人生が狂う」「本当に強い人」   

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Life is good!   by Hitori Saito


みなさん、こんにちは。

今日たまたま見つけたんだが、斎藤一人さんという我が国で個人納税額が1位の人がいるらしい。いわゆる大富豪なんだが、その人の成功哲学が最近YouTubeで語れるようになった。

そんな中で、ぜひ白鵬や日馬富士や鶴竜、および貴ノ岩や貴乃花などにちょうど良さそうなものがあった。

そんなものをメモしておこう。


(あ)貴ノ岩と貴乃花へのメッセージ

【斎藤一人】コレができない人は必ず人生が狂う! ※私が日本一幸せになれたワケ※



(い)白鵬と日馬富士へのメッセージ

【斎藤一人】「本当に強い人」の特長



いやはや、これぞ達観。

原因と結果の話:

原因→結果

良いこと→ダルマ=達磨
悪いこと→カルマ=因果応報


曼荼羅=ピラミッドの話:

第一の門→困ったことは起こらない、他人の機嫌をとらない→自分の機嫌だけをとる→第一の門が開く

第二の門→自分の能力を出し切る、出し惜しみしない→第二の門が開く

第三の門→常に笑顔で過ごす→徳を積む→人徳が上がる→第三の門が開く

第四の門→第一第二第三の門が開くと魂力(たましいりょく)を磨かれる→第四の門が開く


いやはや、実に興味深い。


白鵬も人のせいにしていると、魂が磨かれないぞ。

まずは自分のせいだと認めて、改心しないかぎり、運は開かない。


いやはや、世も末ですナ。





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# by kikidoblog2 | 2017-12-21 17:30 | スピリチュアル